訪問
翌日、いつもの贈り物ではなく、王太子本人の来訪の報せに、もはやなりふり構わず布団を被って拒否したものの、受け入れられるはずもなく、侍女によって剥ぎ取られた。
のぞみは絶望してみせたが、周囲にとってもその来訪は想定外の事態だった。
慌ただしく侍女が応対の準備をし、通されたエリウスだけが何を気にかける風でもなかった。
「のぞみ。隣国へ行ってみないか」
その言葉は何気ない調子で発せられたが、のぞみは静かに衝撃を受けていた。
――はじめて名前を呼ばれた。ただそれだけの事だったけれど。
隣国には類い稀なる卓越した技を持つ皇家召し抱えの大魔術師と呼び声高い人物がいる。
大きな争いのなく平和な時勢、隣国とこの国の関係は良好である。もしかすればのぞみを帰す方法の、手がかりでも見つかるかもしれないと、隣国への親善訪問を昨夜、大使に取りつけていた。
のぞみを伴うつもりはなかった。確実に手がかりが見つかるという確信もなく、あくまで外交でもある。何ら確たる地位を持たない少女を同伴するのは無理があった。
しかし、――寵姫としてなら。エリウスは未だ独身であり、側室すら持たない。そして地位ある娘であれば許されぬ振る舞いも、逆に地位のない少女には許される。
遭難した少女へのささやかな贈り物など、王族の寛大な慈悲による施しとして問題にはならない。
しかし、未婚の若い娘の部屋に王太子が訪れるというのは、――個人的に、「親密な」関係があると、宣言するにも等しい行動だった。
周囲にとって想定外であったのは、予告のない来訪であったというだけでなくそういった意味が含まれていた。
のぞみを寵姫の扱いにするというのは、将来的な選択肢の可能性としてない訳ではなかった。
彼女の行く末に責任を持つならば、彼女にはいずれ確実な後ろ楯が必要になる。
適当な身分の家へ嫁すなり養子に入るなりといった方法でこの世界で生きてゆけるようにしてやるか、あるいはエリウス自身の手元で寵姫として扱えば、生涯に渡って生活が困ることはない。
しかしそういった選択の可能性は、もう少し先の将来の話だったのだ。
その日からエリウスは、のぞみと共に朝食をとるようになった。王太子自ら、のぞみの部屋へ出向いて、である。
のぞみの扱いはすっかり寵姫のそれへとなり、贈り物にはドレスや宝石、装飾品が加えられた。
のぞみに直接こうした扱いの変化について説明する者はなかったが、王太子の自分への振る舞いがどういった意味を持つのか、薄々は察した。
何かに耐えるように、日に日に元気をなくしてゆくのぞみを、侍女だけが心配していたが、王太子の行動を改めさせることなど出来るはずもなかった。
いやだと言えればいいのに。
立場だとか権利だとかじゃなくて。
十分失礼なはずの態度なのに、ずっと、優しく笑うから。
***
隣国に到着後、公式な挨拶を済ませると、エリウスは率直に今回の相手の接待役である皇子に要望を述べた。
「後学に、音に聞く大魔術師の誉れ高いそちらの宮廷魔術師殿に、是非お会いしたいのですが」
「もちろん構いません。魔術に興味がお有りで?」
「ええ、少し。面会には同伴者を同席させても?」
「問題ないでしょう」
「実は同伴者は…異界者の娘でして」
それまで外交の延長上のやり取りだったものが、その一言で空気が変わった。
「異界者?…失礼ですがそれは確かなのですか」
「ええ。魔術師に確認させています。なにか…」
「お待ち下さい。すぐに宮廷魔術師をこちらに呼びましょう。エリウス殿、異界者の…同伴者殿をお呼び頂けますか」
相手の反応に訝しみながらも、都合の良い提案であったため了承する。
ほどなくして先に訪れたのぞみの姿に、皇子は目を瞠った。怪訝にしつつエリウスがたじろいでいるのぞみを傍へ呼び寄せて紹介に口を開きかけたところで宮廷魔術師の入室が告げられた。
挨拶を述べながら入室した年老いた魔術師の後に続いた者の姿に、エリウスとのぞみが目を瞠る番だった。
肩口までの長さの黒髪、黒い瞳、そして、――この世界の物ではない、ブレザーの制服を着た少女。
その場に会した全員が、それぞれに驚きを表情に載せていた。
のぞみは、自らの巻き込まれた召喚の対象たる、同郷の少女に対面したのだった。