遭難
山本のぞみは何の前触れもなく異世界に落ちた。
学校からの帰り道、突然光に飲み込まれ、一瞬の後に、それまで自分の居た世界とは別の世界へ迷いこんでいた。
幸か不幸か、落ちた先が異世界の国の王宮の内部だった。庭園に現れたのぞみは、その場に居合わせた庭師と下働きの使用人数名に発見され、突如異世界人が出現したとの報告は早急に国の宰相たる王太子へと届けられた。
暗殺や諜報の者ではないかとの疑いは当然向けられたが、魔術発動の痕跡とのぞみ本人への聴取から総合して、この娘は事実として異世界人であり、どうやら遭難者であると結論された。
この世界において、異界者召喚の魔術は理論的には可能であっても一般化したものではなく、高度な知識と技能が必要とされる。魔術の発動痕跡は時間経過と共に薄れるので、専門家たる王宮魔術師達によって可能な範囲で分析できたところは、のぞみが召喚術の対象者ではないということのみだった。
のぞみは術式の発動時に召喚対象者の側に居たために、召喚に巻き込まれたのだった。術者は特定できず、のぞみを対象とした召喚ではなかったとなれば、のぞみを還すための術式も判明できなかった。
かくして帰す手立てのない遭難者を王太子のもと、王宮で保護することが決された。
その日、のぞみは始業式とホームルームだけで午前中で終わった学校の帰り道を歩いていた。9月の残暑の日射しの下、ぼんやりと、しかし心持ち浮かれた気分で歩きながら、マンホールの蓋の上に足が差し掛かった瞬間だった。
「…っえ?!」
マンホールの下から光が溢れ出し、爆発的に膨らんだかと思うと、何が起きているのか理解することもできなかったのぞみを、光が飲み込んでいた。
驚きと共に光の強さに瞑った目を開いたとき、周りの景色は一変していた。
訳が分からずに状況を把握できないまま、周囲を見渡して、その場にいる人々に、驚きをもって自分が注視されていることに気づく。
そのうちの一番近くに居たメイドの様な服装の女性の一人と目を合わせたまま、のぞみは混乱しながら途方に暮れるしかなかった。
「…あなた、今、転移術でここへ入ったの?術の誤作動か失敗かしら」
途方に暮れた顔をした少女に見つめられ、何かの手違いでその場所――王宮内の庭園へ来てしまったのだろうと、使用人の女性は声をかけた。しかしのぞみは、その言葉の内容に疑問符しか浮かばず、
「えっ?あ、いえ、あの…」
と声を出したきり、困り顔で押し黙るしかできなかった。元々、急な事態への対応力の低い性格で、初対面の人との会話も苦手である。
お互いになんとなく曖昧な笑顔を見せあって沈黙してしまうと、見かねた男性の使用人の一人が声をあげた。
「侵入者ってことはないよなぁ」
「いや、侵入者って言っちゃえば侵入者だけど」
「とりあえず間違いで入ってきたようだし上に報告じゃないか」
周りにいた他の数人らがその声に応じて対処を話し合い始め、
「間違いで入ったんだよな?」と確認されれば、わからないけど、と思いつつ、はい、と頷くのがのぞみの精一杯だった。
そのあとは、使用人頭に引き合わされ、どこから来たのか、どのようにして王宮へ入ったかという問いにのぞみがしどろもどろになると、不審に思われ次々と上の役職者へ報告が行き、その都度にのぞみは聴取された。
その経緯にのぞみが動揺と狼狽と怯えを顕にしながらなんとか聴取を受け続けると、徐々に「異界者ではないか」とやり取りが交わされた。
そうして最終的に王宮魔術師らに会わされ、彼らから異界者であると判じられた結果、王太子へと引き合わされることになったのだった。
その頃にはすっかり怯えて狼狽えきったのぞみには、若く麗しい、金の髪に翠の瞳の王太子の姿にも、胸をときめかせるどころではなかった。状況がさっぱり理解しがたかった。
その様子を見て、王太子エリウスは、まず彼女に説明をし、混乱を解くことから始めることにした。
未だ自身の状況を掴めていない、困惑の中にいる少女がどうやら遭難者であるという事実、そしてまた彼が王族たる者の責任としてこれからの庇護者となるという事を。