12章・追憶と紅凶熊
「………くそっ……何でこんなことに――」
「別に良いでしょ!これから会いに行く人が事件の関係者なら、その人から聞き取り調査しないといけないんだからっ!」
あくまで自分は刑事だ!と誇張するユリアは、店を出てなおしつこく俺について来ていた。
もう夜の8時……良い子は家に帰って寝ろ……の時間帯なので、昔は真面目なユリアを追い払うのにうってつけな方法だったのだが……今では、俺もこいつも19歳。とてもよい『子』とは言い難い歳になっている。流石にこの歳になって『8時に帰って9時に寝ます』は子供すぎる。
コーヒーを飲んで頭が冴えているのか、それとも成長して寝るのが遅くなったからなのか、はたまた職業柄残業が多くなるからなねか、まるで眠たそうなそぶりを見せないユリアに、俺の頭は重くなる一方だ。
…今さらながら、こう思う。
どうして……こうなった……?
*
「……ど、どうかなされたんですか……神谷さん……?」
店内に奇妙な笑い声が響き、周りの視線が集まっているのがよく分かる中、今笑い転げている、この注目の元凶である姉・椿とは対照的に、あくまで表面上は冷静を保ちつつも、動揺は隠し切れていない妹・桜が俺のところに寄ってくる。
「…スマン。状況を説明しようにも、当事者の俺すら理解できてないんだ」
「……まぁ……姉さんがおかしいのは、前から分かってたことなんですけど………」
それは俺にもよく分かる。
さっきそれの所為で酷い目にあったからな。
「……でも……なんで神谷さんのお友達まで……姉さんみたいになってるんですか……?」
だから、その理由がわからないと言ってるんだ。知っていたらたぶんすぐ教えるだろうしな。
…こうして俺と桜が相談している間も、ユリアと椿の二人は声高に笑い続けていたのであった。
今だに原因は分からない。……知りたくもない。
ただ、今がしつこい追跡者・浅野 ユリアから逃げる大チャンスだということだけは、俺には理解できた。
幸い、これから俺が向かう行き先や、それに関することがらは何一つとしてユリアには話していない。
つまりは、今ユリアに気付かれないように出て行ってしまえば、こいつが俺を付けてくることはまずなくなる。
これからこいつが探りを入れている事件の関係者の協力者に会いに行くのだ。そんなところにこいつを連れていきでもしたら、変に情報が漏洩しかねない。
…シルヴィアは『一般人を巻き込んでも良いか』について、特に何も言わなかったが、個人的には、俺はこいつにこの事件に関わってほしくないと思っている。
なら話は単純だ。
「……スマン、桜……後のことは……任せたッ!」
「えっ!?ちょ…ちょっと神谷さん!?」
素っ頓狂な声を上げる桜をよそに、己の全力を振り絞って入口へとダッシュする。
背後では(たぶん)桜が泣きそうな顔をしている(だろうと思われる)ので、決して目が合わせないように、振り向かずに駆け抜けて行った。
――それで、そのまま逃げ切れれば良かったのだが……現実は……そう甘くはなかった。
店から数百メートルほど離れたところで、走る速度を緩める。
もうコーヒー店の看板すら見えないところにまで走り、路地に入り込む。
ここまで来て、ようやく安堵の息が漏れる。
――しかし、支払いをせずに逃げて来てしまったのは、さすがにまずかったかなとも思った。
「…でも……ここまで来れば、もうだいじょう――」
「何が大丈夫なのかな?」
…。
……マジ…ですか?
*
……まぁ、尾行の達人である刑事職の女を、半吸血鬼ではあっても所詮は一般人に過ぎない俺なんかが振り切ることができないのは明白だった。
あいつはいつの間にやら、俺の服の中に発信機を仕込んでいたらしい。
病弱だった故に機械に関する知識は人一倍優れていたユリアらしいセコいやり方だが、利には叶っている。今のところユリアが掴んでいる手がかりは、俺ぐらいしかいないから、逃がしたらそれだけ真実に届くのが難しくなるからな。
「……っつっても、発信機はやり過ぎだろ……」
「逃げられて何も情報を掴めないことよりも、規律違反で謹慎くらう方が圧倒的にマシよ!……この事件の犯人だけは、絶対捕まえてやるんだから……!!」
小さくガッツポーズをとりつつ俺の隣に並んで歩くユリア。
ガッツポーズをするほどに意気込んでいるのはいいが、そこまで気張る必要があるのだろうか?
ユリアの正義感の強さは昔から知っていたが、それでも頑なすぎる。
「……なんでそこまで事件に関わろうとするんだ、ユリア?」
自分の握りこぶしを見ていたユリアは、こちらを覗き見るようにしてくる。
こっちが質問をしていたはずなのに、何故か疑問を投げ返されているような気分になった。
「……何故って……なんでだろ?」
「自分のことだぜ?流石に分かるだろ?」
「……自分のことなんだけど……何て言うか……よく分からないんだよね」
首を傾げて、頭にハテナマークを浮かべる。
疑問を抱いているのはお前じゃなくて俺のはずだったんだけどな。
「一体どういうことなんだよ、自分が分からないって……それじゃあ俺は意味もなくお前に追われてんのか?」
「意味はあるよ!悪い人を捕まえられるってこと!!」
数秒前とは打って変わって、自信満々に胸を張って答えるユリア。
理由はないけど意味はある……なんか『警察』って仕事に縛られている様な気がしないでもないけど……まぁ、それがユリアなのだろう。
昔から責任感が無駄に強いユリアは、損な役回りを演じることが非常に多かった。
病弱であるのに力仕事をしたり、誰もやろうとしない掃除やクラス単位の仕事を、放課後たった一人で黙々とやったり……。
ユリアが望んで引き受けたわけではない。全て周りに押し付けられたものだ。
普通の人間なら、押し付けられた以上、少しでも嫌がるそぶりを見せるものだ。
しかしユリアは、何を押し付けられようとも、それを進んで引き受け、やり遂げた。
……少しも嫌がるそぶりを見せないで……だ。
ユリアがあまり人に意見することもその理由の一つだろうが、やはりあいつが何も嫌がることがないことが一番の理由だろう。
……ユリアは、他人に優し過ぎるんだ。
『自分が傷付けば、他の人は傷付かないで済む』。昔から、あいつはこう言い続けていた。自分が傷付けば、痛みは自分に収束する……だから、他の人が痛みを感じなくて済む…と。
そのために自分がどれだけ傷付こうと、どれだけ苦しもうと、弱音を吐くことは決してない。『自分が痛みを、苦しみを背負う』……あいつは、それだけを行動の理由にして動くロボットの様なものだった。
……『生まれ持った責任感の強さ』とは、また違う。あいつのあの自己犠牲の精神は……昔…俺の所為で生まれたものだ……。
*
「ハァッ……ハァッ……ハァッ………!」
音も無い静かな空間に、ただ一つ、荒い呼吸の音が響く。
日も差さない真っ暗な空間に、ただ一つ立つ人の影。
――破けた学ラン、血に染まったカッターシャツ、土に汚れた学生ズボン。おまけに、顔は血と汗と泥でぐちゃぐちゃだ。
息を荒げて立ち尽くす青年の足元には、幾多の学生服の男達が、気を失って転がっている。
全員、この青年一人を相手にして、完膚なきまでに叩き潰されたのだ。
背丈から判断するに、この男子達は高校生。対する青年は中学生……といったところだろうか。
血塗れの青年の背後には、乱れたセーラー服の少女が座り込んでいた。
声を上げる元気も無いのか、ただペタンと尻餅を着いたまま全く動かないでいる。
ここは地下駐車場跡地。今は廃棄されて使われていない、不良のたまり場にはうってつけの場所だ。
「……遼……ゴメン……ゴメンね……」
少女は、ただ泣き言の様に呟き続けている。
この少女……浅野 友梨亜は、一時間ほど前に、男子高校生の集団に囲まれ、この暗い駐車場に連れ込まれ、服を脱がされそうになっていたのだ。
所謂、強姦されそうになっていたというやつだ。
それを、たまたま誘拐現場を目撃した青年……俺・神谷 遼が単身乗り込んで、不良どもを蹴散らして助けたということだ。
「……ばーか……あんな素人に……やられるわけ……ねぇだろが……」
荒い呼吸に乗せて枯れた声を搾り出す。
全力の殴り合いや喧嘩の後で、体が疲れているからだけではない。腕や顔に付いた切り傷から流れる出血……その痛みを必死で堪えているのだ。
傷口一つ一つは大したほど深くはない。ただ、やはり顔の出血は傷が浅くても激しい。何分数が多いため、出血量は少なくは無い。
頭がクラクラしてくる。汗と一緒に血が流れていっている所為だろうか?……貧血を起こしているらしい。
「……ゴメンね……あたしが……ドジだったから……」
泣きじゃくっているわけでも無い、嗚咽を堪えているわけでも無い。……ただ、物悲しいほどに感情を欠いた声。
今は俺の学ランを着せてはいるから分からないが、その下には破けて原形を留めていない制服しか無い。
男に集団で襲われたのだ。それも、ここ一帯では偏差値の高い有名高校の生徒……十数人に。
中には、かつてユリアが慕っていた、部活の先輩もいた。
そして……俺がここに駆け付けた頃には……ユリアは、放心状態になって……心も体もボロボロにされて……転がされていた。
――その後、気が付いたら、俺がそいつらを潰していた。
父から教わった掌底術で、気を失うじゃ済まない威力で吹き飛ばし、ナイフで切られようと、鉄の棒で殴り掛かられようと、構わずそいつらを吹き飛ばしてやった。
気絶で済んだ奴もいるだろうが、大半の奴は顔面骨折、酷ければ胴体も骨折していただろう。
手加減も無しにやっていたから死人が出るかもとは思っていたが……後に聞いた情報では、脳に障害を負ったやつが一人、体に後遺症が残ったやつが三人……命を奪わずに済んだだけマシ……と言える状況ではなかった。
『黒帝』の二つ名で呼ばれていた頃の俺は、何もかも壊しかねない勢いで叩き潰し続けていた。
――そう、まさに『修羅』の如く――
「……ゴメンね……あたしが……弱かったから……あたしが………」
「……もう…言うな…」
「あたしが……遼の足引っ張ってばかりだったから……」
「もう止めろ!!……お前は……何も悪くないんだ……そんなに自分を――」
そこまで言いかけたところで、背中に何かがつかみ掛かった感覚が走る。
両手で俺を包み込み、絶対離さないと言わんばかりに強く抱きしめてくる。
「ユリ……ア……?」
何が起きたのかまるで理解できなかった俺は、反射的に後ろに首を傾ける。
羽織っていた学ランがずり落ち、乱れた制服の間から真っ白な肌が露出する。
乱雑に引き裂かれた制服や、暴力を奮われて腫れた跡が残っている。
――乱暴されたのはお前なのに……なんでお前が謝るんだよ……。
俺は間に合わなかった。いつもお前の側にいたはずなのに、お前を守れなかった。寧ろ、謝るのは俺の方なのに……。
「ゴメンね………あたし……強くなるから………」
「ユリア……」
「強くなって……遼に心配……かけない様にするから……だから………」
「泣かないで……遼…」
*
「――ここか……」
歩くこと約三十分、目的地の建物の前までたどり着いた……のだが……。
「……ホントに……ここ……なの…?」
……どう見ても廃ビルなのだ、コレが。
シルヴィアが走り書きしたメモの住所を何度確かめ、何度スマートフォンの地図検索を行っても……示されるのはこのボロい建物……。
――シルヴィアの隠れ家と、似たようなものか……。
俺はもうシルヴィアの住家での経験があったため、別に吸血鬼関係の人間の家だと思えば別におかしくないので、普通に入ろうと思えるのだが――
「ほ…ホントに入るの?絶対危ないよ!入らないほうがいいよ!」
……警察のクセに、こいつは全く入ろうとしない。
俺の後ろに隠れて、全く動こうとしない。
「……もしかしてお前……怖いのか?」
「ッ!!?」
図星だったらしい。
思いっきりバックステップを踏み、「何故バレた!?」と言わんばかりのリアクションをとる。
……そりゃあ、そんなにあからさまな反応してりゃ、分からないほうがおかしいだろ。
「べっ、別に怖くなんか無いわよっ!!ただ……そのぉ……」
「……『その』…なんだ?」
「…………お化けとか……いるかな……って……」
「……」
「なっ!なんでそこで黙るのよっ!!」
「……いや……その…」
お化けはいないが、吸血鬼ならいるかも知れない……なんて言えるわけが無い。
そもそも、こいつを事件から遠ざけるつもりでいたはずなのに、なんでこいつを事件の核心に関わる場所まで連れて来てしまったのだろうか………。
「……とにかく、俺は行くからな?怖いなら外で待ってろ。いいな?」
「だっ!だから怖くなんて無いわよッ!あたしも行くからっ!!」
……と、威勢よく言っている割には、俺の背中に隠れたまんまだ。
……いい加減にしてくれ。動きにくい……。
*
「…ご…ごめん下さ〜い……誰かいませんか〜……?」
暗い通路を歩む間も、俺の背中を摘む手を離さずに、キョロキョロと辺りを見渡しながら行くユリア。
「…いい加減手を離せ。動きにくい」
「え?でもぉ……」
どう考えても怯えてるようにしか見えないユリアは、あくまでもその手を離す気は無いようだ。
そのせいで動きにくくて堪らない。普通なら五分で行ける道程に十分近くかかってしまった。
俺としては早く行って早く用事を済ませたいのだが……こいつが俺を決して離そうとしないから困る。
「――あっ、見て!明かりが見えてきた!…誰かいるのかな……?」
そうだこうだ言ってるうちに、どうやら終点に着いたようだ。
「そりゃいるだろ。いなきゃ、ここまで来た意味が無い」
人がいるとわかって顔色が急に変わったユリアとは逆に、俺はあくまでぶっきらぼうに言い放つ。
そうでなければ、昨夜の決意はなんだったのだ、ということになってしまうからな。
「…うわ……ひっろい場所だね……ここ……」
「…だな」
俺を掴んでいた手を離し横に並んだユリアは、俺と同じ様に広々としたこの空間に目を向ける。
何もない。廃ビルの中であることは間違いないのだが、目に映るのは瓦礫、石片、砂礫……かつては事務所か何かに使われていたのであろう跡は、入口近辺には残っていたのだが、ここには本当に何も無い。
とは言え全く人のいた痕跡が無いわけではなく、弁当の残骸や紙袋が散らかっている辺り、人が最近までいたことは間違いない。
…だが、なんだか妙だ。
人の気配はある。それは間違いない。…間違いない……のだが………。
視界に、誰一人として人影が映らないのだ。
「――ようやく来なすったか……」
突然、どこからか声が発せられる。
この独特のイントネーションは………関西弁……?いや、若干違うか。
割とフランクな言語であるはず関西弁だが、声の主の姿が見えない今は、ただ不気味としか感じられなかった。
「なっ……なに……?」
ビクッ、となったユリアは、後方へ数歩下がる。
俺はそれを庇うように、前に立ち塞がる。いつこの声の主たちが襲ってきても対処できるように身構える。
――来るなら来い。右か?左か?
「……んな身構える必要ないでぇ。ワイは不意打ちっちゅーのが嫌いやからな」
……だが、予想に反して、声の主は正面から、堂々と現れた。
華奢ともゴツいとも言えない、バランスの取れた体格に、目が細めなこと以外は非常に整った顔付きをしている。
深い紅にそまったジャケットを着用し、黒いドクロの模様の入ったTシャツに、青いダメージジーンズを着ている。更には、頭にジャケットと同じ色のバンダナを巻いている。
『紅』……その色に心当たりがあった。……そう……カラーギャング・『紅凶熊』……渋谷一帯を縄張りとする大規模勢力。警察も、こいつらにはかなり苦労しているらしい。
そしてそのリーダーの名前……沢代 在人。たった一人で現在の『紅凶熊』という勢力を作り上げた、恐るべきカリスマと実力を誇る男。
……なるほどな。シルヴィアは、こいつに会えって言いたかったわけか。
「…そんで、こないな場所に何か用でもあるんかいな?」
「――『宵と暁。交わり、紅の牙有る。』……こう言えばいいって、シルヴィアに言われてきた」
俺がシルヴィアに言われたままの合言葉を唱えると、沢代の表情が、敵意の向いたものから若干和らいだ気がした。
「……なるほどなぁ。……あんさんが神谷 遼かいな。……よぉ来てくれたわ」
…と、言いながら、沢代は右手を軽く上に上げる。
「…?」
その行動の意味が理解出来ずにはいた俺を横目に、沢代は続ける。
「…よぉ来てくれた。……せやけどなぁ、こんなところに女のコ連れて来るなんて、感心できへんなぁ」
「…!?」
沢代が指を鳴らす。
そして俺が、それが何かの合図だと気付いた時には、もう遅かった。
「――キャアアアッ!!?」
「――!?ユリアッ!!」
後ろにいたユリアの方から悲鳴が上がる。
ハッ、となって振り向くと、今まではいなかったはずの数人の男達がいた。
その全員が紅いバンダナを巻いている……『紅凶熊』のメンバーか……。
そして、その中の一人の腕の中に、意識を失ってぐったりとなっているユリアがいた。その男の手に握られているスタンガンで気絶させられたのだろう。
「……何のつもりだっ!!アンタ、シルヴィアの協力者じゃ無いのかよっ!!」
「甘いなぁ……ホンマ甘いわ………」
沢代が一歩、また一歩と俺のいる方へと歩いて来る。
そうした間にも、脇から何人ものカラーギャングたちが現れる。……隠れてやがったってことかよ……。
そして、俺の十メートル手前まで来て足を止め、再び口を開く。
「――ワイがいつ、『味方』やなんてゆーた?……ワイらは、『上』に頼まれてるだけや……」
先程……敵意の無い顔になった……その旨の発言をしたが、撤回する。
こいつは、……確かに笑っている。……だが、この笑い顔は………。
「――『神谷 遼を……殺せ』ってなぁ!!!」
――残虐に歪んだ……凶殺者の顔だ……。