第1話「役立たずのレッテルと王宮の冷気」
登場人物紹介
◆佐藤 健一
32歳の元社畜商社マン。
常に在庫と納期に追われる生活をしていたが、異世界に召喚され、ハズレ扱いの「アイテムボックス」を授かる。
温厚だが、仕事に関しては冷徹なまでの合理性を発揮する。
◆フェリル
伝説の霊獣である銀狼。
本来は神の使いとして恐れられる存在だが、健一が作った「味の染みた角煮」に魂を奪われ、文字通り飼い犬(狼)のような甘えん坊になる。
巨大で圧倒的なモフモフ。
◆国王・アルベルト
健一を召喚し、無能として追放した傲慢な支配者。
魔王討伐という大義名分のもと、国民から重税を搾り取り、物流や経済の重要性を全く理解していない。
◆勇者・高城
健一と一緒に召喚された元同僚。
強力な聖剣のスキルを得て増長し、健一を「荷物持ちにもなれないゴミ」と罵る。
後にその傲慢さが仇となる。
◆サリア
健一が辺境の町で出会う、しっかり者の看板娘。
商売の才覚がある健一に惹かれ、商会の秘書的な存在として彼を支えるようになる。
足の裏から伝わってくる大理石の冷たさが、現実感をいっそう際立たせていた。
天井の高い謁見の間には、鼻を突くような強い香料の匂いが充満している。
それは高価な香木を焚き染めたものなのだろうが、現代日本の清潔なオフィスで働いていた俺にとっては、喉の奥を刺激する不快な重苦しさでしかなかった。
視界の端では、豪華な装飾が施された柱が等間隔に並び、その影には銀色に輝く鎧をまとった騎士たちが、彫像のように微動だにせず控えている。
俺の隣には、さっきまで同じ会議室で退屈なプレゼンを聞いていたはずの同僚、高城が立っていた。
彼はすでに自分の置かれた状況を肯定的に捉え終えたのか、その瞳には高揚した光が宿っている。
対照的に、俺の胸中にあるのは、得体の知れない不安と、使い古された雑巾のようにぼろぼろになった疲労感だけだった。
正面に据えられた金色の玉座には、この国の支配者であるというアルベルト国王が、退屈そうに頬杖をついて座っている。
その隣に立つ魔導師風の老人が、水晶球に浮かび上がった文字を読み上げた。
『聖勇者候補、タカギ。固有スキルは聖剣召喚、および全属性魔法適性。……素晴らしい。まさに伝説に語り継がれる救世主の器ですな』
老人の声が震え、周囲の騎士たちからも、どよめきのような吐息が漏れる。
高城は得意げに胸を張り、俺をチラリと横目で見た。
その視線には、社内で営業成績を競っていた頃にはなかった、明確な見下しの色が混ざっている。
次に老人は、俺の方へと視線を移した。
水晶球を覗き込むその瞳が、不意に失望の色に染まる。
『……サトウ、ケンイチ。固有スキルは、アイテムボックス。以上でございます。適性は、鑑定不能。おそらくは、ごく小規模な物入れとしての機能しか持たぬハズレ枠かと』
一瞬の沈黙の後、謁見の間は冷ややかな嘲笑に包まれた。
アルベルト国王は、あからさまに不快そうな顔をして鼻を鳴らした。
『アイテムボックスだと。そのようなもの、この城の雑用係でも持っておる。わざわざ異世界から呼び寄せて、魔力の無駄遣いをしたものだ』
国王の言葉は、氷の塊のように俺の背筋を撫でた。
隣に立つ高城も、隠そうともせずに噴き出した。
「おいおい、サトウ。お前、こっちに来てまで荷物持ちかよ。会社でも在庫管理ばっかりしてたもんな。お似合いだよ」
彼の言葉に、周囲の貴族たちが追従するように笑い声を上げる。
その音は、耳の奥にこびりついて離れない嫌な響きを持っていた。
俺は何も言い返さず、ただ自分の足元を見つめていた。
意識を内側に向けると、脳裏にぼんやりとした半透明のウィンドウが浮かび上がる。
そこには確かに「アイテムボックス」という文字が刻まれていた。
しかし、彼らが言うような「ハズレ」だとは、どうしても思えなかった。
商社で長年、物流と在庫の流れを凝視し続けてきた俺の直感が、この力の底知れなさを告げている。
それは単純な箱ではなく、世界の理を切り取ったかのような、深淵な空間の広がりを感じさせた。
だが、今の俺にそれを説明する術はないし、理解してもらおうという気力も湧かなかった。
『おい、その無能を外へ放り出せ。聖勇者殿の教育の邪魔だ。最低限の路銀だけはくれてやる。温情だと思え』
国王が横柄に手を振ると、二人の騎士が俺の腕を無造作に掴んだ。
金属の手甲が肌に食い込み、鈍い痛みが走る。
引きずられるようにして、俺は豪華な謁見の間を後にした。
背後からは、高城がチヤホヤされる声と、俺を嘲笑う残響がいつまでも聞こえていた。
城門の外に放り出された俺の手には、数枚の汚れた銀貨が入った小さな革袋だけが握らされていた。
見上げる空は、吸い込まれるほどに青く、残酷なまでに澄み渡っている。
太陽の光が、王宮の白い壁に反射して、俺の視界を白く染め上げた。
肺に吸い込んだ空気は、元の世界よりも少しだけ密度が濃く、未知の植物の香りが混ざっている。
俺はゆっくりと立ち上がり、スーツの汚れを手で払った。
ネクタイを緩め、首筋を流れる汗を拭う。
これでもう、納期に追われることも、上司の顔色を伺うこともないのだ。
そう思うと、不思議なほどの静寂が心の中に広がっていった。
追放されたという事実よりも、自由を手に入れたという感覚が、じわりと細胞の隅々にまで浸透していく。
俺は一度だけ、巨大な石造りの王宮を振り返った。
あの中にあるのは、古臭い権力と、目先の数字しか追えない無能なリーダーたちの巣窟だ。
彼らは物流の重要性を知らない。
適切な場所に、適切なものを、適切なタイミングで届けることが、どれほどの力を生むか。
それを知らない者たちが、この先どのような苦境に立たされるか、想像するのは容易だった。
俺は革袋をポケットにねじ込み、喧騒の絶えない城下町を素通りして、遠くに見える深い森へと歩き出した。
アスファルトではない、土の感触が靴の裏を通して伝わってくる。
踏みしめるたびに上がる土煙が、午後の光を反射してキラキラと輝いていた。
まずは、この力の正体を確かめる必要がある。
俺自身の、新しい「仕事」を始めるために。




