お兄様と馬車の中で
「面白いことになってんじゃねぇか」
馬車には、私とそう年齢の変わらない青年がすでに乗り込んでいる。
無礼な態度を取るこの人は、私のお兄様。いつも妹の私を下に見ては、大人気なく張り合ってくるのよね。
精神年齢が子どもだから、売り言葉に買い言葉とばかりに私が食って掛かると、収集がつかなくなる。
立派なレディたるもの、下々から喧嘩を売られたとしても、そよぐ風のように受け流すべきだわ。
「お兄様の地獄耳は、便利ですわね」
「俺には変身魔法が使えねぇからなぁ。てめぇらのサポートするしか脳がねぇんだよ。で?あれ、どうすんだ?」
「どうもしないわ。そのうち諦めるでしょう」
「沈黙の第二皇子が、星空の女神様なんて小っ恥ずかしい名前で、てめぇのこと呼んでんだぜ?諦めるわけねぇだろ」
お兄様は私に向けて、合掌した。
貴族であれば誰だって、一度くらいは王家と縁を繋ぎたいと夢を見るもの。
その夢が、思いがけない所で叶うとしたら──お兄様は喜んで妹を差し出す。そんな所かしら。
ああ、嫌だわ。お兄様の前では隠し事などできないのが、不便で仕方ない。
お兄様は変身魔法こそ使えないけれど、優れた耳をお持ちなのよね。半径50m程度の会話は、常にお兄様へ筒抜けだ。
地獄耳の前では、乙女の秘密すらも暴かれると、嫌がってもいられない。
変身魔法で依頼者へ姿を変え、現場に潜入する私達安全を確保するために、お兄様は必要不可欠な存在だわ。
命に関わるような危機であれば、お兄様が止めに入る手筈になっている。
先程第二皇子に迫られた場面だって、もしもの時はお兄様が助けてくださったはずよ。
私はお兄様に借りなど作りたくないから、自分で解決してみせたけれどね。
「気の迷いよ。どうせすぐに忘れるわ」
「ほんと能天気だな。すぐに忘れるような状況だったら、俺が面白がったりするわけねぇ」
お兄様は意地汚い笑みを浮かべ、私を見つめた。
馬車は夜会の会場から遠ざかっていくけれど、お兄様の耳には、リアルタイムで第二皇子の声が聞こえているんでしょうね。
本当に、地獄耳って面倒だわ。
私が否定したい現実を、お兄様は突き付けて来るのだから……。
本当に勘弁して欲しい。将来の国王ともなる方が、ぽっと出の女に一目惚れだなんて。どうかしているわ。
「星空の女神は夜空のように美しき藍色の髪と、星のように輝く瞳を持っている。必ずおれの元に連れてこい」
「……なんですって?」
私は普段のお兄様からは想像もつかない丁寧な口調を聞き、思わず聞き返す。
内容も物騒だけれど、口調だって明らかに第二皇子を真似たものだわ。
お兄様の地獄耳がキャッチした言葉だと気づいた私は、ドレスの裾を握りしめる。
「沈黙の第二皇子が部下にそう命じたなら、何よりも優先されるべき事柄として処理される。早ければ明日には、速達で王城に招集命令が掛かるな」
「冗談じゃないわ。ミスティナ・カフシーは病弱なの。とてもじゃないけれど、人前に出れるような体調ではないわ!」
「そういう設定を貫いたって、逃れられるわけねぇだろ。寝ている姿でもいいから会わせろって、強引に押しかけてくるのがオチだな」
「な……っ。私は関係ないわ!いつも通り、門前払いして!」
お兄様はカフシー家の病弱に会わせろと大騒ぎする人間から、いつも私を守ってくれたわ。お兄様なら、いつもみたいに私を守ってくださると、信じていたのに。お兄様はそっぽを向いて、肩を竦めた。
「未来の国王を門前払いとか、無茶言うなよ。こうなった以上、今まで通り代行業をすんのは無理だ。ミスティナ・カフシーとして、第二皇子の隣で骨を埋めるんだな」
「嫌よ!絶対に嫌!」
「てめぇのせいで、アクシーの代行業が王家にバレたらどうするつもりだ」
「そ、それは……っ」
アクシー家の家業。
それは、この国をより良き国へ導くために下された。神からの神託だ。
王家は一切私達の家業に関与しておらず、神の信託を私達に告げる教会が元締めとなって活動している。
アクシー家の家業は脈々と受け継がれ、50年近くが経過したけれど、私達がどのような家業で成形を立てているのか、外部へ公表されることはなかった。
アクシー伯爵領は王都からでは行き来がしにくいほど、辺鄙な土地にある伯爵領だ。
徒歩なら三日三晩歩き続けてやっと到着するような僻地にあるから、よほどのことがない限りよそ者は近づかない。
領地内では争いが起きることなく、領民達は毎日穏やかでのんびりとした日々を過ごしている。
アクシー家は神を信じ、頻繁に神へ祈りを捧げるために教会へ出入りしているけれど──実教会に出入りしているのは、神へ祈りを捧げるためではないのよね。
私達が教会に出入りするのは、救いを求める哀れな子羊達を救う為。
哀れな子羊を救うことは、この国により良き発展を齎すために必要なことだけれど……王家はその重要性を理解していない。
もしも私達が長い間暗躍していると知られでもしたら、今まで歴史の闇に葬り去られてきた悪人たちがこぞって私達を悪者扱いするでしょうね。
「てめぇが第二皇子のもんになれば、俺等は助かる。一人の犠牲で数十人の命が救えんなら、数十人を犠牲にしたりしねぇだろ」
「い、妹思いのお兄様でしたら、愛する妹を犠牲になどしないわ!」
「妹なんて思ったこと、ねぇんだけど」
「お兄様!?」
あんまりだわ。私とお兄様は、血を分けた兄妹なのに……!
冗談だとフォローする言葉が聞こえてくるよう願ったけれど、待てど暮らせどお兄様の口からはフォローの言葉が聞こえて来ることはなかった。
お兄様の鬼!悪魔!地獄耳の最悪男!
「覚えていなさい……!死ぬまで一生独身を貫き、カフシー家に居座って見せるわ……!」
「無理だって言ってんだろ。諦めろ。カフシーに迷惑掛ける前にな」
「お兄様は他人事だから、私に酷いことを言えるのよ!」
「不幸になるわけじゃねぇんだから、いいじゃねぇか」
「何を言っているの!?第二皇子と婚姻すれば、私は仕事を奪われるのよ!?」
私はカフシーの家業に、誇りを持っている。
迷える子羊に成り代わり、幸福に導く。
それは、カフシー家に生まれたものにとって定められた運命だ。迷える子羊達が私達に感謝し、幸せそうな表情で羊の群れに戻っていく姿は、いつ見ても喜ばしい。
迷える子羊達は、カフシーの伯爵領に建てられた教会で祈りを捧げることがなければ、生涯苦痛に苦しみ続ける。
命を散らしてしまうのではないかと心配するほど劣悪な環境に置かれている彼らが幸せそうな姿を見せてくれるだけで、私は満足だった。
私がアクシー家の家業から足を洗えば、変身魔法を使える姉と母が主体となって続けて行くことになるんでしょうね。
変身魔法を使えるのは、アクシー家生まれた娘だけ。母は変身魔法があまり得意ではないし、他人になりきることを嫌う。
姉は……加害者へマウント取るのに命を賭けているから、いつか刺されそうで心配だわ。
お兄様は変身魔法が使えないし……カフシー家の家業を何の問題もなく営めるのは、私しかいないのよね。
「いなくなったらいなくなったらで、どうとでもなんだろ」
「お兄様!」
「カフシーに骨を埋めるとしても、生涯独身とか無理だからな。家業に誇りを持ってんなら、元気で健康な変身魔法を使える女児を生めよ」
お兄様は私と二人きりなのをいいことに、最低最悪な言動をした。
カフシーの将来を考えるならば、家業に必要不可欠な変身魔法を使える女児を産むことは、カフシーを継ぐものの使命だわ。
私が生涯カフシーで家業を営み続けるならば、生涯独身で居続けたらカフシーの伝統が途切れてしまう。
お兄様が結婚しろと私へ告げるのは、相手を探すのが面倒だからということも大きいのでしょうね。
「お姉様に家業を継いでもらえば、私は生涯独身で済むわ!」
「てめぇが家に残るなら、姉貴は婚約者の家に嫁ぐって言ってたろ。てめぇがどっかの家に嫁ぐなら、アクシーの家は俺が継いでやるよ」
「お兄様の奥様では、変身魔法を使役する力が弱まってしまうわ」
お兄様にはアクシーの血が流れているくけれど……。お兄様とまだ見ぬ奥様との間に女児が生まれたとしても、私やお姉様の子どもよりは変身魔法の効果が劣るはず。
「姉貴かてめぇの娘を、養女にすればいいだけじゃねぇか」
「その場合、私は誰と婚姻しているの?」
「第二皇子」
「私と第二皇子が婚姻した場合、生まれた子どもは王家の血を引く皇女よ!?伯爵家の養女として、お兄様に預けるわけがないでしょう!」
「まだ見ぬ俺の息子と婚約させてもいいぜ」
「妄想を語るのも、いい加減にして!」
まだ見ぬ私達兄妹の間に生まれる子どもたちを夢見て議論するなど、無駄でしかないわ。
お兄様は私が第二皇子と婚姻することを前提に話を進めるし……これ以上話しても、いいことなど何もさそうね。
「もっとすげぇ妄想があるぜ」
「聞きたくないわ」
「俺とお前が結婚するってのは、どうだ?」
「聞きたくないったら!」
「俺とお前は、カフシー始まって以来の最強コンビだ。地獄耳の俺と、変身魔法の使えるお前から娘が生まれたら……一人でなんでもできる最強の娘が生まれるぜ?」
お兄様は意地汚い笑みを浮かべながら、近親相姦をしないかと提案してきた。
正気とは思えないわ。冗談でもおぞましい提案をしないでほしいのだけれど。
「私をからかうお兄様なんて、嫌いよ!」
私は胸の前で腕を組み拒絶のポーズを取ると、お兄様から目を逸らした。
──この時私は、お兄様から目を逸らしたから……気づいていなかったのよね。
お兄様が苦しそうに顔を歪め、小さな声で大事なことを、紡いだことなど……。
「俺達は……。明日が、楽しみだな」
「明日が来なければいいのに」
「今すぐ馬車の上から、突き飛ばしてやってもいいぜ」
「私を殺す気!?」
お兄様は何かを言い掛けると、少し間をおいてからいつものように明るい声を出した。
明日が来なくて良いのにと言ったのは私だけれど、走行中の馬車から突き飛ばしてほしいなんて頼んだことはないわよ。
私はお兄様に怒鳴り散らすと、これ以上の対話を拒否した。