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エルリア・フォン・リアキャタフ

短編と同じ内容です。

 彼とわたくしは運命的な出会いをした。

 それが彼にとっては違ってもわたくしにとっては、運命、だったのだ。


「ユリダリス様」


 わたくしの呼びかけに振り向いた顔はとても綺麗で、ずっとずっと見ていたくなる。

 もうすぐ見れなくなるのだと思うと、とても悲しい。


「エリィか」


 聞きなれた声なのに、どこか遠く感じてしまう。

 そして、その声でもうすぐ呼ばれなくなるわたくしの名前。

 ともすれば流れだしてしまいそうな涙をぐっとこらえる。


「何を見ていらしたの?」

「ああ、いや…別に」


 ついと逸らされた視線。わたくしの事よりも外が気になるのだろう。

 ユリダリス様のいる窓際からは、この邸の庭が見える。

 そこに誰がいるのか分かっていてこんなことを聞くなんて、未練がましいことこの上ない。


「ユリダリス様」

「なんだ」


 目線は外。それほどまでにわたくしを見たくないのだろうか。…いいえ、もう想うのはやめようと、決めたではないか。


「お別れを、言いにまいりましたの」


 わたくしの言葉にやっとユリダリス様はわたくしを見てくれた。

 その顔が驚きに満ちているのを見て、わたくしの心は少しだけすっとしていた。


 ◆ ◆ ◆


 エルリア・フォン・リアキャタフそれがわたくしの名前。

 リアキャタフ伯爵家がわたくしの家。

 身分は伯爵位であるが、海に面した領地を有しており、貿易が盛んで富んでいるといって良い家だ。

 そんな家の娘だから、わたくしは産まれた時から恵まれた環境で育ってきた。

 彼と出会ったのはいつものように侍女を連れて街で買い物をしていた時だった。

 港町というのは多種多様な人々が集まる場所である。活気があると言えは聞こえがいいが怒号が飛びあう荒くれ者がいる場所でもある。


「おいお嬢さん、ちょっと付き合ってくれよ」

「いいねぇ。その豪勢な服を脱いで楽しもうぜ」


 だからこうして酔っぱらいに絡まれるのもよくある事。

 海から帰ってきた男たちの憂さ晴らしには酒と女がちょうどいいのだと父が言っていた。娘の前で言う事ではないと思うが。


「お付き合いも服を脱ぐのもお断りです」

「なんだぁ?俺たちみたいな海の奴には用はねぇってか」

「お嬢様っ」


 無骨な男に対して堂々と歯向かうわたくしを侍女が窘める。

 わたくしの事をこの地の領主の娘であることを知っている人はわたくしに声をかけるだなんてしてこない。

 おそらくこの男たちはまだ此処に来たばかりなのだろう。


「勘違いしないでくださいまし。わたくし、海の男を尊敬しておりますの。荒れ狂う白波を越えて、ようこそリアキャタフへおいでなさいました。お疲れ様でございます」

「お、おう?」


 まさか褒められると思ってなかったのか、男たちは戸惑うような声を出した。


「女人を乗せる事を是としないのが船であるならば、久しぶりの陸で女性に浮つくのも仕方のない事でございますが、声のかけ方がなっておりません。荒れ狂う海の男であろうとも、女性に対しては紳士であるべきです。貴方はわたくしの尊敬する海の男ではなくただの粗野者ですわね」

「………」


 今度は貶されてよく分かってないらしい。

 だが数秒後、やっと馬鹿にされた事が理解できたらしく、赤い顔をさらに赤くし手を上げても、わたくしはそこから動かなかった。

 そんな男の腕を止めたのは別の男だった。外套を頭からすっぽりとかぶり、見た目はいかにも不審者だと言わんばかりのその男。

 ごろつきの男の上げた腕を掴みあげ、いとも簡単にひねりあげていた。

 外套を着ていても細身なのは分かるのに、筋肉質の男をひねりあげるとは、見た目のままの男ではないらしい。


「いっ!誰だてめぇ!はなせ!!」

「………」

「黙ってんじゃねぇ!」


 もう一人のごろつき男が見た目の怪しい男にこぶしを上げる。

 見た目の怪しい男は無言のままにひらりとかわし、足をかければ男は顔面から足元へ突っ込んでいった。見ているだけで痛そうだ。


「このっ」


 すぐに起き上ってまた襲いに行くが、力の差がありすぎて勝負になっていない。

 この時にはやんややんやと周りに人が集まり始めていた。

 まずい…このままではお父様にまたお転婆をしたと怒られてしまう。

 そこに警邏隊の笛の音が聞こえてきた。


「ちっ!おいっ逃げるぞ。捕まったら厄介だ」

「あぁ。てめぇ、覚えてろよ!」


 わたくしに手を上げようとしたごろつきたちはその音に焦ったようにバタバタと逃げて行った。

 小物が言うお決まりの台詞。行動も小物なら根も小物だったようだ。

 外套で身を包んでいる怪しい男も警邏隊には捕まりたくはないらしく笛の音とは別の方向へ踵を返そうとしたところをわたくしは掴んで止めた。


「待って」

「…なんだ」

「いいから、こっちよ」


 口数少ない男の腕を引っ張って裏道へ足を進める。


「お嬢様っ」

「いいから。貴方もいらっしゃい」


 侍女も着いてくるように指示をして、暗い道へと突き進む。


「おい、そっちは」

「黙って着いてきなさい」


 荒れくれ者が多い港町。そんな港町の裏路地には怪しげな店も、女の色を買う店も多く存在する。

 そんな店が立ち並ぶ裏の道をどこからみて良い家のお嬢様である私ががんがんと進むのだから男も驚くというものだ。

 一つのドアの前に止まると呼び鈴を鳴らす。


「はいよ」


 気だるげな声で出てきたのは艶のある女性。その豊満な胸元を惜しげもなく見せつけるような服装で、長い髪を無造作に流しているのさえ妖艶さを引き立てている。


「こんにちは、リーンおば様」

「お嬢じゃないか。なんだい。客でも連れてきてくれたのかい」

「ごめんなさい。違うのよ。警邏隊に見つからずに表通りに出たくて」

「またなにかやらかしたのかい?お転婆お嬢」

「まぁ!いつもわたくしが何かやらかしているような言い方は心外だわ」


 わざとらしく頬をふくらませるとリーンおば様はくつくつと笑った。


「で、そっちの男は?」

「絡まれたのを助けていただいたのよ。この方も警邏隊に捕まりたくないようだったから」

「なるほどね。旦那、訳あり?」

「…ここは、どこだ」

「…お嬢、説明もせずに連れてきたのかい」

「…忘れていたわ」


 すっかり逃げることばかり考えて忘れていた。


「たく、お嬢は仕方ないねぇ。見知らぬ旦那、私はリーン。そしてここは花街の裏手。リアキャタフの花街は女も男もより取り見取り。海で疲れたその心、癒して解して蕩けてさしあげましょう。ただ一つご注意を。蕩けすぎて海に戻れなくなっても責任はとりませんので、あしからず」

「…ユーリだ」

「貴方、ユーリと言うのね。わたくしは…そうね、エリィとでも呼んでくださいな。後ろにいるのはわたくしの侍女のラウラよ」

「………」


 わたくし、リーンおば様、ラウラと頭だけをかすかに動かして黙っているユーリ。


「花街は警邏隊でも手を出しにくい所があるから、身をひそめるには丁度良いのよ。リーンおば様に任せておけば大丈夫。この花街の重鎮ですもの」

「…なぜ」

「なぜ?それはここに連れてきた意味を聞いているのかしら?」


 首が縦に動く。


「貴方はわたくしを助けてくれた。そのお返しにわたくしは貴方をここまで連れてきた。それだけのことですわ。わたくし、それが余計なお世話であっても善意に対して礼を欠くのは嫌ですもの」

「余計?」


 首を傾げている男にわたくしは着けている腕輪を見せた


「守護の輪…か」


 小さな声で男は納得したようにつぶやいた。

 心配性のお父様がわたくしにつけた守護の輪。

 その名の通り、この腕輪には魔法がかけられており身につけた者を守る力がある。


「ええ、わたくしに仇をなす者はこの腕輪で弾かれますわ。荒事は心配ご無用ですの」

「…そうか」

「けれど、貴方はわたくしを助けてくれた。ありがとう」


 外套のせいで顔はよく分からないけれど、ユーリは少しだけ笑ったような気がした。

 それから、ユーリはこの街に数日滞在をしたいと言ったのでリーンおば様の伝手で花街の中に部屋を借りた。街中だとあの男たちが探している可能性もあるからだ。

 わたくしは家でこってりとお父様に怒られた。秘密にしておくというのはどうにもこうにも難しい。


 ユーリとの再会はすぐだった。

 こってりと怒られたわたくしは2日ほど屋敷から出してもらえなかった。

 やっと出れるようになって外の空気を思いっきり吸う。裏路地には行かないという約束でやっと外に出してもらえたのだ。

 これ以上お父様を怒らせるのは得策ではないので、おとなしく言う事を聞くとする。


「エリィ」


 声をかけてきたのは見知らぬ美男だった。

 この街では珍しい色素の薄い茶色の髪。日の光に当たれば金色にも見える。

 夜の闇を思い出すような濃紺の瞳が髪色と対照的でエキゾチックな風貌をより引き立てている。

 はて、こんなに綺麗な男は知り合いにはいないはずなのだが。一緒にいるラウラなんてぽぉっと見つめている。


「どちら様かしら」

「…わからないのか」

「貴方のような麗しいお方を覚えてない方が難しいと思うのですが…残念ながら、記憶にございませんわ」

「…ユーリだ」

「ユーリ…え…ユーリ!!?」


 これほどまで驚いたことは人生で初めてだった。

 言われてみれば顔に覚えはないが、声や言葉少なな所はユーリではないか。


「まぁ!!まぁまぁ!なんてことでしょう!これはもう花街ではおモテになったのではありません?」


 花街のお姉さま方がこの顔をほおっておくとは思えない。


「女はいらんと言ってある」

「では、男はいりますの?」

「…女将と同じことを言う」


 おや、知らない間にリーンおば様の言葉使いがうつったらしい。

 嫌そうな顔をしたユーリにくすくすと堪えられない笑いがこぼれる。


「申し訳ございません。お久しぶりですユーリ。何か御用がございましたか?」

「探していた」

「わたくしを?」

「ああ」

「どうしてまた?」

「…女将が、街の事を知りたいならエリィを連れて歩けばいいと」

「あら」


 わたくしは領主の娘としてこの街では顔が知られている。お父様は街の皆に慕われているから、わたくしが連れている人なら大丈夫だろうと街の皆は警戒が薄れるのだ。

 リーンおば様はそれでそのような事を言ったのだろう。


「この街をお知りになりたいの?」

「ああ」

「そうですか…しかし、残念ながら現在はお父様から裏路地には行くなと厳命されておりまして。表だけならご案内できそうですが、どうやらユーリは裏にもご興味がおありの様子。これではご期待に添えそうにはございませんわね」

「…領主の許可があればいいのか」

「それは…そうですが」


 許しが出る気がしない。


「つなげてくれないか」

「え?」

「俺が、話す」

「…ユーリが?」

「ああ」

「そうは言っても…お父様が会ってくれるかどうか」

「これを」


 そう言って差し出されたのは1枚の手紙。中からは何やらシャラシャラと金属の音がする。


「これを、渡してくれ」

「よく、分からないけれど、この手紙をお父様にお渡しすればいいのね?」

「ああ」


 まったくもって分からないがこんな手紙ひとつで変わると言うのならばそれはそれで面白そうだ。

 今日中に何とか渡してみるということで、その日はそのまま別れた。

 そして、訝しげに手紙を開いたお父様の変化は劇的だった。

 わたくしを問い詰めてユーリのことを根掘り葉掘りと聞くのだ。わたくしとてユーリについてさほど知っている訳ではない。結局、明日ユーリを連れてくることになった。


 次の日、ユーリを連れて屋敷に戻るとお父様はユーリとお話があるという事でわたくしは放置。

 まったく意味が分からないし、放っておかれてつまらないけれど、そこは淑女として喚いてはいけない。

 大人しく別部屋で待っていればユーリが顔を出した。


「許可が出た」

「…貴方は魔法使いなのかしら?」


 同じ人にまたこれほど驚かされることになろうとは思わなかった。ユーリには驚かされてばかりである。

 ともあれ、許可が出たのなら嬉しいことはない。ユーリを連れていれば裏路地にも行っても良いと言うのだから。


 それからの日々はとてもとても楽しい日々だった。

 ユーリと一緒にあちらへこちらへ。普段は行くことに難色を示される場所にも出向いた。

 言葉数の少ないユーリだけれどその表情は良く見れば素直で、そんなユーリにわたくしが惹かれるのは時間の問題だった。

 でも、いつか別れは来てしまう。

 ユーリの滞在は元から数日の予定。調べることが終わってしまえば、この街から去らなければいけない。


「…明日、この街をでる」


 休憩としてカフェでお茶をしている時に、彼は言った。

 うぬぼれでなければ、その顔はさみしそうに見えた。


「…行って、しまうのね」


 分かっていたことだ。

 ユーリはこの街の人ではない。

 そして、お父様を説得できてしまうほどの人。

 考えられるの答えは一つ。

 ユーリはきっと王都の人間なのだろう。

 だから、王都へ帰るのだ。


「楽しかったわ。海の香りを思い出したら、わたくしも一緒に思い出してくれると嬉しいわ」

「…エリィ」


 懸命に笑った。泣いてすがるなんてできない。

「ついて行きたい」とも「行かないで」とも言えない。

 だって、わたくしはリアキャタフ伯爵の一人娘。

 この街から離れることはない。いつか婿をとり、この街を支えていかなければ。


「帰ってしまうなら心残りはない?今日はユーリの行きたい場所へいきましょう!」

「エリィ」

「お土産は買った?女性に贈るものなら貝殻を使った髪飾りとかおすすめよ。港町でしか手に入らないものだもの」

「エリィ」

「ユーリは女心に疎そうだから、贈り物くらい気を付けないといけないわ。でも、その顔ならいらないのかしら。花街のお姉さま方からも評判だもの。一度でいいから相手をして欲しいって」

「エリィ!!」

「-っ」


 いつになく声を荒げたユーリに肩が震えた。


「…こっちを見てくれ」

「………」


 そう言われてわたくしは無意識に顔をそむけていたことに気が付いた。

 でも無理だ。今、ユーリを見たら、わたくしは…。


「エリィ。お願いだ」

「……無理よ」


 泣いてしまう。

 笑ってお別れをしたいのに。みっともなく、泣いてしまう。


「エリィ」

「無理よ!」


 縋るような声を振り切るように立ち上がり、走る。

 でも女と男の歩幅で敵う訳がなく、あっさりと捕まった私は建物の影へと引き込まれた。

 ぎゅっと体を包み込む腕を振り払う事も何もできなくて、でも離れたくて、弱い力で拒む。


「顔を見せてくれ」

「嫌よ」

「頼む」

「嫌」

「好きだ」

「…うそ」

「嘘じゃない」

「うそよ」


 だって、行ってしまうじゃない。


「迎えに来る」


 それもうそだと言おうとした言葉ごとユーリの唇に奪われた。

 送られた口づけは、涙と潮風で塩辛い味がした。


 ◆ ◆ ◆


 ユーリが行ってしまってからわたくしはもぬけの殻のようにぼんやりと過ごしていた。

 あれだけ行きたい行きたいと言っていた裏路地も行く気が起きない。

 どこに行っても、ユーリを思い出してしまうから。

 そんなわたくしにお父様は残酷な事を言う。


「縁談が来た」

「縁談…ですか」

「そうだ。フィルデン侯爵からのお話だ」

「…そう、ですか」


 たしか侯爵家には同い年の次男がいる。その人を婿にとるのだろう。

 伯爵よりも上の侯爵。拒否権は無い。


「顔合わせの日取りはまた伝える。さがれ」

「はい」


 震える手と足を気づかれないように、動揺を悟られないように、わたくしはさがった。

 そこからどうやって戻ってきたのか、気が付いたら自室の椅子に腰かけていた。

 夜は更け部屋に照らされたランプの明かりにだいぶ長い間ぼぅっとしていたのだと気が付いた。


「お嬢様…」


 気遣わしげなラウラの声に心配しないでと言うように微笑みかけた。


「少し、ひとりにしてちょうだい」

「…はい」


 ああ、なんてバカなんだろう。

 わたくしとした事が、愚かにもユーリが迎えに来てくれると信じていたなんて。

 政略結婚なんて、当たり前に受け入れていたはずなのに。

 こんなにも、こんなにもわたくしの心はユーリに奪われてしまっていた。

 頬を伝う涙をぬぐってくれる優しい手は、ここには無い。


 わたくしの気持ちとは裏腹に顔合わせの日取りが決まり、縁談の話は進んでいく。

 顔合わせの当日に侍女に着飾られた自分自身を鏡でみても心は全く踊らない。


「お嬢様、お綺麗ですよ」

「………」


 褒められても嬉しくない。

 褒めてほしい人はここにはいない。


「お時間です」


 執事長の言葉に無言で立ち上がる。

 連れられて向かう応接室がわたくしには処刑台のように思えた。


「お嬢様をお連れいたしました」

「入れ」


 ドアの向こうから聞こえたお父様の声。

 開けられたドア、そして目に入った姿に、わたくしは反応ができなかった

 なぜ。どうして。なんで。

 渦巻く疑問に固まることしかできない。


「エルリア」


 お父様の呼ばれてやっとわたくしはのろのろと挨拶をする。


「リアキャタフ伯爵が一子、エルリアにございます」


 声は震えていないだろうか。

 涙は零れていないだろうか。


「フィルデン侯爵が嫡男、ユリダリスだ」


 記憶と変わらない声。

 思い出と変わらない無表情。

 こんな時くらい、笑ってくれればいいのに。


「迎えに来た」

「…はい…はいっ!」


 もう、そんなことを言うから、笑いたいのに笑えないじゃないか。

 ぼやける視界は優しい手に包み込まれた。


 そこからはあっという間に話がまとまっていった。

 一人娘なのに、いいのかとお父様に聞いたら


「こっちのことなら何とでもなるさ。心配しなくてもいい。幸せにおなり」


 と、笑ってくれた。

 それにしても、貴族同士の結婚というのは段取りが長い。

 まずは婚約期間を作らなければいけないので、すぐ結婚という訳にもいかない。

 正式な婚約はまた、という事でユーリは仕事が残っているからと早々に王都へ戻ってしまったのでわたくしはまた一人となってしまった。でもそこに憂鬱な心はない。


 それからは手紙のやりとりと、時間ができればわたくしが王都へ足を運んだり、反対にユーリがリアキャタフへと来てくれたり。

 正式な婚約はまだだったが、ユーリの家であるフィルデン侯爵家にもご挨拶にうかがい、婚約の許可は出ていた。

 ユーリの両親であるフィルデン侯爵夫婦は気安い方々で、海辺で育ったわたくしを温かく迎え入れてくれた。

 わたくしたちは順調に愛を育んでいた。いや、そう思っていたのはわたくしだけだったのかもしれない。


 ある日を境にユーリからの手紙が少なくなった。

 元からわたくしから書く手紙のほうが多く、最初は気にしていなかった。

 週に1通返ってきていたのが2週に1通になり、月に1通になり、ついに月に1通も送られてくることが無くなった。

 さすがにその頃には何かあったのではと心配になってきていた。

 けれど、やっと送られてきた手紙には「なにもない。心配するな。元気で」の一文だけ。

 これで心配しないでいるのは無理だ。

 意を決して、わたくしは王都へ行く事を決めた。

 お父様から許可をもらい、ユーリにも手紙をだし、王都の友人へ数日滞在させてくれないかとうかがいを立てた。

 相変わらずユーリからは返事はないが、友人からはぜひ来てほしいとの返事をもらったのではやる気持ちを抑えながら王都へ向かった。

 その時の私には王都でなにが起こっているかなんて、予想もつかなかった。


「メル!!」

「エリィ!」


 王都に着くとすぐに友人の家に向かった。

 メルロールは何度か王都へ来たときに友人になった人だ。

 フィルデン侯爵夫人のお茶会で意気投合して手紙のやりとりも頻繁にしている。


「突然滞在させてほしいだなんて、ごめんなさいね」

「そんなこと!わたくしは大歓迎よ!!…ねぇ、今回の訪問はやはり噂を聞いたから?」

「噂?」

「--っいいえ、知らないのならいいの。変な事を言ってごめんなさい」


 メルの言葉に首を傾げながらもその日は旅の疲れを癒すために早めに休むように言われた。

 休む前にユーリから返事は来ていなかったからもしかしたら読んでいないかもしれないと王都に着いたことを伝える手紙を書いた。

 フィルデン侯爵夫人にもご挨拶をしなければと別口で手紙を書いておくのも忘れてはいけない。

 次の日、やはりユーリからの返事はない。

 でもフィルデン侯爵夫人からの返事はあった。

 何故ユーリからは無くて侯爵夫人からはあるのか不思議だが「王都に来ているならおいでなさい」との返事が侯爵夫人からは寄せられたので、さっそく伺いますと返事をした。

 侯爵家へ到着すると侯爵夫人は笑顔で迎え入れてくれた。


「ユリダリスにエルリアの事を聞いても何にも教えてくれないのだもの。来てくれて嬉しいわ」


 ユーリとそっくりな美しい顔を綻ばせて侯爵夫人は楽しそうに笑った。

 それから侯爵夫人と他愛もない話して穏やかにお茶を飲む。

 話を聞く限り、ユーリは元気に過ごしているようでほっとすると共になら何故手紙を返してくれないのかという疑問が頭を埋め尽くす。


「本当にエルリアが来てくれて嬉しいわ。最近は疲れる人が近くにいて気疲れしていたのよ」

「疲れる方…ですか?」

「ユリダリスは言ってなかったみたいだけれど…リュシアンに婚約者ができたのよ」

「まあ、それはおめでとうございます」


 リュシアンはユーリの弟。つまり侯爵家の次男にあたる。

 わたくしとユーリの婚約はまだ正式に交わしていないのにという言葉は飲み込んでお祝いの言葉を口に出す。


「正式にじゃないのよ。仮のなの」

「仮とは?」

「男爵家のお嬢様なのだけれどね、王太子様に見初められた子で、正式に迎え入れる足場が固まるまではとうちに白羽の矢が立ってしまったの」

「そう、なのですか」


 夫人の話では仮にとはいえ婚約を交わしたのでその男爵令嬢に夫人が淑女教育をしていると言う。

 その教育でどうにも話が通じない時があり疲れるということらしい。

 夫人の話だけではどのような人物なのか想像がつかないが、淑女の鑑ともいえる夫人にこう言わせるとは、ある意味すごい事である。

 その後も世間話に花を咲かせ、時間になったのでお別れを告げて邸を出ようとした時だった。


「きゃぁ!」


 玄関口向かっているところに一人の少女が走り込んできた。

 勢いは止まらず、わたくしに体当たりをしてしりもちをついた。

 その少女が件の男爵令嬢であることは明白であった。


「大丈夫ですか?」

「えっあっごめんなさい!!」


 声をかけただけなのに何故こんなに怯えているのだろうか。


「ユリア!」


 彼女を追いかけてきたのは3カ月ぶりに姿を見るユーリだった。夫人からは今は邸にはいないと聞いていたのだが。


「ユ「ユーリ様!!」


 わたくしの声にかぶせるように少女はユーリを呼んだ。

 ユーリはわたくしを見るなり眉間に皺を寄せた。まるで咎めるような視線にわたくしはどうしていいのかわからない。

 そんなわたくしの気持ちは知らないとばかりに目線をそらすと「大丈夫か」と声をかけてユリアと呼んだ少女へ手を差し出した。

 その手を取って立ち上がった少女はまるでその胸に飛び込むようにユーリの方へ駆け寄った。


「なにがあった」

「な「あたしが悪いのです!」


 またわたくしの言葉にかぶせてくる。これはわざとなのだろうか。

 目を潤ませて肩を震わせながらそんなことを言うとまるでわたくしが苛めたように見えるのではないだろうか。


「…お話をしても、よろしいかしら」


 夫人が言っていた「疲れる人」というのはこういう事なのだろう。つきたいため息を我慢してゆっくりと言葉を吐いた。

 ビクリとユーリの胸の中で肩をゆらした少女。だからなんで怯えてるのだ。


「お久しぶりです、ユリダリス(・・・・・)様。そちらの方にお怪我はありませんか?なにやら慌ててらしたようで、転んでしまわれたの」

「…そうか。ユリア、紹介する。リアキャタフ伯爵令嬢のエルリアだ」


 そっと腕の中にいた少女をユーリは引き離す。

 怯えた顔のままで少女はこちらを見た。


「ご紹介に預かりました、エルリア・フォン・リアキャタフと申します。先ほどは失礼いたしました。お怪我はありませんか?」

「ユリア…です。あの、大丈夫、です」

「どちらのユリア様かお聞きしても?」

「えっあっごめんなさい。あたし」

「…エリィ」

「………」


 なんだろう。何故、わたくしが責められているようになっているのだろう。


「…どうやら怪我もないようですので、わたくしはもうお暇させていただきますわね。失礼いたします」


 ため息も涙も何もかもを我慢して、礼をとった。

 ここで取り乱したら負ける様な気がしたのだ。


「なによそれっ!ユリダリス様の事見損なったわ!!」


 メルの所へ戻ってから今日あった事を話すと、メルが自分の事のように憤慨してくれた。なんだかそれだけで救われたような気がする。

 メルが言うには彼女はユリア・フォン・リフレシアとう名前だそうだ。

 彼女が王太子に見初められたというのは社交界では公然の秘密のようで、リュシアンとの婚約も王太子が彼女を誰かに奪われない為にした仮初のものであると言うのも知られている事らしい。


「でも、仮初とはいえ婚約者のいる身で他にもあっちこっちにお友だち(・・・・)がいらっしゃるのよ」

「お友だち…」


 そのお友だちとは男性なのだろう。

 そして、メルは言いにくそうにしたがどうやらユーリも一度夜会にエスコートをしていったらしく、そのお友だちの一人と言われているそうだ。

 夜会で多くの男性をはべらせている彼女は貴婦人とご令嬢の間ではすこぶる評判が悪いそうだ。


「だからね、エルリアもそれを確かめに来たのかと思ったのよ…」

「だからわたくしが来たときあんなにそわそわしていたのね」

「…知らないとは思わなくて」

「いいのよ。辺境にいると王都の噂に疎くなってしまうのはいつもの事だもの」


 申し訳なさそうにするメルにわたくしのほうが罪悪感を抱いてしまう。

 今日の事はショックだったけれど、ユーリは無口でも優しいからわたくしのことを放っておくことはないだろう。

 偶然とはいえ顔を合わせたのだから一言くらい伝言でも手紙でもあると、そう思っていた。

 けれど、何日たってもわたくしの所にはなにも届くことはなかった。


 ◆ ◆ ◆


 王都への滞在が残り数日となったところで、わたくしは一つの賭けをすることにした。

 あの日から夫人とは何度かお茶をしたけれど、ユーリとは顔を合わせていない。

 とある日にはユーリは仕事だと聞いていたのに、メルと共に買い物をしていたらユリア様とユーリが一緒に歩いているのを見た。

 また違う日には参加した夜会でユリア様がリュシアンとユーリの二人に囲まれて来ていた。

 ユーリには夜会に参加することは伝えたはずなのに、返事は一切なかった。

 わたくしがユーリと正式ではなくとも婚約を交わしているのは知られていることだから周りは同情しながらも面白そうにわたくしをみていた。本当に心から心配してくれたのはメルだけだった。

 もう無理なのかもしれない。

 そう思ってしまうほどにわたくしの心は弱ってしまった。

 だから、賭けをすることにしたのだ。


 明日にはリアキャタフへ帰る。最後の夜会のエスコートをユーリにお願いをした。

 聞いてないと言われない様に、恐れ多くも侯爵夫人からエスコートのお願いをユーリに伝えていただけるように頼んである。「必ず行かせるから」と夫人は意気込んでいた。

 そして夜会の日、ユーリはとうとう現れなかった。

 主催者に挨拶だけはしようと顔を出した夜会で見たのはユリア様と踊るユーリだった。

 それから何とか挨拶だけ終えて気分が優れないからと早々に退出した。

 お父様にはもう、現在の王都でのことを知らせてある。

 まだ正式に交わしていない口約束だから気にしなくていいとわたくしを労わる手紙と共にフィルデン侯爵宛の手紙が同封されていた。

 次の日、メルには大泣きをされた。

 侯爵夫人にはごめんなさいと何度も謝られた。

 フィルデン侯爵は手紙を受け取り、ため息をついた。

 そしてユーリは。


「お別れを言いにまいりましたの」


 何故、驚くのだろう。

 まるで青天の霹靂のような反応にわたくしのほうが驚きたい。


「どういう、意味だ」

「言葉通りでございます。ただの口約束ですもの。家名に傷はつきませんわ」


 傷ついたのはわたくしの心だけ。


「お父様にも、そして先程フィルデン侯爵にもお伝えいたしました」

「なっ…」

「わたくしはリアキャタフへ帰ります。さようなら」


 貴方の瞳に映る最後の姿は綺麗でありたくて、笑顔で淑女の礼をとった。

 さぁ、帰ろう。

 潮の香るわたくしの街へ。

 わたくしにとっては運命でも、貴方にとっては運命ではなかった。

 さようなら。

 運命と思ったこの気持ちは海に流してしまうわ。

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