たそがれ
天王寺傑臣院長兼理事長によくよく挨拶して、オレはS病院の敷地を出た。天王寺院長はオレを気に入ったそうだ。今後玲奈と清らか且つ真面目に交際すること。及び独力で医大に合格すること。この二つの条件と引き換えに、学費について全面的に支援してくれるという。オレがとびあがるほど喜んだのは言うまでもない。急な巡り合わせをもたらした幸運の女神にオレは感謝していた。舌ったらずで料理下手な、そして可愛い幸運の女神に。
家のすぐそば、公園まで来て、ふとブランコの軋む音を聞いた。感する所があって行くと、案の定そこにあいつがいた。
「よう、何、黄昏れてるんだよ、美也?」
美也のやつ、オレに呼びかけられてピクンとびっくりしたように反応する。目が合うと俯いた。小さいころからこうだ。何か悩むことがあると、決まってここで一人こうしてる。最近何を企んでいたか知らないが、今日は機嫌がいいんだ。水に流して、話くらい聞いてやろう。
「別になんでもないわよ。あんたこそ、聞いたよ。学校が上手く火消ししてくれたみたい」
「そうか」
オレは美也の横のブランコに腰を下ろす。そうして、二人で風に揺られながら地平の涯に沈む赤い陽を眺めていた。オレが言葉を選んでいるうち、先に口を開いたのは美也だった。
「ねえ、私って、ウザい?」
前を向いたまま呟く。いつもの勝気さが抜けていたその横顔は、夕陽を受けてどこか危うい儚さがあった。
「べつにウザくなんかねえよ。昨日のことなら、もう気にするな。お前が滅茶なことすんの、今さらだろ」
美也は、黙ってゆっくり顔向けて
「私はね、ううん、うちの家族はみんな、勇のお父さんに感謝してる。いくらしても、しきれないくらい」
「突然何の話だよ」
「でも、いたたまれないの」
オレは顔をしかめ吐き捨てるようしぼった。
「オヤジは、自分の義務を果たしただけだ。それにオレはあいつのこと嫌いだ」
オレに暴力そのものを仕込んだ男。暴力だけが生きがいの男。必然的な破滅からオレを救ったのは、奴じゃない。オレの傍から離れなかったこの美也と、ある一人だ。
「知ってる?あの亀山とかいう奴、K会の名前をだして負け惜しみしてた」
「ガキから小銭巻き上げたりとか、よくあることだろ」
「そうじゃない。K会の関係者が、S病院に出入りしているって。あいつ、それが元で玲奈ちゃんに執着するようになったらしい」
オレは思わず眉間を顰める。K会。地元の指定暴力団で、全国に勢力を誇る大組織の侵攻を撃退したことで、その実力はそっちの業界で一目置かれている。オレにとって少しばかり因縁があった。とはいえ、妙な話に見えるが、たとえば覚せい剤中毒者が精神科の病院に出入りするのは、さきにも述べたとおり、自然なことだ。
「勇、本当に玲奈ちゃんなんかと付き合って大丈夫?」
「お前、何言ってる?」
オレは思わず声を荒げていた。
「玲奈とは友達じゃなかったのか?いつからそんな陰口を叩くようになった?」
よりにもよって玲奈を侮辱しやがって。あんなに優しくて、オレに進学の機会までくれた玲奈を。怒鳴りつけられ、美也はびくりとするが、かぶりを振って、
「そうじゃない!あの子は本当に良い子よ。それは私だって分かってる。でも、私、何か不安で、胸が苦しいの」
「お前は思いこみが激しいだけだろ。一度S病院で診てもらえ。じゃな」
吐き捨て、オレはブランコから立って、公園を後にした。