誰よりも、愛する人
星空の女神が、王命を拒んだ。
世間ではあちらこちらで、大騒ぎになっているようだけれど……。
社交場へ出ることのない私にとって、何の問題もない噂話だわ。
迷える子羊に成り代わって社交場へ姿を見せる時、自分の悪口が耳に入って気が削がれるくらいね。
お姉様の手引により、私はお兄様と夫婦になったけれど。
カフシー家の家業は、今まで通りお兄様とペアを組んで細々と続けている。
殿下の妻として皇太子妃になれば、隠れてコソコソと家業を続けなければいけなかったでしょうから。
心の底から信頼しているお兄様と一緒に、今まで通り家業を続けられることになって、とてもうれしく思うわ。
「ミスティナ」
「お姉様?どうしたの?」
「社交場でアルフォンス公爵令嬢と顔を合わせたわ。テイクミーと一緒に丸く収まったこと、伝えてないんですって?とても心配していたわよ」
私はお姉様に指摘されて、初めてロスメルの存在を思い出した。
そうだわ。ロスメルには手紙で、星空の女神が私であると伝えてある。
手紙を送っても返事がないと、お姉様に伝えていたみたいだけれど……。
私の元に手紙なんて、一通も届いていないわ。
「ツカエミヤ。ロスメルから、手紙が届いていないかしら?」
「手紙、ですか?届いていませんけど……」
お姉様と別れた私は、念の為ツカエミヤに手紙が届いていないだろうかと確認する。
ツカエミヤは嘘を付く子じゃないから、手紙が届いていないのは本当でしょうね。
送ったはずなのに、届いていない手紙……。
私の手へ渡る前に、何者かが処分しているのなら……。
思い当たる人物は、一人しかいないわね。
「お兄様!」
「いつまで兄呼び、続けてんだよ。名前で呼べって言ったろ」
「今は名前を呼ぶ資格すらないわ!」
「何言ってんだ?」
「惚けても無駄よ!私宛の手紙を、勝手に処分しているでしょう!?」
「手紙……?」
テイクミーは遠い目でどこかを見つめていたけれど、やがて私に向かって意地汚い笑みを浮かべた。
この顔は当然、心当たりがある顔ね。
「あー。悪い。クソ野郎の気持ち悪ぃ手紙が届いてるのを見てな……。暖炉にまとめて放り込んで、まとめて燃やちまった」
「な……っ!?大事な手紙が紛れ込んでいたら、どうするつもりなの!?」
「どうした、こうしたもねぇよ。気持ち悪いクソ野郎の手紙なんざ確認したら、ミスティナの目が腐っちまう。ミスティナの瞳は、オレだけを映し出せばいいんだよ」
「お兄様!」
またそうやって、勝手に私の手紙を処分する……。
テイクミーの悪い癖だわ。
燃やされてしまった手紙は、二度と元には戻らない。
元通りに戻す魔法を使うほど、中身が気になるわけではないし……。
テイクミーに今後はしないよう、強く告げるしかないわね。
「お兄様が捨てた手紙の中に、ロスメルの手紙が混ざっていたの!」
「名前で呼べ」
「お姉様がロスメルに社交場で会わなければ、手紙が送られてきたことにすら気づかなかったのよ!?」
「そんなに怒鳴ることか?大したことなんざ書いてねぇだろうが」
「お兄様!」
「名前で呼べって言ってんだろ。物わかりの悪い妻には、お仕置きが待ってるぜ?」
「悪いのは私ではなく、お兄様の方でしょう……!?」
ロスメルの心が込められた手紙を、勝手に燃やすなんてありえないわ。
抱きしめられたって、頬に口づけられたって、私は懐柔なんてされないわよ!
私はテイクミーと密着した状態で、彼を見上げて睨みつける。
テイクミーは、背が高い。
鍛え抜かれた肉体を持っていて、腕っぷしには自信があるのよね。
私がどれほど大騒ぎしても、テイクミーには勝てないと……わかっているけれど……。
勝てないとわかっているからこそ。
テイクミーの好き勝手にさせることは、私も我慢ならないのよ。
これだけは、絶対に譲らないわ!
「ミスティナ。あんまり騒ぐようなら、オレも黙っちゃいねぇぜ」
「お兄様が悪いんでしょう!?もう二度と、私の許可なく手紙を燃やさないと約束して!」
「──手紙、手紙って……。そんなに大事なのかよ」
「当然でしょう!?たとえ同じ文字の書かれた手紙を再送されても!まったく同じ手紙は、再現できないのよ!?私にお兄様と婚姻したことを、後悔させないで!」
ロスメルがいつまで経っても返事を返さない私を、心配しながら……。
心を込めて書き記した手紙を勝手に燃やしたテイクミーの、罪は重い。
地獄耳のお兄様が、耳元で大声を出されることが嫌いだと知っていた私は、嫌がらせも兼ねて大声で怒鳴りつけてやった。
これで改善が見られないなら、打つ手なしね。
テイクミーは、一体どんな反応を示すのかしら……?
「オレよりも……っ。あのクソ野郎と、婚姻した方が良かったって言うのかよ……!」
口をへの字に曲げたテイクミーは、震える拳を握りしめ、声を押し殺す。
相手が私でなければ、今頃取っ組み合いの喧嘩になっていたでしょうね。離縁する、しないの話まで発展したら、取り返しのつかないことになると……わかっているから……。
テイクミーは私に、強く言えないのよね。
「今のままでは、後悔するかもしれないわ」
「ありえねぇ……!一方的な愛を注がれながら、逃げ場ない鳥かごで暮らすより……っ。オレのそばで自由に生きる方が、ミスティナは幸せに暮らせるだろ……!?」
地獄耳の魔法を生まれ持ち、常に情報の取捨選択をしてきたかしら。
なんだかんだで場をよく見ているし、状況把握が上手だ。決めつけだと怒鳴りつけるのは、簡単だけれど……。
テイクミーが私のことを、よく見ているのは……褒めておくべき場面でしょうね。
「わかっているのなら、私がテイクミーを選んで良かったと思わせて」
「ミスティナ……っ!」
テイクミーは私を抱きしめたまま、力なく膝をつく。
お兄様と呼ばれたくないくせに、私が名前で呼ぶと余裕そうな表情を崩すんだから……。
そのギャップがテイクミーらしくて、好きだと言えるようになればいいのだけれど。
私が好きなのは、テイクミーの情けない姿ではないのよね。
「意地悪なお兄様は、いい加減卒業しなさい。テイクミーは、私を愛する旦那様でしょう?」
「当たり前だろ……!」
「心からの謝罪を要求するわ。二度としないと誓ってくれたら、それ以上は望まない。どうかしら?」
軽々しい言葉で謝罪をしてたことは、耳にしていたけれど……。
心が籠もっていない謝罪など、してないのと同義だわ。
私が促せば、テイクミーも申し訳無さそうに身を縮めて、私へ謝罪した。
「ミスティナ。この通りだ。許してくれ」
「心からの謝罪、受け取ったわ」
「ミスティナ……!」
「喜ぶのは、もう一つの約束を守ってからにして頂戴」
図体が大きなテイクミーが、身を縮めて申し訳無さそうにしているのを見ると……なんだか、新しい扉を開いてしまいそうだわ。
テイクミーと仲が悪くなってから、私はいつもテイクミーに泣かされていたから……
好きな子ほど泣かせたい。
そう私に告げたテイクミーの気持ちが少しだけ、理解できたような気がした。
「不必要な手紙だけを、燃やすようにすればいいんだろ」
「不必要な手紙だけって……。
不必要かどうかは当然、私が決めるのよね?」
「いや。オレの独断で決める」
「それでは意味がないわ。今までと同じでしょう」
「同じではねぇよ。オレが気に食わねぇのは、ミスティナがオレのもんだって知ってるあいつが認めた恋文を、ミスティナが目にするかもしれねぇってことだ。それ以外のことには興味がねぇ」
ここに来てテイクミーは、ロスメルの手紙を燃やしたのは悪気がなかったと言い訳を始めた。
殿下に嫉妬を拗らせているから、テイクミーがおかしくなるのよね。
殿下に嫉妬することさえなくなれば……手紙を間違って燃やすことも、なくなるかしら……?
「テイクミー」
「まだ謝罪が聞き足りねぇのか……」
「私は殿下よりも、テイクミーが好きよ」
「……!」
テイクミーは声にならない悲鳴を上げ、私を凝視した。
ここではっきりしておかないと……。
テイクミーが変な暴走をして、トラブルになるかもしれないでしょう?
「毎週のように手紙を認めてくださ殿下には、申し訳ないけれど」
「ミスティナが申し訳ないと思う必要は、ねぇだろ。クソ野郎が勝手に書いてんだから、ほっとけばいいんだよ」
「そうね。テイクミーが勝手に処分しなくとも、私も中身を見ずに処分するわ」
テイクミーは、私の言葉が信じられなかったみたいね。目を見開いて、私の肩を掴む。私と殿下の間に、愛が生まれることなどないと……何度も伝えているはずなのに。
テイクミーは、不安で仕方がないのね。
「私はテイクミーの妻よ?旦那様を裏切り、火遊びに興じるつもりはないの」
「ミスティナ……!愛してる……!」
この程度で感動されちゃ、どう反応すればいいのかわかったものじゃないわね。
殿下よりもテイクミーが好きな気持ちは、本当よ。
嘘を付いているつもりは、ないけれど……。
私はテイクミーのことが、少しだけ不安になった。
「軽々しく、愛なんて伝えるものじゃないわ」
「うるせぇな。隠し続けてきた愛の言葉を、堂々と伝えられるようになったんだ。口に出さなきゃ損だろ」
私はテイクミーの愛を一身に受けながら。
彼の愛へ答えるように、背中へ手を回した。