第六回 【凡庸さの欠片など、宇宙塵ほども見受けられない】Part3
遊乃卯は前情報として、この城所銀河という父親は高校時代、とんでもない腑抜けだったと聞かされていたから、朝一発目の『なりきり! 幼馴染の美少女が起こしにきたぞ、このやろう♪』作戦で、呆気なく自分の言いなりにできるぐらいの攻略難度だと見做していた。
(なのに、こいつったら、まるでこのユノのことを特別視しようとしないッパ! 絶対におかしい!)
遊乃卯はかわいらしい額に汗を浮かべながら、尚も攻勢に出る。
「わ……わかった! やっぱり信じてないッパ? ユノのこと、頭のおかしいやつだと思って、あしらおうとしているんだね」
「いや、俺は早速、自分の娘のよくないところを直してやろうと……」
「あーはいはい、じゃあちゃんと話すもん!」
今度は遊乃卯が相手の話を遮ってみせる。
「ユノはね、観光をしにわざわざ過去の世界まではるばる来たわけじゃないの! 大いなる使命と、悲劇の運命を背負っているの! ユノは、未来の科学技術を結集した超すんごい方法でもって、我が城所家の……そして、このニッポンを救うために、この時代へ飛んできたの。ダコー?」
「何が『ダコー?』だ。我が城所家と、この日の本の国。どっちを救いに来たんだ、お前は?」
「それは両方なの!」
どうでも良さそうに揚げ足取りをする銀河に対し、遊乃卯は子どもっぽい叫び声を上げて答える。
「本当は本人の前ではスゥクレにしとけって言われてたけど、あんまりに伝わってないみたいだから、もう言ってやるの! 良い? 城所銀河! あんたは今から数年後、城所家の当主となって、大企業の椅子に座り、とてつもない権力を手に入れるの!」
「そうだな、少なくとも城所重工の次期取締役会長の椅子は、もう俺のものと確定している」
未来のCEOは、朝刊の経済面をしげしげと眺めながら、極めて事務的な口調で返した。
「それが大問題なの! 城所銀河は、他人の気持ちも理解できず、平気でロートルを傷つけて顧みない。常に自分の願望充足のことしか頭になくて、外見も中身も、良いところなんか一っつもなくて、根暗で陰険で、人付き合いも苦手で、少しのことですぐに傷ついちゃうくらい意志薄弱。それなのに、自尊心だけはやたら高く、いつも他人より勝ってないと気がすまないという性格で、そのくせ努力をしようともしないから、学力も乏しく、見識も浅い。トレマルトレマル! もちろんそんなんだから、女の子にも縁がないし、恋人もできなければ結婚も絶望的! はっきりとはわかってないけど、このユノは、お金と取り引きでできた娘だって言われてるぐらいなんだもん!」
「一体、誰の悪口を言ってるんだ? お前は?」
「あんただよ、あんた! 銀河! 城所銀河! ユノが、物心ついたときには既にこの世にいなかった、この実の父親の話を聞かされた時、どんなにトレショックだったか、想像できッパ? 『自分の母親の存在のことを考えてはいけません』て言われた時の、ユノの心の傷、あんたにわかるの?」
銀河は新聞の文面を目で追いながら、退屈そうにあくびをかました。
「そんな人間のクズみたいなやつが、大企業の大社長になっちゃうんだもん。しかも、その企業は怪しい非公開組織を、裏で幾つも抱えてる! これがどういう結果を引き起こすことになるか、わからないの?」
「わからんな。お前の話の、一から十まで」
丸っきり人事といった風情の銀河の態度に、遊乃卯は大激怒して、透明のガラステーブルに勢いよく両の掌を打ちつけた。
コーヒーカップから、黒い液体がピュッと飛び跳ねる。
「頭と心がマックスおかしくなった城所銀河は、ニッポンを含む近隣諸国、すべての核施設や核兵器を同時爆破させてしまうの! この国は業火と放射能に包まれて全滅! 大気中には汚染物質が溢れ、草木は枯れ果て、どんな生物も生きていけない地獄の世界となってしまったの! そのおかげさま、ユノはドームで隔離された施設で育ったんだから!」
どうやら未来で日本壊滅の偉業を成し遂げるらしい城所銀河は、己の架空の所業を聞かされ、端的に感想を述べる。
「手塚治虫や星新一の読みすぎだな。リスペクトは俺もしているが、この西暦2015年のカルチャーでは時代遅れ……少々アンティーク臭のするSF設定じゃないか? そもそも、核兵器の同時爆発なんて、現実的に不可能な話だ」
「設定じゃないッパーーーーーーーー!」
と、遊乃卯はヒステリックに喚き散らし、何かをツナギのポケットから取り出す。
「これを見るの!」
遊乃卯が作業着のようなポケットから取り出したのは、チューブ状の、何某かの部品のようなものだった。
「未来の世界では、いろんな研究成果のお陰で、この時代では計測できなかった数値も、観測できるようになるの! その一つが『人格器量値』……そしてこのテューブは、その『人格器量値』を計測する機械!」
銀河は新聞の縁を折って、遊乃卯の手の中にある金色の筒に目を向けた。
外見からは何の変哲もない金属のチューブに見えるが、彼女の言葉を信じるのならば、恐らくは現代の科学水準では計り知れない、未知の技術が凝縮されているものなのだろう。
遊乃卯は未来の発明品であるらしい、その金属のチューブを、トーチライトを照らすかのように銀河の方へと向けて、側面についたボタンをカチッと押した。
チューブが、採血をする注射器のように、みるみる紅へと染まっていく。
「てぃあん! この真っ赤な色を見るの! これはあんたの『人格器量値』が、とんでもないテリィブルだってことなの!」
真紅に変色した金属の筒を握りながら告げた遊乃卯に対し、銀河はあくまで平静を保って問う。
「それはどういう意味か。お前が言う『人格器量値』とかいう耳慣れない単語の意味も含め、80文字以内で説明しなさい」
「な、何を偉そうに…………『人格器量値』ってのは、分りやすく言うと、その人間のパーソナリティ、性格、人間性を数値化したものなの。このテューブは、その数値を計るものなんだけど、こんなに真っ赤になるなんて、異常値なの! 普通、軽犯罪での逮捕歴がある人間でも、せいぜい黄色かオレンジぐらいなのに、ここまで赤く染まるってことは、膨大なケタの負の数値ってことなの!」
「む……154文字だ。お前は74文字も文字数をオーヴァーして、俺の問いに答えたのだ」
「ユノの話、聞いてたの? 何、文字数とか計算してるの! そんなもん、どうでも良いッパ!」
「どうでもよくない。たとえ内容が正しくても、一文字でも規定の数量からはみ出してしまったら、失格と見做されるんだぞ。限られた数値の中で要点をまとめ上げる能力も問われるんだ」
「何の話してるの! そんな数値より、あんたの数値の方が異常だって言ってるの!」
「実の父親を『あんた』などと呼ぶのはやめろ。その汚い言葉遣いを、今すぐ改めろ」
「父親! モンペール!」
遊乃卯は天を仰いで愕然となった。
「ああ、ユノのパパは、やっぱりとんでもない腑抜けだったよ、イヴ!」
見ようによっては芝居臭いともとれるこの慨嘆の叫びを受け、だが銀河はスイッチでも入ったかのように口を開く。
「待て。イヴだと? それはもしや、未だにワームホール式時空遡行の研究をしている、あの偏屈な田舎科学者のことか? そうか、未来ではあいつも我がグループに……」
「イヴぅ! エデモワぁ! パパは聞かされてた通りの歪んだ性格! ユノ、こんな奴の娘でいるのが恥かしくって、今にも死にたくなってくるの!」
銀河のイヴに関する質問などまるで耳に入らず、天井に向かって嘆きの声を放つ遊乃卯。
「ひどいやつ! ひどいやつ! 人間の廃棄物だよ、イヴぅ!」
「そんなにも貶めてやりたいのか、お前は」
「何度でも言ってやるもん! 城所銀河は、世紀の腑抜けギャルソンで、自分の悪いところを直そうとせずに、世の中を恨んでばっかり! こんな人格器量値の最低な人だから、将来権力が手に入ったときに、ニッポンを滅茶苦茶にしてしまうのも、納得できちゃうぐらいなんだもん!」
「なるほど、それは大変だ」
銀河は他人事めいた素振りで、砂糖をたっぷり入れたコーヒーをすすり、感想を述べた。
「ああ、だからユノは、そんな父親の根性を叩きなおして、何とか他人を無闇に傷つけない、真っ当な人格器量値の人間に修正してやって、ついでに……ちゃ、ちゃんとしたお嫁さんも……見つけてあげなくっちゃいけないのに!」
いたたまれないほど可憐な表情で嘆き続ける遊乃卯に対し、だが銀河は、コーヒーを嚥下した後で、鋭く問い返す。
「嫁……と、言ったか? 俺の、交際相手を、お前が探すだと?」
「言ったの! だって、こんな腑抜けたジャメ人間が、恋愛なんて、ロクにできるわけないし、結婚も、夢のまた夢ッパ? でも、す、す、好きな人ができれば、人格器量値は……多少は正常値へと変わっていくもん」
恋愛絡みの件になると、遊乃卯は急に、恥かしそうな口ぶりになった。
恋愛未経験の初心な少女によく見られる徴候であったが、それに対する銀河の返答は、そんな面映さなどまるで顧みない、超然としたものであった。
「誰が、恋愛もロクにできない、腑抜けた駄目人間だって?」
城所銀河は、新聞をキレイに四つ折に畳んで、テーブルの上に置いた。
そして、すっくと立ち上がった。
程好い長さの髪を右から斜めに流している、クールなヘアスタイル。
怜悧に開眼された、コスモの深淵を思わせる知的な瞳。
月の地表のように白くて汚点のない肌。
身にまとう黒いワイシャツは、ワンポイントの紋様が僅かに入っているのみで、シックにきまり、ピッタリと細めの肌にフィットし、生地の素材を飛び越えた高級感を漂わせている。
第一ボタンをあけているが、そこから覗く骨ばった胸板の世界は、禁断の領域を思わせる魅惑的なチラリズムを呈している。
何より背筋をピンと伸ばして直立する彼の、そのシャープな全身から、異様なほどの自信と気高さが放出されている!
「いいか、遊乃卯。お前の言いたいことは大体理解できた」
人工の好青年、城所銀河は両の腕を組んで、諭すように、木星の如き雄々しき声音で、未来人と自称する自分の娘に言って聞かす。
「古今東西、未来からやってきた人物というのは、ロボットであれ、天使であれ、掲示板書き込み者であれ、スケボー少年であれ、過去の世界にいる寄る辺無い人物を救ったり励ましたり、過去の人物の力になったり助言をしたり、あるいは過去の人々に訓戒を垂れたり……まあ、なんにせよ、過去の人間を救おうとするのが王道だ。お約束の展開だが、お前がやろうとしていることも、その類型にある。だが、単刀直入に言おう。俺に『救い』が必要に見えるか?」
銀河青年は、愛くるしい未来人に、挑戦的な笑みを向ける。
「寧ろ、救いが必要なのはお前の方に見えるぞ?」
「そ……そんなこと言ったって! ユノの話、ちゃんと聞いてくれないし」
「それは俺にとって、『聞く必要のない情報』だからだ」
銀河は遊乃卯の申し立てに対し、真正面から回答をする。
「考えてもみろ? お前がやったことを……。俺がお前の父親であるにせよないにせよ、お前は初対面の相手に向かって、クズだ腑抜けだと散々言って罵倒し、この世の害悪と決めつけ、だから自分に救済させろと、あまりに一方的に押し付けてきたんだぞ? これが、まともな人格の持ち主が早朝から取るような行為といえるのか? お前のしている行動こそが、いかにも歪んだ性格の持ち主がやりそうなことだと謗られても、文句は言えないんじゃないか?」
遊乃卯は何も言い返せなくなる。
「それに、お前は俺を、腑抜けた無能力者で、恋愛のできないヘタレ男だと言ったな。世の中を逆恨みしてばかりの、報われない最低の男だと」
凄みを利かせた声調で、銀河はありったけの罵言を浴びせ掛けてきた遊乃卯へと迫る。
遊乃卯は眼前に佇立する、背の高い銀河を見上げるようにして、徐々に怯えたように目を見開いていく。
恐れが、ふつふつと募ってくる。
もし銀河が、何らかの報復に出るのだとしたら、自分にはそれに抗するだけの力はない。
遊乃卯は生まれて初めて、『父親の威厳』というものを目の当たりにし、それに底知れぬ恐怖と焦慮を感じた。
だが、銀河は暴力行為に出るわけではなかった
「……本当は、こんなことを自ら言うなど、まるで馬鹿げている、狂気の沙汰なのだが……。お前がどうしても納得しないようなので、俺はあえて禁を冒して、お前に言ってやろう。さあ、俺を見なさい、我が娘、城所遊乃卯よ」
「く……クヮ? な、何?」
城所遊乃卯は、命じられるままに、未来の自分の父親であるらしい城所銀河を凝視した。
銀河はゆっくりと、地球の公転速度を思わせる錯覚性で、言葉を発する。
「俺、美しいだろ?」