1-2 旅の始まり
目蓋を閉じていても分かる鮮烈な夏の日差しが、アレクシスの視界を血潮色に染め上げる。彼を眠りから覚ましたのは大荒原の大地を炙る太陽と、温めたポークビーンズの匂いだった。
寝ぼけ眼で周囲を見渡す。今アレクシスが座っているのは、ウォーカーの運搬に使われる大型トレーラーの助手席だ。停車したトレーラーの窓の向こうには、ただ一面の赤茶けた無限平面が続いている。変わり映えしない、見慣れた荒野の情景。散々な目に遭って戦場から逃げ帰ってきたこんな日でも、オーストラリアの空は嫌気が差すほどのカンカン照りだ。
「ああ、先輩、やっと目が覚めましたか。もうお昼ですよ」
彼をここまで運んできてくれた相棒のウィルはといえば、トレーラーのキャビンから張った天幕の下にあぐらをかき、封を切ったポークビーンズの缶詰を携帯コンロで炙っているところだった。
「んぁ……結局、俺達どうなったんだ……?」
大きく欠伸をしながら席を立ち、ウィルの待つ車外へ。ジャンプスーツの中が寝汗で蒸れて気持ち悪い。正式名称をWCスーツという、大層凝った作りをしたこのオリーブ色のツナギは、強度や防火性に優れ、おまけに雨が降っても傘が要らないほどの耐水性まで備えているが、代償として通気性は最悪だ。たまらずチャックを下ろし、Tシャツ1枚の上半身をさらけ出す。
昨夜の敗北の後、すぐに意識を取り戻したアレクシスは、迎えに来たローラシア親衛自警団のトレーラーに乗機ともども積み込まれ、他の生き残り達とともに一度基地に帰投した。だが彼は「頭を強く打って気分が悪い」と仮病を使い、帰投後のデブリーフィングや修理費弾薬費トレーラー手配費その他もろもろの精算などといった雑務を全てウィルに押し付け、車内でひとり不貞寝していたのだった。失敗して気が沈んだ時や、人生設計だの生きる意味だのといった深刻な議題で脳内会議が始まりそうになった時、アレクシスはいつもこうして辛い現実からログアウトする。
だが、考えなければ物事が悪い方に進むのを防げるかというと決してそんな事はなく、
「僕達、どうもローラシア親衛自警団を除名になりそうです……」
缶詰の中身をスプーンでかき混ぜながら、普段より僅かに沈んだ声色でウィルが衝撃の事実を伝えてきた。
「除名!? ちょっと待て、俺達が何したってんだよ」
腰を下ろすのも忘れて問いただす。ウォーカー乗りにとって所属組織からの除名処分というのは、すなわちウォーカー乗りとしての人生を絶たれるということに等しい。ウォーカーを動かすには弾薬や燃料であったり、メカニックへの給料であったりといったカネが何かと必要になる。どこかの組織に所属していれば、組織側がそういった必要経費を肩代わりしてくれたり、ウォーカーの機種や保有機数に応じた手当が給料に上乗せされたりするものだが、一度クビになってしまえばその全額を自分の財布から出すことになる。おまけに除名処分されたという経歴が履歴書に載ってしまえば、次に雇ってくれる傭兵組織のランクは相当落ちてしまうだろう。組織に入らずフリーランスでやっていくにしても、除名処分を食らうようなパイロットに回ってくる仕事は誰もやりたがらないような汚れ仕事ばかりに違いない。そういうわけで、運悪く除名されてしまったウォーカー乗り達の9割5分はすぐさまウォーカーを売り払い、田舎でカンガルーを撃ったりする平凡な余生を送ることを選ぶのだ。
ウィルはポケットから小さく折り畳んだ紙片を取り出し、ニュースキャスターが殺人事件の原稿を読み上げるような声で朗読し始めた。昨夜のデブリーフィングの後で、組織の偉い人から手渡された書類だろう。
「作戦中の独断専行とそれを原因とする僚機『ロケット69』号の損失、ならびに調査対象である坑道の破壊……ですって」
「何が」
「僕らがクビ切られる理由ですよ」
納得いかない。足元に座っているウィルの両肩をがしっと掴んで反駁する。
「おい、待ってくれ! 一つ目の独断専行はともかく、あとは全部ロケット69がやった事じゃねえか」
あの機体が撃破された時、アレクシスはまだコクピット内で脳震盪から立ち直れずにいたが、先の戦いでロケット69が辿った顛末は知っている。火力支援機の癖に弾雨の中に駆け込んで、敵の1機も倒せないまま特大花火になった奴がいた、と。昨夜の帰り道、眠りの世界への逃避行を始める少し前に、ウィルが全部教えてくれた。
「死人は責められませんからね……死んだ人のツケは生きてる人が払うのが、傭兵組織の決まりですし」
ウィルは契約書でも朗読するような口調でそう言い切った後、ポークビーンズの乗ったスプーンを口元へ運ぶ。ウィルの冷静さには何度となく命を救われているが、今日ばかりは、こいつがいやに落ち着いているのが癇に障った。
(俺達の生活かかってるってのに、なんだってこいつはこうも落ち着いていられるんだ)
確かに、新型機の性能を試したいがためにしゃしゃり出て、味方を危険に晒してしまったのはアレクシスの責任だ。そんな事は分かっている。だからといって、馬鹿をやって死んだロケット69の乗員の分まで背負い込む事になるのは納得いかない。そんな事のためにウォーカー生命を絶たれてたまるか。アレクシスは、全身の血液が沸騰するような感覚を覚えていた。
「畜生……ウォーカーを手放してシャバで暮らすなんて、俺には耐えられそうにないぞ」
アレクシスは、ウォーカーが好きだ。学校を出た後も就職先が決まらず、先の見えない空虚さを危険な遊びというスパイスの香りで誤魔化して生きていた頃。スカイダイビングにも、後進国への無軌道旅行にも、非合法の公道レースにも飽きが来て、もうクスリにでも手を出すかなどと考えたりもしていた時、彼の心の空白を埋めてくれたのがウォーカーとの出会いだった。ハイスクール時代の後輩で、一足先にまともな職に就いていたウィルをトーキョーのオフィスから引きずり出し、片道切符で一路、傭兵達の集う激戦区オーストラリアへ。それ以来、アレクシスの人生はずっとウォーカーと共にあった。機体は何度か代替わりしたし、所属したことのある組織だって一つではないが、彼のウォーカーへの想いは一つだ。
「率直に言って、ウォーカーの維持費を考えると駐車場の管理人にでもなったほうが稼ぎもいくらか……」
「うるせえ! 俺はウォーカーに乗って戦場で死にてえんだ!」
アレクシスの怒号が、大荒原の地平線まで響き渡った。
「何の面白みもない普通の仕事に就いて、社会のモブキャラになりきったままジジイになって死んでみろ。化けて出るぞ俺は」
アレクシスはそう吐き捨てると、猫のように目をまん丸くしている相棒の向かいにドカリと座り込んだ。そして腰のポーチから自分のスプーンを取り出すと、ウィルの足元に置かれているポークビーンズの缶をひったくった。
「俺にも食わせろ!」
コンマ数秒のタイムラグの後、携帯コンロの熱で灼けた缶がアレクシスの手のひらを炙る。
「あぁっぢあぁぁっ!!」
動物的な反射で手を振り払う。アレクシスの手を離れた哀れな缶詰は放物線軌道を描いて天幕に激突し、中身の大部分を帆布のシミに変えた後、万有引力の法則に従って落下し、僅かに残った中身を地面と一体化させた。
「もう、ちょっとは落ち着いて下さいよ先輩……」
頬に飛んだ赤茶色の飛沫を拭いながらウィルがなだめる。
「お、俺はいつだって冷静だぞ……第3世代機の姿勢制御コンピュータ並に落ち着いてる……!」
アレクシスは火傷した右手に水筒の水をぶっかけながら答えた。もちろん、虚勢だ。実際のところアレクシスは、愛してやまないウォーカー乗りの世界から出ていかなければいけないかもしれない、という事実だけで胸の底を掻きむしられるような心地だった。
「お前こそ、なんでそこまで落ち着いていられるんだ」
「まだ除名は決定事項じゃありませんからね……今からの頑張り次第では、あるいは」
相棒が放ったその一言を、アレクシスは決して聞き漏らさなかった。彼のもとへにじり寄りながら問い返す。
「辞めなくていいかもしれない、って? おい詳しく聞かせろ」
「あの後、いきなり除名はさすがに僕も理不尽だと思って上の人達と話してきたんです」
ここでいう「上の人」というのは、オペレーターとかコントラクターとかいう名前で呼ばれる、傭兵組織の正社員のことだ。彼らは、ウォーカーに乗らない。正規軍やより大手の武装勢力に営業をかけて契約を取ってきたり、作戦地域で活動しているウォーカー乗りから有望株を選んで雇い入れたりするのが仕事だ。あくまでビジネスマンである彼らと、契約があるとはいえ結局は現地の民兵や流れ者でしかないウォーカー乗りの間には、大きな隔たりがある。
「そうしたら、ウォーカーとトレーラーの持ち出し許可が降りて、何かしらの戦果を挙げてきたら除名処分はひとまず延期する、って……」
さらっと言ってのけたが、ウォーカー乗りを切って捨てることに定評のある「上の人」達をここまで譲歩させるために、ウィルはどれだけ苦闘したのだろう? アレクシスは、基地に帰った後も独り戦い続けていた相棒のことなど露知らずに眠りこけていた自分を恥じた。
この後にウィルの口から追加された補足情報も含めて要約すると、こうなる。まず、今のアレクシス達は「仮除名」とでも言うべき状態なので、トレーラーをはじめとした組織の備品を好き勝手に使うことはもう出来ない。トレーラーは1週間限定の貸し出しで、その間に組織が望むような戦果を挙げて報告できなければ、問答無用で返却することになる。そうなるとまともな作戦行動は最早できなくなるので、必然的にその時点でゲームオーバーだ。きっとその場で書類にサインさせられて契約破棄、即除名。使えるトレーラーが無ければウォーカーを運んで帰ることも出来ないだろうから、最悪の場合その場で機体を下取りに出す羽目になるかもしれない。
そして肝心の「組織が望む戦果」の挙げ方なのだが、既に半分除名されたようなものなので、今までのように組織が仕事を持ってきてくれるなんて事はない。フリーランスとして自力で依頼を取ってこなければならない、らしい。おまけに今まで当たり前のように出ていた、組織からのウォーカー関連費用の補助も出ないそうだ。
零細規模の傭兵組織でも早々無いレベルの劣悪な契約だが、恐らくその悪条件をどう乗り切るかも含めて、除名撤回を懸けた試験のようなものなのだろう。上の人達が考えることは実に悪趣味だ。
「……どうします、先輩?」
上の人に手渡された書類をヒラヒラと弄びながらウィルが問う。その声色には、わずかに不安の色が浮かんでいる気がした。だが勿論、アレクシスの答えは一つだ。
「一丁やってみるしかないな! 除名にしようとしたのを上の人達が後悔して土下座しに来るくらい、でっかい戦果挙げてやろうぜ」
まだ、ウォーカーに乗り続けていられるかもしれない。アレクシスの瞳には、いつも通りの爛々とした光が戻っていた。
「大丈夫なんですか? この条件で1週間も自腹で戦って、もし組織に戻れなかったら僕達本当に一文無しですよ」
「良いんだ! カネってのはな、貯めとくより使う方が100倍楽しいんだぞ」
そう言ってアレクシスは天幕の外に歩み出し、大荒原の日差しを全身に浴びる。トレーラーの荷台の前に立ち止まり、そこに横たわる満身創痍のウォーカー2機を眺めつつ、若き傭兵は言葉を続けた。
「片方の機体を売り払って、もう片方を修理する資金にする。それから何とかして仕事を探して、後の面倒は鉛弾でだいたい解決できる。お前もそれでいいだろ?」
ウィルとは長い付き合いだが、飄々とした性格ゆえに今でもたまに考えが読めない時がある。でも、今のウィルの気持ちは、きっとアレクシスと同じだ。こんな間抜けな最後で、ウォーカー乗りとしての人生を終えるのが嫌だったのだ。そうでなければ、上の人達との舌戦を制してまで除名取り消しの条件をもぎ取ってくるはずがない。
「本当に仕方ないですね、先輩は」
アレクシスの後を追って天幕の日陰を後にしつつ、ウィルはそう言って頬を緩めた。アレクシスにそう言って貰うのを待っていたかのように。
「じゃあ、行くか!」
「行きましょう!」
行き先は口にしなかったが、今の二人にとって行くべき場所は一つだった。傭兵達の集う、荒野の中の小さな町。ウォーカー乗りを目指してオーストラリアにやってきたばかりの頃、二人が始まりの地として選んだ町──ブロークンヒルへ。
ウォーカー名鑑#3
クリーヴランド・モータース M13A4ペトレイアス改 "ロケット69"
M13ペトレイアスは長きに渡って改良を重ねながら生産され続けたかつてのローラシア正規軍主力ウォーカーであり、退役が進んだ今ではその多くが中古市場で第2の人生を送っている。中量級ウォーカーらしい高い汎用性、「ペトレイアスが嫌いなウォーカー乗りなどいない」とまで言わしめる癖のない操縦特性、豊富に揃った社外品の改造パーツといった要因により、最初の愛機を求める駆け出し傭兵から、徹底的に改造したいウォーカーマニアにまで幅広く人気の機種である。メーカー純正品のペトレイアスは均質圧延装甲を全面に採用した、いかにも量産機らしい直線的で無骨なフォルムをしているが、現地改造やニコイチ整備が当たり前の傭兵の世界ではこの原型を保っている機体は少ない。
ローラシア親衛自警団所属の「ロケット69」は両腕にガタが来たジャンク機体をパイロット自ら改修した機体で、手で武器が持てないハンデを解消するため、自走不能になった戦闘車両から剥ぎ取ったロケットランチャーを両肩に搭載する改造が施されている。ロケット弾の命中率の低さを補うために敵に急接近し、自爆覚悟の接射を仕掛ける戦法で勝ちを拾ってきたが、その無謀な作戦は長く続かなかったようだ。
全高: 10m
全備重量: 約28.3トン
発動機: クリーヴランド660型水冷V型12気筒ディーゼル
最高速度: 22km/h
装甲: 均質圧延装甲、最大62mm
固定武装: Mk.107 60連装5インチロケット弾投射機x2(両肩)
M38 7.62mm対人機銃(胸部)
携行武装: なし
乗員: 2名