夜露
――だいたい、あんな綺麗な王子様の前で緊張するなっていう方が無理だし。
のぞみは茶会を振り返って不貞腐れていた。八つ当たり的にそんな風に思いながら、それでもこの世界――この国の人々が、そして何よりあの美貌の王子様が、とても善良なのだというのはのぞみも分かっていた。
実際、本当にとても良くしてもらっている。のぞみを突然放り出すようなことも、きっとしないのだろうと茶会で王子様と話して感じていた。本当に心から気遣って思いやってくれているのだ、遭難者の小娘を。
頭では分かっても、むしろだからこそ相手の義務感と善意、同情に甘え続けるのが、のぞみにはしんどかった。
エリウスはあの茶会でのぞみが自分を迷惑な存在だと認識しているのだと気づいてからは、さらに同情してくれたらしく、花や菓子に果物、髪飾りなどの小物、少女の喜びそうなささやかな贈り物を届けてくれるようになった。
その親切が、いっそうのぞみを居たたまれなくさせて居場所を無くしていた。
夢に見るような王子様に優しくされて嬉しくない訳がなかったが、それが同情ゆえであり、自分がその憐れみにすがる立場であることが堪らなかった。
自分でどうにも出来ないことをくよくよと気にして、優しさを上手に受け取れず、卑屈にさえなっていた。どこまでも要領が悪く、不器用だった。
贈り物を受け取る度、困ったような少し拗ねたような顔を隠しきれない少女を、侍女もまた、困ったように見つめていた。きっと少しは喜んでくれるだろうと思ったのだが。
正直に言って、エリウスは相変わらず頑なな様子だという異界からの遭難者の少女を、扱いかねていた。
エリウスは王族だ。国民の生活に責任を負うのは生まれに課せられた当たり前の義務だ。自国の、それも王宮に現れた遭難者の保護にしても、十分己の負うべき責任の範疇だと認識していた。たとえそれが異界者であったとしても。
そして、それとは別のところで、エリウスはもはや個人的な感情で少女に同情していた。
いかに自分にとってその責を負うのが当然のことであっても、少女が遭難という境遇にあり保護されること自体が当然のことであっても、少女自身が自分を厄介者だと認識しているという遠慮の強さが、どのようにしてそのわだかまりを解消してやればよいものか、手立てがない分、エリウスには余計に痛ましく映った。
異世界の季節は過ごしやすい気候の続く頃だった。
エリウスは時折、夜の庭園を散歩することがあった。人気のない空間で夜露の湿った空気を吸うと、意識していないところで入り続けている肩の力が、少しばかり抜けるようだった。
花の香りに誘われて、ふらふらと奥まで進んでいた時だった。
微かな旋律が耳に届いた。建物近くまで近づいていた彼が旋律を辿って見上げると、ほのかな月明かりに照らされて、少し上の位置のバルコニーに人影があった。
彼女もまた月を見上げて、彼には聞き慣れぬ旋律を淡く口ずさんでいた。
どこか間の抜けたようなその節は、けれどどこか懐かしく寂しげに響いた。
闇に溶ける彼女の色は、月光でぼやける輪郭と相まって、その存在感すら溶かしてしまうかのように危うげに感じられた。
それでもエリウスには、彼女の、確かにそこにある素の心を覗き見た気がした。
触れれば隠されるだろうそれを、彼はじっと見つめて耳を澄まし、そっとその場から離れた。