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だから悪役を買って出てあげたのに。

掲載日:2026/04/12

 アルムガルト公爵家に生まれた私は幼い頃、第一王子レンナルト様と婚約を交わした。

 それから長年、王族に嫁ぐものとしての厳しい教育を王宮で受け、定期的な顔合わせの茶会や夜会に参加し、はたまたプライベートで互いの家を訪問したり……と、レンナルト様と過ごす時間は決して少なくはなかった。


 そして私達は成長し、レンナルト様は立太子され……互いに王立学園へ通う事になる。

 夜会等の催し以外でも大勢と顔を合わせるようになった私達。

 そんな私達に対して、『不仲説』が唱えられるようになったのは入学して半年も経たない内の出来事だった。


 優秀ではあるが表情が殆ど動かず、プライベートでの発言もあまりに少ない『氷の王太子』レンナルト様。

 不仲説が流れ出した理由の一つは、彼は私に対しても他者と全く同じように振る舞っている事から。


 また、もう一つの理由は――




「レンナルト殿下ぁっ、先程の講義についてお伺いしたい事があるんですけどぉ」


 ある日の休憩時間。

 そう言いながら猫撫で声でレンナルト様に近づくブリギッタ伯爵令嬢と、それについて回る取り巻き数名。

 レンナルト様へ距離を詰める彼女達だったが――


 私はその間に割り込んでみせる。

 そして私は少々悪い目つきをより厳しくさせながら持っていた扇でブリギッタ様を示した。


「ブリギッタ様! みっともなくてよ!」

「い、イーリス様……っ」


 私は声高らかに言う。


「ご存じの通り、レンナルト様には私という婚約者がいます。婚約者がいる異性へ積極的に接触しようとする事……ましてや高貴な立場である王太子殿下にそのような不躾な振る舞いをする事など、到底許される事ではありませんわ!」


 少々厳しい物言い……けれど何も間違ってはいない、社交界での常識を私はブリギッタ様へ突き付ける。

 いつの間にか、同じ講義を受け、教室に残っていた生徒達の視線は私達へと集まっていた。


 そんな中、ブリギッタ様は……


「ひ、酷いです……っ!」


 ワッと、声を上げて泣き崩れた。

 大袈裟である。いくら厳しい物言いをしたからと言って、成人を迎えた女性がギャン泣きするような乱暴な言葉をぶつけた覚えはない。


 ブリギッタ様はぽろぽろと涙を流しながら訴える。


「私はただ、同級生として殿下とお話したいだけ……。それに、成績優秀な殿下に教えを乞う事の何がいけないのですか……! 学園に通う以上、殿下だって平等に扱われるべきです!」

「そうですわ、イーリス様! レンナルト殿下を独り占めしたいからとこのような横暴な方法で、他者を遠ざけようとするなど、あんまりですわ!」

「ブリギッタ様が可哀想です! まるで殿下を害そうとする悪者かのような言い方をされて……っ」


 ブリギッタ様の言葉に共鳴するように、取り巻きのご令嬢まで反論し始める。


「レンナルト様がお望みならばまだしも、本人が望んでもいない接触でご迷惑をお掛けする訳にはいきませんわ」

「どうしてイーリス様がそれを決めるんですか!? 殿下の言葉すら無視して……っ、私達だけではなく、殿下にも失礼だとは思わないのですか!」

「思いませんわ」

「な……っ」

「思いません、と申しました。ここまでの話を聞いた上で、殿下が何も言わないのが全てでしょう」

「そんなの、イーリス様の強引な方法に困っていらっしゃるんでしょう……!」

「……くだらないですね」


 ブリギッタ様の反論に嘲笑してから、私はレンナルト様の腕を自分の腕に絡める。

 すると、ブリギッタ様の顔が怒りに染まった。


「お勉強会でしたら、周りのお勉強が出来るお友達に頼んではいかがでしょうか? それでは……ろくな御用がなさそうですので、私達は失礼いたしますね? さぁ、レンナルト様」

「ああ」


 私はレンナルト様と腕を絡みながら、ブリギッタ様の傍を離れていく。

 その際、他の生徒の横を通り過ぎたのだけれど。


「またイーリス様か」

「あそこまで言わなくても……殿下を独占しているのだって事実だろうに」

「言い方ってものがあるでしょうに」

「あんな風に好き勝手振り回されていれば殿下も堪ったものではないだろうな」


 そんな囁きがいくつか届いてきた。


 ……ええ、分かっていますとも。


 たとえ正論だとしても、意地悪な言い方をした自覚はある。

 けれど優しく言っても私を舐めて聞く耳を持たないのが彼女達のような女性なのだ。

 であるならば多少強引にでもレンナルト様から引き離せる方法をとった方がいいと、私はそう考えていた。


 けれど……


「やはり、不仲の理由はイーリス様の強引さにあるんじゃないか?」

「流石、我儘悪女と囁かれるだけはありますわね」


 お陰で私は――我儘悪女と呼ばれるようになっていた。

 勿論一部の生徒……ブリギッタ様と親しい関係の生徒が主ではあるけれど。

 ただ、この呼び名が横行し、私が自分勝手な我儘令嬢であるという噂が、私達の不仲説を後押ししている事は事実だった。


(私だって、悪女なんてなりたくなどないのですが~!?)


 私は内心で絶叫しながら涙を流すのだった。


 ――悪女イーリスの悪評。


 これこそ、不仲説が広まった二つ目の理由である。




 学園内ではある程度は身分差のしがらみを取っ払うような制度や校則が存在する。

 しかし生徒が王太子ともなれば、他の生徒と全く同じように扱う……などというのは無理な話で。

 学園側としても彼との関わりは慎重に、という考えを生徒達に徹底させていた。


 だからこそ、ブリギッタ様やその取り巻き、また彼女と同じような考えを持つ人達の考えは学園関係者の目から見ても正しいものとは言えない。

 ……レンナルト様が大勢との生徒との交流を望むのであれば、また学園側の措置も変わるのだろうが、現状そんな様子もない訳で。


 そんなこんなで、私は日々王太子との繋がりを求めてレンナルト様へ近づく生徒達を厳しい言葉で追い払う悪役を買って出ていた。


 私が悪女だとか、我儘娘だとか。

 そういう噂は気分が良いものではないし、学園生活を心穏やかに過ごせない要因の一つでもあったが……こんな噂によって地位が覆る程、我がアルムガルト公爵家の名は軟じゃない。


 それに、私の家族や、時折王太子妃教育に付き合ってくださる王妃様など、私の積み重ねてきたものを正しく評価してくれる人達の大きな後ろ盾もある。

 だからこそ私はレンナルト様の学園生活と、王太子としての評判の為、そしてその他大勢の為、安心して悪役を買って出る事が出来るのだ。


 私がすべきなのは、王太子妃となるに相応しい教養を学園で磨く事と、とにかく殿下に殆ど関わりがないような生徒を近づかせない事。

 そう思って、学園生活を送って来ていたのだが……。




「レンナルト殿下ぁっ」


 ある日。

 懲りずにレンナルト様へ近づくブリギッタ様を止めるべく、私は二人の間に立つ。


「ブリギッタ様、お引き取りを」


 いつも通り、強い語気で彼女をレンナルト様から遠ざけようとする。

 しかしこの日の彼女はそんな私を見ても嫌な顔をせず――寧ろ、何か企むような笑みを深めた。

 その時だ。


「またイーリス様だよ」

「本当に空気が読めないな。あんなのが次期王妃で国は大丈夫なのか?」


 周囲から普段よりも大きな声で、私への批判が飛ぶ。

 どうやらブリギッタ様は自分の味方をしてくれる生徒を近くに集めていたらしい。


 偶然その場に居合わせたようなフリをしながら、近くの生徒達が好き勝手に話す。

 まあ、多少声が大きくなろうとも言われる内容はいつもと変わらない。

 取り乱す程でもない、そう考え、いつも通り悪役に徹そうとした時だった。


「まあ、仕方ないのではなくって? だって、イーリス様が殿下の婚約者に選ばれたのって――公爵家に生まれたからでしょう?」


 その言葉が、私の胸に突き刺さる。

 同時に、嘲笑が沸いた。


「違いない。殿下のように成績で首席をとるような才能もない」

「地位以外何もないのに、どうしてあんな風に偉そうに出来るのかしら」


 これは所謂サクラ――悪意を持って集まった人々の極端な声でしかない。

 気にする事はない。


 そんな事はわかっていても……胸が締め付けられた。


 私は私が特別ではない事を知っている。

 こうして堂々と悪役に徹することが出来るのが、公爵家に生まれたという、自分自身以外の要因によるものだという事も理解している。


 天才ではないから王太子妃教育では上手くいかない事も多いし、毎日のように苦戦している。

 本当に私はレンナルト様の傍に立てるのかと、不安に思う事もある。


 そんな、後ろめたさや劣等感が私の心を大きく揺さぶったのだ。


「……イーリス?」


 傍でレンナルト様が私の名前を呼ぶ。

 そこでハッと我に返った。


 この心の揺らぎが、彼に気付かれてはならない。

 そう思い、私は取り繕おうとした。


「……何でもありませんわ」


 けれどこの時浮かべた笑顔が、きっと上手く作れていなかったのだろう。

 レンナルト様はハッと息を呑むと、目の色を変えた。


 そして、私がまずいと思う間もなく、彼は私の手を引いて自分の後ろに立たせた。


「っ、レン――」

「煩わしい」


 低く冷たい声が教室中に響き渡る。

 瞬間、私を笑っていた声がピタリと止んだ。


「……へ」


 ブリギッタ様が顔を引き攣らせる。


「毎度毎度、よく懲りないものだな。……なぁ、ブリギッタ・ドスタル」

「で、殿下……?」

「気やすく私を呼ぶな。私はお前に発言を許可した覚えはない」


 ひゅ、と隙間風のような呼吸の音がブリギッタ様から聞こえた。

 レンナルト様は髪を掻き上げながら周囲に視線を巡らせる。


「どうやら……彼女が気を利かせてやっても全く学ばない愚か者がこの学園には多いらしい」


 レンナルト様はそう言いながら、ブリギッタ様へと距離を詰める。

 望んでいたはずの接近。

 だというのにブリギッタ様は恐怖に顔を歪めながら後退った。


 当然だ。

 日頃涼しい顔をしているレンナルト様は今、怒りの形相をしていたのだから。


「彼女は再三言っていたはずだ。私が――お前のような浅はかで愚かしい女との接触を望んでいない、と」

「れ、レンナルト様、落ち着いてくださいませ」


 これ以上はまずい、と私は慌てて彼を止めようとする。

 しかしそれで止まるような方ではない。

 レンナルト様はブリギッタ様を恐ろしい眼光で見下ろしながら言った。


「分からないようだからはっきりと言わせてもらおう。お前のような利己的で周りが見えない女も……根も葉もない噂を信じる者も、それを誇張する者も、その全てが不快だ。目障りだ」


 ここに集まっているのは、レンナルト様の言葉に心当たりがあるものばかりだ。

 皆が一斉に顔色を変え、視線を逸らした。


「何より、私の愛する者へ悪意を向け、傷付けたその事実があまりに腹立たしい」


 愛する者。

 彼がそう形容すべき人物がこの場には一人しかない。

 その事実に気付いたからこそ、自分が大きな過ちを犯した事を悟り、その場の誰もが言葉を失ったのだ。


 レンナルト様は最も近くにいた――そして今回の騒ぎの主導者であろうブリギッタ様へ言い放つ。


「いいか? 最後の忠告だ。金輪際、その不愉快な顔を――二度と、私の前に見せるな」


 ブリギッタ様は彼の気迫に押し負け……へなへなとその場に座り込んでしまう。


「行こう、イーリス」


 それからレンナルト様は私の手を引いてブリギッタ様に背を向ける。

 重苦しい空気の中、立ち去る私達の後ろからはワッと泣き出すブリギッタ様の声が聞こえ、私は気が遠くなるのを感じた。


(だから……悪役を買って出ていたのに……っ)


 全てはこうなる事を避けての事だったのに。

 そんな嘆きは、誰にも汲まれる事はなかった。




「あの……レンナルト様」


 その後。

 私は中庭のベンチまで連れ出され、今はベンチに座る彼の膝の上に乗せられていた。


 彼は腕の中に私を閉じ込めるとまるで犬のように顔を摺り寄せて来る。

 初めは甘えているのかと思っていたけれど、名前を呼んでも返事がないところを鑑みると……自分でもまずかったと言う自覚があるのだろう。

 よってこれは許しを乞うているのだろうと私は悟った。


「……怒っていませんよ」

「そうか」

「でも……明らかに言いすぎ、やりすぎです」

「…………ああ、すまない」


 明らかに凹んだ声が返される。


「だが、君があんな風に笑われているのは耐えられないし……耐えたくもないと思った。いくら君が私や私の立場を考えてくれているのだとしても、君が傷つくのは許容できない」


 そう言いながら抱きしめる腕に力を入れるレンナルト様。

 その温もりに身を委ねている内に、私は絆されてしまいそうになった。


 ――レンナルト様は、私をとても愛してくださっている。

 それはもう、明らかなえこひいきと言わざるを得ないくらいに、他者との温度差をつけて。


 初めは政略的な婚約だったけれど、次第に中を深めていった私達は恋仲となっていった。

 互いに初恋だった事もあるのだろう。

 私も私で、レンナルト様に対する思いを拗らせている自覚はある。

 しかし……レンナルト様は私以上にそれが振る舞いに顕著に現れていた。


 私には非常に甘い反面、それ以外の者に対する関心が殆どない。

 特に自分と私に不利益を与えるような存在には容赦がなかった。


 しかしレンナルト様は次期国王。

 執務関係のコミュニケーションならばそつなく熟せる彼だが、プライベートで他者を攻撃し続ければ必ず彼の印象や支持率に拘わって来る。

 それに……レンナルト様は非常に綺麗なお顔立ちで……綺麗過ぎるが故に、真顔や怒りの時の顔は圧が凄いし、怒り方も歯止めがきかなくて非常に怖い。


 あんな怒り方をされれば誰もがトラウマになる事だろう。


 ……そんな理由から、私はレンナルト様とある取り決めを決めていた。


 一つ、学園内では私へのアプローチを控える事。

 これは私と他者への態度に差があり過ぎると、そこからレンナルト様への不満に繋がる恐れがあるからだ。


 二つ、レンナルト様と深い関係にある(例えばご友人など)方以外の対応は私が代わりに行う事。


 三つ、相手によっては私は嫌われ役を買う事になるけれど、決して怒ってはいけない事。


 これはレンナルト様が学園生活で大勢の生徒に囲まれて困らないようにする為であり、彼の愛の重さがバレる事で王太子としての評判が左右される事を避ける為であり、そしてその他大勢――レンナルト様の怒りに触れてトラウマを抱える人が現れない為の措置だった。


(結局、上手くいかなかったわ……)


 彼の先程の振る舞いを、どうフォローしようか。

 そんな事を考えていた私はふと、顔を摺り寄せていたレンナルト様と目が合う。


「イーリス。私が不器用なせいで君に迷惑を掛けてしまうのは申し訳ないと思っているが……君が傷つくような方法はいただけないし、どうか……私に対してまでそれを誤魔化すのはやめて欲しい」


 先程、何でもないと返してしまった事を言っているのだろう。


「……はい。申し訳ありませんでした」


 私が素直に謝罪をすると、彼は優しく微笑む。

 その顔が……普段の無表情からは考えられない程に甘くて柔らかくて。


「……っ」

(ああ、もう~~~~~~っ! 顔が良すぎてどうでもよくなっちゃいそうなんだから~~~~!! す、好き過ぎる…………っ)


 私は叫び出したい衝動を何とか顔を真っ赤にするだけに留めた。


(もう……後の事はこれから考えればいいか……)


 理性を吹き飛ばしてしまった私は、今だけはこの、私にだけ見せてくれる顔と、彼の深い愛情に溺れてしまおうと決める。


「愛してる、イーリス」

「わ、私もです……レンナルト様」


 それから私達は取り決めの事なんか忘れて、どちらからともなく口づけを交わすのだった。




 尚、この現場はばっちり他の生徒に盗み見られており。

 レンナルト様が激昂したのは私に対する悪意が主な理由だったこともあり。


『レンナルト殿下は婚約者の為に心から怒ることが出来る紳士である』

『二人は非常に仲睦まじいラブラブカップルである』


 などという噂が瞬く間に広まった。

 このお陰でレンナルト様の評判は『婚約者想いの王太子』という、寧ろ良い方向に転がり、私が危惧していた問題は解消されたのだった。


 結果オーライである。

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