ヤンデレの錯乱
間が空きました。続きます。
翌日から、美也は人が変わってしまった。前からおかしな奴だったが、明らかに挙動が不審なのだ。俺の部屋に来ないばかりか、すれ違っても目を合そうとしない。いくら話しかけてもシカトして、訳の分からないことをうわ言のようにぶつぶつ言っている。俺の住むアパートの向かいは、うちの大家でもある美也の小父さんの家だ。あいつの部屋はその二階だが、昼間から閉めきって、夜は午前零時をはるか過ぎても、蛍光灯が消えない。どうやら、料理学校にも通っていないらしい。しまいに、娘の変わり様に動揺した小母さんが俺を捕まえて、問いただしてくる。
代わりに、玲奈の身辺が不穏になった。靴箱に脅迫まがいの文章が入れてあったり、同級生のポストに怪文書が送りつけられている。内容は、S病院で患者虐待や不正行為が行われているという、根も葉もないものだ。ネットで検索してみると……酷かった。相当粘着な中傷が続いている。読んでいて頭が真っ暗になってくる。勿論、すべてが同一人物の仕業とは思えない。文体や癖などから、逆恨みした人間が何人かいるらしいのはわかるが、しかし、最近玲奈に送りつけられた嫌がらせと大同小異だ。そして時を同じくした美也の異常。
何度目かに腕にすがりつく小母さんを前に沈黙のまま、俺は、憮然としていた。
玲奈は、何も言わない。俺を見上げて、不安そうな目だけして、何も聞かず、何も語らず、責めなかった。余計、胸が痛かった。美也が憎いのではない。多少鬱陶しいとはいえ、面倒くさい幼馴染とはいえ、それでも、俺は美也が好きだったから。家族もない、親戚からも見すてられ、世間の冷笑にさらされた俺を、独り慕ってくれたあいつと、あいつの家族には、どうお礼を言えばいいかわからない。だから、S病院の周囲を美也が嗅ぎまわっている確固とした証言を聞いた日、怒りより、悲しさが勝った。
「ねえ、勇くん、今日はあの子いつにもましておかしかったのよ」
俺の腕を掴んだまま、小母さんが涙ぐんだ。
「思いつめた顔して、学校にも行かず、反対方向に走っていったわ。それで嫌な予感がして台所を調べたら、あの子がいつも料理学校で愛用している……包丁がなくなっているの」
「おい、篠崎、この前、学食で修羅場ったって?」
四辻を走り抜けるとき、さっき横切った、背の丸まった、もっさい男が肩を掴んできた。朝、通学路。昨日玲奈と待ち合わせをした場所だ。ぬるり、っと効果音がしそうなキモい男だった。艶のない、だらし無い油ぎった髪。ホコリの付いた厚底メガネ。学生服はよれて薄汚れている。典型的なスクールカースト最下位、アンタッチャブルのキモヲタ階級だ。その名も温里。俺がいつもつるんでいる奴なのだが。
「おめー、からかわれてんのか、罰ゲーム告白なのか、遊びとはいえ、あんな子と一時的に付き合ってもらって、調子こいてると思ったら……実は、見なおしたよ」
「うるせー、エロゲーでブッこいてろ。今はお前の相手してる暇なんかないんだよ」
何を見たかしらないが、どうせ食堂での美也とのやり取りを見たアホどもが散々噂してるのだろう。今はこんなやつの相手どころじゃない、急いで美也を見つけないと。乱暴にあしらう俺にヌルリはなおも絡む。
「待てよ、エロゲー主人公さん。お姫様が大事なら、早朝ランニングの場合じゃない。やばいぜ」
「どういうことだ?」
俺の剣幕にやや鼻白みながらも、ヌルリが話しだした。女子からはキモがられながらも、独自の情報網で「通」を気取ってるこいつは、しゃべる裡すぐ得意になって唾気を散らす。
「不良の亀山がさ、突然大怪我して入院してるだろ?仲間が言うにはバイク事故だと。だが、こいつは嘘だな。怪我をしてるのは亀山だけじゃない。全員フルボッコになって、表にも出られないらしいぜ。大方、誰かにケンカで負けてやられたんじゃないかと俺は読んでる。いったい相手が誰なのか、それはさすがの俺にも分からんが……」
「そんなことは、どーでもいいんだよ」
事実、それはどうでもいい話だ。俺は先を促す。
「慌てるな、こっからが本題だ。その亀山の病室に詰めかけてるのが誰だと思う?」
「誰だよ?」
「あのときの姫ノ木美也さんとかいうキレイ系の姉ちゃんだよ」
「!」
「昼も夜も、甲斐甲斐しく、どっからみても亀山の女って感じらしいぜ。あの子てっきりお前に……」
ヌルリの言葉が最後まで頭に入らない。なんで美也が、そんなことを……?
「それはそうと、あの姫ノ木って子、知らないんだろうなー。亀山がなんでK会と繋がってるか。あいつは高めのJKとかみつけると、片っ端からさらって犯しちまう。その上で、本職に献上する」
げへへ、とぬるりは涎を垂らしながら続けて、
「しかも、亀山が入院してるのがどこだと思う?天王寺病院だよ。あそこは外科もあるからな。とか言いつつ、玲奈ちゃんのこと狙ってるんだろうなー。じゃねーとわざわざ専門でないS病院にしないだろふつー。病院にはあの子もよく顔を出すもんな。仲間のDQN軍団がロビーにタムロってるらしいぜ。そして、さっき国道沿いの道で、あの姫ノ木さん見かけたんだよ。今日も亀山の看病にお熱なのか、なんかエライ思いつめた表情してたぜ……おい、どこ行くんだよ。学校は反対だろ?限定版のエロゲーでも買いに行くのか?って、行っちまった。まさかS病院じゃないだろな。あんなヘタレにDQNにケンカ売る度胸があるとも思えんがねー。いくら俺が調査しても、こいつからはヘタレ属性しか見つかんないもんな。たまに妙なところで見かけたという目撃情報が入るのだけが解せんが」