第3話_亮汰、屋上で跳ぶ
4月9日、火曜日。午後1時。
潮崎中央ビルの屋上には、春の陽が強く差し込んでいた。
風が抜けるたび、足元の金網フェンスがかすかに軋んだ音を立てる。
「よし、風向きは左から右。日射角はほぼ真上。タイミングは、今しかないな」
亮汰は小さく呟くと、両手でゴーグルのバンドをしっかり締めた。
その足元には、カメラを積んだドローン。バッテリーは満タン。GPS補足良好。隣には、なぜかスニーカーを脱ぎ捨てて靴下のまま立っている。
「じゃ、撮るよー!」
彼は自分の声に応えるようにドローンの操作タブレットを起動し、録画ボタンを押した。
次の瞬間。
亮汰はビルの縁を軽く助走し、コンクリートの段差を蹴って跳んだ。
——正確には、跳び越えようとした。
隣のビルへ、幅2メートルの空間をパルクール的に踏み越える予定だった。
が。
「おっふ、ちょっと足りん……!」
風が一瞬強まったのか、あるいは単純に助走不足だったか。
足先がほんのわずかに隣ビルの縁を外し、彼の身体は宙でよろめく。
どしゃあああんっ。
隣ビルの屋上に着地するはずが、エアコン室外機に足を取られて腹から落ちた。
「いてて……あー、腰……」
呻きながら身体を起こすと、ドローンが彼の顔をちょうど正面から撮っていた。
録画ランプが点灯している。
「……よし、これ使える!」
亮汰は満面の笑みで親指を立てた。
やることなすこと無謀。けれど、明るさは天性のものだった。
その日の夕方、彼は古びたゲストハウスの一室で動画編集を始めた。
ノートパソコンとモニターを並べ、素材を読み込みながら音楽を当てていく。
「“崖っぷちに立つ灯台”って構図、やっぱ最高だな……。でもって俺のズッコケ入れて、危機感アピール……OK、30秒に収まった!」
そこにノックが一つ。
ガチャ、とドアが開いて、入ってきたのは樹だった。
「……相変わらず、なんか跳んでたな」
「おう、跳んだら落ちた」
「落ちたのに笑ってるお前は変わらんな」
「でも動画は撮れた。見てみ?」
亮汰はノートPCをひねって樹に向けた。
冒頭、灯台を背にして軽やかに跳ぶ彼の姿、空中での一瞬の浮遊、そして……華麗なる腹落ち。
その直後、ドローン目線で映る彼の笑顔と親指。
樹は思わず笑ってしまった。
「お前、それで死んだら企画終わるぞ」
「生きてるからセーフ。つーか、何かやるときって、ちょっと無茶なくらいの方が面白くね?」
亮汰はあっけらかんと言いながら、動画にテロップを乗せていく。
『この灯台、来年には消えます』
『でも、俺たちは残したい』
『君の記憶に、この光を。』
「……この30秒、どこに出す予定なんだ?」
樹が問いかけると、亮汰はタブレットを開いたまま指を滑らせる。
「まずは仲間集め。あの頃の放送部メンバー、今どこにいるか知らないけど、SNSとかで見つけたらこれ送る。説明は後。まず心動かせばいい」
「行動、早すぎだろ……」
「止まってる時間がもったいないんだよ。樹、お前本気なんだろ?」
「……ああ」
「だったら、こっちも本気出す。落ちても跳ぶ。それが俺のスタイルだ」
樹はしばらく黙って亮汰の背中を見ていた。
軽そうに見えて、彼なりの信念がある。その無謀さが、時に人を動かすことを、昔からよく知っていた。
亮汰はポケットから小さなUSBメモリを取り出し、樹に差し出した。
「編集済みデータ。これ、明日理央に見せといて。彼女がOK出すなら、今週末に公開」
「わかった……って、理央のこと覚えてたんだ」
「忘れるかよ、あの赤ペン女王。怖かったなー……今も?」
「今も」
「やっぱりか」
二人は同時に笑った。
昔の空気が、少しだけ戻ってきた気がした。
その夜、樹は理央に動画を送信し、わずかに緊張しながら返信を待った。
戻ってきたのは、たった一言。
『使える。が、最後の3秒、ロゴを入れて』
——それは、賛同の証だった。
4月10日、動画は限定公開という形で仲間たちに送られた。
志歩は深夜、バーのカウンターでスマホ越しに見て吹き出し、
祐介はジョギング前に見て、目元を緩めた。
そして、連絡がひとつずつ、樹のスマホに戻ってくる。
【見たよ。ちょっとだけ、話聞かせて】
【お前ら、またバカなことやってんのか】
【灯台、懐かしい。どうするか考え中】
——小さな動画が、仲間たちを再び照らし始めていた。
跳ぶ者がいて、笑う者がいて、応える者がいる。
灯台再生への物語が、加速しはじめた瞬間だった。
【終】