少しの事
小声で数字を数える彼、色を乗せれず線だけが増えて行くキャンバス。ほんのり汗ばむ私と、額に汗を流す彼。
日が陰りほんの少しだけ涼しくなった部屋の中で、2人のリズムは不思議と心地よく揃っていく。
少し眠気を感じながら私はあくびを咬み殺す。キャンバスの先で彼が深く息を吐きだし立ち上がるのが見えた。
筆を止め彼の方を見る。乱れた呼吸を整えながら少しくせっ毛の黒髪をかきあげる彼が、夕日に汗を光らせながら目を閉じて首を鳴らしている。
ひとつ伸びをした後、彼は着ているTシャツのすそを引っ張りあげ顔を乱暴に拭く。夕日に照らされたその姿はまるで青春を具現化した彫刻のようで、私にはあまりにも眩しかった。少し目を伏せるとその乱暴に引っ張られた空色のTシャツの下によく鍛えられた肌が見えた。私とは違う健康的な色、脂肪なんて見当たらない引き締まった筋肉。少し汗で濡れた美しい造形に見とれて居ると、彼の視線を感じた気がしてハッと我に帰る。
チラッと彼の顔を見ようと目線をあげた時、彼はもう一度Tシャツで汗を拭う。
「タオルで拭きなよ」
私は見とれていた気まずさを誤魔化すように彼にタオルを勧める。それを聞いて彼は彼でニコと笑い手を広げる。
「タオル取って!へいパス!パス!」
そう言って笑う彼に釣られて私も笑顔になる。きっとさっきの私の視線には気づいていないだろう。そうであって欲しい。
彼のカバンを開け中からタオルを取り出して思いっきり投げる。宙を舞ったタオルは彼に届くことはなく途中で失速し手前に落ちる。彼はやっぱりという顔をしながらこちらに歩き、拾ったタオルで顔を拭きながら自分のカバンを漁り始め、私は絵を片付け、ハンカチで汗を拭う。
遠くの演奏の音も消え、私と彼の帰り支度の音だけが聞こえた。