ロスメルに報告
──数日後。
私はロスメル・アルフォンス公爵令嬢に手紙を送ってから、彼女を呼び寄せた。
テイクミーも同席したかったようだけれど、女子会だからと断っている。
地獄耳の魔法を使えるテイクミーには、私の隣にいなくても会話は丸聞こえになってしまうわ。
私はテイクミーに聞かれたくないことを、ロスメルへ話さないよう気をつけなければと身を引き締めてから、彼女を出迎える。
「ロスメル」
「ミスティナ!」
ロスメルは私の姿を目にすると、飛びついてきた。
皇太子妃がはしたないわよと言いかけて、廃嫡子との婚約は、私の手で破棄されたのだと思い出す。
「久しぶり、ロスメル。あれから、ご令嬢達にいじめられてない?良縁は見つかった?」
「そ、それほど早く良縁が見つかったら苦労しないわ……。お茶会などは欠席しているから、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ミスティナは……」
「……色々あったのだけれど。現状維持に落ち着いたわ」
「殿下から、王命が下されたのでしょう?星空の女神と沈黙の皇太子が婚姻するって、市井は大騒ぎよ」
「そのことだけれど……」
私はディミオとの出会いから、お兄様が突然情緒不安定になり、私の奪い合いを始め、大変だった話をロスメルに伝えた。
ロスメルはお兄様とあまり仲がよくないことを知っていたから、お兄様の変わりように絶句している。
「ロスメルにも、見せてあげたかったわ。お兄様の変わりようは、それはもう……」
「テイクミー卿が、ミスティナにそのような態度を取るなんて……。大変だったでしょう」
「本当に大変だったわ。お姉様が愛のない結婚を阻止する為、水面下で動いてくださなければ……私は今頃……」
愛のない婚姻と、家族だって思っていた人と同意なしの婚姻なら……どちらがマシかなんて。考えることすら、嫌になるわ。
殿下と婚姻するよりも、お姉様はテイクミーとの婚姻を祝福してくださっているし、収まる所に収まったとも言えるけれど……。ハッピーエンドを迎えられたか聞かれても、なんとも言えない所ね。
「テイクミー卿がミスティナに対する気持ちを、隠すことがなくなったのなら……。殿下から一方的に愛され、愛が育まれるのを待つよりは、いいと思うわ」
「どうかしら。お兄様と婚姻したことを後悔しないよう、未来の私に願うしかないわ」
私と交流がある人たちは、みんな殿下よりもテイクミーと婚姻できて良かったと、祝福してくれた。
殿下と婚姻していたら……。
私の望みを叶えるためには、乗り越えなければならない壁が山程あったもの。今まで通り、迷える子羊達が私を訪ねてくるまで静かに暮らせるのは、テイクミーのお陰だわ。
このまま無事に、穏やかな暮らしができるように願うしかないわね。
「カフシーの開業は?このままミスティナとテイクミー卿の二人で継ぐの?」
「その予定よ」
ロスメルは私がカフシーの家業を受け継ぎ、代行業を営んでいたことを知っている。
私に助けを求めてきた、哀れな子羊の一人だもの。私は今まで通り、お兄様と一緒にカフシーの伝統を受け継いでいくわ!
「ロスメル。紹介したい侍女がいるの」
「ミスティナが、私に紹介したいと思う侍女がいるなんて……珍しいわね」
「お兄様の代わりを、努めて貰うつもりだったけれど……。その必要なくなかったでしょう。侍女として引き続き、働いて貰うことになったのよ」
「そうだったのね」
「ツカエミヤ。いらっしゃい」
「ひゃ、ひゃい……!」
私は恥ずかしそうにもじもじと肩を揺らすツカエミヤに声を掛けて手招きした。緊張で右手と右足を同時に出してしまったツカエミヤは、ロスメルに勢いよく頭を下げる。
「み、ミスティナ様の侍女になりました!ツカエミヤと申します……!」
「そう緊張しなくていいのよ。わたくしは、ロスメル・アルフォンス。爵位は公爵よ」
「は、はい!存じております!社交界の麗しき花にお会いできて、光栄です……!」
ツカエミヤは長い間変態令嬢の侍女としてラヘルバ公爵家で働いていたけれど、ロスメルと変態令嬢には、交流が一切なかったもの。
ロスメルがツカエミヤのことを知らないのも、無理はないわね。
ロスメルは元第一皇子の婚約者。
有名人と会話しているせいで、ツカエミヤはいつも以上に緊張している。
ロスメルとツカエミヤを二人きりにしてきたら、きっと面白いことになるわね。機会があったら、試してみましょう。
「ツカエミヤも、ロスメルと同じなのよ」
「そう、わたくしと……。ミスティナが手を差し伸べたのなら、とても辛い思いをしたのでしょう……」
「い、いえ!私なんて、大したことはありません!」
「大したことがなければ、ミスティナは手を差し伸べないわ」
ロスメルは私が、本人がどうしようなくなり、自ら命を断つと決断するまでは手を出さないと、身をもって体験している。
自分と同じまだ見ぬ哀れな子羊達が、一人でも多く助かるのならば──喜んで私に協力してくれるはずよ。
「ミスティナ。私にできることがあれば、なんでも言ってね。協力するから……」
「ありがとう、ロスメル。私が手を貸すのは一度きりだけれど、ロスメルの為なら何度だって手を貸すわよ」
私達は笑い合うと、互いに協力し合おうと誓った。
*
「ほらよ」
テイクミーは殿下からの手紙と一緒に、私宛の手紙を渡してくれるようになった。
殿下の手紙に何が書かれていたとしても、テイクミーの前で開封する気は起きないけれど。
今日は殿下に一番近い人物から手紙が送られて来ていることを知って、中身を見ようか迷った。
これを私に手渡すなら……テイクミーは差出人に気づいてなさそうね。
私は隠れてコソコソ殿下に近い人物の手紙を確認するより、テイクミーの前で開封した方がいいと判断する。
ペーパーナイフを使って開封した手紙に羅列されていたのは──驚くべき内容だった。
「テイクミー!」
私は早く手紙を確認して、捨てるものを選別しろと身体を小さくして待ち続けるテイクミーを呼んだ。
テイクミーは突然私が大声を出すものだから、眉を顰めて私を見下す。
「なんだよ……。至近距離で大声出す癖、いつになったら直るんだ?」
「これを見て!」
殿下に近い人間が、とんでもない手紙を送ってきた。口に出して説明するより、見てもらった方が早いわ。
私はテイクミーに手紙を投げつけると、どうするべきか頭を悩ませる。
このリスト、信頼してもいいのかしら?
「すげぇリークが来たもんだな。全員大御所じゃねぇの」
殿下の腹心であり影武者──アンバーの名前で、私宛に認められた手紙。
その手紙には、王城で働く重鎮達の名前が羅列されている。
何の法則性がない名前達には、ある共通点があった。
後ろ暗い話があるもの達、ばかりなのよね……。
公にはなっていないけれど。
この手紙に羅列された名前は、カフシーが迷える子羊を増やさないために滅するべき人間の名よ。
殿下と婚姻した暁には、ツカエミヤと協力して……どうにかしようと思っていたのに……。
「この手紙、どっから送られてきたもんだ?」
「差出人を聞いても、怒らない?」
「オレが怒り狂うような相手なのかよ」
殿下の手紙を無条件で燃やしているテイクミーなら、差出人に告げた瞬間、燃え盛る暖炉の中へ投げ込むでしょうね。
私は手紙を手にするテイクミーの手首を掴み、暖炉へ投げ込まれないように監視しながら差出人が誰かを伝えた。
「殿下の従者であり、影武者の……アーバンよ」
「よし、燃やすか」
「燃やさないでと言ったでしょう!?」
ほら。やっぱりこうなるじゃない!
私は手紙を暖炉に投げ込もうとするテイクミーを、必死に止めた。
テイクミーは私が自ら密着しているのが、嬉しいのかしら。からかっているのかは、わからないけれど……。
ニヤニヤと、鼻で笑いながら肩を竦める。
「オレ達が記憶してたら、それでいいだろ。ある日突然家探しされたら、面倒なことになるぜ」
「そうかもしれないけれど……。カフシーの当主は、お父様よ。お父様に判断を仰ぎましょう」
「成人した男女が顔を合わせんのに、親父へお伺いを立てるのかよ……。必要ねぇだろ」
「必要あるかを決めるのだって、お父様の仕事よ!」
「親父にこれを見せて、どうすんだよ……。オレ達は被害者が名乗りを上げて、初めて行動できるんだぜ?悪人どもの名前と顔が一致してたって、どうしようもならねぇよ」
「それをお父様と相談するの」
「しゃあねえなぁ……」
私は一度こうと決めたら、よほどのことがない限りは意思を曲げない。
テイクミーもそれがよくわかっているから、手紙を懐にしまって私を抱き上げた。
「お兄様!?」
「学習能力のねぇ奴」
できる限りテイクミーと、名前で呼ぶように気をつけてはいるけれど……。
ふとした瞬間に名前を呼ぼうとしたら、お兄様と呼んでしまう。
長年の癖は、簡単には直せないわね……。
「悪気があったわけでは、ないのよ。お兄様呼びの期間が、長かったから……」
「へいへい。暴れることなく移動できたら、うるさくは言わねぇよ」
テイクミーは私を横抱きにすると、お父様の書斎へと歩き出した。
テイクミーは背が高いから……抱き抱えられていると、いつもよりも目線が高いくて……。
少しだけ、怖いと感じるのよね。
テイクミーが抱き抱えている私を、落としたりしないと思うけれど。
私はテイクミーの首元に手を回し、大人しくしていた。
「ねぇ、テイクミー。もし、私が哀れな子羊を助けるため……危機に陥った時……」
「危機に陥らないよう、入念な計画を立てて実行するべきだろうが」
「それは大前提だけれど。想定外の出来事が、起きたとするしょう。その時私が、お兄様と呼んで助けを求めたら……テイクミーは、私を見殺しにするのかしら」
私は不安になって、テイクミーに問い掛ける。
お兄様呼びを嫌がるテイクミーは、いつだって名前で呼ぶようにと強要してくる。
咄嗟に私の口から、テイクミーの名前が出てこなければ……。
私は危機に陥っても、テイクミーに助けて貰えないのかしら……?
「……命の危機にミスティナが瀕したら、呼び方なんざに断っている暇はねぇだろ」
「そうよね。私もそう思うわ」
「呼び方にこだわってミスティナを失うくらいなら……。オレはまっさきに、ミスティナを助け出す為行動する」
予め聞いて、本当によかったわ。
これで心置きなく、ピンチに陥った時はテイクミーをお兄様と呼べそうね。
逆に言い換えれば、ピンチの時しかテイクミーをお兄様と呼べないのだけれど……。
いつまで経っても、旦那様をお兄様と呼ぶのは、あまり褒められたことではないもの。
仕方ないと割り切るしかないでしょうね。