愛を囁いて
「ツカエミヤ」
「ミスティナ様~!」
ツカエミヤは私の元まで、全速力で私の所までやってきた。
わんわん大泣きして私の胸へ飛び込んできたツカエミヤを抱き止めた私は、彼女の背中を擦る。
「ミスティナ様!よくぞご無事で……!私、ずっと不安でした……!」
「心配ないわ、ツカエミヤ。怖がらせてごめんなさい」
「み、ミスティナ様に謝罪をしてほしかったわけでは……!」
ツカエミヤはあわあわと、大慌てで私が謝罪をする必要はないと弁解する。
辺りを見渡していたツカエミヤは、ある一点を見詰めると顔を青くした。
私はツカエミヤが顔色を悪くした理由を知って、ため息を溢す。
「お兄様……」
「名前で呼べって、言ったろ」
「破壊力がすごいと、耳まで真っ赤になっていたわ。ツカエミヤには、見せたくないでしょう?」
「う、うるせー!オレの耳が赤くなろうが、関係ねぇだろ。オレはミスティナに、名前を呼ばれてぇんだよ!」
復活したお兄様は、私を追いかけて来きたけれど。
私がお兄様呼びを継続していると知り、すぐに名前で呼べと騒ぎ出す。
お兄様と私のやり取りを見ていたツカエミヤは、目を丸くしていた。
当然ね。私達が口喧嘩をするのは、いつものことだけれど。私が優位に立つ言い争いなど、見たことがなかったでしょうから。
「ミスティナ様……これは、一体……」
ツカエミヤは地獄耳の魔法を使える。
殿下とお兄様の一部始終は耳にしていても、お兄様の変わりようにはついていけない。そんな所かしら。
私がツカエミヤへどう説明しようか迷っていると、お兄様はどうでもいいことをツカエミヤに指摘した。
「オレのミスティナに、いつまで抱きついてんだ。ぶっ飛ばすぞ」
「ひ……っ!」
「お兄様。ツカエミヤを、いじめないの」
「オレは悪くねぇだろ。ミスティナに抱きついた、こいつが悪い」
お兄様は悪びれもなく、ツカエミヤに濡れ衣を着せた。
私の無事を喜んだだけで、お兄様からぶっ飛ばすぞと凄まれるなんて。
ツカエミヤが、可哀想だわ……。
「お前はオレの下位互換。クソ野郎にミスティナが嫁いだ時、オレの代わりにパートナーとなる為雇った。そうだな?」
「そ、そうです、けど……」
「ミスティナはオレの妻だ。クソ野郎の元へ嫁ぐことなんて、金輪際ありえねぇ。てめぇの役目は終わりだ」
「へっ!?く、クビってことですか……!?」
ツカエミヤは大きなショックを受けたようで、よろよろとその場に膝を付く。腰が抜けてしまったみたいね。
うちを追い出されたら、ツカエミヤは行く所がないのに……。お兄様ったら、あんまりだわ。
「お兄様。ツカエミヤは、私の侍女よ。今後ツカエミヤをどうするかは、私が決めるわ」
「ミスティナのパートナーはオレだ。こいつは必要ねぇだろ」
「地獄耳の魔法は、必要ないかもしれないけれど……」
「ミ、ミスティナ様!?」
ツカエミヤは私にクビを宣告されるんじゃないかと、顔を真っ青にしていたけれど……。私がツカエミヤのクビを、宣告するわけがないわ。一度雇い入れた責任は、最後まで取るつもりよ。
「侍女としての力は、私に必要なの。いいでしょう?お兄様。わけのわからない無能な侍女を雇うより、私達の関係をよく知るツカエミヤは、お兄様の理になることはあっても、邪魔にはならないわ」
「ミスティナ様……!私は一生、ミスティナ様のおそばに控えます……!」
ツカエミヤはその気だけれど、問題はお兄様の方ね。
お兄様はツカエミヤが私の本へ訪ねてきたときから、ずっと不満そうな顔をしていたもの。
利用価値がなくなったのだから、今こそ用済みだと宣言するいい機会だと、思っているのでしょうけれど……。
私はツカエミヤを、お兄様と同じくらいに信頼しているの。
タダでクビを切ったりなど、しないわ。
「いつまで経ってもオレの意思を無視して、お兄様呼びを続けるミスティナから、お願いされたってな……」
「テイクミー、お願い」
私は瞳を潤ませて、お兄様の名前を呼んだ。
普段だったら恥ずかしいから、こんなアピールは絶対にしないけれど。このパフォーマンスをするだけでツカエミヤを手放さずに済むなら、喜んでお兄様へ媚を売ってあげる。
「くそ……っ!」
お兄様は拳を握りしめると、ツカエミヤと私の間の割って入った。
ツカエミヤが悲鳴を上げる暇もないほどの、早業だ。
お兄様は私を抱き抱えると、私の部屋へ運び込んで鍵を掛けた。
「ミスティナ様……っ!?」
「うるせぇ!ミスティナが心配なら、ご自慢の地獄耳で、聞き耳立てろ!」
「ひゃあ!?」
耳が過敏な地獄耳の魔法が使えるお兄様とツカエミヤは、大きな物音を耳にすると、常人以上に驚くのよね。
小さな音もよく聞こえる二人にとって、大きな音は爆弾が爆発したように聞こえるんでしょう。無理もないわ。
「お兄様……。何も部屋を、施錠しなくたっていいじゃない……」
「まだ兄呼びを続けんのかよ。懲りねえなぁ、ミスティナも」
ベッドの上に腰掛けたお兄様は、私と向かい合って座ると髪を撫でた。
図体が大きくて力持ちなのに、私に触れる手はまるで、壊れ物に触れるかのようだわ。
「オレはとっくの昔に、お前呼びはやめたぜ?」
自分はやめたから、私にもやめろと強要する辺りが、お兄様らしいわね。
私にとって、お兄様はずっと……お兄様だったけれど……。
お兄様を卒業する日が、きたのかもしれないわね。
「私達が兄妹だと……私に言い聞かせたのは……。年の差を気にして?お父様とお母様を、悲しませたくなかったから?」
「親父とお袋には……育てて貰った恩があるけどよ……。ミスティナを悲しませることに比べたら、それほど重要視はしてねぇ」
「なら、どうして……。小さな頃は、テイクミーのことが大好きだったから……テイクミーが私を好きだと伝えてくれたら。私はあなたの愛を、忘れて生きる必要などなかったのに」
もっと早くに愛を育み、幸せな日々を過ごすことだってできたのに。
お兄様は自分の気持ちに蓋をして、妹の健やかな成長を見守る、意地悪な兄として生きる道を選んだ。
「気持ち悪いだろ。ミスティナは、オレと血が繋がってると思い込んでやがる。オレはミスティナに、嫌われたくなかった……」
「意地悪な態度を取る方が、よっぽど嫌いになるわ。私は意地悪な態度を取られすぎて、幼い頃テイクミーが好きだった気持ちすらもすぐに思い出せないほど、嫌いになってたのよ」
「男ってのはな、好きな女ほど、虐めたくなるものなんだ」
「本当に……?」
「この段階で嘘ついて、どうすんだよ」
お兄様は私に、平気で嘘をつくから……いまいち信じきれないのだけれど……。
私達は、夫婦になったんですもの。
夫婦円満の秘訣は相手を信じることから始まると、お母様は私とお姉様に長年言い聞かせてきたわ。
今回はお兄様の主張を、全面的に信じるべき場面でしょうね。
「このままじゃ、クソ野郎に横から掻っ攫われちまう。焦ったから、オレはミスティナに対する気持ちを隠さないと決めた」
「突然私にベタベタひっつきはじめたから、何事かと思ったわ」
「仕方ねぇだろ。ミスティナが真実を知るまで、オレは打ち明ける勇気がなかったんだ。結局、クソ野郎に取られる寸前ですら……オレの気持ちを優先するより、ミスティナを傷つけない方法を選び取るべきだと……覚悟が決まらなかった。情けねぇ……」
お兄様が私に好きだと伝えられずに言い淀んでいたのは、覚悟が決まっていなかったからなのね。
お姉様がお兄様の背中を押して下さらばければ……私は殿下と一緒に、今頃王城で……皇太子妃として、迎え入れられていたことでしょう。
「お姉様に、感謝しなければならないわね」
「いいとこ全部、持っていきやがって……」
「お姉様がいなければ、兄として私を見送るつもりだったのでしょう?」
「見送るつもりなんざ、ねぇよ!オレはミスティナが泣いている姿を見れば、いつだってあのクソ野郎から奪い取るつもりだった……!」
「殿下から私を奪い取るつもりがあるなら、最初から私に好きと伝えればよかったのよ」
「それは、ミスティナが……」
「テイクミーらしくないわ」
カフシー家の家訓は、欲しいものはなんとしてでも奪い取れ。
迷える子羊を救うためなら、どんな悪行にも手を染めることが許されるのよ。
お兄様はどんな手段を講じてでも、私を求めようとはしなかった。
お兄様の愛は、その程度だと受け取ってもいいかしら……?
「テイクミーは、狂おしいほどに私を愛しているのでしょう?」
「当たり前だろ!?オレはミスティナを、愛してる……!」
「だったら今まで以上に、私を求めて。殿下に負けないくらい、私を愛するのよ。誰にも私を、奪わせないで」
「ミスティナ……」
「テイクミーの愛が、誰よりも一番私を愛していると実感できたら。私もテイクミーを愛するわ」
「駄目だ。今すぐオレを愛せ」
「私の幸せを、一番に考えているのでしょう?」
「ぐ……っ」
お兄様はぐっと眉間に皺を寄せて、口ごもる。
無理強いをしたら、私に嫌われて殿下の下へ逃げられてしまうと気が気ではないのでしょうね。
「お兄様から旦那様への切り替えは、簡単なことではないのよ」
力強く私を抱くお兄様も大好きだけれど、私の為を思って複雑な表情を浮かべるお兄様も、大好きよ。
今すぐには口に出さないけれど。いつかは胸を張って、幼い頃のように……。満面の笑みでお兄様へ、愛を囁くときが来ると。私も信じているわ。
「……絶対にオレへ、愛を返せよ」
「ええ。無事に切り替えが済んだら。約束するわ」
だから。
少しだけ、我慢してね。
テイクミー。私の旦那様。世界で一番、愛している人──