お誘い
翌朝、エリウスが朝食を共にするためにのぞみの元へ向かうと、既にかなえの姿があった。
「おはよー」
屈託なく挨拶するかなえに釣られるように、控えめに笑いながらおはようございます、と言うのぞみに、胸の奥がちり、と焦げ付くのを自覚した。
その正体を直視する前に意識の裏へと追いやり、二人に微笑んで挨拶を返す。
「おはよう、一晩で随分打ち解けたようだね」
「ふふん、女の子には古今東西、恋バナという手があるからね」
「かなえちゃんっ」
ドヤ、という顔をして言うかなえに慌ててのぞみが止めに入るそのやり取りに、さらにちりちりと焦げ付きが拡がる。
「コイバナというのは何だい?」
努めて冷静に訊いてみるが、返ってきたのは「ひみつー」というにやにや笑いと、困ったように視線を泳がせる表情だけだった。
彼女はいつもどこかぎこちない微笑や苦笑の様なものしか浮かべなかった。
唯一、あの月夜に覗き見た横顔だけは力の抜けた表情だったが、それは彼女が一人きりだったからで、こちらに向けられたものではなかった。
それが、同郷の少女と一緒にいる彼女は随分と気楽な様子に見えた。初対面だということなのに、あれ程遠慮がちで人慣れぬ子が、たったの一晩で。
彼女を笑わせたかった。そうしてやれるのはこの世界で自分だけだろうと、どこかで傲ってすらいた。
彼女を帰してやらねばならないというのは、もちろんそれが彼の責任と義務で、彼女の居るべき場所であり彼女の願いであったからだ。
だが、そういった理由の奥でいつからか、きっと彼女が笑うだろうと、彼女の笑顔が見たかったのだと、自分がそう思っていたことに今さらになって気づく。
幼い頃から、エリウスは王太子である自分が誰かと親しくするということが、相手の立場を左右し、要らぬ争いを招きかねないことを弁えていなければならなかった。
権力とはそういうものだと、父にも諭されながら育った。
適切な距離を保ち、己と相手との立場を認識して行動する。信頼できる相手はあっても、打ち解けることはできない。
しかし、現れた異界の少女は、何ら立場を持たない。
自分は庇護者として、いくらでも彼女に親愛を示し与え、優しさも気づかいもそのままに表して良いのだと。彼女自身がそういった存在を必要とする状況で、遠慮はあっても、拒否することはなかった。
困ったような申し訳ないような顔をしても、ほんのりと赤く染まる耳が、俯いた瞬間に少しだけ緩む口の端が、彼女が心から拒否したいと思っているわけでないことを教えてくれて安心していた。
率直に思いやりを差し出せることが、それを受け取ってもらえるそのことが、エリウスには喜びをもたらしていた。
「今日はのぞみの好きなように過ごして良いよ。アレックスに許可はもらっているから」
少女二人と朝食を取りながら、エリウスはのぞみに告げる。
本来は親善訪問としてスケジュールが組まれていたが、少女たちの返還術を執り行うため、日程のうちの2日間のそれはキャンセルされた。
「見たいものがあれば連れて行くし、護衛も同伴するが、かなえと城下へ行くこともできる」
この世界で過ごす、最後の残りの時間をどうしたいのか。
のぞみはちら、とかなえと視線を交わしたあと、少しの間を置いて答えた。
「…エリウス、様は、一緒には行けないですか」
はじめて、名を呼ばれたことに目を開きながら、その言葉の意味にまた驚く。
「私が同伴するとなれば、城下へ行くのは難しいかな」
残念だけど、と眉を下げて微笑んで返す。しかし返ってきたのはさらに意外な言葉だった。
「じゃあ、私、エリウス様と行けるところに、行きたいです」
常になく、エリウスの翠の瞳をじっと見据えて、どこか必死さを漂わせてのぞみは言った。