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第七回 【凡庸さの欠片など、宇宙塵ほども見受けられない】Part4

 ガラステーブルの間に、真空状態が生じた。

 言って、しまった。

 自ら、言ってしまった。

「美しい……。そう、俺は自分のことを、自分で美しいと言える人間だ」

 遊乃卯はあんぐり口を開けて、硬直してしまっている。

「遠い過去には、醜い時代もあった。だが、今の俺は美しい。美しいと、自分で自覚している。何もかもを憎んでいるイジケ虫が、こんな境地に果たして到達することができるだろうか?」

 遊乃卯から、質問に対する回答能力が損なわれている。

「もちろん俺は何も、自分一人だけが、世界で一番美しい人間だとは思っていない。俺よりも美しい人間はたくさんいる。ごまんといる。数え切れないほど、『俺以上の美しい人間』が、この世界には溢れかえっている。だが、人生から暗黒を少しでも取り除いて生きていくために必要不可欠な『冷静で客観的な目線』を用いて己の姿を精査した結果、どう転んでも、俺は『美しい男』の部類に入ってしまう人間なのだ。こんなことを論じたら、なるほど、俺はさぞかし自分に酔っている、自信過剰な自己愛過多の少年に見えるかもしれない」

 遊乃卯は呆れ果ててていた。

 既に一連の発言で充分、自信過剰だと思われても仕方ない……が、確かに今の銀河の姿は不細工ではないし、何よりこの根拠のない自信満々さが、容易に反論を許そうとしない。

「ところがだな、精神分析学の入門書の第一章にでも書いてあるだろうことだが、自分で自分を美しいと感じられる人間こそ、人生を明るく、望んだとおりに生きていくことができるものなのだ。自分を愛せるから、他人も愛せる。恋愛を成功させるのに必要なのは、まず自分を好きになること……。もちろん、こんな当たり前の常識は哲学の範疇にすら入っていないぞ。その上で、お前のぶしつけな幻影と、誤謬と、錯覚を、木端微塵に粉砕するために言ってやろう……」

 銀河は、北極星を凝視するような目線になって、尚一層、語調を強めて宣言する。


「俺は『嫁』など欲していない! 恋愛などと、そんな下等なことにかまけている時間的余裕など、俺は、一秒たりとて持ち得ていない!」


 遊乃卯は開いた口が塞がらなかった。

「待て! ナルシストと呼んではいけない!」

 銀河は激しい剣幕で、サッと細い右手を前へと突き出す。

「これは、お前が見誤っているから、あえて言ってやったことだ。俺は自分が美しい類の男であることを、顕示したり主張したりするつもりはないし、恋人を作る気が毛頭無いのは、俺一人で既に自足しているからだ!」

 銀河の英雄的恋愛放棄宣言に、遊乃卯は思わず床に跪いて両手をつき、頭を垂れてガックリの仕草をした。

「もう、諦めるんだな」

 床に膝をついている少女に、追い討ちさながらの言葉を浴びせ掛ける銀河。

「お前の城所銀河改造計画は、現時刻を以って破綻、頓挫となった。俺に改善の余地などない。はじめから、完成されているのだよ、俺という人格は。お前の企みは決して叶えられない。水泡のように潰えて消えるさだめにあるのだ」

 それは敗者への鞭打ちであった。

 未来から鼻息荒くタイムスリップしてきたつもりの愛らしい少女は、度重なる過去世界の父親からの徹底的な仕打ちを受け、遂に精神的体力ゲージを削りきられてしまった。

 床にうなだれて途方に暮れてしまっている彼女の、伸ばした明るい色のストレート髪が、肩の辺りから幾つもの束に乱れて垂れ下がっている。

「じゃあ……ユノは、何のために……ここまで来たの?」

 無数にヒビの入ったガラス片のような痛ましい声で、遊乃卯は訴えを漏らす。

「何のために、ここまでしてきたって言うの? 何のために、隔離施設の皆にお別れ言って、二度と戻れないのを、泣かないようにガマンして、三十年前のこの時代にタイムトリップして、夜中中必死になって、この家までやってきたっていうの?」

 遊乃卯の声が、小刻みな震えを帯びていく。

「物心ついてからずっと、自分のパパがしたことをやり直しさせるために、ただそれだけのために生きてきた……。友達も、学校もない世界で、ただそれだけのために……こうして、過去の世界にやってきて、歴史を修正するために、今までずっと、やってきたのに……。全部、意味の無いことだったって言うわけなの?」

 遊乃卯は立ち上がり、唇を噛み締め、目元に涙を溜めながら、真っ直ぐに銀河を睨みつけて、感情を目一杯ぶつける。

「教えてよ! 何のために、ユノは今まで生きてきたの!」

 何のために、生きてきた?

 何のために、生まれてきた?

「ユノが未来でずっとがんばってきたことが、何の意味もない、無価値なことだって言うの? ユノはどうして生まれてきたの! ユノが今までの人生でやってきたことが、みんな意味のないことだって言うの? ユノはこれからどうすればいいって言うの!」

 城所遊乃卯の両の眼から、太陽の雫のような大粒の涙が零れ出でた。

 彼女は悲しかった。

 悔しかった。

 辛かった。

 銀河は自分の話を真面目に聞き入れてくれようとしない。

 だけど、もう自分は後戻りできない。

 悲惨な未来を変えなくちゃいけないという責任感。

 不安と無力感と、憤りと怒り。

 なのに、その責任感と使命感が、対象の人物から『全くの無駄』だと烙印を押され、生きる意味すら強奪されてしまったような心地。

 十代半ばの少女には、あまりに過酷な現実であった。

「もう、戻れないんだよ、ユノは! 未来の世界には戻れない。この時代に、そんな科学技術はないの!」

 遊乃卯は健康的な髪を振り乱して、童女のように泣きじゃくる。

「だから、二度と戻れない、覚悟、して……絶対に、未来を変えてみせるって、みんなに、約束して、ここまで……ゥ、きた、のに……ぁ、ぅわわあああああああああん」

 穢れに染まってない繊細な白い指先で、遊乃卯は目許を拭おうとするも、涙は次から次へと、止め処なく溢れてくる。

 もう、意味を為す言葉を喋ることなんてできない。

 今は感情が氾濫し、ただ、嗚咽を上げることしかできない。

 自分の人生を懸けてしてきたことが、すべて無意味だったと通告された、その圧倒的な絶望感と悲愴感。

 いや、自分だけではない。

 未来の世界、イヴを筆頭に、彼女を大切に育ててくれた施設の人たちへの想い。

 現在の世界、自分が救わなければならない、この国の人たちの未来。

 それらを考えると、膨大な桁の感情の波浪が、一気に遊乃卯に向かって押し寄せてくる。

 そのすべてに、ただ泣くことでしか応えられないと知った時、彼女の悲しみは、果てしなく深い、あらゆる光を飲み込んでしまうほどの深遠なる哀切となってしまった。

「やあああああん、やだあああああうわああああああああああああん」

 天を貫かんばかりに嗚咽を上げる遊乃卯のことを、しかし、銀河は冷静に見守っていた。

 彼には考えがあった。

 また、優しさもあった。

 泣きじゃくる少女の悲惨な境遇を理解し、斟酌し、受け入れてやるだけの余裕もあった。

 故に、ほんのしばし、一思いに泣かせてやってから、銀河はそっと声を掛ける。

「……わかった、娘のピンチを救うのも、父の仕事だ。お前が自分の人生を無為にしないために、俺が施しを与えてやろう」

 遊乃卯は銀河の意味深な一言に、ぐしょぐしょになった顔で、それでも俄かに泣き声を和らげ、未来の父親らしき人物の、次の言葉を待った。

「お前も、誰かを救わなければならないという業を背負って、長い苦難の旅路を歩んできたのだ。それをすべて不毛にしてしまうほど、俺も鬼ではない。救いたいのなら……救わせてやるさ」

 銀河の達観した物言いに、遊乃卯はいまいち要領を掴めない。

 ヒックヒックと、いじらしい泣きじゃっくりをするばかり。

「つまり、お前は俺を救うために三十年もの時を越えて、はるばるこの過去の世界に飛んで来たらしいが、俺に『救い』は、全くと言っていいほど必要なかった。だが、それではお前の気が収まらない。ならば、『救い』の対象を変えてやればいい」

「く……クヮ? ど、どゆこと?」

「さあ、泣き止め。気高き城所家の血を引く娘、城所遊乃卯よ。お前の宿命は、対象を変えて達せられるのだ。丁度、恰好の人材がいる。そいつを救済することで、お前はこの世界に生まれてきた意義を手に入れられるはずだ。お前はちゃんと、誰かを救う救世主的未来少女になれるのだ」

 まだよく意味はわからなかったが、銀河が仰々しくも優しい言葉を掛けてくれるので、遊乃卯は次第に、小さな希望の光を見出せるようになった。

 自分は生きていても良い人間だと、『生きるに価値のある人間』だと、この世に生を受けたことに確かな必然性があったと、実感できた時、保障された時、承認してもらえた時、人は大いなる希望を手に入れることができる。

 銀河の代替案には不明な点も多々あったけれど、自分の生を肯定してもらえた遊乃卯は、それだけでもう嘆き悲しむことをやめていた。

「よし、泣き止んだな。それで良い。お前は誰かを救うために、この世に生まれてきた……。そのことに何ら間違いはない。狂いはない。だから、お前がこれから救うべき人間を、俺が紹介してやる」

「しょ、紹介? いったい、誰を……?」

「知らんのか。無理もない。それは……俺の親友だ」

 銀河の親友。

 勿論、そんな人物の存在を、遊乃卯が知る由もなかった。

 何せ、友達の一人もいないコミュ障少年だと、己の父親像を知らされていたのだから。

「アミアンティム? そんなに仲の良いお友達、いたの?」

 親友の実在性を疑う遊乃卯に対し、銀河は僅かな間を置いて返答をする。

「……いるさ。俺の親友だ。俺たちはずっと仲良しだった。小さなガキの頃から、ずっと……な」

「ボン……それってちょっと、すてき」

 遊乃卯の胸の中に、ほんの少しの温かさが灯った。

 男子の友情。その熱い絆。

 銀河が幼い頃より親友だったと告げる、その相手とはどんな男の子なんだろう。

「ずっと親友だったさ。それは今も変わらない」

 銀河は屈んでいる遊乃卯から目線を外し、部屋の外を……あるいは窓外に浮かぶ過去の情景を瞳に映すかのようにして、呟いた。

(ずっと仲良しだったってこと? そんなに長い間、友達がいるなんて……羨ましいな。ユノにはそんな人、いなかったし)

 親友というキーワードに、 温情を憧憬にまで昇華させつつあった遊乃卯だったが、その温度の上昇を妨げるかのように、銀河は冷然と命じる。

「さあ、わかったら、今からその親友にお前を会わせてやる。俺はコートを取りに行くから、先に玄関に出ていろ」



次回、いよいよ幼馴染の親友登場!

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