05 三人目
ちょっとだけグロ描写があります。苦手な方はご注意ください。
《七月十日・月曜日・先負》
月曜日、早朝。市内の巻根西中学校の周りは、週のはじめから物々しい雰囲気に包まれていた。
本来児童が溌溂とくぐっていくはずの校門が、鮮烈な青色のシートに覆われている。その外側には「立入禁止」と書かれた黄色のテープが張り巡らせてあり、数名の警察官が後ろ手にして直立し、野次馬を監視していた。
立入禁止テープの向こう側では、大勢の警察官がせわしなく動き回っている。その中には、禮泉崇史の従兄にあたる禮泉博巳も混じっていた。
県警捜査第一課所属の刑事である博巳は、これまでそれなりに悲惨な現場というものを体験してきた。下っ端のぺーぺーだった頃は欠かせなかったゲロ袋も、今では持ち歩かずに済むようになった。人間というものは、どんな環境にもそれなりに順応するように出来ている。
けれど、さしもの彼をしても、これほどまでに人間性を蹂躙せしめる現場と遭遇するのは初めての経験だった。
「何だよ、こりゃ……」
絶句するより他になかった。ブルーシートの結界に秘められた最奥、そこに在ったものは、彼の理解の範疇を遥かに超えていた。
「先輩……俺、ちょっと…………」
後ろから付いてきた後輩の顔色が、さあっと青ざめた。彼は数秒間その場に立ち尽くしたかと思うと、咄嗟に口を手で覆って、シートの外側に駆け出して行った。やがてそちらからゲーゲーと嘔吐の音が聞こえてきた。
鑑識のひとりがシートの出口にちらりと目を向けて、博巳に耳打ちしてきた。
「怒らないでやってくださいよ。こいつは、吐くほうが普通です」
「わかってますよ。おたく、こんな現場見たことあります?」
「初めてです」
「俺もですよ」
博巳は校門の石塀を見上げた。この現場で一際目立つそこには、真っ赤な文字でこう書かれていた。
“FUCK ME!!”
血文字だ。大量の血液を使って、そんな冒涜的なアルファベットが叩きつけてあるのだ。そして「ソレ」は、その文字列の真下に置かれていた。
むせかえるほどの鉄の臭いをかき分けて、博巳は一歩、二歩と踏み出した。現場を荒らさないギリギリの距離まで「ソレ」に近づき、その恐るべき様相をまじまじと観察した。
「ソレ」は女性の遺体だった。校門の脇の壁に寄りかかって、座った体勢で放置されている。遺体は衣服を残らず剥ぎ取られており、一糸もまとっていない。けれどその姿は、女性の肉体が本来持つ美しさを微塵も残してはいなかった。
徹底的に、損壊されていた。
「この顔、いったい何をやればこんなことになるんだ……?」
まず博巳の目を引いたものは、被害者の顔だ。
端的にいえば、その女性の顔は原型も留めず、捻り潰されていた。回転工具にでも巻き込まれたのだろうか。眼球が両方の眼窩から飛び出して零れ落ち、捩じれた下顎は真っ二つに割れて頬に食い込んでいた。噛み合わせにあたる歯列はことごとく砕け散り、ねじ曲がり、皮膚を破って突き出している。頭蓋骨が粉砕され、頭の肉は陥没し、髪の毛が皮膚ごと引きちぎられてぶら下がっている。
「それに、これは……」
「見た通りです、ワタ全部抜かれてますよ」
鑑識の言葉通りだ。無残なのは頭部だけではない。女の腹部に、ぽっかりと穴が開いていた。内臓がすべて掻き出されている。
「何を使ったんですかね?」
「はっきりとはわかりません。傷口がズタズタで……」
すると近くにいた別の鑑識が口を挟んだ。
「おかしいんですよ、これ」
「おかしい、というのは?」
「何と言ったものやら、似てるんです。その……」
言い淀んだ鑑識の目を見据え、彼が適切な言葉を見つけるのを辛抱強く待った。困惑を隠せない表情で、彼は眼前の死体をこう評した。
「熊の、獣害の犠牲者に」
「熊ぁ?」
素っ頓狂な声が出た。熊がこんな殺し方をするものか。けれど彼の評を頭の片隅に入れて、改めて被害者に視線を戻すと、少なからず納得できる点があった。
女の体に付けられた傷が、あまりにも「雑」すぎるのだ。いったいどんな道具を使えばこんな傷がつくのか想像もつかない。女は顔を潰され、腹を掘り返されている。人間が道具を使ってやったにしては、その跡があまりにも雑だ。それこそ熊手でも使ったのではないかと疑うくらいに。
あるいは、そう、まるで鋭い爪をもった怪物が、素手でこれをやったと説明されれば、この場にいる警察官はみな、すっきりと納得するに違いない。むしろそうであってほしいとすら思った。けれど、残念ながらそうではあるまい。
博巳は半歩後ろに下がって、全体を眺め渡した。そうするとやはり、犠牲者の頭上に並ぶ血の文字列が、否応なく視界に飛び込んでくる。悪意に満ち満ちた文字列。獣や怪物がこんなメッセージを残すものか。
これは間違いなく、人の悪意が為した事件なのだ。
「やっぱり、似てるなぁ……」
するとその時、鑑識のひとりが思わずといった調子で独言した。
「おたくもそう思います?」
「まあ、間違いないでしょ」
その場にいた警察官が、次々に同意を示した。
そう、ここにいる人々は、実はここ数週間のうちに、これと似たような現場を目撃していた。
その現場とは、一般に「巻根市連続殺人事件」と報道されている残虐事件のことだ。
「やっぱり、同じだと思うか?」
鳥肌が立つのを抑えきれず、真夏日にも関わらずうそ寒いものを感じながら、博巳は周囲の同僚に問いかけた。彼らは一様に頷いてみせた。
「だったら、これでついに三人目か」
食いしばった歯からギリギリと音が鳴った。
巻根市を襲う連続殺人事件に、またも新たな被害者が出てしまったというわけだ。