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星空の女神

「早まるな」


 低い声が、背後から私に呼びかける。

 何事かと私が立ち上がるよりも早く、低い声の主は私を無理矢理噴水の中から抱き上げ、引っ張り上げた。


「何してる。死ぬつもり?」

「……っ!?」


 私は腰元を両手でしっかりと掴み抱き上げられ、宙に浮かぶ。

 ドレスの裾は腰に巻き付けられたままで、私の手足からはポタポタと水が滴り落ちて抱き上げた男の衣服を濡らす。

 随分と上質な、身なりの整った服だわ。身分の高い方かしら。私が誰だろうと頭を悩ませれば、男は私の白い肌に浮かび上がる青あざを確認し、目を見開いた。


「なに、これ」

「……あなたに関係ないわ」

「自分でやったの」


 まるで自分が痛めつけられたかのように。男は痛ましそうな表情で肌に浮かび上がった青あざを見つめる。

 見知らぬ男に痣を心配されても大きなお世話としか言えない私が冷たくあしらえば、彼は青あざに優しく口づけた。


「君の……。星空のように美しき身体を、傷つけた奴は……許せない。おれが、罪を償わせてあげる」


 星空のように美しき身体、だなんて。なんてキザな男性なのかしら。

 私の髪を見て星空と称する人はいたけれど、肌色まで星空と称する人はいなかった。

 まるで私の肌が、藍色のようじゃない。

 肌の色を何かに称するのなら、淡雪のような白い肌と称することが、適しているでしょうに……。


「随分と、キザなセリフを紡がれるのですね」

「嫌だったなら、謝る。ごめん」


 第一皇子を見た後だと、素直に自分の非を認めて謝罪できる眼の前の男が素晴らしい人に思えてくるのが不思議で仕方ないわね。私は笑顔で、男に言葉を紡ぐ。


「とても斬新で、印象に残りました」

「夜空を思い出させる紺色の髪と、星を連想させる美しき瞳は……星空の女神と称するに相応しい。おれの女神……」


 彼は私の肌色ではなく、容姿を見て星空の女神と称したようね。

 女神など……面と向かって称される機会などないから、なんだかむず痒いわ。

 彼は青あざから手の甲に向かって顔を近づけると、自然な動作で口付ける。


「おれはこの出会いを、最初で最後にしたくない。名前を教えて」

「名乗る名は、持ち合わせておりませんの」

「星空の女神は、恥ずかしがり屋なんだ……?」


 私を抱き上げたまま、彼はこてりと首を傾げながら微笑んだ。

 その瞳はどこまで行っても優しく、私の胸を高鳴らせる。


 ときめいている場合ではないわ。


 第一皇子派に私の正体がバレている可能性だって、ゼロではないのよ。

 このアプローチは、私を絡め取る為の罠かもしれないのに……。


 もっと警戒しないと。


 私がロスメルに成り代わって第一皇子と婚約破棄をしたことがバレたら、両親にも迷惑が掛かるわ。私だけの問題じゃなくなってしまうもの。警戒心は、怠らないようにしないとね。


 吸い込まれそうなオレンジの瞳に、闇夜を連想させる漆黒の髪が、風に揺れている。


 彼は美形と呼ぶに相応しいほど、顔達が整っていた。こうして至近距離で話をしているだけで、胸が高鳴る程に。

 第一皇子だって、誰もが羨む美形の部類ではあったけれど。

 性格が最悪なせいで、胸が高鳴ることなどなかったのに……。不思議な話ね。


「まずはあなたから、名乗るのが筋ではなくて?」


 私が挑発するように頷くと、彼は小さく頷いてから名乗る。

 彼の口から紡がれる名は、私が想定もしていない人物の名前だった。


「おれは、ディミオ・アル厶」

「ディミオ・アル厶」

「うん。ディミオでいいよ。星空の女神」


 ディミオ・アル厶って……沈黙の第二皇子じゃない!


 驚きすぎて、真顔で尊き方のフルネームを繰り返してしまったわ。

 不敬にも、程があるわね……。

 社交場だったら、普段変身魔法で他人に成り代わって断罪に勤しむ私が、逆の立場になってしまう所だった。勘弁して欲しいわ。


「夜会が開催されている最中でしょう。側近も連れず一人出歩くなど、褒められたことではありませんわよ」

「おれが居なくなったことすら、誰も気づいてない。おれは居ても居なくても、いい存在なんだ」


 今まではそうだったけれど、これから彼は、この国で一番尊き立場になるはずよ。第一皇子がロスメルにやらかして、廃嫡を宣言されているのだから。


 殿下は2人も必要ない。


 王位争いで、国が揺らぐことなどないいように。


 彼は沈黙の皇子と呼ばれるほどに、息を殺して生きてきた。

 自分こそが次期国王だとふんぞり返り、評判があまりよくない第一皇子が消えた今、彼は我が国を担う王位継承権第一位に名乗りを上げる。

 自己主張をしてこなかった今までのような生活が、許される訳がないのよね。


 第一皇子は傲慢でわがまま。

 性格は最悪で暴力的とくれば、国が傾く要因にもなりかねないわ。

 対する第二皇子は、沈黙の皇子と呼ばれるほどに物静かで自己主張をしない。

 政治にもノータッチで、彼の姿を目にしたことがある人達には、生きる屍のようだと言うのがもっぱらの噂ね。

 彼は第一皇子に目を付けられぬよう、婚約者すらもあてがわれることなく、ずっと孤独に生き続けてきた。


「おれがどうでもいい存在だから、星空の女神に会えた……」


 彼が夜会の会場から姿を消し、騒ぎになって臣下が探しに来る程の人望があれば……私と彼は顔を合わせることなど、なかったでしょうね。


 彼は星のようにキラキラと輝く瞳を私に向け、熱っぽい視線で私を貫く。


「君に出会えたことは、運命だと思ってる」

「そうですか」

「うん。おれと、婚姻を前提に交際して欲しい」


 出会いからプロポーズまでが、早すぎると思わない?

 私に婚約者がいたら、どうするつもりなのかしら。


 ロスメルの姿ではなく、ミスティナ・カフシーの姿で彼と出会ったことを、これほど後悔することになるなど思いもしなかったわ。

 ロスメルの姿であれば、第一皇子の後ろ盾を失くした彼女が、同待遇で幸せを得るための第一歩を、応援できたのに……。

 第二皇子はまともな教育など受けてはいないけれど、これから王としてのイロハを叩き込まれる立場よ。

 妃教育を受けているロスメル程、もってこいの相手はいないわ。


「……殿下には、ロスメル・アルフォンス公爵令嬢が相応しいかと存じます」

「アルフォンス公爵令嬢って、兄貴の婚約者でしょ。おさがりになんて興味ないけど」


 お下がりって。もっと他に言うべきことがあるでしょう。

 社交界に舞い降りた妖精と名高き可憐なロスメルに興味がないと言われるのは、私を否定されたみたいで腹が立つ。

 ロスメルに成り代わっていた時間が長いから……。自分のことみたいにムカつくのよね。

 私がロスメル・アルフォンスではなく、ミスティナ・カフシーであると自覚するには、もう少しだけ時間が掛かりそうだわ。


「名前を教えて。星空の女神。おれは君を愛している」

「私は陛下と、添い遂げられるような身分ではございませんわ」

「身分差は気にしなくていいよ。お飾り皇子がどんな女を連れてきたって、どうでもいいはずだ。文句なんて、言わせないけど」


 私の腰をしっかりと抱き上げている彼は、私が名前を打ち明けずともこのまま何処かへ連れ去ってしまいそうな危うさがある。勘弁して欲しいわ。国王の妻だなんて。冗談じゃない。


 私は生涯、悪人の断罪を生業に生きて行くのよ。それがカフシー家に生まれた、私の使命ですもの。王妃になんて、なるもんですか。


「殿下」


 私は彼に呼びかけると、パチンと指を弾く。夜空を連想させる紺色の髪は星のように輝く金色へ。瞳は太陽のようなオレンジに変化し、私の姿は男性へと変貌する。


「……っ!?」


 愛しき星空の女神が、私が指を弾いた瞬間から、突然第一皇子に変化したんですもの。当然驚いて、手を離すわよね。


 私の変身魔法は思い描いた人物のすべてをトレースする。

 私が思い描いた第一皇子は健康体。体重だって、ミスティナ・カフシーの2倍くらいはあるはずよ。

 軽々私の腰を持ち上げていた彼があまりの重さと驚きで手を離したのをいいことに、私は彼と距離を取る。

 今がチャンスだわ!


「待って!」


 私が変身魔法に長けた人物であると、自ら露呈させるのは悪手でしかないけれど。こうでもしなければ、ミスティナ・カフシーであることがバレて、無理矢理婚姻を迫られてしまうわ。

 変身魔法に長けていることをバラしてでも、優先するべきは私の安全よね。

 そう考えた私は脱兎の如く走り去りながら、パチンと指を弾いてミスティナ・カフシーの姿に戻った。


「星空の女神!おれは必ず、君を娶る!」


 私の背中に大声で語りかけた彼の言葉など、真に受けてられないわ。

 私は裏門に待機していた迎えの馬車に乗り込むと、早く馬車を出すように告げた。

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