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第八回 【痴態を衆目に晒すことも憚らず】Part1

 緒方大和は道を歩く時、前を向こうとしない。

 背を丸め、前方からやって来る、あらゆるすべての物と者から目を逸らそうとするかのように、俯いたまま歩を進める。

 別に、行きたくて通ってる道じゃない。学校になんか、行きたくはなかった。

 でも登校拒否をするほどの度胸もなかった。

 両親が離婚し、父親と賃貸アパートで二人暮し。

 毎日は、はっきりいってつまらない。

 代わり映えのしない日常。同じ退屈な時間の繰り返し。

 それだけならまだいい。

 大和の日常……彼を取り囲んでいる小世界は、華やかな色彩の一切が排除された、暗黒の青春であった。

 彼はその暗黒の青春の本質を、『不幸』と捉えていた。

 もうすぐ学年末試験だというのに、勉強にはいっかな身が入らない。

 学校に行っても、友達など一人もいないから、楽しいことなんて一つも無い。

 そんなところに通うこと自体、嫌なのに、辞めることもできないから、授業にも勉学にも関心が持てない。

 いや、価値を見出すことができない!

 何に対しても……!

 クラスメイトは楽しそうにお喋りしたり、ふざけあって騒いだり、新しいアプリを面白がって複数人で興じてみせたり、部活動に励んで汗を流したり、ことテスト前などとなるとノートを貸し合って一緒に勉強したりしている。

 紛うことなき、高校生的青春を『彼ら』は、満喫している。

 大和は、そんな光景を傍から見ていることしかできない。

 誰かに話しかけられても笑うこともできず、気の利いた返事も、ウィットなジョークも、クールな素振りもできないから、遂には大和に接触を試みようとする者は誰もいなくなり、そうして高等学校の精神的絶海の孤島に身を置いていると、周りの楽しそうに青春を謳歌している連中は皆、頭のおかしい愚か者にしか見えなくなってくる。

 俺が一人で、こんなにも暗くて孤独な気分に陥っているのに、何であいつらは愉快に馬鹿笑いしているんだろう?

 俺にも話しかけてくれれば良いのに!

 どうして俺のことを気遣ってくれないんだろう!

 まったく、忌々しい連中だ!

 緒方大和は、楽しそうにしている他人の姿を恨み、妬み、呪いこそすれ、だが決して、自分からその輪の中に入っていこうとする意志は持たなかった。

 自分を少しでも受け入れてくれない連中は、皆、無意味な、『価値の無い人間』に見えた。

 その実、本当は誰よりも人の温もりに飢えている。

 かといって自分から人の温もりに触れようと、接していこうと、自発的に動こうとはしない。

 こうした大和の考えは、他人から見れば、典型的な、誤りに満ちた孤独者の思考であったろう。

 しかし彼は、じゃあ交友関係をふいにしてでもせめて勉学に励もう、という考えにも至らなかった。

 ただ、もう何もかもが嫌だった。

 うまくいかない毎日。

 報われない毎日。

 助けを求めるばかりで、自分からは何もしようとしない臆病な毎日。

 そして、周囲にいる人間を……否、目につくすべて、自分以外の外界世界のあらゆる総てのものを、ひたすら呪詛し続けていく。

 残念ながら、それが大和という高校一年生の男子生徒が迷い込んだ青春の暗黒回廊であった………………


「………………故に、彼は毎日毎日、灰色の瞳で、奴隷の日々を送っている。いつか誰かが、自分を救ってくれる、そうした淡くも身勝手な希望を抱きながら」

「何、地の文読んでるみたいに言ってるの?」

 すっかり立ち直った遊乃卯が、道の先をトボトボと歩く人物の身の上話を語り口調でしていた銀河に、ツッコミを入れた。

 ここは戸外。

 城所親子は早朝尾行を行っている。

 尾行対象は先述のとおり、緒方大和という、限りなく鬱々としたオーラを漂わせて登校路を歩んでいる髪の長い男子高生。

「む……だが事実だ。俺はあるがままの、奴の現状を述べただけだ」

 銀河は物陰に隠れるように、通学中の大和の後方に距離を取って、遊乃卯に話して聞かせている。

「そうなの? ずいぶん人のこと、好き勝手言っているように聞こえたけど?」

「俺がただあいつの悪口を言っているのだと思うんなら、お前の持つ未来の道具を、大和に向けて見ろ。その、マジックチューブをな」

「人格器量値測定器だもん!」

 遊乃卯は怒鳴り返しながらも、さっき銀河へと向けた、人間の器量が測定できるらしい円筒状の機械をツナギのポケットから取り出した。

 ボタンを押して、数値をリセットさせる。

 真紅から無色へと変わった筒を遠目から、猫背の男子高校生へと向け、測定を開始する。

「モンデュー……」

 チューブは再び、イイカンジに真っ赤に染まった。

「な? 言ったとおりであろう? 俺はあいつのことなら何でも知っているのだ。大和少年の苦悩はすべて、ね。何故なら俺たちは幼馴染にして、無二の親友だからだ。年季が違うのだよ、フフン」

「アロ~~~」

 遊乃卯は軽い頭痛の症状を覚えた。

「俺の知る限り、あいつは学校で完全一人ぼっちだ。いつも下を向いて、どんよりした顔をしている。そうして懲罰に耐え忍ぶ受刑者のように、一日の学園生活を無為に過ごしている」

「でもそれが本当なら、ずいぶん甘い考えに見えるの」

 遊乃卯も、少し先を歩く大和という男子高校生を眺めながら勝手なコメントをする。

「だって、自分から壁を作って他人を遠ざけてるのに、そのくせ、他人からは優しくしてほしいだなんて……虫が良いにもほどがあるの。人間関係を築きたいなら、まずは自分から努力しなくっちゃいけないのに」

 すると、銀河が満足そうな面持ちになった。

「おお、我が娘よ、初めて真っ当で建設的な、見上げた意見を言ったな」

「ユノの意見はいつだって建設的ッパ! これでもね、未来の施設にいた時は色々あったの」

「やはり、じゃじゃ馬娘だったのか? 施設の皆さんの手を焼かせていたのか?」

「どういう意味? 皆とは仲良しだったよ。コミュニケーションの取り方とかまで、しっかりエチュードがあって、その時に色々勉強したってことなの。例えば……」

 遊乃卯は自身の会得してきたノウハウをひけらかそうとしたが、銀河はまるで興味を示さない。

「それよりも遊乃卯、大和から目を放すな」

「ちょっと! また遊乃卯のことを…………ん? てぃあん、誰かと話、している?」

 見ると、前方を歩く大和は、三人の大柄な男たちに、その行く手を塞がれていた。

 緒方大和の前に立ちはだかるは、ダボダボの服にスキンヘッドの大男、浅黒い肌にドレッドヘアの大男、金髪にジーパンを履いた大男、計三名の、いかにもガラの悪そうな巨漢のメンズたちである。

「いよぉ、俺らクラブ帰りでさー、派手に使っちゃったから、ちょっと欲しいんだよね」

 そう言うと、金髪ジーパンは、大和の制服のズボンのポケットに断りもなしに手を突っ込む。

 大和は抗うこともせず、ただ黙って直立不動の姿勢を保っている。

 体毛の多い太くて豪快な男の手が、大和のポケットから財布を取り上げ、ヒョイっと、中から数枚の札束を抜き取った。

「うわ……追い剥ぎだ」

 遊乃卯は目撃する。

 決定的な犯罪の現場と、大和の不甲斐なさを。

「いやぁーいつも悪いわー」

「また今度も頼むぜェ、やまっちゃん! じゃあなァ~」

「なァおい、金入ったし、今からまたどっか行かね?」

 遊乃卯の、曇りを知らぬ愛らしい両目は、しかとこの一連のやり取りを捉えていた。

 スキンヘッドの男が、去り際に下卑た笑いを浮かべながら、大和の尻を触っていったことも含めて。

 そう。今、正に、緒方大和は三人の卑しいマッチョ集団に、致命的なほど無抵抗に己の財産を明け渡してしまったのである。

 これぞ、弱肉強食の法則を最も簡潔に現代社会で証明している図式。

「ヒドイことする奴がいるなぁ。2015年のニッポンは、未来より平和かと思ったけど、実際それほどよくない治安してるッパ」

「違うぞ、自称未来少女よ」

 が、銀河が旅行者の偏見に反駁する。

「この現代日本……2015年の東京都江東区は、早朝から追い剥ぎや通り魔がうろついているような物騒な町ではない。さっきの連中は、定期的に大和の通学路に現れて、ああして援助金を失敬していく常連さんなのだ」

「ケスクセ! 意味わからないッパ!」

 ところが、この遊乃卯の未来語による感嘆詞が騒がし過ぎたのか、財布の中身を抜き取られたばかりの大和が、後方にいた二人の存在に気が付いてしまった。

 同じ、高校一年生の男子と、同じ、十代半ばと見受けられる少女。

 よもや親子関係にあろうとは到底思えない、同じ年頃の、男と女の姿。

「銀河……」

 大和の声。

 錆びついた鉛のように、暗く重たく、覇気のない沈んだ声音。

 少しの距離を隔てて、遊乃卯は知覚した。

 大和の全身。顔。暗澹たる双眸。

 銀河とは真逆の、淀んだ、陰鬱な雰囲気を漂わす佇まい。

 伸ばした前髪で隠れがちな目元には、光が宿っていない。

 暗く、黒く、昏い、絶望という名の雲気に覆われているかのような総身。

(こ……この子が、銀河の親友? なんていうか、あまりにも……)

 遊乃卯は不安感すら感じてしまった。

 緒方大和の全身から放出されている負の気配に中てられでもしたのだろうか。

(なんだろう。この、不安な気持ち。……で、でも)

 銀河は、この大和とは親友だと言った。言い切った。

 友達に会えたのだから、たとえ不当な暴力行為を被ったあとだとしても、少しは明るい顔になってくれるはずだ……そう、遊乃卯は予想した。

 彼女は友情を夢見ていた。

 生まれ育った施設には、職員はいても、親友と呼べるような、同世代の友人は一人もいなかった。

 遊乃卯は友情を、読んだり観たりした『物語の中でしか知らない』少女だった。

 だからこそ、友情に憧れを抱き、時には過度な妄想まで働かせてもいた。

 特に、男子同士の友情は、何よりも素晴らしく、力強く、輝かしいものだ。そうに違いない!

 銀河と、大和の友情も、きっと、そうに違いない。

「何、してるんだよ?」

 が。

 大和の語調は、やつれきった声であった。

「おはよう、大和」

 反して、銀河は水星のように暖かな声音で返す。

「気分はどうだ? 今日もまだ寒いな。春までもう少しといったところか」

「いいわけないだろ」

 太陽光の当たらないクレーター部分よりも冷え冷えとした大和の返事。

「む……そうか。ところで、なあ、少し髪を切ったらどうだ?」

 銀河は依然、明るい調子で続ける。

「長髪もアリだと思うし、ロングヘアーの男子が好きな女はいっぱいいる。だが、今のお前の髪の伸び具合は、明らかに散髪に行くのを怠っているようにしか見えないぞ」

「うるさいな」大和は顔を逸らし、忌々しげな声で、「朝からオシャレチェックかよ。俺はお前みたいなイケメンじゃないんだよ、ほっといてくれ」

 ところが、この発言を受けて、銀河は唐突に、場違いなほど憤然となって反論を始める。

「それは違うぞ! 間違っている! 俺は断じて『イケメン』などという種族ではない!」

 大和の評価を取り下げんとするかのように、銀河は大音声で訴える。

「いいか? 人の見栄えの良し悪しは、決して生まれながらに決まるものではない! 生まれながらのイケメンなど、この世に存在しないんだ! これを俺は力説したい! そうだ、よく聞くんだ! どんな奴だって、工夫とコツを掴めば、人から愛される見た目になることはできるんだ! 何もそこに、多額のブランド品を購入する費用や、エステサロンへの湯水のような投資をかける必要はない。大切なのは、その人の外見に予め含まれている、美しさの原石、それをその人なりに磨き上げる作業なんだ! 重要視すべきは、個人個人に見合った、独自の磨き方の研究だ!」

 往来で、銀河は人目も憚らず演説を続ける。

「通り一遍なオシャレの講釈を鵜呑みにしてはいけない! 人の美しさは千差万別で、何もゴテゴテと飾り立てる必要はないんだ。ほんのちょっと、その人の『美しさの最高値』に近づけてやれればいい。自分だけの、手軽にカッコよく、かわいくなれるスタイルを、探究して、それを実践するだけで良いんだ。この俺がそうだ! この服だって、何も高級な生地で出来てなどいない」

 銀河は着ていたコートを一思いに脱ぎ捨てた。

 重々しい外套が地面に転がる。

 同時に銀河の、細見にフィットした、華美ではない黒服が露わとなる。

「簡素でも良いから、自分に似合ったスタイルを見つけること。それが今の俺だ! 誰でもできる。探して、見つけ出してやればいいんだ、ほんのちょっと、自分を愛したくなるような、些細な変化を……遊乃卯も、見たであろう? 目覚めたばかりの俺の不細工な姿を。あれが俺の本当の姿だ。それをシャワーと少量の整髪剤、その他ちょっぴりの液体で、ここまでマシな姿にしてあるだけだ」

「え……ま、まぁ」

 急に同意を求められた遊乃卯は、不明瞭に答える。

「けど、そのためにユノは、一時間弱も待たされたわけだけど……」

 確かに城所銀河は、スマートでシャープに引き締まった姿が朝の日差しに映える、好青年の名を冠するに相応しい美貌の男子であった。

「生まれながらのイケメンなどいない! 等しく、生まれながらの不細工も存在しえない! どちらも後天的に、人の意志と、工夫と、愛を加えることで、いかようにも変化と進化が可能だからだ!」

 もっとも、道端で堂々と恥かしいアジテーションをしていることで、すべて台無しではあった。

「なんだよ……銀河、その女」

 がしかし、大和は銀河のせっかくの美のアドバイスに耳も貸さず、銀河が示したキュートな少女・遊乃卯を、呪うような眼で見やった。

「……ん? 遊乃卯のことか? ああ、先ほどから、お前のことを教えるために、こいつと尾行させてもらっていたんだ。この遊乃卯はな、お前の……」

「さっきから?」

 大和に、これ以上の銀河の発言は届かない。

「さっきからだと? ふざけんなよ……見てたんなら……何で、助けてくれなかったんだ! クソが!」

「……大和?」

 大和は怒りをぶちまける。

 銀河に詰め寄り、責め立てるように、訴えるように、大声を上げる。

「どうして! 助けてくれなかったんだ! 見て見ぬフリかよ! なんなんだよ! カノジョができたって、俺に見せびらかしにきたのかよ!」

「それは大きな間違いだ! あれはそう言った類の関係じゃない」

 銀河は襟元に掴みかかってきた友の顔を見ながら告げた。

 されど、このありがちな否定の文句は、大和の逆鱗を更に不快に逆撫でる効果しか生まなかった。


「ごまかすなよ! このリア充野郎! 死ね! 死ね! リア充死ね! 今すぐ死ね! 女に惚れられる男は死ね! リア充とか、観てて気分悪くなるだけだろ! 早く死ね! 今すぐ死ね! 意味不明に女に惚れられてんじゃねぇ! お前だけがモテてんじゃねぇ! 死ね! 死ね! リア充は早く死ね! この世から消えてなくなれ!」


 城所遊乃卯は、次元を問わず『女性から愛される男性すべて』を対象に極刑を求刑する緒方大和の血走った双眸を目の当たりにし、悪寒にも似たゾッとするものを感じた。

 彼女は、大和という同い年の男子学生を見て、得も言われぬおぞましさを感じてしまった。

 端的に言うと『引いた』。

(この世から消えてなくなった方がいいのは、この子の方じゃないかな)

 遊乃卯のドン引きなどまるで顧慮せず、痴態を衆目に晒すことも憚らず、緒方大和は咆哮を続行する。

「俺を笑いモノにして、何が楽しいんだよ! みんな、馬鹿にしやがって! 俺がどんだけ苦しんでるか、わかってるはずだろ! どうして、助けてくれないんだ! 助けてくれ! 銀河! 俺を助けてくれよ! 救ってくれよ!」

「……」

 胸ぐらを掴まれた銀河は、だが、もはや何も答えようとはしなかった。

 いつからか、銀河は沈黙を貫いていた。

 辺りを歩いていた通行人たちも、当初は何の騒ぎかと野次馬の体をなしていたが、そのうち飽きてしまい、それぞれの道筋を辿る歩行に戻っていった。

 遊乃卯も、何も言わず、何も言えず、ただ、理不尽な怒りをぶちまける大和の度し難い醜態と、それを無言で受け止める銀河の謎めいた態度を、居心地悪く見守っていた。

 やがて、一通り憤りを散布し終えた大和は、長い前髪で目元を隠し、銀河の胸にうな垂れながら、力尽きるように、こう吐いた。

「……っていうか、何でお前、私服なんだよ」

 大和と同じ男子高校生、城所銀河は、何故か私服を着用していた。




この少年を、如何にして救うというのか!?

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