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殿下との約束

「……愛の必要性を理解したら、おれの妻になって欲しい」

「愛の必要性が理解できなかったら?」

「その時は……諦めるよ」


 本当に諦められるのかしら?

 その言葉を信じるなら──彼が諦めるまで、気持ちを否定し続ければ良いだけだわ。王族は遅かれ早かれ、子孫を繋ぐために婚姻が義務付けられている。

 5年か、10年か、20年か──気が遠くなるほどの攻防戦ね。

 何事もなく、お別れなど出来るのかしら……?


「生涯独身を貫いてもらっては困るのよね」

「じゃあ、」

「私は殿下と婚姻する気などないわ。10年、私が殿下の愛を理解できなかったら、他のご令嬢と婚姻して」


 彼は私の髪から顔を上げて、難しそうな顔をした。

 口を開くことはなかったけれど、私の言葉に何かしら不満があるようね。

 私は目元を腕で覆い隠し、気分の悪さどうにか押しやると、彼に問いかけた。


「文句があるのなら、いいなさい」

「10年も、おれから逃げ切るつもりなんだ……」


 自分から提案してきたくせに。

 彼は私が永遠に逃げ続ける気であると知り、ショックを受けていた。

 しゅんと項垂れる姿を見つめていると、なんだか小動物のように見えてきて、可哀想になってきたわ。

 可哀想?絆されては駄目よ。彼が私に抱く愛を理解することなく、10年間逃げ続ければ、私の勝ちなんだから!


「いい方向に考えたらどうかしら。殿下が私を愛し続ければ、私は殿下の想い人として、名を馳せることになるでしょう」

「おれが了承すれば、君は……。おれが言い寄ったとしても。まっすぐ、受け止めてくれる?」


 これは、逃げるなってことよね。

 ああ、嫌だわ。こんなのから10年も逃げ続けなければならないなんて。

 変身魔法はバレてしまったけれど、私がミスティナ・カフシーであることはバレていないのが幸いね。私の正体が露呈するのも、時間の問題でしょうけれど。


「ええ」


 適当に約束をしておけば、彼は嬉しそうに微笑み、私を力強く抱きしめた。

 一人の女と約束をして喜ぶ第二皇子──女に狂っておかしくなる王族など、誰も見たくないわよね。


 私は顔を覆い隠していた腕を少しだけズラし、彼の従者を見つめた。

 流石は沈黙の皇子と呼ばれし男の従者ね。顔色一つ変えずにぼーっと突っ立っている。


「ありがとう。星空の女神……。10年なんて言わずに、3日でおれの虜にしてみせるから……」

「……」


 耳元で甘い言葉を囁く彼の言葉を軽く聞き流し、従者の様子を窺っていると気づいたんでしょうね。無表情の従者は、気の毒そうに私を見つめた。

 主に対してか、私に対してかは微妙な所ね。


 彼に対してだと思いたいわ。私に対してだったら、彼から逃げられるわけなどないと批難されているようで……不快ですもの。


「星空の女神?アンバーが気になるの?」


 星空の女神と呼ばれるは嫌で仕方がないけど。彼が私の名を呼ぶ時は、私の正体が露呈した時だけだ。

 私は名前を名乗るわけには行かず、仕方なく星空の女神と呼ばれることを甘んじて受け入れる。

 彼からは、星空の女神と呼ばれるよりも──君と呼ばれた方が、好きだわ。


「別に……」

「気に入ってくれて嬉しいよ。アンバーは、おれが一番信頼している。兄みたいな存在なんだ」


 彼は子どものように、無邪気な笑顔を浮かべた。私を満足そうに抱きしめ微笑む姿だけを見たら、彼が沈黙の皇帝と呼ばれし第二皇子であることを疑うでしょうね。


 沈黙の皇子と呼ばれる姿が偽物なのか。

 私に好かれようとする余り、偽りの自分を生み出したのかは──判断がつかなかった。


「アンバーと申します」


 彼に促された従者は、音も立てず静かに壁際からベッド脇へ移動すると、私に頭を下げる。

 雰囲気、顔達、声質──そのどれもが、彼にそっくりだけれど……。


「影武者のようだわ」

「……あれ、説明したっけ」


 副作用でおかしくなっている頭では、本来口にしてはいけない言葉を口に出さないよう内に留める機能すら、うまく働いていないようね。

 私が口にしてはいけない言葉を吐露すれば、彼はぽかんと間抜けな表情を浮かべて、私を見つめる。


「……ごめんなさい。面と向かって、指摘するようなことではなかったわね……」

「謝らないで。気づいてくれて嬉しいよ」

「嬉しい……?」

「沈黙の皇子と呼ばれているのは、アンバーなんだ」


 彼は思いがけない秘密を、私にあっさりと打ち明けた。

 影武者。沈黙の皇子。従者のアンバー。その言葉で導き出される結論は、世間一般的なディミオ・アル厶の立ち振舞いを覆す、裏事情だった。


「兄さんは、おれが目立つ行動をしようとすればするほど、おれを潰そうと躍起になった。おれがディミオ・アル厶を名乗ると、国が真っ二つに割れかねない。だから、アンバーに押し付けることにした」

「入れ替わっていたの?」

「5歳までは普通に過ごしていたけど、一昨日までは入れ替わってたかな」

「じゃあ、昨日は……」

「永遠に入れ替わり続けるのは無理があるから、夜会に出席してディミオ・アル厶としての感覚を取り戻せと蹴飛ばされた。5分で面倒になって会場を彷徨い歩いていたら、君に出会ったんだ」


 彼はアンバーと入れ替わり、夜会に出席したお陰で私に出会えたとご満悦な様子だ。

 第二皇子が長い間従者と入れ替わっていたなど……。

 伯爵令嬢が聞いて良い話ではないわ。何よりも、私達の会話は地獄耳の魔法が使えるお兄様だって聞いている。お兄様は利益を得るためなら、王族を脅すことも厭わないでしょう。

 彼の身に何かあれば、真っ先に疑われるのは私だわ。勘弁してほしいとしか、思えなかった。


「アンバーとして君へ会いに行ってもいいけれど、第二皇子の従者が星空の女神へ頻繁に会っているなんて噂が経てば、君に悪さを企てる不届き者が現れるかもしれない。おれはこれから君を幸せにする為、ディミオ・アル厶として生きる。君が庶民的な暮らしを望むのなら、アンバーとして暮らしてもいいけどね」


 王族が生涯従者と入れ替わって生き続けるなど、とんでもない話だわ。

 第一皇子が国王になれば、第二皇子はそれほど重要視されることなどないでしょうけれど……。アンバーとして生き続けた彼が、不慮の事故に巻き込まれでもしたら……。


 王家にどこの馬とも分からぬ骨が混ざり、我が物顔で王族を名乗るなら、従者は生きた心地がしないでしょう。

 その気になれば彼は従者と人生を入れ替えても構わないと言うけれど、この国の未来を考えるのならば、そんなこと絶対にあってはならないことだわ。

 王妃になりたくないと駄々をこねた上、彼に大罪を背負えなど……口が裂けても願えるはずもない。


「国の未来を憂うなら、絶対に提案できないであろうことを笑顔で提案するのはやめて」

「おれは君さえ手に入れば、他には何もいらないよ」

「冗談でしょう」

「本気だよ。おれは君を愛しているから。必ず君を、俺の妻として娶る。おれのことが大好きになって、おれと同じくらいの愛を抱いて貰えるように……努力するよ」


 たった一人の愛する女を攻略する暇があるなら、国のために尽力して欲しいわね。

 これだけ私が好きで愛していると騒ぐのならば、難しいかもしれないけれど。


「殿下が愛する……」

「うん」

「星空の女神は……夜空のように美しい黒髪と、星のように輝く瞳を持っている」


 私は手紙に書かれた内容を読み上げた。

 私のもとにも手紙がやってきたことを暴露するようなものだけれど、彼が黒髪金目の令嬢に迷惑を掛けるようなことだけは避けなければ。


「心当たりのあるものは至急王城へ名乗り出よ。これは王命である。王命を破れば、裁きが下るだろう」

「それが、どうかしたの?」

「私は裁きを恐れない。このような手紙を受け取っても、殿下の前に姿を見せることはないわ。無関係なご令嬢を巻き込むのはやめて」

「10年経ったら、おれは君を諦めなければならない。今から君に瓜二つな令嬢に目星をつけておくのも、悪くはないよね」


 彼はやられたらやり返すタイプなのね……。10年と提案したのは間違いだったかもしれない。ただでさえ悪い体調が、更に悪くなりそうだわ。


「嫉妬などしないわよ」

「うん。知ってる。ツンツンしてる星空の女神も、愛おしい」


 箸が転んでもおかしい年頃みたい。

 この年でそんな状況になったら、手に負えないわね。

 彼から与えられる暖かなぬくもりを感じていれば、ベッド脇から壁際に音を立てずに戻っていたはずの従者が私を見て息を呑む。


「……星空の、女神……?」


 どうやら、待ち望んだ時間がやってきたようね。


 お兄様は指定した時間が経過すれば自動的に、魔法の発現権を譲渡されている。

 お兄様が転移魔法を発動させれば、私はカフシー家にひとっ飛びですもの。

 従者と彼が驚いているのは、私の身体が透けはじめているからでしょうね。


「駄目だ。おれの前から、いなくならないで」


 彼は私の身体を抱きとめる力を強めるけれど、お父様の転移魔法は一度発動したら誰にも止められない。

 彼の瞳からはポロポロと涙が溢れるけれど、私には慰められないのよね。

 本当に情けない人だわ。

 こんなのが未来の国王になるなんて、信じられる?

 この国は大丈夫なのかしら。心配になってしまうわ。


「殿下はいずれ、陛下と呼ばれるようになるのよ。泣き虫でどうするの」

「星空の女神が、おれの願いを叶えてくれないから悪い。おれが泣くのは、君の前だけだよ。お願いだ。おれの前からいなくならないで」

「私の役目は終わったわ。殿下とこの場で顔を合わせたのは、偶然なの」


 従者は嘘が分かるから、嘘ですねと口を挟まれたらどうしようかと思ったけれど。彼は難しい顔で黙りこくるだけだった。

 主と想い人の別れを邪魔するほど、不躾な従者ではないのかしら。

 私が居ない所で嘘を密告されたら、次に顔を合わせた時が怖いから嫌なのだけれど……。この場で従者に口止めをする術など、私にはないもの。

 気にしないでおきましょう。


「殿下が私を愛しているなら、誰にも迷惑を掛けずに、私を探し出して。会いに来なさい。殿下が会いに来たら、私は逃げずに顔を合わせてあげる」


 領地の中に、居ればの話だけれどね。

 私は彼に笑顔で別れを告げ──ドサリとカフシー家の大広間に、投げされた。

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