第7話「魔王の影と黄金の商機」
朝の光が、木漏れ日亭の古びた窓ガラスを透過して、磨き上げられた床の上に細長い光の帯を描き出していた。
空気中を浮遊する微細な塵が、その光の中でキラキラと踊っている。
平和そのものに見える光景だったが、通りを歩く人々の表情には、ここ数日で明らかに変化が生じていた。
足早に立ち去る背中、ひそひそと交わされる不穏な噂話。
それらの中心にあるのは、はるか北の国境付近で蠢き始めたという、魔王軍の影だった。
俺はカウンターの奥で、帳簿に羽根ペンを走らせる音を聞きながら、町の空気の重さを肌で感じ取っていた。
「戦争の気配か。……どこに行っても、結局これからは逃げられないんだな」
前世の商社時代、紛争地域の情勢一つで資源価格が跳ね上がり、物流が死に体になるのを何度も見てきた。
その時の苦い経験が、俺の脳内に冷徹なシミュレーションを強制的に展開させる。
「ケンイチさん、今日の市場、塩と小麦の値段がまた上がっていました。仕入れの商人も、次はいつ入荷できるか分からないって……」
買い出しから戻ったサリアが、重いカゴを調理台に置きながら、不安げに眉を寄せた。
彼女の額には薄っすらと汗が滲み、その瞳には町全体を覆いつつある焦燥感が反映されている。
俺は椅子から立ち上がり、彼女の肩を優しく叩いた。
「大丈夫だ、サリア。こういう時のために、在庫を積み上げてきたんだから。物流が止まるということは、情報の価値が上がるということでもある」
俺はアイテムボックスを起動し、その広大な空間に貯蔵されている物資のリストを脳内でスクロールした。
商業ギルドとの契約で密かに買い集めていた、大量の穀物、乾燥野菜、および保存のきくスパイス。
普通の倉庫なら腐敗や害虫の被害に遭う量だが、時間停止機能を持つ俺のボックス内では、すべてが「たった今収穫された」状態を維持している。
だが、俺が狙っているのは、単なる物資の売り抜けではない。
この不安定な情勢こそが、既存の物流システムを根底から塗り替える最大の商機となる。
「サリア、今日からサンドイッチの具材を少し変えよう。より栄養価が高く、元気が出るものに。そして、価格は据え置きだ」
「えっ? 材料が上がっているのに、いいんですか?」
サリアが驚きに目を見開く。
俺は窓の外で、不安そうに食糧を買い求める人々を見つめた。
「今は目先の利益よりも、信頼を稼ぐ時期だ。サトウ商会に行けば、安くて旨いものがいつでも手に入る。その確信を人々の心に刻み込むんだ」
企業としてのブランド力、あるいはインフラとしての依存度。
それを高めることが、後にどれほどの巨大な利権を生むか。
王宮の騎士たちが剣を振るい、魔導師が呪文を唱えている間に、俺はこの世界の生活の根幹を掌握する。
足元で丸まっていたフェリルが、俺の意図を察したように「グルル」と喉を鳴らした。
銀色の毛並みが、朝日を反射して鋭い光を放つ。
俺はアイテムボックスから、秘蔵のハーブティーの茶葉を取り出した。
沸騰させたお湯を注ぐと、心を落ち着かせる清涼な香りが店内に満ちていく。
まずは自分たちが冷静であること。
混乱という波が押し寄せてくるのを、俺はカウンターの奥で静かに、そして鋭く待ち構えていた。




