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迷える子羊

 


「さぁ、迷える子羊は何処かしら」


 魔法回復薬を一気飲みしたお兄様は空き瓶を投げ捨てると、腕を掴んだ私の手を引っ張る。

 お兄様の地獄耳、本領発揮ね。


 私は抵抗することなく、お兄様へ誘われるがままにコソコソと壁に身を隠しながらメラルバ公爵家を縦横無尽に動き回る。

 お兄様との間に、会話はなかった。

 ロスメルの件で散々働かされた後、休む暇なく次の案件に駆り出されたんですもの。不機嫌にもなるわよね。


 こうやって迷える子羊の前まで私を案内してくれるだけでも、よしとしなければ。


 お兄様は行き止まりの袋小路、一人で掃き掃除をしている侍女の姿を確認すると、私に指を差した。


 そう。あれが、迷える子羊ね。


 私は周りに人がいないことを確認して、ハイヒールの音を響かせる。

 一人寂しく掃除に夢中な侍女の元へ、颯爽と向かった。


「ごきげんよう」

「……へっ!?」

「静かに。カフシー領の教会で、願ったでしょう?」

「カフシー領の……?」

「私は貴方を、助けに来たわ」


 侍女は大きく瞳を見開くと、静かに涙を流し始める。待ち望んだ、助けが来た。カフシー領の教会に行ってよかったと、感動している所悪いけれど。

 契約を結んでもらわないと、こちらも動けないのよね。


「ただし、条件があるのよね」

「な、なんでもします!なんでもしますからっ。だから……!」

「よく聞きなさい」


 私は侍女に諭すと、静かな声で条件を告げる。


 貴方の半刻を、私に預けてほしい。

 私が貴方を助けたことは、絶対秘密。

 半刻は誰にも、姿を見られてはいけない。

 契約を結んだ時点で、貴方の願いを叶えるため私は貴方に成り代わり、憎き相手に裁きを下すこと──。


 条件を提示した上で契約書をちらつかせれば、侍女は当然のように契約者へ手を伸ばした。


「私は罪人に裁きを下す、神の代行者」


 アクシー伯爵家の家業。


 それは、我が物顔で私腹を肥やす罪人たちに、裁きを下すことだ。

 助けを求める迷える子羊の姿を借り、下に見ていた人間から上に見られる屈辱を、罪人にプレゼントする。

 弱者と見下されていた人間が牙を向き、強者のように振る舞っていた人間を屈服させる瞬間が堪らないのよね。


「迷える子羊よ。私に願いなさい」


 私達は迷える子羊達が助けを求めるように逃げ場を塞ぐことはあっても、強要はしない。

 助けて欲しいと縋り願ったのは、迷える子羊の方だ。

 罪人に裁きを下した後やり過ぎだとか泣かれても、私は責任など取らないわ。


 決めるのは依頼者であって、私ではないもの。


 私が迷える子羊へ問い掛ければ、涙を拭った彼女ははっきりと宣言した。


「お茶会の処刑人……アンジェラ・ラヘルバに、私が受けた屈辱を実感させたい……!」

「いいでしょう」


 契約書に殴り書きされた名前を見て、私は侍女の名を認識する。

 ツカエミヤと言うのね。これから半刻、私が変身魔法で容姿を借りる相手。


「貴方は普段、どのような口調や仕草をしながら、このお屋敷に務めているの?」

「私は……」


 ツカエミヤは私の質問に暗い表情をしながら答えた。あまりいい暮らしでは、ないようね。

 私に与えられた時間は、そう長くない。

 入れ替わりに必要な情報さえ得れば、後はどうとでもなるわ。

 私はツカエミヤの手を取ると、目を瞑るように告げた。


「これから貴方の姿を借りて、願いを叶えるわ」

「私の……?」

「半刻以内には決着をつける。その間は、誰にも見つからぬように姿を隠すのよ。ラベルバ公爵家に同じ容姿をした侍女が二人もいると騒ぎになれば、私と貴方の命はないわ」

「はい……!」


 ツカエミヤと私の安全には、お兄様が目を光らせてはいるけれど──この世に絶対などないわ。

 不測の事態で命を落とすこともあるのだから、無責任に命の保証などできっこない。

 お兄様には性格が悪いと非難されることも多いけれど。私達は命懸けで迷える子羊に、成り代わっているのよ?


 私達と契約を交わしたからにはもう安心。安全圏で高みの見物なんて、許さないわ。

 すべてが終わるまで、私と同じ緊張感を味わって貰わないとね。


「さぁ、目を開けて」


 私は魔力回復薬によって回復した魔力を使い、変身魔法を発動させた。

 ツカエミヤと瓜二つの容姿をしている私を確認した彼女が悲鳴を上げそうになったので、私は慌てて彼女の口を塞ぐ。


 静かにしろって伝えたことを、忘れてしまうほどに驚いたのね。


 変身魔法が発動する瞬間を確認した迷える子羊が驚くのは、今に始まったことではないから。こうして対処できるけれど……。

 口を塞ぐのが少しでも遅れたら、彼女を助ける場合ではなくなるのよ。

 本当に、いい迷惑だわ。


「むぐぐ……!」

「静かにしなさい。今から私が、ツカエミヤよ」

「ふぐぐ!」


 コクコクと頷いたツカエミヤは、渡したフードを目深に被り、姿を消した。

 ツカエミヤのことはお兄様に任せて……私も箒とチリトリを手に歩き出す。

 屋敷の地理がわからないのは不便ね……。

 潜入すると決めてから潜り込むのが早すぎて、見取り図すら用意する暇がなかった。地理を把握する為にも、こっそり歩き回りたい所だけれど……。


「ツカエミヤ!」


 廊下を歩いていれば、見知らぬ女性に名前を叫ばれた。

 今の私はミスティナではなく、ツカエミヤだわ。この呼びかけには、返事をして足を止めなければならない。


「はい」

「はい、じゃないわよ!茶会の処刑人が怒り狂っているわ!早く行きなさい!」


 侍女仲間は、怒り狂った変態令嬢を宥めるためにツカエミヤを呼びに来たみたいね。少し長く油を売りすぎたみたい。私は侍女仲間に背中を押しやられ、変態令嬢の部屋に向かった。


「ツカエミヤは何処にいるの!?早く連れてきなさい!」

「ひぃ!お嬢様!どうか、どうかお慈悲を……!」


 変態令嬢は自室で噂通り大暴れしていた。近くにあった花瓶を振りかぶり叩きつけ、ソファの上にあったクッションをビリビリに破ると、中から羽毛が飛び出て来る。

 破れた状態で激しく床に叩きつければ、羽毛はヒラヒラと宙を舞った。


 鬼の形相であらゆるものを床に叩きつけてさえいなければ、空に舞う羽毛に塗れた天使と称されてもおかしくはないのだけれど──どちらかといえば、天使ではなく悪魔と称するのが正しそうね。

 毎日このようなお祭り騒ぎを繰り広げられちゃ、ラヘルバ公爵家の侍女は苦労するわ。


「お呼びでしょうか、お嬢様」

「遅い!」

「きゃっ」


 中身が飛び出て抜け殻と化したクッションが、飛んできた。

 私は両手で胸元を庇い、可愛らしい声を出して目を瞑る。ポスンとクッションの抜け殻が床に落ちる音がして、私は目を見開いた。


「侍女風情が!このわたくしを、いつまで待たせる気!?」

「も、申し訳ございません……!」

「早く着替えを手伝いなさい!」

「は、はい……!」


 あら?ツカエミヤに頼むことは、案外普通なのね。

 着替えさせろ、なんて。まずは至る所に散らかっているガラスの破片と羽毛をどうにかするのが先ではないのかしら……?


 変身魔法は、私の外見を迷える子羊そっくりに変化させる魔法であって、身も心も迷える子羊になりきれるわけではないのよね。

 身も心も迷える子羊そのものになりきることができないわけではないけれど、魔力消費量のことを考えると、朝から晩までなりきるのは厳しいものがあるもの。

 私はここぞと言う時に、しか使わない。


 今の私は、内面こそミスティナのままだけれど、外見はツカエミヤの状態を維持している。

 いざと言う時が来ないことを、祈るしかないわね。

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