1-1 はじまり
浜野は尻もちをついていた。
眼前に立つそれなりに美しい金髪の女性が言った。
「あなたはゆうしゃでーす、レベルあげてとっとと魔王たおしてよー」
しかし耳には入らない。
浜野は目の前に広がる非現実的な風景と、非常に不可解な状況に飲み込まれてしまいそうだった。
けれど、今はそれどころではない。
「棒読みかよ!」
これは多分勇者召喚というヤツだ。浜野の想像通りであれば、
今見ているそれより、ずっと荘厳でずっと真剣な、そんな儀式であるはずなのに。
「だってあなたで、えぇと……87人目なのよ、こちとら疲れてそれどころじゃないっての!」
なぜ正確にカウントしているんだろう……。
「は、はぁ、お疲れ様……」
「分かればいいのよ、分かれば。ほら立ちなさい、さっさと政権授与するわよ」
「なんで政治なんですか――」
しかしその言葉は、女性の睨みで小さく尻すぼみになっていった。
ボケを投下してツッコミを拒否するなどどうなのか、とは思うのだが口には出さない。出したが最期だ。
浜野は立ち上がって、目の前の扉に目を凝らす。
その大きさは先に王の間があるかのように威圧を放ち
その美しさは権力を誇示しているように思えた。
金髪が扉に手をかける。
「待ってくれ、心の準備が」
「大したことないわよ」
その声は苛立ちを含んで、浜野を急かしていた。
浜野は呼吸を整えると、金髪に声をかけた。
それを合図に金髪は扉を押した。
目の前には――魔王がいた。
「えっ」
「どうしたの、もしかしてびびってる?」
当たり前だ。スライムやゴブリンですらゲームの中でしか見たことのない、
平和ボケマンにいきなり魔王を見せるなど、愚行でしかない。
すると、金髪は何かを思いついたような表情で、鞄から浜野に何かを投げた。
「忘れてたわ。ほら、聖剣っ」
おかしい。なにかがおかしい。俺の感覚は間違っていないはずだ……。
浜野は溜め息をつきながら魔王と相対する。
「会いたかったぞ、勇者よ」
「悪いな、こう見えて戦いとは無縁だったものでな、お手柔らかに頼むぞ」
「どう見てもそんな風だが?」
余計なひと言をはさむな、黙れ金髪っ。
「よし、では行くぞっ!」
浜野の先制、その斬撃は魔王の想定外であるようで、その右腕を見事に斬りおとした。
聖剣はどうやら浜野に相当な加護を施しているらしく、
どの能力値をとっても魔王と互角に渡り合うには十分な値のようだ。
「ほう……流石歴戦の戦神、一筋縄ではいかないか」
「?!」
魔王に謎の過大評価と二つ名をいただいても後で面倒くさくなるとしか思えないのだが、
今反論したところで口撃では彼に勝てないのはもう見えている。
浜野はまた溜息をついて、しかし可能な限りとっとと敵を倒そうと、聖剣の加護を引き出していく。
「強い……ッ!!」
「まぁ、この刀のおかげだがな」
一度言ってみたかった台詞であるが、聖剣はあいにく剣である。
そこは流石に分かっている。
浜野は跳躍する。
まさしくその姿は歴戦の勇者のようで、美しく、機能性も高い。
天井を蹴って魔王の背後に回る。
「無駄だ、どの方位からでも対処できる」
勇者特有の勘なのか、聖剣の加護なのかは浜野にもわからない。
いずれにせよ俺はそれを知っていた。
だからこそ、背後に回ることは本命ではない。
「本当に? 君は――」
《不思議の刃》。それは聖剣より与えられた、自在に刃を作り出す技である。
いかに魔王とて――
「――内からの攻撃でも、果たして守れると言えるのか?」
かくして戦いは終わりを告げた。そして金髪は言う。あれは低位の魔王であると。
だからこそ、《不思議の刃》が通じたと。
それから数日が経過した。
しかし浜野は自分の目的を理解していない。これからどうするかも決めていない。
けれど構わない。落ち着いて熟考すればいい。
「時間はないからね」
そんな思考も金髪の一言で吹き飛んだ。
「なんで!」
「空気が薄い、と感じてないの?」
言われてみれば。日が経つにつれ、山に登っているかのように空気が薄れつつある。
確かにそうだ、と返答すると金髪は真面目な顔で述べていく。
「魔王を倒さないままの状態が続くと徐々にそうなって、最後には呼吸できなくなる。
つまり、」
浜野は言葉を継いだ。
「――生きることを望むのならば、倒し続けなければならない」
その通りよ、と金髪は少し悲しげな顔をする。
「そんな顔をしないでくれよ、お前もしたくてしているわけではないんだろう?
なら、俺はそれを強くは咎められないな。」
「お前、じゃなくてメイ! 一週間ほど同行しているのに名前の教えあいもしてないじゃないの」
はは、と軽く笑って返す。
「俺は浜野真央。名字だけど呼ばれ慣れているからハマノでいいよ」
よろしく、と互いは握手を交わした。
こうして浜野の魔王退治は続いていく。
『幻想迷宮』の一階。二人は二度目の魔王退治に挑もうとしていた。
名の通り、いや名前から浮かぶイメージよりもずっと、迷宮周辺から眺める景色は美しい。
名前を知らなければ、ここが迷宮であるとはきっと誰も思わない。
ときおり入っていく冒険者を横目で見ながらも、しかし二人は足を踏み出さない。
それは限界のあらわれであったのかもしれない。ここに辿りつくころにはもう、
軽い冗談を交わせるほど余裕などなかった。言うまでもなく空気のせいだ。
酸欠のせいで、浜野の視界は霞んでいる。この状態で、果たして魔王を倒せるかは分からない。
しかし、するしか道はないのだ。
やがて、二人は歩きだす。
道中、多くの敵に遭遇したが、浜野はほとんど一振りで倒してみせた。
まるで最後の意地とでも言うかのようであったけれど、決してそんなことはなく、
これは数日の浜野の鍛錬の成果だ。恐ろしく速く、強くなっている。
浜野も、空白期間のあいだに怠けていたわけではないのだ。
しかし今の浜野の状態に関してはメイのミスだった。最初は浜野も違和感を感じていたものの、
連日の鍛錬による高揚感――アドレナリンと言うのだろうか、何にせよ、
それのせいで酸欠を感じなかった上に、そのせいでメイは酸欠についてを思い出すことができなかったのだ。
ただし苦戦した敵も中にはいて、窮地に陥ったのは、スレイプニル戦だった。
難関ダンジョンに極稀にしか出現しないはずのそれを、運悪く引き当ててしまい、
極めて際どい戦いを強いられることになった。
「だいぶ進んだな。二八階か、魔王は三五階だっけか?」
「ああ、そうだ。だが油断するな、現に多くの冒険者がここで命を散らせているのだからな」
浜野は足を止めた。
不意に、
唐突に、
突然に。
メイにでもすぐに分かった。前方に恐れるべき何かがいる。
「八足獣のお出ましだ」
八足獣、それはスレイプニルのことだ。
実際には四本足なのだが、神話の記述からそう呼ばれている。
姿を現したそれは、酷く美しかった。
天翼獣には及ばないものの、一瞬たりとも眼を放しておけないほどの美貌と
何もかもを貫いてしまいそうな鋭い眼力、そして青い体躯による凛々しさは、
刃を立てるなどとうに躊躇われるものだった。
それが敵として今ここにいる。メイは不安に満たされていた。
ハマノを見る。彼はしっかりと獣を見つめていた。その瞳に躊躇いは映らない。
躊躇などどこかに置いてきたようだ。きっとそれは、初めの魔王戦になんだろうなと確信し、
同時に呼び寄せてしまったことを申し訳なく思った。この気持ちは、八十七人召喚した今でも、
全く消えはしなかった。それどころか、罪悪感となって、メイ自身にのしかかっているのかもしれない。
でもきっと大丈夫だ。彼を見ると、なぜか、そう思う。
自分勝手かもしれないけれど、他力本願かもしれないけれど、
彼ならば、ずっと前へ進んでいける、そんな気がした。




