第6話「看板娘と秘密のレシピ」
支部長との交渉を終えた俺が向かったのは、町の北側に位置する、古びているが手入れの行き届いた食堂だった。
「木漏れ日亭」という看板が、風に揺れてかすかな音を立てている。
ここを新しい事業の拠点に選んだのは、その立地の良さと、何より店主の人柄に惹かれたからだ。
中に入ると、昼どきを過ぎた店内に、木の床を磨き上げるキュッキュッという規則的な音が響いていた。
「いらっしゃい……あ、干し肉の商人さん!」
声をかけてきたのは、白いエプロンを身につけた若い娘だった。
彼女の名前はサリア。
亜麻色の髪を後ろで一つにまとめ、意志の強そうな大きな瞳を輝かせている。
彼女は、病気がちの父親に代わって、この傾きかけた食堂を一人で切り盛りしていた。
「こんにちは、サリアさん。例の話、考えてくれましたか?」
俺が椅子に腰を下ろすと、フェリルは慣れた様子で足元のテーブルの下に潜り込み、大きなあくびをした。
サリアは掃除の手を止め、少し不安そうに俺を見つめた。
「ケンイチさんの提案は、本当に魅力的です。でも、こんな寂れた店を拠点にするなんて、あなたのような凄い商人さんにメリットがあるとは思えなくて……」
彼女の指先が、エプロンの裾をぎゅっと握りしめる。
自分たちの店に価値がないと思い込んでいる。
だが、俺の目は節穴ではない。
この店の厨房は驚くほど清潔に保たれ、使われている道具はどれも大切に手入れされていた。
「メリットは私が作ります。サリアさん、あなたはここで、私が教える『新しい料理』を作ってください。材料と物流は全て私が責任を持ちます」
俺はアイテムボックスから、厳選した食材を取り出した。
真っ白な小麦粉、新鮮な卵、そしてボックス内の自動加工で理想的な配合に調整された特製の「マヨネーズ」と「マスタード」だ。
この世界にはまだ存在しない、現代の調味料。
俺はサリアに手伝ってもらいながら、その場で調理を始めた。
厚切りにしたパンを軽く焼き上げ、表面に香ばしい色をつける。
そこにシャキシャキとしたレタス、厚切りのトマト、そしてカリカリに焼き上げた「あの干し肉」を何層にも重ねていく。
仕上げに特製ソースをたっぷりとかけ、包丁で鮮やかに切り分ける。
断面からは具材の色彩が溢れ出し、見るだけで唾液が込み上げてくるような美しさだった。
「これが、私の提案するメニューの一つ――『ケンイチ・スペシャル・サンドイッチ』です。食べてみてください」
サリアはごくりと喉を鳴らし、震える手でそのサンドイッチを手に取った。
大きな口を開けて、思い切り頬張る。
カサリというパンの焼ける音に続いて、野菜の瑞々しい食感と肉の濃厚な旨味が、彼女の口の中で爆発した。
「……っ!」
サリアは言葉を失い、ただ何度も咀嚼を繰り返した。
彼女の目から、一粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝っていく。
「おいしい……。こんなの、食べたことありません。酸っぱくて、クリーミーで、お肉の味がどんどん深くなって……」
彼女は感動に震える声で、夢中で食べ進めた。
その表情は、料理人が最も欲しがる最高の賛辞だった。
「この味は、サリアさんの丁寧な仕事がなければ完成しません。あなたのその腕を、私に貸してくれませんか?」
俺が真摯に問いかけると、サリアは涙を拭い、力強く頷いた。
「はい! 私、精一杯頑張ります! この店を、ケンイチさんと一緒に、町で一番のお店にします!」
彼女の瞳に、希望の光が宿ったのを確認して、俺は安堵のため息をついた。
サリアという右腕を得たことで、俺の計画は加速する。
単に物を売るだけでなく、そこに「文化」を付加価値として乗せていく。
物流の効率化でコストを下げ、現代知識による圧倒的な味で市場を独占する。
俺は、窓の外を流れる雲を見つめた。
王宮でふんぞり返っている連中が、この変革に気づく頃には、世界の経済は俺の手のひらの上にあるだろう。
フェリルが俺の膝に顎を乗せ、温かい鼻息を吹きかけてきた。
「お前にも、後で特大のサンドイッチを作ってやるよ」
俺はそう囁き、サリアと共に、新しいメニューの改良に取り掛かった。
夕暮れの光が店内に差し込み、二人の影を長く、そして確かに重ね合わせていた。




