出会い
人体欠損者がいます。
苦手な方はご注意ください。
平気な方はどうぞ。
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子供やその親、老人やカップルがそれぞれの時を楽しむ公園。
国の平和の象徴であり、鳩や野良猫も人間と同じくゆっくり寛いでいる。
公園とは、皆を受け入れる優しい場所。
差別、区別、不平等なく、そんな公園にはたまに変わった利用者が現れる。
今日も、珍しい利用者が思い詰めた顔でベンチに項垂れていた。
ある晴れた日のこと。
とある小さな公園のベンチに、一人の男が座っていた。
元々猫背である男の髪は特徴的で、頭部の左側を刈り上げているのに右側は肩につくくらい長い。
今時の流行りなのかは知らないが、似合っているとは言えない。
白いワイシャツの下でもわかるガタイの良い体。
男の顔は厳つく、短い前髪の下で常に人目に曝される。
それが余計男の印象を恐くさせる。
実際、この男がいるせいで、公園にいる人数はたったの一人。
男だけである。
一人独占状態である公園に誰も入ろうとはせず、周りは全員遠巻きに白い目で男を見やる。
男だって独占しようとは全く考えてなく、ただ場所を借りたかっただけなのだ。
けれど、こういう視線に慣れてきてしまった男は、どこか諦めた表情を浮かべる。
「どうせ俺は誰からも嫌われる存在だ。」
自嘲気味た笑い声をあげた。
だが、笑う男の顔は悲しそうで、寂しそうで、泣きそうなのをグッと堪える為に拳を握り締めた。
そっ。
俯いた狭い視界の中、小さな手が男の手に触れる。
男の手よりもずっと小さく、子供にしては酷く細い手が、強く握り過ぎて血が滲む拳の上に重なる。
男の頭上から、男を心配する声がかかる。
「あんちゃん、どうした?具合でも悪いんか?」
少女か少年かもわからない、そんな中途半端な声の高さ。
視界に映る子供の靴は少女でも少年でも履きそうなスニーカー。
何者なのか確かめる為に、男は顔を上げた。
「…っ!」
そこで男は言葉を失う。
目の前に立つ子供の姿に、何も言えなくなってしまったのだ。
「ほんとに大丈夫か?痛むならしょーじきに言ってな?」
子供は眉を下げて男を見つめる。
しかし、男は子供の右腕から目が離せない。
長袖の右腕の肩から袖までの部分が風に揺れる。
子供には、ある筈の腕が無かったのだ。
しかも、子供の右目は眼帯をしており、額には包帯が巻いてある。
右肩や左頬にはガーゼが貼り付けられ、ガーゼには血が滲んでいる。
長ズボンで見えないが、きっと足も痛々しい惨状なのだろう。
「あんちゃん?口に出せないくらい痛いのか?」
誰もが同情を覚える酷く傷付いた姿の子供が、見た目はどこも怪我していない、至って健康な男を心配する。
本当は男が子供を心配したり、労りの言葉をかけたりするのが普通。
けれど、男は子供にかける言葉が何も見つからない。
固まる男をオロオロと心配する子供。
手の平の血はもう固まっていた。
「楓!一人で行動するなと言っただろうが!!」
「あ…杉先生。ごめんなさい。」
公園の入り口から、和服の男が目の前の子供の名、楓を呼ぶ。
和服の男は楓に杉先生と呼ばれ、近所に響く声量で怒鳴りながら二人の方に一直線に向かう。
杉先生は肩まである長い髪を後ろで適当に結び、長い前髪を真ん中で分けている。
怒っているのかその顔は男よりも険しく、下駄なのにずかずかと早足で歩く。
杉先生の姿も子供と同じく、目を引く格好だった。
杉先生の登場に楓は慌てた様子で杉先生と男を交互に見る。
「チッ!全く、お前の面倒をみる私の事も考えろ。無駄な体力を使った。
ん?その男はなんだ?お前の知り合いか?」
「ごめんなさい…。」
大きく舌打ちをした杉先生は近くまで来ると男よりも高い。
眉を吊り上げ、睨むように男と楓を見下ろす顔は不機嫌。
楓の前に座る男を見定めるようにじろじろと見回す。
「ううん、今さっき会ったばかり。具合悪そうだったから、気になって…」
「ふん、こんな容姿ならば、どうせ親に勘当されたとかだろ。」
「スゲー…当たってるし。」
「ふん、世の中そんなものだ。
興味が失せた。帰るぞ。」
「杉先生!あ、あんちゃんが、まだ…!」
楓の左手首を掴み、問答無用で公園を出ようとする。
傷が痛むのか顔を歪ませる楓だが、杉先生は重傷者に気を配るなど一切しない。
痛みに耐える楓が男のよく知る人物と重なり、体が勝手に動いていた。
バランスを崩し何度か転けそうになるが、意地で前へ走る。
両腕を伸ばし、多少強引に、けれど痛まないように、楓の体を抱きしめた。
男の行動に驚く楓と杉先生。
シィンと空気も風を止め、今の楓のように大人しくなる。
「ハァッ、ハァッ、」
肩で呼吸する男の顔を、腕の中にいる楓だけが知る。
唇を噛み締めながら楓を見下ろす、心痛に満ちた表情を。
キッ!と杉先生を睨み付け、男は怒鳴りつけた。
「この子が怪我してんのがあんたには見えねぇのか!!あんたこの子の親だろ!?親なら子供くらい大切にしろよ!!」
顰めっ面で、請願にもにた叫び声をあげる。
強く抱き締める腕は震えていた。
その力は楓にとって激痛だったが、それよりも、男の言葉の意味が気になった。
冷めた目で見下ろす杉先生に対して、男は必死に虚勢を張る。
杉先生は何か言おうと薄い唇を開けるが、何故かすぐ閉じた。
代わりに長い溜め息を吐き捨てた。
ビックリする二人を無視し、スッと人差し指で楓を指差した。
「それは私の実子ではない。言うなれば赤の他人だが、法律上は一応私が親だ。」
「は…?赤の他人で、法律上はあんたが親?意味不明。」
「法律も知らんとは、心底残念な野郎だ。」
杉先生はは馬鹿にした顔で男を見下し、ハッと鼻で笑う。
カチンと頭にくるが、わからないから反論は出来ない。
「無知なお前に教えてやろう。楓は私の養子、義理の親が私になる。」
「…あんたが養子を?みえねー。」
「成り行きでだ。
お前はそろそろ楓を返せ。でなきゃ、警察に『子供が誘拐された』と訴えるぞ。」
「うっ。」
顔を引きつらせ、気まずい顔でチラッと楓を見ると、楓はキョトン顔で首を傾げた。
苦笑する男は楓を解放すると、トンと背中を押した。
楓が振り返ると、男は寂しげに笑った。
「じゃあな。心配してくれてありがとよ。」
「あんちゃん…。」
「行くぞ、楓。このままだと〆切に間に合わなくなる。」
強引に手を引かれ、男との距離が広がる。
男も二人に背を向け、ベンチの後ろに立て掛けていた旅行鞄を持ち上げた。
このまま二度と会えないかもしれない。
あの疑問が一生解けないままかもしれない。
嫌だな、それは。
歩幅が合わない早さに自然と早足になる。
背中を向けて歩く杉先生。
楓の二倍くらいある背丈に、大きな手の平。
強引なところはあるが手首を握る温度は温かく、本当は優しい人なのだと楓は知っている。
固唾を飲み込み、意を決して杉先生の袖を掴んだ。
ギョッとした表情で勢いよく振り返る杉先生が目にしたのは、真っ赤な顔をした養子。
「杉先生、じゃなくて…………お、…お父さん!」
「……。」
「む、娘から、お願いがあるんだけど……」
声が裏返るくらい緊張した楓。
開いた口が塞がらない杉先生。
パチパチと瞬きを繰り返し、ゆっくりと頬に触れると、徐に頬を捻った。
ギリギリと痛い音が楓にも聞こえる。
見開いた瞳で見詰められたままやられる楓は恐怖でしかない。
二十秒ほど経つとやっと現実を受け入れたのか、目を閉じて深呼吸を繰り返す。
楓はまだ怯えており、杉先生に掴まれている手首から最も遠く離れた距離まで逃げている。
逃げ腰の楓の目線の高さまでしゃがみ、真っ直ぐ楓を見た。
「言ってみろ。その“娘からのお願い”とやらを。」
「う、うん。あのね―」
アルバイト先の店へ向かう途中、男は後ろから声をかけられた。
先程まで人を馬鹿にしていた、ムカつく野郎の声。
「おい、そこの男。」
「…何スか?」
嫌そうに振り向くと、手を繋いだ義理の親子が並んでいた。
楓の方はどこか嬉しそうな様子で、ニコッと柔らかい笑顔を向けた。
気づいた男も口元に小さく笑みを浮かべる。
「お前、家事は得意か?」
「え、いきなり何スか。その質問。」
「いいから答えろ。私は気が短い。」
「まあ、簡単な飯くらいは作れるッスけど。掃除洗濯は人並みに。」
「秘密は守れるか?」
「口は堅いッスよ。てか、友達少ないから話す相手いねぇし。」
「寂しい奴だな。」
「そういうあんたはどうなんだよ。」
「数など関係ない。たった一人でも友人と呼べる奴がいれば、そいつを生涯大切にすれば良い。違うか?」
「…カッコイイなあんた。クソ、大正解だよ。」
「物分かりが良ければ話は早い。この紙にサインしろ。」
「は?」
杉先生は懐から一枚の折り畳まれた紙を取り出すと、万年筆と一緒に男に差し出した。
訳がわからないといった顔で一応受け取る男。
杉先生の隣でキラキラと期待に満ちた眼差しを向ける楓が気になるが、綺麗に折り畳まれた紙を開く。
そこに書かれた文章に目を通し、ある一文に辿り着くと…固まった。
ワナワナと体を震わせ、バッ!と紙を杉先生に突き付ける。
「何だこれは!!俺に“家政婦”になれって言うのか!?」
「それ以外、先程の質問の意味に当てはまる理由はないだろう。さっさとサインしろ、勘当ホームレス。」
「まだホームレスじゃねぇし!勝手にホームレスにすんな!!」
腕を組み、呆れた顔をする杉先生に食いつくように怒る男。
ギャーギャー叫ぶ男に周りは遠巻きに成り行きを見守る。
至って冷静な杉先生。
男の言葉を言葉巧みに跳ね返し、切り捨てる。
「ハァー、ハァー、」
叫びすぎて疲れた様子の男と涼しい顔の杉先生。
膝に手を付く男の前に、今まで傍観していた楓がおずおずと現れる。
片手でキュッと服を握られ、男はキュンとしてしまう。
元々小さな子供が好きな男には効果絶大。
「あんちゃんは、家政婦嫌か?なってくれると、凄く嬉しいぞ。」
クイクイ引っ張るその動作が可愛くて、思わず頷きそうになるのを堪える。
楓の家政婦なら喜んでなるが、あの杉先生の下で働くのはどうしても自分自身が許せない。
敵意剥き出しで睨む男の前で考え事をする杉先生は、何か思いついたように頷いた。
男から紙を奪うとサラサラと何か付け加える。
書き終えるとまた男に渡した。
「話を聞いているとお前は喧嘩に強いんだろう。
そこで提案だ。もしお前と私が対決して、私の手を地面に着かせたら一万円をやる。家政婦の話も諦めてやろう。
楓もいいな。」
「マジ!?」
「うん…」
「ただし、」
嬉々とした顔で身を乗り出す男だが、続きがある事に興醒めした表情を向ける。
落ち込む楓をチラッと盗み見る杉先生は、男が持つ紙を指差した。
二人共紙に注目する。
「もしお前が地面に尻餅を着いた場合は私の勝利とし、お前は一生私の“下僕”として働いてもらう。」
「ハアアァァアア!!??下僕っ!?」
「喜べ、寝床と飯は与えてやる。気まぐれに賃金もくれてやる。感謝しろ。」
紙には達筆で書き加えられており、男は凄く悩んだ。
勝てばタダで一万円。
俺は喧嘩は強い。
けれど負ければ下僕人生。
和服の男に一生仕えなくてはならない。
欲と理性が天秤の上で揺れる。
楓は杉先生の元に戻り、緊張の面持ちで言葉を待った。
変わらぬ表情で返事を待つ杉先生は大きな欠伸を漏らした。
道の真ん中で男は頭を抱える。
グラグラグラグラ上下に揺れる傾く。
スッと男は挙手をした。
「あんたはその格好でやるんだよね?」
「そうなるな。」
「っし、一か八かやってみっか!!」
闘争心に燃え上がる男が目指すのは、まだ見ぬ一万円。
「じゃあ、場所を帰るぞ。あの公園でいいな?」
「おう。」
踵を返し、隣の楓の手を引く。
楓はチラチラと後ろの男と杉先生を交互に見回す。
「ククッ…馬鹿な奴め。」
含み笑いを漏らす杉先生に、楓はコテンと頭をかるく横に倒した。
その意味を知るのは、数分後。
――完敗だった。
手加減は一切していない。
杉先生に突っ込んで肩を殴って倒そうとした次の瞬間、男の視界には空が占めていた。
いつの間にか、男の方が地面に倒れていた。
頭上からケタケタと笑い声が聞こえ、杉先生が男を見下していた。
「これでお前は下僕だ。」
あの時の顔を、男は一生忘れないだろう。
「不味い。何だこれは、味が濃い。ちゃんとお湯で溶かしたのか?」
「和食なんかあんまし作った事ねぇんですよ!悪かったですね!」
「大丈夫だ、お浸しはおいしいぞ!」
「慰めてくれてサンキュー。けど、それはお惣菜屋で買ったから美味いのは当たり前。」
「冷や奴も切っただけだしな。全く、料理はてんで駄目だな。」
瓦屋ねの平屋。
ボサボサの庭が見える居間の朝の光景。
しぶしぶ紙にサインした後、男は杉先生の自宅に連れて来られた。
ある程度の事を告げられ、家の中を案内され、男の仕事は夕飯作りと風呂掃除で終わった。
アルバイト先に連絡を入れ、指定された部屋で男も就寝。
早起きして洗濯をした後に朝食作り。
昨夜に杉先生が
「朝は和食しか食わんから。」
と言いやがったので、和食っぽいのを作って机に並べると二人が起きて来た。
髪の毛がボサボサのままでの朝食。
そして前の会話である。
容赦なくズバズバと文句を言う杉先生に苛々する男、慌ててフォローする楓だがあまり意味をなさない。
「ご馳走様でした。
仕事するから邪魔するなよ。後、庭の草むしりしとけ。虫が部屋に入るから。」
「ゲッ、これを一人でか!?」
「働け下僕。食事と寝床があるだけ有り難いと思え。」
ぶつくさいちゃもんをつけながらも全てキチンと食べ終わり、ボサボサの頭で自室に戻る。
男が後で教えられた話だが、杉先生は小説家らしい。
本がどっかにある筈だが、この家は掃除がされていない。
殆どが倉庫状態で、男が寝た部屋も酷かった。
本が乱雑に山積みにされ、足場も危うい危険地帯。
先の苦労を想像して、男はガックリと肩を落とした。
カチャカチャと皿洗いをしているこの台所も、昨日までは腐海の森状態で、掃除してやっと調理可能な状態にしたのだ。
男一人で。
「何か手伝うぞ。」
「あー、じゃあこれで机拭いて。」
「わかった。」
女の子なのに変わった喋り方だが、懐いてくれているのか雛のように男の後ろをついて歩く。
兄妹が出来たように嬉しく思うが、ズキンと胸が痛む。
「終わったぞ。」
「サンキュー。
じゃ、掃除やりますか。」
「おう!」
エプロンの紐を固く結び、掃除用具一式を両手に男は意気込む。
楓も男にマスクとエプロンをつけてもらい、男と一緒に片腕を勢いよく上げる。
廊下を列をなしてテトテト歩く二人。
―ふと、楓はある事に気づいた。
とても身近で、今まで忘れていた事。
必要なかったので、誰も聞かなかった事。
男本人も忘れている事。
クイッ、と楓は男の服を引っ張った。
「どうした?」
ゆっくり立ち止まった男は不思議そうに首を傾げる。
そんな男をビシッ!と指差し、楓は言った。
「名前を教えてくれ。」
「それが人にモノを頼む態度か。」
楓の言動に呆れ、ズルッと肩を落とす。
そういえばサインはしたが、この少女は知らないままだったのを思い出す。
杉先生は“下僕”や“お前”と男を呼ぶから、全く気にしていなかった。
タン、と膝を着き、楓と同じ高さにする。
ニッと歯を見せ、口端を上げる。
「宮古だ。よろしくな、楓。」
男に連れたように、楓は明るい笑顔を咲かせた。