ユリダリス・フォン・フィルデン
エリィを追いかけてリアキャタフへ辿りついたその足でリアキャタフ伯爵の屋敷を訪ねた。
旅装束のままで先触れも無く訪問するのは礼儀になっていないということは、エリィに会いたいという気持ちで全てを忘れていた。
屋敷について現在エリィが不在だと聞かされた時にやっと気が付いたくらいだ。
「先触れもなく申し訳ない。また改めて伺う」
「それには及びません。…主人が会うと申しております」
「伯爵が?」
「はい」
執事に連れられて屋敷の中を進む。背を向けて歩きながら執事は独り言のように話した。
「私は長年このお屋敷に勤めさせていただいております。お嬢様がお生まれになった日も鮮明に覚えております。お嬢様には何をおいても幸せになっていただきたい。使用人一同、同じ意見でございます」
握り締められた手が殴りたいと物語っていた。
「…すまない」
俺は何に対して謝っているのだろう。
けれど、何を言っても意味が無いような気がした。
その後執事は何も言わずに案内を続けた。
全身で俺を拒否するように。
「フィルデン様をお連れいたしました」
「入れ」
ドアの向こうから聞こえた声はいつもと変わらないように聞こえた。
けれど、ドアを開けた瞬間に飛び込んできたのは拳であった。
衝撃とともにその場に膝を付く。くらりと頭がふらつくほどに力いっぱい殴られたようだ。
「話を聞いてからでは殴り損ねそうだからな」
「………」
殴られても仕方の無いことをした。それだけのことを俺はエリィにしている。
まだ衝撃から立ち直れていない俺を見下げながら伯爵は言葉を続けた。
「貴殿に娘を会わせるつもりは私には無い。事情はある程度知っているが、貴殿から話を聞くことはするつもりも無かった。しかし、貴殿が来る前に侯爵からの陳謝と殿下からの情状をとの御達しがあった。苦々しいが無視もできない」
「………」
「そして、私は娘の意思を無視をする事はしない。話してみろ」
「…申し訳ありません。感謝します」
伯爵に何も隠し立てする事は無い。
これまでのこと、現状について、全てを話せば伯爵はため息をついた。
「貴殿の弟とユリアという少女は現在は軟禁中ということか」
「はい」
「魔法は国では貴重だ。たかが手紙のひとつやふたつで軟禁まで出来たのだから御の字といえばそうだな」
「軟禁が解除された後も二人にはそれぞれ腕輪がつけられることに決定しています」
伯爵の言うとおり、魔法は貴重だ。
魔法はこの国では馴染みが無く、馴染みの無いものに親しみなどあるはずもない。
ただでさえ親しみの無いものを悪しきものとして扱われないように魔法使いは様々な措置が取られている。
今回のこともたかが手紙、されど悪意をもってしたことであるという事実が明るみに出れば憶測から恐れられることもあるだろう。
そんな不安分子を残しておくことも出来ず、ドヌール殿は王に進言した。
軟禁が終わった後は現在ドヌール殿が身につけている腕輪の一部を二人へ引き渡すことを。
ドヌール殿は一人で国の石碑のほぼ三分の二へ力を注いでいる。そのためドヌール殿の腕には無数の腕輪が連なり、あるいはソレは重い枷のようにも見えるだろう。
しかしそれはドヌール殿が稀に見る魔力の持ち主であるという証明と共に、同族たちの負担を減らしたいという想いであった。
石碑に魔法の力を奪われるというのは、今まで息を吸うように出来ていたことが出来なくなるということだ。それは俺には想像も出来ない息苦しさなのだろう。
弟のリュシアンが魔法の才を開眼したとき、本来ならばすぐにでも腕輪をつけていいほどに魔力が高かった。
しかし、魔法を抑えることのできる俺がいる事と、ドヌール殿の「私がいるのにわざわざ幼子に負担をかけるべきではありません」との進言で話は見送られた。
「自由に、と願うのはただ私の出来なかったことを重ねているだけかもしれないですね」
ある日、哀愁を漂わせながらポツリとこぼしたドヌール殿の言葉を思い出す。
今回の件でドヌール殿は一瞬だけ悲しそうにすると決意したように王へ進言した。
二人に腕輪をつけること、それは決定した。
「どこの石碑のものかは決まっているのか」
「ひとつは、ここ、リアキャタフです」
「…そうか」
力を注ぐ石碑にその者が近づくと不安定になる恐れがあるためにその地に近づくことが禁じられている。
無理に近づこうとすれば身体の不調が出ることになる。
リアキャタフの石碑の腕輪をつければ二人がこの地へ足を踏み入れることは無い。
ここにいれば、今後もエリィが二人から被害を受けうることは無い。
全てを話し終えると一つの手紙をとりだして伯爵へ渡した。
「これを、エルリア嬢に渡してもらえませんか」
「中は?」
「今回のことについて書いてあります。そして、できれば会いたいと」
「まさかと思うが、聞いてしまえば逃げられないような内容が書かれてないだろうな」
「書いてありません」
魔法について、石碑については国の重要な機密も含まれる。
それを書き、知ったからにはと迫ることも出来る。
エリィに会いたい。
エリィを抱きしめたい。
エリィを繋ぎ止めたい。
かといって卑怯な手は使いたくなかった。
そんな事を言っている暇に取られるかもしれない。奪われるかもしれない。
分かっていてもエリィから自由を奪いたくなかった。
「中身を確かめていただいても大丈夫です」
「いいや結構。なに、知ったとてやりようはある」
さすがは王都まで聞こえてくるやり手の伯爵とでも言うべきか。不屈に笑うその様には苦笑いしか出来そうにない。
伯爵に手紙を託し、屋敷を出るともう日は下向きであった。
だがもう一つ行かなければいけない所がある。
豪奢な門構えの前には妖艶な女たちがあちらこちらと立っている。
声をかけられて引き止められても面倒なのでここに来るまでは外套を深くかぶり、その街道のなかでも一際目を引くその門構えの中へと入っていく。
「いらっしゃいやし」
中に入ると白髪の老婆が笑顔で迎えてくれる。
滞在していたときと変わらない出迎え番だったために顔を晒すととたんに顔から笑顔が消えた。
「お前さんかい。何用だ」
声も刺々しい。
「女将は、いるか」
「いてもいなくても会わせたくないね。帰っとくれ」
「頼む、取り次いでくれ」
「あんた、お嬢に何したかわかって言ってんだろうな」
その言葉でハッとする。
「エリィが来ているのか」
「帰んな!」
「すまない、本当に女将に会いに来たんだ。…エリィが来ているなら、帰ってからでもいい。取り次いでくれ」
「……そこで座って待ってな」
示された待合席に腰をかけて待つ。
すると、ひとりの女性が横に来た。
「お兄さん、ひとり?」
赤く色づく唇は艶があり、ほのかに香る臭いも押し付けがましくなくその女性に合っていた。
しかし、その胸を強調する服装や艶やかな雰囲気が店の花であることがすぐわかる。
ここに滞在していたときに多くの花を見たが、この女性は見たことが無い。
「客ではない」
「あら、ではどうしてここにいるの?」
「女将に用があるだけだ」
「女将さん目当て?でも女将さんは閨のお相手はやめているけれど」
「そういう用ではない」
「じゃあ、わたしでもいいじゃない。お兄さん、良い体してそうだし。わたし、好きよ」
くすくすと笑いながら腕に縋る。
触られた腕を振りほどき、立ち上がると席を別のところへ移動した。
「つれないこと。でもそれもいいわね」
「ケイト姉さん。お客様だよ」
「はぁい」
年端の行かない少女が店の中から女性を呼ぶ。
ケイトと呼ばれたその女性は呼ばれながらも俺にむかってニコリと笑ってから中へと戻っていった。
「女将が会うとさ」
そう言われて誘導されたのはあの女性が去ってからすぐのことだった。
ドアを開けて飛び込んできたのは拳であった。
下から来たので顎から殴られ、今度は唇も切った。
「先に殴っておかないと気がすまなくてね」
ついさっき同じようなことを言われたような。
「で、何用だい。お嬢が来ていても突入をしてこなかったその心意気だけ買って話だけは聞いてやろう」
「エリィに謝りたい」
「はぁ?」
「協力をして欲しい」
「…それ、本気で私に言ってんのかい?」
「ああ」
「呆れた頭だね。それでもちろんです侯爵様とでも私が言うと?」
「………」
そんな簡単にいくとは思っていない。
「街で噂を耳にした」
「ふーん。それで?」
「エリィは悪くない」
「で?」
「女将から、街の皆に話をしてくれないか」
リアキャタフに来て耳にした噂話。
エリィが振られたとも、振って帰ってきたんだとも色々言われていた。
もし俺が来たことでこれ以上変に噂が流れてエリィを傷つけるような事があれば。
そうならないように協力をして欲しかったのだ。
「噂なんざ皆好き勝手に話すもんだよ」
「それでも、エリィの負担になりたくない」
「…馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、本当に馬鹿だね」
「もしエリィに許されても…許されなくても、エリィには幸せに…」
「あーあー、これだから先に殴っておいて正解だった」
「え?」
「お嬢からの話は聞いている。私はね、女と男の喧嘩は両方の意見を聞かなきゃ判断しないようにしてんのさ。もちろん、話を聞いたって私は店子とお嬢の味方ってのは変わりないがね」
「………」
「旦那の話も一応は聞いてから判断しようと思っていた。けれど、やめた」
「なぜ」
「私はね、愛しい女に恋をする馬鹿な男共が嫌いになれないんだよ」
それでも暴走しちまえば一刀両断できるのに、と女将は続けた。
「噂ってのは操作できる範囲が決まってくる。けれど、できるだけお嬢の負担にはしないように気を配る。これでいいね?」
「…ありがとう」
「旦那、どれくらい滞在するんい」
「一週間ほどだが」
「だっただ、うちに泊まって来な。もちろん、金は取るけどね」
「いいのか」
「下手な宿に泊まられて誤解を生むような事をされても困るからね。旦那は言葉が足り無すぎて噂好きには格好の餌食だ」
「…すまない」
「でだ、もう二、三発ぐらい殴らせろ」
「………」
「一発だけじゃあ、お嬢を好きな街のやつ等は納得しないからね」
顔と腹に決められた拳は重たかった。
◆ ◆ ◆
次の日、エリィが会ってくれると知らせが来たときには胸が高鳴った。
急く気持ちを落ち着けて会いに行くと、部屋の中には会いたくて会いたくて仕方の無かった人がそこにいた。
少し痩せた姿が痛ましく、抱きしめたい衝動を懸命に抑えていた。
本当は抱きしめて、縋って、許して欲しい、愛していると伝えたい。
けれど、別れを告げられた俺にそれをする資格は無い。
なんとか謝罪だけを口にするとエリィは俺のせいではないと言う。
俺がしたことではなくても、俺が止められなかったのだから同罪だ。
俺が、エリィを傷つけた。そのことに変わりは無い。
しかし、エリィは謝罪は受け取ったからとそれ以上は謝らせてくれはしなかった。
エリィにあてた手紙には二人は軟禁しているとこと今後リアキャタフに足を踏み入れることはないことは書いた。
腕輪や石碑との関係性までは書けず、エリィにとっては不満の残る処罰になっているかもしれない。
けれど、エリィは淡々と話をして、もう関係の無いことだと話を切る。
「お話が以上でしたらこれで」
「-っ待ってくれ!」
立ち上がろうとしたエリィの足元へと駆け寄る。
抱きしめたい気持ちを抑えて足元へ日跪き、手を取った。
ビクリと怯んで手を引こうとされたが、これ以上拒否して欲しくなくて、力をこめて握った。
謝りもした。
説明も、できるかぎりした。
けれど、俺は肝心なことを伝えていない。
「なにを、」
「愛しているんだ」
告げた愛に返答は無い。
「許されないことは分かっている。別れを告げられたのに今更だという事も。けれど、すまない。愛している」
握っている手に力をこめて告げる。
許してくれなくていい。
俺は、エリィを愛している。
「…お話は、終わりですか」
しかし、返ってきた言葉は拒絶だった。
「エリィっ」
拒絶の言葉に掴んでいた手の力が抜ける。
目の前で息を吐かれ、立ち上がったその姿は拒絶以外のなにも無かった。
「お話が以上でしたら、これで失礼させていただきます」
「-っ」
背を向けてドアへと向かうエリィ。
その背に、かける言葉が見つからない。
けれど、ダメだ。このままでは同じことだ。
俺は何しにココへ来た?許してもらうためか?違う。俺はエリィを、エリィを諦めたくはない。
「一週間、リアキャタフに滞在している。俺はまだ、諦めていない」
エリィからの返事は無かった。
友が作り出してくれた一週間の休み。
そこで何もせずにいるだけではエリィは振り向いてくれない。
俺は、俺に出来ることを全てしよう。
そうと決めた次の日。女将の口ぞえもあってか、街の顔見知りには睨まれながらも何とかなっている。
中には面白そうにしている人もおり、エリィが向かった先を教えてくれる人もいた。
その日は港に向かったと聞いて俺も足を向ける。
エリィに愛を告げても返事は無かった。無かったのなら、もしかしたらまだ気持ちを持っていてくれるのかもしれない。そんなわずかな希望を捨てきれず、返事がもらえるまで言い続けようと決めた。
港に着くと目に映ったのは見知らぬ男と楽しそうに話をするエリィの姿だった。
昨日、自分が向けてもらえなかった笑顔に、胸が痛む。
少し前までは常に傍にあったものだと思うと、後悔が押し寄せる。
ああ、違う。そんなことはどうでもいい。俺のことなど、今は関係ない。
楽しそうにしているエリィたちの近くに行くと荷物を運ぼうとしているらしい会話が聞こえた。
このままその男と一緒に行かせたくなくて、とっさに荷物を奪い取る。
驚いたようにこちらを見たエリィと睨んでくる男。
「誰だ?」
「ジェン、口に気を付けなさい。侯爵家の方よ」
「ふーん。じゃあ、荷物を運ばせるなんてできねーよな」
そう言って奪い返そうとされたが素早くかわす。
「そんなことは関係ない」
「あぁ?」
「ユリダリス様?」
侯爵だからなど、関係ない。そんなことはどうでもいい。
俺は、俺はそう、
「少しでも好きな女性の気を惹きたいだけだ」
それだけだ。
素直に自分の気持ちを言葉に出すとエリィはポカンと口を開けて唖然としている。
そんな姿に可愛いと思い、ジェンと呼ばれた男から早く引き離したくて足を屋敷へと進めた。
「え、あ、ちょっと待って!ごめんなさいジェン、親父さん」
後ろから追いかけてくる足音が聞こえる。
一緒に来てくれている。それだけで胸が躍る。
「待って、待ってください」
もう一度声をかけられたところで足を止める。
エリィが追いついて来たところでエリィの歩幅にあわせるようにゆっくりと歩き始めた。
「どういうおつもりですか」
「どうもこうもない。先ほど言った通りだ」
「何がです」
「好きな女性の、エリィの気を惹きたいだけだ」
本当に、ただそれだけ。
別れをつげられた、昨日は拒絶された。
それでも俺はまだ諦めたくはない。
その気持ちを口にして伝えたが、エリィからの返事は今日も無かった。
その次の日には買い物をしているエリィの傍に寄っていった。
傍にいたラウラという侍女が睨んできたが怯むことなく近寄る。
エリィは一つの髪飾りを手にしていた。
「かわいい」
小さい声で聞こえなかったが、エリィの口はそう言っていた。
でも何か思案をすると、手に持っていた髪飾りを戻してしまった。
後ろから近づき驚くエリィが何か言う前にエリィが持っていた髪飾りを手に取り、店主へ話しかける。
「これをくれ」
「まいど」
「なっ、」
「気に入ったんだろう?エリィに似合う」
「に、似合いません。少し可愛らしすぎます。わたくしには」
「エリィは可愛い。似合う」
「な、なにをっ」
戸惑うエリィに断る隙を与えないように言う。
髪飾りは貝殻を連ねた紐が幾つも揺れ、それがエリィの髪にあれば明るく元気なエリィには似合うと思ったのだ。
「だからと言って買って貰う謂われはございません!」
「好きな女性に贈り物をしたいだけだ」
「なっ、もう!」
「お待ちどう。お嬢、いいじゃないか。買ってくれるんだから素直に貰っておきなよ」
店の主は面白そうに笑って丁寧に包まれた髪飾りを俺に渡した。
それをそのままエリィの手に乗せる。
突然のことで受け取ってしまったエリィはまだ戸惑っているが返品は受け付けない。
「エリィが貰ってくれなければ捨てられるだけだ」
「………」
その日もエリィからの返事は無かった。
次の日は図書館にいるという情報を得て向かう。
のんびりと窓辺で本を読んでいるエリィの傍に近寄って、邪魔にならないように近くの席に座った。
本をめくるその横顔でさえ、こうして眺めているだけで幸せを感じる。
別れを告げられたあの時と比べたら、なんと幸せなことか。
こちらに気が付いたエリィが驚いて手に持っていた本を落としてしまった。
足元に落ちた本を拾い、エリィに渡す。
「驚かせてすまない。エリィに見蕩れていた」
そう言うとはくはくと口を動かして耳まで真っ赤になった。
可愛い。そう思うと自然に顔がゆるむ。
今度は何に驚いたのか、エリィは瞠目するとスッと視線をそらしてしまった。
その日もエリィからの返事は無かった。
さらに次の日。
どうやらエリィは出かけていないらしい。
会いに行ったが使用人に「お帰りください」と一蹴された。
今日は諦めるほか無さそうだ。しかし、このまま屋敷に篭られたらどうすればいいのだろう。
「…忍び込むか」
「それはやめとけ」
独り言に返されたほうを向くと一人の男が立っていた。
「君は確か港で…」
「ジェンだ。よろしく侯爵様?」
「ユリダリスだ。侯爵など気にしなくていい。爵位は父のものだ」
「あっそ。んでユリダリスさんよ、忍び込むとかはやめたほうがいいと思うぜ」
「まあ、犯罪だしな」
しかし、それ以外に良い案が思いつかない。どうするべきか。
「あんたさ、どういうつもりなわけ?」
「どう、とは?」
「最近お嬢にくっついて回ってるだろう」
「ああ」
「振られたんだが振ったんだがしらねぇが、もう別れたんならお嬢に近づくなよ」
「それは無理だ」
「あぁ?」
「エリィから返事を貰っていない。貰っていないのに諦められない」
「いや、諦めろよ。別れたんだろ」
「できない」
そういえば、ジェンの手には箱がある。この先には屋敷がある。
「屋敷に行くのか」
「てめぇにゃ関係ない」
「行くのなら、エリィに伝えてくれないか。外で待っていると」
「ヤダね」
「それがダメならなにか、そうだエリィの好きなものを買ってくるから渡してくれないか」
「はぁ?」
「俺からでは使用人も受け取ってくれ無さそうだし、君からなら」
「おいおいおい、俺はいいとは言ってない!」
「ダメか?」
「あのなぁ…」
また女将に頼むしかないだろうか。
いや、ラウラという侍女なら外に出てくるだろうか。
「あんた馬鹿だな」
「何」
「本当にお貴族様かよ。これで」
「何のことだ」
「あんたがいけすかねぇって話だ」
「………」
この街ではずいぶん嫌われている。
それは、仕方の無いことだ。俺は、嫌われるようなことをエリィにしたのだから。
「あーもう、そんな顔すんなよなぁ」
「………」
別になにも変わっていないと思うのだが。
「いいよ、もう。あんたがいけすかなくて馬鹿なのはよく分かった。じゃあな」
「………」
結局その日はエリィに会うことは出来なかった。
次の日もエリィに会うために街へ向かう。
今日は外に出てきてくれればいいのだが。
「おにぃさん」
店を出る前にあまったるい声で呼び止められる。
初日、店を訪ねたときに声をかけてきた花だ。
「ケイトだよ。おぼえてなぁい?」
「いや、」
「んふふ。やっぱりお兄さんいいね。ちょっとつきあってよ」
「いや、俺は」
「いいからいいから。お兄さんも出かけるんでしょ」
強引に腕を取られる。
人通りに出る前に何とか腕を放したがケイトは縋ることをやめようとはしない。
「ひとりよりふたりのほうが楽しいじゃない」
「俺には用がある」
「…お嬢のこと?」
先ほどまでの甘ったるい雰囲気とは一変して瞳には鋭さが増した。
「そのお嬢のことで話があると言ったら?」
「何を」
言っているのかと言おうとして、腕を絡ませてくるケイトの向こうにエリィの姿が見えた。
こちらを見て泣きそうな顔で踵を返し、走り出す。
「エリィ!!」
大きな声で呼ぶがエリィの足は止まらない。
最初から離れていたこともあり、人ごみに紛れて姿を見失ってしまった。
どこに行ったのだろう。早く、早く見つけなければ。
「お嬢様!!」
裏道に続くところで侍女であるラウラの声がした。
駆けつけてみるとうろたえた様子のラウラがいた。
「どうした」
「お嬢様が、裏道に。私ではこちらの裏道は入り組んでいるので見つかりにくいのです」
焦るように言葉にする。いつもなら俺を見ると睨んでくるのにそれすらしない。
「お嬢は裏道にも詳しいから迷子にはならないだろうけど、見つけるのは難しいわね」
後ろから追ってきたケイトが険しい声で付け足す。
「ケイトっ!貴方は!」
「なによラウラ。女将さんのやり口が生ぬるいと言ったのは貴方でしょう」
「言ったけれど、だからってあんな街中で、お嬢様に見られてしまったじゃない」
「だいたいこの人ぜんぜんなびくと思わないし」
「でも、お嬢様が」
知り合いらしい二人の言い合いは良く分からないが今はそれどころではない。
「このままにはしておけない。俺はエリィを探すから二人は女将と伯爵に伝えてくれ」
「探すといっても、どうやって」
「やり方はある。いいから、早く」
いぶかしむ二人に後は任せ裏道を進む。
少し奥に行けばすぐに分かれ道になっており確かにやみくもに探しても見つかりそうにない。
大きく息を吐き、神経を研ぎ澄ます。
エリィは守護の輪をつけている。
守護の輪は使われていなければ感知するのは難しいが、やらなければエリィを探せない。
わずかでも感じたほうへと足を進める。すると大きな物音が聞こえ、誰かが言い争っているような声も聞こえた。
もしやと思い、音のしたほうへと足を速める。
そして、目に飛び込んできたのはエリィの腕を掴み、今にも危害を加えようとしているところであった。
間一髪でエリィを抱え込むように間に入り、エリィが受けるはずだった衝撃が頭に響いた。
エリィを襲おうとしていた男は手に何かを持っていたらしく、頭には鈍痛があり、生ぬるい液体が額を走る。
「ユーリ!」
「怪我は、ないか」
目を見開いているエリィに確かめる。
もしかしたら俺が来る前にもう何かされていたかもしれない。
「怪我をしているのは貴方でしょう!!」
生ぬるい液体は血であったらしい。
言われてみれば片目が血に濡れて開けようにも開けれない。
頭の怪我は血が出ていないほうが危ないと言われている。血が出ているのなら切ったくらいだろう。
「これくらいは何ともない」
「何がです!こんな、こんな!余計なお世話だと言ったでしょう!!」
余計なお世話。そういえば、エリィには守護の輪があるのだった。
あの時のやりとりを思い出して、ふと口が緩む。
エリィが血を拭おうと手を出してきたところで止めた。
綺麗な手が汚れてしまう。
俺が止めてもなおエリィは拭おうとしてくる。
「おいおい、あんた、どちらさん?あ、ああ!お嬢様が振ったって噂のお相手か!こんな所になんの用だよ。それともあれか、振られた腹いせなら協力してやるぜ」
エリィを捕まえていた男とは別の男がにやにやと下卑た笑いで話しかけてきた。
「…いらん」
「なんだよ、いらねーならとっとと立ち去れやお坊ちゃん!」
その男が何かを振り回すと突風が吹き荒れた。
魔法具の類だろうが、力は弱い。
エリィの守護の輪は魔法に対しての耐性は弱い。
エリィに害をなす前にと立ち上がり、少し力をこめればすぐに突風は吹き止んだ。
いきなり止んだ風に男は首を傾げるがさらに魔法具を持っているらしく、次を使おうとした。
しかし、力の弱いものであれば使う前に抑えることなど容易い。
「な、なんだよこれっ!動けよ!」
「俺には魔法の類は一切きかない」
「はぁ?!」
困惑している男たちに向かっていき、懇親の力をこめて拳を振るった。
二人とも地に沈めると、立ち上がっていたエリィが傍に寄ってきた。
殴った手には僅かばかりの擦り傷が出来ている。
「怪我が」
「たいしたことではない」
「何を言っているの。小さな傷でも炎症を起こしたら大変なのよ。いいえ、それよりも額が」
「大丈夫だ」
「っ、心配くらいさせてよ!そうやって何もかも黙って、何も言わないで、心配するなですって?!するに決まってるじゃない!」
エリィの心からの叫び声だった。
俺は、こんなエリィの声を利いたことがあっただろうか。
「…エリィ」
「心配くらいさせてちょうだいよ!わたくしはっ、わたくしには、それくらいしかできないのに…」
「…すまない」
「謝らないでよ…助けられたのはわたくしなのに…」
ずっと、ずっと心配をさせまいと思ってきた。
エリィには幸せに、そう願ってエリィの事だけを考えていた。
しかし、それがエリィを苦しめていたのだ。
もう、離れたほうがいいのだろうか。
傍にいるだけで、俺は彼女を苦しめることしか出来ない。
何も言えず、黙っているところで警邏隊の笛の音が聞こえてきた。
ケイトかラウラかどちらかが知らせてくれたのだろう。
一緒に来た警備兵に簡単ながら事情説明をし、倒れている男共を任せる。
それよりも先に怪我の手当てだとエリィに屋敷に連れられた。
しかし、屋敷について安心したのかエリィは気を失うように倒れこんでしまった。
「エリィ!」
横にいたのでとっさにその身体を抱きとめる。
呼吸はしかっりしているし、疲れが一気に出てしまったのだろう。
「怪我人に申し訳ありませんが、そのままお嬢様の部屋まで運んでいただけますか」
執事の言葉に無言でうなずき、そのぬくもりを抱きしめた。