表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

エルリア・フォン・リアキャタフ

ここから続きになります。

 リアキャタフへ帰ってきて、わたくしは今までと変わらない生活を送っている。

 けれど、ふとした瞬間に浮かぶのはあの人の顔で、まだ胸を締め付けるような痛みがよみがえることがある。家の中にいるから考えてしまうのだと思い、外に出ても「あのカフェでお茶をしたな」とか「あのお店で初めて花を買ってもらったな」とか。結局は、あの人のことを思い出してしまう。

 王都から帰ってきて一週間。案外自分は女々しかったのだなと苦笑するしかない。

 それでも家の中にいるよりかは外のほうがましだと思い、今日も外に出る。


「お嬢様、本日はどちらへ?」

「リーンおば様に挨拶をしていなかったから、行こうと思っているわ」

「また裏路地から行かれるおつもりですか」


 まだまだどこかぼんやりとしているわたくしを心配してラウラは眉をひそめる。


「大丈夫よ。ほら、腕輪はしているし。本当に挨拶に行くだけだから」

「しかし、」

「お願いラウラ。リーンおば様にはわたくしから話をしたいのよ」


 リアキャタフでは噂話なんてあっという間に広がる。

 わたくしがあの人とお別れをしてきたことを屋敷の使用人たちが軽々しく話すことはなくても出入りをしている業者や売り子が屋敷の様子から憶測で話が広まっているのだ。

 わたくしは隠しているつもりはないし、知られても特に不便はないのだけれど、街を歩くとだいたいの人がわたくしに気を使って話題をふらない様にしてくれているのが申し訳なくも感じる。

 きっとリーンおば様の耳にも入っている事だろう。けれど、リーンおば様にはわたくしから直接話をしたいのだ。

 わたくしの気持ちを汲んでくれたのか、ラウラはため息をつくと「仕方ありませんね」と出掛ける支度を手伝ってくれた。

 ラウラにこれ以上の心配をかけたくないので、寄り道をせずにまっすぐリーンおば様の所を尋ねると、リーンおば様はわたくしを見るなりぎゅっと抱きしめてくれた。


「お帰り、お嬢」

「…ただいま帰りました」


 お父様も帰ってきたわたくしを抱きしめてくれた。

 けれど、男性とは違う女性の温かみがまたほっと胸が温かくなるのを感じる。

 その後お茶を飲みながらぽつりぽつりと王都であった事をリーンおば様に話した。

 リーンおば様は黙って聞きながら最後にはこう言った。


「あの男、今度見かけるような事があればひねりつぶしておこうか」


 どこを、とは聞いてはいけない気がする。


「しかし、そうか…お嬢はそれで、いいんだね?」

「いいとは?」

「納得しているのかって聞いてんのさ」

「納得もなにも、わたくしは賭けに負けて、そしてお別れをしてきたのよ。それだけの事だわ」

「ふぅん。そうかい。ま、お嬢がそう言うならいいけどね」


 何かを含んだような言い方に首を傾げるとドアがノックされる。

 リーンおば様が入室を促すとひとりの男性が中へ入ってきた。


「女将、ご報告したいことが…すみません。ご来客中でしたか」

「お久しぶりです。アニー」


 入ってきた男性はわたくしも知っている人だった。

 歳はわたくしよりもひと回りほど上で、眼光が鋭く頬に傷痕があるせいで周りから怖がられているが優しい人だ。

 頭もよく、お店の中で一目置かれるほどのやり手でもある。アニーはいわばリーンおば様の片腕だ。

 このお店は娼婦だけでなく男娼も扱っているし、荒い海の男を相手にする楼閣の守りに男手は必要なものである。


「確かに久しぶりだな、お嬢。しかし、すまないが仕事を優先してもいいか」

「わたくしは気にしないわ。でも、難しいお話なら帰りましょうか?」


 わたくしに聞かれたくない話もあるだろうと気を使ったがアニーもリーンおば様も首を横に振った。


「いや、構わない。お嬢だからな。女将とも久しぶりなら帰してしまっては私が怒られる」

「そうさ、積話はまだあるだろう。ちゃっちゃと終わらせるからそこで待ってな」

「御二人がそう言うなら…。ラウラ、お茶のお代わりをいれてくれる?」

「畏まりました」


 わたくしがラウラにお茶のお代わりを頼むのを見届けてからリーンおば様とアニーは話を始めた。


「またクロベットの馬鹿息子が来まして」

「またかい」

「ここの所毎日ですね。しかも毎日毎日昼間から。金にモノを言わせてミスティを離しません」

「ったく、ミスティはなんだって?」

「少しばかり困ってはいますが、あの子もお金さえ払ってくれればいいかと楽観視しています。本気なのかただの口上なのか分かりませんが身請けの話なんかをされて少し浮き足立っているのかもしれません」

「いきなり羽振りが良くなるなんて、良い傾向じゃないんだけどね。船は?」

「相変わらずのようですよ。積荷が増えた訳でも新しく何かを輸入した訳でもないそうです」

「そうか…何もなければいいが、警戒は続けておくれ」

「はい」


 耳に聞こえてきた商会の名前におやと首を傾げる。

 クロベット商会は中型の船を複数持つ商人だ。

 中型船だと荷はそこそこ積めるが多く仕入れると荷の種類が少なくなり、種類を多くすればその分商品の仕入れ量が少なくなる。

 扱いが難しいのが中型船だが、それをうまく利用して一代で財をなしたのがクロベット商会だ。

 そのクロベット商会の代表はくせもので、金勘定の盲者だとも言われている。「荷が積めないなら人を下ろせ」と言ったことがあるとかないとか。

 ここで言っている馬鹿息子とはクロベット商会の代表の息子のことだろう。自分で築いた地位でも稼いだお金でもないのに横柄な態度でよく金をちらつかせながら街の女性に声をかけている事がある。

 かくいうわたくしも声をかけられたことがある。「この港が手に入るなら、あんたを嫁にしてやってもいい」と、失礼きまわりない口説き文句であったが。

 だが、今問題なのはそこではない。


「リーンおば様。クロベット商会は数日前に報告以上の積荷があったとかでお父様が規制を強くしていたはずだわ」


 決められた積荷の量を超えたり、報告されていない積荷があると違反をしていると判断される。

 違反が判明すれば規制をかけられ、通常以下の量の荷しかやりとりが出来なくなるのだ。

 もちろん監視の目も今まで以上に強くなり、リアキャタフでの商売がしにくくなってしまう。

 そんな規制をかけられて羽振りが良いとは、どういうことなのだろうか。


「数日前だから規制の前に海に出て帰ってくる船の積み荷は変わってないからね。まだ余裕なんだろうさ」

「そうなのだけれど、話からして規制がかけられたのに何とも思っていない様に感じたから」

「私たちもそこに引っ掛かっているのさ。普通は規制をかけられたってだけで商売あがったりで椀飯振舞なんざできないんだけどね」


 その場にいる皆でうーんと考えるが考えても答えが出る訳ではない。


「一応お父様にも報告していいかしら。何かあってからでは遅いもの」

「いいよ。そろそろ領主様にもご報告しなけりゃとは思ってたからね」

「わかったわ。わたくしからお話をしておくわね」


 その話はそれで終わり、後はとりとめのない世間話に花を咲かせた。

 しかし、帰宅してからお父様に呼び出されて聞かされた内容にその時の話は頭から抜け落ちるほどに驚かされた。


「ユリダリス様が、来ている?」

「ああ。…お前に会いたいと言っていた」

「今更、なんで」

「心配するな、一発殴ってお引き取り願った」

「…今、なんと?」


 聞き間違いだろうか。お父様は自分で手を上げることはあまりない。

 厳つい海の男を相手にすることがあるから暴力への対抗手段はもっているが、使うことは少ない。


「この手で殴っておいた」

「………」


 聞き間違いではないらしい。


「お前にどうしても直接謝りたいと言っていた。私も今更だと言ったのだが向こうも引かなくてな。手紙を預かっている」


 そう言って渡された一通の手紙。

 エリィへと書かれた封筒の裏にはあの人の名前。

 まだ懐かしいと思うには早すぎるその文字に胸が痛む。


「読むも捨てるも好きにしなさい。滞在場所も書いてある。もし会いたくないのなら奴が帰るまで家から出なければいい。何度来てもお帰りいただくだけだ」

「…少し、考えさせてください」

「…そうか」


 自室に戻って渡された手紙を見る。

 開けようと思いペーパーナイフに手を伸ばしたが手につかんだそれを足元へ落としてしまった。

 手が、震えているのだ。

 何故。どうして。

 答えのない疑問が頭の中を占める。

 読まなくてもいいとお父様は言った。

 けれど、読まずに捨てるという選択はどうしてもできない。

 ゆっくりと深呼吸をしてもう一度ペーパーナイフを拾った。


 ◆ ◆ ◆


 柔らかなソファに浅く腰掛けて彼の人を待つ。

 どくどくと脈打つ心臓は治まってくれそうもない。

 ノックされたドアに向かい「どうぞ」と声をかければドアの向こうには変わらず美しいあの人がいた。


「お久しぶりでございます。ユリダリス様」


 動揺を悟られぬように立ち上がり、礼をとる。


「顔を上げてくれ。頭を下げなければいけないのは俺だ」


 促されて、視線を戻すと美しい顔に痛々しい痕が残っていた。

 お父様は一発と言っていたがどうやら違ったらしい。わかるだけでも三発分はある。


「父が無礼をいたしまして…」

「いや、これは…当然の報いだ」

「…お手紙、読まさせていただきました」

「………」


 手紙にはこれまでの事が書かれてあった。

 ユリア様はリアキャタフで見つかった魔法使いである事。

 あの時、そのことはまだ公表されていなかった事。

 様々な思惑をへてリュシアン様の婚約者となった事。

 わたくしが書いた手紙はユリア様の魔法によって奪われていた事。

 ユリダリス様の書いた手紙も同様に奪われていた事。

 それにリュシアン様も加担しており、わたくしが王都にいる間の手紙は一切届いていなかった事。

 すべてをそのままに受け入れるのは難しい事だったけれど、考えてみればおかしな点がなかったわけではない。

 そして最後に会って謝りたいと締められており、わたくしはそれに返事を書き、今ここでこうして会っている。


「謝って済む話ではないのは分かっている。だが、貴方を苦しめたのは俺だ。本当にすまなかった」

「ユリダリス様のせいではありません」

「いいや、俺が気が付かなかった事に非がある。申し訳ない」

「謝罪は受けとりました。もう、気にしないでください。終わった話です」


 頭を下げていたユリダリス様は顔を上げるとまだ謝り足りないとばかりに顔をしかめていたが、わたくしがハッキリと謝罪を受け取ったことでこれ以上は言ってこなくなった。

 このまま立ち話させるのはいけないと思い、わたくしが座っていたソファの向かいを指し、椅子を勧める。

 戸惑いながらも向かいのソファに座りユリダリス様は話を続けた。


「リュシアンとユリアは現在謹慎処分を受けている。今も魔法の使えない部屋に軟禁中だ。それくらいで許せるものではないだろうが…」

「許すも許さないもありません。もう、わたくしには関係のない事です」

「しかし、」

「謝罪は受けとりました。それで終わりです」


 まだ何か言いそうにしているユリダリス様の言葉を遮るように話す。

 失礼な態度だと分かっているが、これがわたくしの精一杯だった。


「お話が以上でしたらこれで、」

「-っ待ってくれ!」


 立ち上がろうとしたわたくしを見てユリダリス様は声を荒げると、わたくしの足元へ駆け寄り跪いた。

 手を取られ、驚いて引こうとしたが力強く握られて引き離せない。


「なにを、」

「愛しているんだ」

「………」

「許されないことは分かっている。別れを告げられたのに今更だという事も。けれど、すまない…愛している」


 本当に、今更だ。

 なんて勝手な人なんだろう。


「…お話は、終りですか」

「エリィっ」


 力の緩んだ隙につかまれていた手を引いた。

 ゆっくりと長く息を吐くと、わたくしは立ち上がった。


「お話が以上でしたら、これで失礼させていただきます」

「-っ」


 背を向けたわたくしにユリダリス様は言葉を続けた。


「一週間、リアキャタフに滞在している。俺はまだ、諦めていない」

「………」


 返事をせずにドアを閉めた。


「お嬢様」


 部屋を出るとラウラが待ち構えていた。心配でずっと待っていたのだろう。

 これ以上心配させない様にほほ笑んだ。


「お客様がお帰りよ。ご案内して」

「はい」


 部屋に戻って流した涙は、忘れることにした。


 ◆ ◆ ◆


 ユリダリス様がリアキャタフにいようと引きこもるつもりはない。

 お父様も使用人たちも心配していたが「大丈夫だから」と何とか説得をした。

 それに引きこもっていられるほど暇ではないのだ。


「よぉ!出戻りお嬢!」


 港に足を運ぶと明るい声で失礼な事を言われた。

 相変わらずと言えばその通りなのだが、配慮というものがない。


「出戻りではないと何度言えばその頭は理解するのかしら。ジェン」


 よく焼けた肌と赤褐色の髪。海の男そのものの風貌は本好きのメルが好きそうだなと思う。

 ため息をついて胡乱な目を向けるとジェンはニカリと笑う。

 ジェンとは所謂幼なじみというものなのだろう。ジェンもこの街で生まれ、街で育ち、海の男となった。


「振られて戻ってきたんだから出戻りであってんだろ」

「出戻りというのは輿入れしてから戻ってくることを言うのよ。わたくしはまだ婚約もかわしていないわ」

「何が違うのか俺にはわかんねぇな。お嬢が戻ってきたんだから一緒だろ」


 違うと言うのに。

 噂を聞いた人はほとんどわたくしを気を使ってはれもののように扱うのに、この男は構いやしないらしい。

 その結果、


「またやってんのか馬鹿者!」

「いってぇ!」


 こうして親父さんに殴られている。


「すまねぇなお嬢。今日はどうしたい」

「いいえ、大丈夫よギニーの親分さん。ジェンの頭の悪さはいつもの事だから気にしていないわ。それより、今日は繭玉が入って来る日でしょう?気になって」

「ああ、入ってきたが、やはり少ないな」

「そう…やっぱり少ないのね」


 ギニーの親分さんは降ろされた積み荷の数や仕分けの統括をしている。

 そんな親分さんが言うのだから、聞いていた以上に今回は少ないのかもしれない。

 希少な輸入品は取り合いになることが多い。

 普通に競りにかけるとお金に物を言わせて全てを買いたたくような商人が出てきてしまうので希少品とされるものは領地で一括管理している。

 そうして、リアキャタフで売買をできる権利を持った者だけに均等に振り分けをしているのだ。

 しかし、いくら均等にしても量が少なければ不満がでるわけで、仕方ない事とはいえ難しいところだ。

 今話題に上がった繭玉も国内生産もされているが、上質なものは希少品で奪い合いになる。

 品物の振り分けはお父様の仕事なのでわたくしは関わらないが、少しでも奪い合いにならないようにと代用に使えそうな物を探しているのだ。

 一応あれこれと見かけた布類を少しずつ見本で買って来てもらっているが、今の所めぼしいものは見つかっていない。


「なにか代わりになりそうなものが見つかればいいのだけれど」

「貴族が好むような物と言われても俺たちにはさっぱりだかんな。お嬢に任せるよ。頼まれたものは今持ってこさせるからな」

「ありがとう。親分さん」

「おい!ジェン!!お嬢の荷物を運べ!」

「親分さん、後で誰か使いに出すから大丈夫よ」

「いんや、これくらいどってことないさ」

「そう?ありがとう」

「礼なら俺に言えよなー」


 大きな荷物を抱えてジェンが後ろに立っていた。


「そうね。もう二度と出戻りなんて言わなければお礼を言ってもいいわね」

「なんだい、運ばねぇぞ」

「なら俺が運ぼう」

「…ユリダリス様」


 いつの間にそこにいたのだろう。

 気が付けばわたくしの横にユリダリス様がいた。


「誰だ?」

「ジェン、口に気を付けなさい。侯爵家の方よ」

「ふーん。じゃあ、荷物を運ばせるなんてことできねーよな」

「そんなことは関係ない」

「あぁ?」

「ユリダリス様?」


 らしくない強引さに戸惑う。ジェンは訳が分からないとばかりに睨みつけている。

 慌ててジェンを嗜めようとする前にユリダリス様はジェンの持っていた荷物をするりと奪い取ってしまった。


「少しでも好きな女性の気を惹きたいだけだ」

「え、は?」


 ポカンと口を開けてしまう。

 傍にいたジェンは瞠目し、親父さんは楽しそうにユリダリス様を見ていた。

 唖然としているわたくしの反応は知らないとばかりにユリダリス様は屋敷の方向へと足を進めてしまった。


「え、あ、ちょっと待って!ごめんなさいジェン、親父さん」


 そのまま荷物を持って行かれても困る。

 ジェンと親父さんに一声かけると小走りにユリダリス様を追いかけた。


「待って、待ってください」


 わたくしの声にピタリと足を止めてくれたがわたくしが追いつくとまた歩き始めた。それまでよりはゆっくりとだが。


「どういうおつもりですか」

「どうもこうもない。先ほど言った通りだ」

「何がです」

「好きな女性の、エリィの気を惹きたいだけだ」

「………」

「俺は諦めていないからな」


 わたくしは何も言えなかった。

 その次の日も、さらに次の日もユリダリス様はわたくしの前に現れた。

 買い物をしていると、少し良いなと思っただけの髪飾りをプレゼントされた。

 図書館に行くとつかず離れず近くの席に座る。

 いきなり現れるれてしかも会うたびに告白紛いの言葉をかけられて戸惑いを隠せない。

 さらには見蕩れていたなどと言って破壊力抜群の笑顔を見せるのだ。

 ユーリは何かが抜けてしまったのだろうか。言葉も、表情さえも直球になってしまっている。

 帰ってきてから自室でぐったりとしているとラウラが気遣わしげにお茶を用意してくれた。


「お嬢様、もうお出かけになるのはおやめになった方がよろしいのでは…」

「ありがとう。…そう、ね」


 街のあちらこちらでユリダリス様と一緒にいるところを目撃されたために街の噂は数日前と打って変わって失恋したのではなくただの痴話喧嘩だったのじゃないかと言われている。

 別のところではわたくしがユリダリス様を袖にしたのではとも言われていた。

 いくらわたくしが違うのだと説明しても、街の皆の前で口説かれては信憑性が低くなる。


「ユリダリス様は何を考えているのかしら…」

「気にする必要はありませんよ。滞在期間が終わればこんな騒動もおしまいです」

「ラウラってユリダリス様に厳しいわよね…」

「当たり前です!!お嬢様を泣かせておいて!」

「でも最初はユリダリス様の顔に見とれていたじゃない」

「あ、あれは気の迷いです!あれは、そう、芝居役者に見とれたのと同じようなものです」


 慌てるように否定するラウラにクスリと笑う。

 そんなわたくしを見てラウラは慌てていた態度を引っ込めて苦笑した。


「お嬢様、明るさが戻ってきましたね」

「え?」

「こちらに戻られてからずっと無理をしているようで、私は心配をしておりました」

「ラウラ…」

「これがあの方のおかげかと思うと腑に落ちませんが」


 結局はムッと口を曲げたラウラにまた笑みがこぼれた。

 確かに帰ってきたばかりのころよりあれこれと考えなくはなっている。

 実際問題、考える前に目の前にいるのだから考えることも出来ないのだが。

 でもこれも、ユリダリス様がここに居るまでの事だ。あと数日もすれば、また変わらない日常が戻ってくる。

 次の日はラウラの進言通りに屋敷に引きこもることにした。

 本当は今日も受け取る荷物があるので港に出掛けたいが仕方ない。


「お嬢様、ジェンが来ましたよ」

「ありがとう」


 荷物は屋敷まで持ってきてもらうようにと使用人に親父さんへの伝言を頼んだ。

 伝言はしっかりと伝わったようでジェンが持ってきてくれたのだろう。


「よう!出戻りお嬢」

「だから、出戻りではないと言ったでしょう」

「いいじゃねーか。お嬢はあのいけ好かない奴から離れて戻ってきたんだろ」

「それ、本人の前で言ってないでしょうね」

「言ってねーよ」


 軽口を言い合いながら持ってきてもらった荷物を部屋へと運んでもらう。

 わざわざ持ってきてもらったのだからお茶の一つでも出そうとラウラには飲み物を頼んだ。


「今回は量が少なくて良かったわ。罪悪感が少ないもの」

「罪悪感なんて感じた事あんのかよ」

「あら、失礼ね。少しは感じていたのよ」

「少しかよ」


 荷物を確かめていくと中に紺色の布があるのを見つけた。

 染めればまた違った見え方がするのではないかと、見本の布を染めてもらえるように頼んだものだ。

 濃く染められた布を手に取り、撫でる。

 通称が紺色と言うから分かりやすいだろうと紺色と言って広めたが、本来この色は藍色というらしい。

 その色は、どうしてもユリダリス様の瞳を思い出す。


「お嬢」


 ジェンに声をかけられてハッとする。

 深く考えすぎていた。気を取り直してジェンを見ると想像以上に間近に真剣な瞳があった。


「どうしたの?」

「俺ではダメか?」

「何がかしら」

「俺は、お嬢が、エルリアが好きだ」


 言われた言葉に身体がこわばった。


「何を言って、からかうのはよしてちょうだい」

「からかってなんかいねぇ。本気だ」

「やめてちょうだい」

「やめない。俺はエルリアが好きだ」

「海から離れらもしないのに、馬鹿な事言わないで」

「エルリアが俺に海から陸に降りろというなら降りる。大っ嫌いな勉強だって噛り付いてだってやる。それくらいの覚悟がなくてこんな事言えるか」


 見たことのない幼馴染の熱い眼差しに射抜かれて動けない。

 いけないと思うのに、頬に添えられた手をはねつけることが出来ない。


「お嬢…エルリア」


 近づいてくる唇。あと少し、というところで口から出たのはあの人の名前だった。


「………ユーリ」


 わたくしが口にした名前にジェンはピタリと止まった。そして、ため息をつくと離れていった。


「泣いてる女に無理強いできるか」


 泣く?言われて見れば視界はぼやけ、さっきまではっきりとしていた顔は歪んでいる。

 わたくしは、泣いているのだ。


「ごめん、なさい」


 絞り出した言葉は謝罪の言葉だった。


「謝るな。謝るのは俺の方だ」


 ふるりを顔を横に振る。

 違う。違うのだ。悪いのはわたくし。

 いつまでも、いつまでもユーリを好きでいるわたくし。


「アイツの事、好きなんだろう?」

「…ごめんなさい」


 本当は謝罪に来てくれた時に抱きつきたかった。

 愛していると言われて、わたくしもだと答えたかった。

 街の皆の前で好きだと言われて胸の内は喜びにあふれていた。

 けれどそれと同時に思ってしまう。

 ユーリを受け入れて、気持ちにこたえて、わたくしは信じることが出来るのだろうか。

 きっとユーリにはわたくしに言えない事がまだまだたくさんある。

 気持ちが通じる前は言えないことがあっても大丈夫だった。何かあると分かっていても聞かなかった。

 なのに一度ひとたび想いを通わせてしまうと聞きたくなってしまう。

 何故、どうして、何があったの。

 そして答えてくれないことに不満を持ってしまう。

 結局わたくしが弱かっただけなのだ。

 仕事で会えないというなら侯爵夫人や侯爵様に頼んで仕事場まで連れて行ってもらえば良かった。

 街で見かけたときも、夜会で見かけたときも周りなんて気にせずに向かっていけば良かった。

 それをしなかったのは一重にわたくしが弱かったから。

 弱くて、弱くて、ユーリの事情も聞かずに逃げてしまった。


「なぁ、お嬢」

「……なに」

「俺は貴族の事なんてさっぱりだ。妙なプライドもってやがるし、言葉の裏を読めとかまどろっこしいし、さっぱり分からなくて面倒な人間だって思っている」


 まるで忌々しいとばかりにそうに語るジェン。なにが言いたいのだろうか。


「なのにアイツはわかりやすいんだよな」

「?」

「エリィエリィエリィ。ずっとお嬢のことばかりだ」

「………」

「貴族はさっぱり分からねぇ。けれど同じ女を想う男として一言。アイツはお嬢馬鹿なだけだ」

「………」


 敵に塩を送るなんざこれが最後だ。

 そう言って、ジェンは用意したお茶に口もつけずに屋敷から立ち去ってしまった。

 まだ好きなのだと、認めてしまえば簡単な事で、それでもまだ心は怯える。

 もう、傷つきたくない。その恐怖が、好きだから、愛しているからという気持ちに歯止めをかけてしまう。


「お嬢様は分かりやすいですね」


 ジェンの突然の告白と、認めてしまった想いにぼんやりとしていたらラウラに笑われた。


「あの方がお帰りになるまで篭ってしまえば良いと進言したのは私ですが、ここまで分かりやすく落ち込まれると私も困ってしまいます」

「そんなに、分かりやすかったかしら」

「はい」

「…本当に、ダメね。外に出ても家に居ても結局考えてしまうのはユーリの事なのだわ」

「そのようですね」

「もう会わなければ大丈夫だと思ったのに。このままでは後悔してしまいそう」

「では、どうされますか」

「…会いたいわ」


 ユーリに会いたい。

 先程から矛盾してばかりだけれど、これも本心なのだ。


「会いたいの…だから、明日は外に出るわ」


 怖いという気持ちは無くならない。

 けれど、わたくしはもう逃げたくはない。

 次の日は宣言したように外出をした。

 どこへ行くとも予定は立てていないのだが、なんとなくユーリに会える気がした。

 けれど、運命というのはわたくしを苛めるのが好きらしい。

 街を歩いて目に飛び込んできたのはユーリとユーリの腕に絡む女性の影。

 とたんに悲鳴を上げる胸に足は逃げ出していた。

 後ろから名前を呼ばれたような気がしたが、足は止まることはできなかった。

 人ごみに紛れ込み、裏道を通って見つからない様に駆ける。

 ひとりでは踏み入れることのない裏の奥まで来てから乱れる息を整えるために止まった。

 後ろから誰も付いて来ていない事に安堵してから周りを確かめる。

 どうやらだいぶ奥まで来てしまったようだ。潮の臭いと波の音が近いから海辺の近くであることは分かる。

 波の音と一緒に人の声が微かに聞こえてきたのでそちらに足を進めた。

 来た道を戻るより開けた道に出て別の所から戻った方が良いと思ったのだ。


「今回もバレてないだろうな」

「規制かけて念入りに調べているんだ。誰もまだ荷がのっているなんて思ってないさ」

「規制のおかげで厳しくなった目が逆に隠れ蓑になるなんて、うまく考えたもんだな」


 聞こえてきた会話にピタリと足を止める。あまりにも、内容が不穏だ。

 もう一度周りを良く見渡して今いる場所を確認する。

 ここは、船の整備をするための船着き場の近くだ。独自の整備所を作るのはよほど稼いでいないと難しいので整備所は共有で使われている場合が多い。


「しかし、こんなもんが高値で取引されるとはね」

「魔法具はこの国では高級品だからな」

「だが実際は魔法具じゃないんだろ」

「一度だけ使える複製品でも知らない奴に分かりやしない」


 会話の内容に肩が震える。

 魔法を込められた装飾品は珍しいものだ。わたくしの守護の輪も高級品に値する。

 他国ではこの国よりも魔法に特化している国は確かにある。しかし、他国からの輸入は一切禁止になっているのだ。それを売るのも買うのも犯罪だ。

 これは、わたくしの手で追える話ではない。

 早くこの事をお父様に報告するべきだが、声だけではどの船の話なのか判断はできない。

 せめて誰が話しているのかだけでもと近づこうとして足元への注意を怠ってしまった。

 足元のくぼみにつま先をとられ、慌てて掴んでしまったのは壁に立てかけられた船の材料である木の板だった。一つ動かしたことで力が伝わり、大きな音をたててくずれてしまう。

 幸い大きな木材はなかったから木材に潰される事態にはならなかったけれど、今の問題はそこじゃない。


「誰だ!」


 声を上げてこちらに走ってきた男には見覚えがあった。


「これはこれは、お嬢様ではないですか」


 下卑た笑いでこちらを見てくる男。

 クロベット商会の馬鹿息子だ。

 一緒にいる男はクロベット商会の船で見かけたことがある。


「…こうして顔を合わすのは久しぶりですね。ザリーグ・クロベット」


 わたくしに失礼な言葉で声をかけてきたこの男とはその一件以来顔を合わせることを避けていた。


「こんな所でどうされたのですか?…なんて、聞くのは野暮だな。おいっ捕まえろ」

「しかし、領主の娘だ。危害を加えたらどうなるか」

「ふんっ!こんな女、ちょっと遊んでやれば怖気づいてなにもできやしない。ああ、なんなら傷物にして責任とってやるよ。港が手に入ればもっと楽に密輸できる」

「なるほど」


 そこで納得するな。ここで捕まったら碌にならないことは良く分かった。

 ここで恐怖に立ちすくむようなわたくしではない。

 踵を返し、来た方向へと戻るように駆け出す。

 先程転がしてしまった木材が相手とわたくしの間にあるから少しくらいなら足止めになるだろう。

 ここはもう逃げるしかない。


「待てっ!」


 この状態で待てと言われて待つなんてするものか。

 しかし、ついさっきまで全力疾走をしていた足は思うように前に進んでくれない。

 息も早めに切れてきて、やばいと思った時には腕を掴まれていた。


「離してっ!」

「そう言われて離すかよ。大人しくしろ!」


 振り上げられた手に思わず目をつむる。

 大丈夫。当たることはない。守護の輪が弾き返した隙にまた逃げるのだ。

 そう考えていたのに、弾き返した衝撃が来ることはなく与えられたのはぬくもりだった。

 ガツンッと音がして包み込まれたぬくもりが体重をかけてくる。

 支えきれなくて座り込みながら目を開くと信じられない姿が目前にあった。


「ユーリ!」

「怪我は、ないか」

「怪我をしているのは貴方でしょう!!」

「これくらいは何ともない」

「何がです!こんな、こんな!余計なお世話だと言ったでしょう!!」


 額から血を流し、片目は血の流れで開けれていない。

 目の中に入ってはいけないと咄嗟に手でぬぐおうとして止められた。


「汚れる」

「そんなことは気にしませんっ!」


 なおもぬぐおうとしたがユーリの手は許してくれなかった。


「おいおい、あんた、どちらさん?あ、ああ!お嬢様が振ったって噂のお相手か!こんな所になんの用だよ。それともあれか、振られた腹いせなら協力してやるぜ」

「…いらん」

「なんだよ、いらねーならとっとと立ち去れやお坊ちゃん!」


 馬鹿息子が何かを振り回すといきなり突風が吹き荒れた。

 密輸した魔法具を使ったのだろう。

 わたくしの守護の輪は魔法に対しての耐性は低い。

 このままではユーリもわたくしも追い詰められると焦ったが、ユーリは何事もなかったのように立ち上がった。

 ユーリが立ち上がると吹き荒れていた突風はすぐに収まった。


「なんだ?既製品なんてこんなもんか。ま、こっちはいくらでもあるけどなっ」


 馬鹿息子がさらに持っていたものを振りかざすが今度は何も起きなかった。

 首を傾げる馬鹿息子にユーリはゆっくりと近づいていく。


「な、なんだよこれっ!動けよ!」

「俺には魔法の類は一切きかない」

「はぁ?!」


 ユーリには、魔法を抑える能力がある。それは聞いていた。

 けれど、魔法を無効化するほどの力があるというのは初耳だ。

 困惑している馬鹿息子に立ち直る隙を与えることなくユーリはその顔面に拳をめり込ませていた。

 傍にいたもう一人の男も逃げる隙を与えずに沈める。


「ユーリ」


 わたくしも立ち上がり、ユーリの元に駆けつけるとユーリの手には擦り傷が出来ていた。


「怪我が」

「たいしたことではない」

「何を言っているの。小さな傷でも炎症を起こしたら大変なのよ。いいえ、それよりも額が」

「大丈夫だ」

「っ、心配くらいさせてよ!」


 いつもそうだ。

 大丈夫。

 心配ない。

 気にするな。

 そう言って、わたくしを遠ざける。

 それがどれほどわたくしの心を傷つけているか知らないで。


「そうやって何もかも黙って、何も言わないで、心配するなですって?!するに決まってるじゃない!」

「…エリィ」

「心配くらいさせてちょうだいよ!わたくしはっ、わたくしには、それくらいしかできないのに…」

「…すまない」

「謝らないでよ…助けられたのはわたくしなのに…」


 お互いに黙り込んだところに甲高い笛の音が聞こえた。

 警邏隊だ。ああもう、これで大丈夫。

 やって来た警邏隊は一緒に警備兵も連れていた。

 倒れ伏している馬鹿息子共は警備兵に任せて、怪我の手当てのためにとユーリを連れて屋敷に戻った。

 屋敷に戻って安心しきってしまったわたくしは気を失うように倒れてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ