会談
「のぞみ様は本日も体調が優れないためお会いできません」
できるだけ感情を込めない声音で淡々と告げる。
「……そうか」
蒼白い顔色で言葉を飲み込んだように一つ頷くと、王太子は扉の前に立つ侍女に踵を返して去っていった。
辺りに誰もいなくなるのを待って、侍女のネネはぽそりと口の中で小さく呟いた。
「…………へたれ」
「ありがとう」
王太子を扉前で追い返して戻ってきたネネに、小さな声で礼を言う。
王宮に帰って自室に逃げ込んだまま、引きこもって二日経った。
「御礼を仰られることなどありません」
ネネはなんでもないという調子で応える。
「お茶をお淹れしましょうか」
ベッドの上で体を抱えて小さくなっているのぞみに微笑みを向ける。
弱々しく笑顔のなりそこないの表情を作って、もう一度ありがとう、と言って顔を伏せた。
元より素直な感情を表に出そうとしない子だが、今にも泣きそうな顔をしているのに決して泣こうとしない様子が、ネネには心配だった。
「あのね」
温かい紅茶を一口飲み、ほっと息を吐く。カップを両手で抱えてその水面をじっと見つめながら、のぞみはぽとりと言葉を零した。
「かなえのところに、戻りたいの」
元々、あと三日もすれば帰還の予定ではある。
「隣国に、ですか」
言外のエリウスと顔を会わせずに、という部分も含めてその要望をネネは思慮する。
とにかく逃げの一手といったところだが本人が誰より自分を責めているような様子にそれ以上非難する気は起こらなかった。
「ご相談致しましょう」
いずれにせよ王太子の了承は必要だった。
「で、逃げて引きこもってるってー?」
ババーン!と言いながら勢いよく扉を開けてかなえがのぞみの部屋へ乗り込んできたのはわずか二時間ほど経ってのことだった。
王太子から、のぞみから何かあればすぐ伝えるよう言われていたネネはその通りのぞみの要望をすぐさま伝えはしたが、いくらなんでも二時間で隣国に連絡を取りあまつさえ王宮へ使者が来るなど誰が予想しよう。ネネにしてみれば、王家の者同士で個人的に親しい関係が築かれたとはいえ、どちらの国もいつの間にそこまで融通の利く性質になったというのか。
その上一緒にアレックス皇子まで部屋へ入ってきて、のぞみもネネも呆気にとられた。
なぜ隣国の皇子までがここに?
二人の視線がアレックスに向いているのに気づいてかなえはけろっと言う。
「アレックスも着いてきたそうな顔してたから連れてきちゃった」
「誰がいつそんな顔をした」
皇子は不服そうに顔を顰めが、この場にいること自体が本人の意志がなければ有り得ないことだった。
「まあそれよりさ、エリウス王子のヘルプコールで来たんだけど」
言いながらさっさとのぞみの隣へ腰を下ろすかなえに慌ててネネがソファを引き、応じてアレックスが座る。
お茶の準備に移りながら、隣国に戻りたいと言われてそのまま返すのはそれこそへたれだが、友人に説得を頼むというのもそれはそれでどうなのかしら、とネネは思う。
「プロポーズされたんだって?」
かなえはのぞみの左手を取る。
そこにはまだ指輪が嵌まったままだった。
突然の来訪にただ狼狽えていたのぞみは、その言葉にぎゅっと眉間に力を入れ、唇を噛む。手を引き、隠すように右手で覆う。
「私じゃ、だめだよ」
俯いたのぞみに、理解できないという顔を向け、そのまま直截に訊ねる。
「何がだめなの」
俯いたまま、迷うように視線を彷徨わせて、
「…だって夢を見てるとしか、思えないよ。それに、私は、エリウスの負担にしかならない」
絞り出すように吐かれた言葉にかなえはやや沈黙した。
おもむろにポケットから容器に入ったチョークを取り出す。
「ね、見てて」
チョークでテーブルの上にさらさらと小さく簡単な陣を描く。その上にお茶のカップを載せ、祝詞のような呪文を呟く。
すると陣が淡く光りを放ち、カップの中の液体がふわりと浮かんだ。
数瞬で液体は浮力を失ってカップへ落ちてぱしゃりと跳ねたが、それは紛れもなく魔術だった。
とても簡単で単純な構成の、ごく初歩的な、それでも魔法のない世界の二人からすれば奇蹟に等しい不思議な術。
「ね、ほら」
「魔法だって使えるんだよ」
のぞみに振り返ってかなえは言う。
「夢だっていいじゃん。夢だから、何だってできるよ。できないことだって、できるよ」
その声は普段と変わらない調子だったが、かなえの顔は真剣だった。
「エリウス王子は、のぞみが好きなんでしょう?だったら、自分から不幸になるなんて、相手も不幸にするなんてバカだよ」
それでものぞみは頑なだった。
子どものようにだめだと首を横に振る。
「だめ、私じゃない方が、私といるより、エリウスは幸せになれるはずなんだもん」
自分の、馬鹿みたいな恋心を、優先させることなんて出来るはずがない。
「のぞみ様。殿下の御気持ちの有り様を決められるのは、殿下御自身だけです」
見かねて、ネネは立場を置いて思わず言っていた。勢い、首になっても良いと思った。
「殿下はのぞみ様だけをお望みなんです。この二ヵ月、待ちわびていらした殿下を存じ上げている私が保証致します」
「……怖いの。だって、期待に応えられない。出来ない。きっとがっかりする。嫌われたくない」
愚かで未熟で、だけど現実を知らないほど子どもじゃない。お姫さまになってめでたしめでたしで物語が終わっても、人生は終わってくれない。
その先で夢が醒めるのを、見たくない。
何もかも拒否するように項垂れていたが、ふいに顔を上げる。
そしてやはり笑顔のなりそこないを作った。
「ごめん、ありがと」
何も言えない二人に、きっぱりとした響きで言った。
「でも、エリウスにはもう会わない」
会えば、今度こそ泣く自信がある。優しいエリウスに、また、同情させてしまうから。
「俺達にとって、王族であるということは当たり前の自分の一部だ。だがそれが他人にとってどういうものか、分からないわけではない」
沈黙に徹していた皇子が口を開いた。
「まして何の準備もない相手に、同じものを課そうなど思わない。だが、それでも継承権を放棄するというのは余程の覚悟と想いがなければ、選ばないだろう」
「……え?」
アレックスの言ったことの意味がわからない、という顔をするのぞみに、アレックスも訝しげな顔を返す。
そして気づいたように眉を動かすと、視線を逸らす。
その様子にのぞみが眉根を寄せる。
「どういう事ですか、継承権を…、放棄?」
「あー、まあ、そういったことも含めてきちんと話し合いがまだ必要なんじゃないか」
開き直ったのか額に手を当て、やや投げやりにアレックスは返す。
「そんな事とんでもないです」
決然とのぞみは言った。
アレックスは鷹揚に答える。
「だが君が逃げるとなればエリウスがどうしようと勝手だ」
がたんと音を立てて立ち上がる。
「そんなの絶対だめ」
「ここで言っても仕方ないんじゃない?」
かなえは両肘をついて顔を乗せ、しれっと言う。
「そういえば殿下、思い詰めた様子でいらっしゃいましたね」
しらじらしくネネも煽る。
「先ほどは執務室に役人を呼んでいたな、色々と手続きもいるしな」
アレックスはため息を吐きながら乗った。
少しだけ三人の茶番にうろんな目を向けたが、それでもきゅっと拳を握ると
「絶対止めてくる」
のぞみは部屋を飛び出した。
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