大ピンチを救ったのは
公爵令嬢が木製椅子を持ち上げて、ミスをした侍女にぶつけようとするなど……褒められた行為ではないわね。
不注意で公爵令嬢のドレスを破った侍女は、怒られて当然だけれど。木製椅子でぶん殴られるほどの罪を受ける必要が、あるのかしら?
当たりどころが悪ければ、最悪死に至るでしょう。彼女は人間が死ぬとはどういう意味か、理解しているのかしら?
理解していないからこその蛮行ならば、やはり教育的指導が必要よね。
「アンジェラ様!落ち着いてください!」
「邪魔しないで!私の受けた屈辱は、死で償って貰うわ……!」
「──アンジェラ様。そうやって、貴方は何人の侍女を手にかけて来たのですか」
「な……」
このまま私へ木製椅子をぶつけてくる姿を第二皇子に見せ、やり過ぎだと止めに入って貰うつもりだったけれど……それじゃ少し弱いわね。
このままじゃ、喧嘩両成敗になってしまうわ。
こちらも長ったらしく変態令嬢と話し合っている時間などないし、さっさと話を詰めてしまいましょう。
「ツカエミヤ!一体何を……!」
「アンジェラ様は、ご令嬢の間でどのように呼ばれているかご存知ですか?茶会の処刑人ですよ」
「なんですって!?」
変態令嬢は、自身が茶会の処刑人と呼ばれていることを知らなかった。
彼女から虐げられた人々が、彼女の耳に入らないように情報操作していたからでしょうね。
私が変態令嬢に直接禁句を告げたせいで、取り巻き令嬢たちはサッと青褪める。
自分たちが巻いた種ですもの。
侍女たちだって、そうやって変態令嬢へ文句を言っていたことがバレたらどうなるかと、気が気ではないはずだわ。
「ああ、でも……今日からは、変態令嬢と呼ばれることになるかもしれないですね。第二皇子に選ばれたいがため、過激な衣服になるよう、事前に私へ紅茶を掛けるよう指示をなさったのですから」
まるで人が変わったように饒舌に話し始めたツカエミヤを、人々はどう思うかしら?
第一皇子とロスメルのやり取りを知らない第二皇子は、気づかないでしょうけれど。
あの場にいた取り巻き令嬢が、察しよくロスメルの名前を出したら面倒なことになりそうね。
私は変態令嬢に罪を償わせる為、堂々と罪をでっち上げた。
「わたくしは指示などしていないわ!」
「では何故、紅茶は冷えているのですか。アンジェラ様に私が不注意を装って掛けるように命じたから、紅茶が冷え切っていたのですよね」
客人に冷えた紅茶を出すなど、マナー違反もいい所だ。
本来であれば客人には、熱したばかりの淹れたてを注ぐ。
熱々の紅茶なんて変態令嬢にぶち撒けたら、火傷したと大騒ぎする彼女を断罪している場合ではなくなってしまうもの。
冷えた紅茶を用意してぶち撒けたのも、すべて私の独断だけれど──変態令嬢の悪評を知る取り巻き令嬢は、彼女が望むものを得るためならばどんな非道なことにも手を染める悪女だと知っている。
勝手に勘違いして、私の味方をしてくれるはずだわ。
「そんな……」
「アンジェラ様……侍女にこのようなことを頼んでまで、第二皇子の妻になりたいのですか……?」
取り巻き令嬢たちは、ヒソヒソと内輪で会話する体を取りながら変態令嬢を非難した。
直接変態令嬢に向けて発するのではなく、噂同士程度に留めるのが貴族令嬢としてうまく社交界を立ち回るコツだわ。
面と向かって常識を疑われるよりも、噂話でヒソヒソと囁かれる方が、よほどプライドに傷がつくものね。
変態令嬢も、自分の発言を全肯定してくれたはずの取り巻き令嬢たちに手のひらを返されて、プライドがズタボロになったようだわ。
「だったら何!?何が悪いのよ!」
変態令嬢は悪びれもなく、私の罪を被った。
彼女にその自覚はないでしょう。彼女が認めたのは、第二皇子に色目を使い妻の座を虎視眈々と狙っていたことだけ。ドレスに細工して、冷えた紅茶をぶち撒けたことは認めていない。
「わたくしは公爵令嬢よ!家柄だけなら、第二皇子と婚姻する資格がある!色目使って何が悪いのよ!当然の権利でしょ!?」
「見損ないましたわ……」
「アンジェラ様……そのような方だと思いませんでした……」
取り巻き令嬢は、ドレスの細工と冷えた紅茶の件まで、すべて変態令嬢の仕業であると認識した。
変態令嬢はみっともなく髪を振り乱し、否定を続けるべきだったのよ。認めた時点で、私の勝ちは確定した。
「星空の女神はわたくしよ!第二皇子と婚姻するのだって……!」
もう少しで一息つけると思えば、急に具合が悪くなってきた。
魔法回復役の副作用が、急激に襲い掛かってきたのね。2本一気飲みは、やはり身体に大きな負担が掛かる。
まずいわ。視界が白んできた。
額からは脂汗が滲み、ポタポタと地面にシミを作る。変態令嬢が私に何かしようものなら、避けられそうにないわ。
第二皇子が見ている前で、お兄様が助けてくれるとは思えないし──。
「星空の女神は、君じゃない」
私がどうしようかと悩んでいれば、聞きたくもない耳障りな声が聞こえてくる。
あの重苦しい声は、沈黙の皇子──ディミオ・アル厶の声ね。
変態令嬢が星空の女神ではないことは、明らかだけれど……。
星空の女神を探している本人が否定した所で、変態令嬢が受け入れるはずはないのよね。
「ディミオ殿下……!」
「気安く名前、呼ばないでくれる」
「何故わたくしでは駄目ですの!?わたくしは、殿下が求める黒髪と金目ですのに!」
「おれが求めているのは、まがい物じゃない」
耳障りな声が、頭の中でガンガンと鳴り響いている。
早く終わってくれないかしら。
半刻以内とお父様には厳命されたけれど、正常な状態で居られたのは三時間がやっとだなんて……詰めが甘かったわ。
「おれが求めるもの。おれの名を呼んでいいのは──星空の女神だけだ」
「な……っ。ツカエミヤが、星空の女神ですって!?」
後悔しても、遅いけれど。
お兄様の言う通り、大人しくしているべきだったわ。こんな醜態を晒すなんて……。
魔法回復役の副作用でどうしようもならない私の表情を覗き込んできた第二皇子は、当然のように私を抱き上げた。
体調が悪くてどうしようもない私は、第二皇子の手から逃れるどころか、身体を預ける羽目になる。
「昨日ぶりだね、星空の女神。姿を変えれば、おれの目は誤魔化せると思った?その手は通用しないよ。おれは君がどのような姿であろうとも、必ず君を見つけて見せる……」
彼はツカエミヤの容姿を借りた私の手のひらを取って優しく口付けると、愛おしそうに私を抱きしめた。
ツカエミヤと星空の女神と呼ばれているミスティナが入れ替わっていると知らない変態令嬢とその取り巻きは、ツカエミヤが第二皇子のハートを射止めたと信じられない気持ちで一杯なようだわ。
「どうしてよ!殿下が愛する夜空の女神は、黒髪に金目でしょう!」
「君に関係ある?」
「わたくしは、公爵令嬢よ!」
「おれの前で、星空の女神に罪をなすりつけようとした。その罪は、命に代えても償わなければならない。君は終わりだよ」
「ツカミエヤが星空の女神なわけがないに……!どうしてわたくしが、命に代えても償わなければならないの……!?」
うるさい。気分が悪くて、どうにかなってしまいそう。
第二皇子の前で正体を晒すのはいいとしても、変態令嬢やその取り巻きにミスティナの姿を晒すことはできない。私は白む視界のまま、手探りで彼の裾を掴むと、か細い声で彼に囁く。
「早く……」
「……うん。早く二人で、愛を確かめ合おう。おれだけの、星空の女神」
誰が愛を確かめ合おうなんて、誘ったのよ!
元気なら第二皇子に食って掛かったけれど。残念ながら今の私に、そんな元気はない。
こうなってしまった以上は、仕方ないわ。
変身魔法薬の効果が切れて、変身魔法が解除されてしまうより前に。変態令嬢は、第二皇子に印籠を渡して貰いましょう。
「疑う余地などない。おれが星空の女神だと言ったら、彼女は星空の女神だよ」
「ふざけてる……!」
「ふざけているのは、君の方だよね。アンバー」
「はい、殿下」
「この者は、おれに向かって何度嘘をついた」
「6回です」
聞いたことがあるわ。
沈黙の皇子に寄り添う従者は、不思議な魔法で不正を暴くと……。
嘘を見抜けるのだとしたら、私がツカエミヤに成り代わっていることが第二皇子へすぐバレたのも頷けるわね。
この従者がいる限り、私の変身魔法は意味を成さない。本当に迷惑なことだわ。
「嘘なんて、つくわけがないわ!」
「7回」
「おれは星空の女神と同じくらい、アンバーの言葉を信じている。まだ罪を重ねるなんて、懲りないね」
「信じてください!殿下は騙されているのよ!ツカエミヤが星空の女神だなんてありえない!わたくしこそが、殿下の妻に相応しいのに……!」
「8回」
どれほど変態令嬢が言葉を重ねようとも、彼は淡々と嘘であるとばっさり切り捨てる従者の声を聞き、変態令嬢を冷たくあしらった。
今の言葉に嘘があるとすれば……。
『騙されている』
この部分かしら?
変態令嬢は騙されていると大騒ぎしながら、心の中ではツカエミヤと私の違いに気づいている。
それを認めたくないから、嘘をつく。そんな所ね。
「おれの妻に相応しいのは、星空の女神だけだよ。星空の女神は、恥ずかしがり屋でね。おれの前以外では、けして素顔を見せないんだ。おれの女神。おれだけの女神。愛してる……」
愛の告白なんてどうでもいいから、さっさと終わらせて。
彼は私を慈しみ、愛おしそうに抱きしめる手を強くした。
彼が私に一目惚れをした話は、お腹いっぱいになるほど散々聞いたわ。恥ずかしいし、それどころじゃないと言っているでしょう。聞こえなかったのかしら?
「殿下。ご決断を」
「ああ、そうだった。君、目障りだから、消えてくれる?」
従者に促された彼の声は、鶴の一声となって護衛として連れてきていた王国騎士団員を動かした。
「ぶ、無礼者!触らないで!私を誰だと思っているの!?わたくしは公爵令嬢よ!?」
騎士団員達は変態令嬢を捕らえると、喚く彼女に目もくれず引き摺っていった。
残された取り巻き令嬢は怯えた表情で顔を見合わせているのが、印象的だわ。
「茶会はお開き。君たちも、もういいよ。彼女は連れて行くけど、いいよね?」
「はい!」
「ど、どうぞ!お連れください!」
白む視界の中、取り巻き令嬢達が緊張した声音で私を第二皇子へ売る声が、やけに大きく聞こえたのは──気の所為だと思いたかった。