恋バナ
「こりゃ興味深いですな」
蓄えた白い髭をなでながら老魔術師がまず口を開いた。
一拍置いて、皇子アレックスが抑えた声で確認する。
「彼女がここにいるのはお前の術によるもので相違ないか」
「左様で」
さらに一拍。
皇子が深々と頭を下げた。
「此度は意図せぬ事といえ、我が国の魔術師による術が貴国、ならびにそちらの異界者殿に多大な迷惑をかけたこと、誠に遺憾であります」
「顔を上げてください、アレックス」
エリウスの呼びかけにアレックスが視線を上げる。
「言っておきたいのだが、私はこの事態がどういった事情であれ、外交問題にするつもりはないよ」
国の立場を負う者としてではないやり取りであることを示すために、エリウスは敢えてくだけた口調で応じた。
「そう言ってもらえるとありがたい」
エリウスの意図を理解してアレックスも同様に返す。
力を抜き頭が痛いといった様子を見せるアレックスに、政治的なやり取りが一段落着いたことを察して、制服姿の少女が声をかける。
「あのー、説明してもらってもいい?」
のぞみがかくんと頷いて同意を示した。
結論から言って、老魔術師は天才にして奔放、そして諸悪の根源だということだった。
曰く、皇子の成人祝いに「皇子の望みを叶えるもの」を、自らが新たに開発した術式で召喚したのだという。
「よもや人間を指定もせず召喚できるとは思いませなんだな」
飄々とのたまう老魔術師にアレックスがため息を吐く。
「まあちと対象指定がざっくりとし過ぎとったかの。かなえが対象になったのは名の効果じゃろ」
「名の効果?」
呼ばれた制服の少女――かなえが聞き返す。
「かなえのクニで言うところの言霊というのに近かろう。そちらの嬢さんの名は?」
「あっ、山本のぞみです」
くっくと笑って魔術師が言う。
「ほれ、嬢さんが巻き込まれたのも名の効果だの」
――『皇子の 望み を 叶え るもの』。
「言霊っていうか、ダジャレみたいになってるんですけどー」
露骨に呆れた顔をしながらかなえが言った。
のぞみだけの座標指定がずれたのは巻き込まれた条件と発動時の環境要因を分析せんとならんなあ、式は改良の余地がまだまだ有りそうじゃな、などと一人頷く、術式の開発を生き甲斐とし、その発見と発明で魔術の発展を千年は早めたと謳われる魔術師は、しかしその功績とは無関係の者には傍迷惑でしかないのだった。
もたらす益が計り知れない代わりに、彼の魔術師を手元に置くのは種々の問題と、――その尻拭いを呼び込むことであった。
それまで黙っていたエリウスが尋ねる。
「のぞみがこちらに来てひと月以上になるが、その間返還術は行わなかったのか?」
「いや…」
アレックスが苦虫を噛み潰したような顔つきになって答える。
「このオズワルドは、ひと月の間新しく発見された術理法則の視察に北方領国に出向いていたんだ」
それが皇子の意向に背く、というよりは魔術師独断のものであったこと、今回の親善訪問を受けて戻らなければ研究費を削ると脅しつけて呼び戻したことまでは言わずにおく。
「では、返還術は可能なのか」
エリウスの言葉に、のぞみの肩がわずかに震える。
傍へ呼び寄せた時にのぞみの腰に手を添えたままだったエリウスは、その気配を察してそっと手を動かし、安心させるようにのぞみの肩を抱く。
のぞみは顔を俯けて表情を見えないようにした。
「もちろん可能ですとも、ちと準備は必要ですがの」
「えっ準備ってどれくらい?」
かなえが声をあげる。
「のぞみの分も組み込んで術式を組み直さんとならんからの。まあ二、三日は要るか」
「おじーさん帰ってきたら帰れるって言うから制服着て待ってたのに…」
「そりゃ悪かったの」
ほっほと笑う魔術師に悪びれるところはまったく無かった。
***
今すぐには帰れないと分かった少女二人は、かなえの「女子二人でお話ししたーい」という希望によって女子会を開いていた。
「素朴な疑問なんだけど」
「ん?」
「なんでブレザーなの? 私、こっちに来た時9月で夏服だったから」
「あー、うちの学校一応9月から衣替えってことになってて、式だけはブレザー着用なんだよね。だから体育館空調ガンガンでさあ」
かなえは異世界における同郷の、それも同い年の同性だからか、かなえの性格にもよるものか、人見知りするのぞみにも話しやすい相手だった。
「あのさー、ところで」
わくわくといった調子でかなえが尋ねた。
「王子様と恋人なの?」
ちょうど口に含んだお茶が気管に入って、のぞみは思いきりむせた。
慌ててかなえがのぞみの背中をさする。
「な、なんで」
涙目でのぞみが聞き返すと、
「いやあだって雰囲気がさあ」
「こ、恋人じゃない」
「そうなの?だってそういう立場でこっちの国来たんじゃないの?」
「だからそれはっ…便宜上みたいな」
赤くなって否定するのぞみに、かなえはにやにやと下世話全開にして聞く。
「でもさーのぞみちゃんは好きなんじゃないの?」
口を開きかけて、声を出せずにのぞみは俯くと、目元を覆って
「…………好きになりたくない」
絞り出すように呟いた。
「あー、まあ。なんとなくわかるけどね」
でもそれって手遅れじゃないかな、とは、かなえは優しさでもって言わずにおいた。
ずっとずっと、そう思っていた。
舞い上がって浮かれたりして、馬鹿な小娘と思われたくなかった。
ただでさえ迷惑をかけて、そんな風になれば追い出されても文句は言えないと思ったし、ちっぽけな自分のちっぽけなプライドでもあった。
だけどあの夜。必死で押さえ込んでいた憧れが、直に触れてしまったら、彼が実体を持った、生身の男性であるという現実感と共に溢れだしてしまった。
あの時、理性では必死にその想いを否定しながらも、戻れなくなってしまった、と思った。
元の世界にも。恋に落ちる前にも。