すれ違った末
私とお兄様が、書類上は夫婦?
一体どういうことなのかしら。
私は殿下と婚姻するよう、王命を受けた身。
王家にだって、婚姻の事実は知らされていなかったはずよ。
貴族の娘は王族の許可がなければ、婚姻など許されない。
秘密裏に婚姻を進めるなど、できるはずがないのに……お姉様は一体どうやって、本人の同意なくお兄様と私を婚姻させたのかしら。謎が深まるわ……。
「……私は殿下と、愛のない婚姻を……しなくていいの……?」
「ああ。ミスティナは、オレのもんだ。誰にも渡さねぇ。渡して堪るもんか。ミスティナ。お前も、兄とは婚姻できねぇとか禁忌だとか騒ぎ立てて、離縁を試みようとするんじゃねぇぞ。オレとの離縁したら、ミスティナは即刻王族の仲間入りだ」
「それは、嫌よ!お兄様と離縁なんて……。私が申し出るわけないでしょう……?」
お兄様の妻になったと告げられても。
実感が沸かないけれど……。
殿下と愛のない婚姻をするよりは、お兄様と家族愛を育んで一緒にいることを選んだ方が、私も幸せになれる気がするわ。
「オレはもう、ミスティナの兄じゃねぇ」
「急に兄じゃないと告げられても……困ってしまうわ……。私にとってお兄様は、お兄様ですもの……」
「本当に?」
私が納得できなくて下を向けば、お姉様は私に問いかける。
私は生まれた時からずっと、兄妹として過ごしてきたのよ。
恋愛対象なわけないじゃない。
私がお兄様に抱く思いは、家族愛に決まっているでしょう……?
「テイクミーが兄を名乗るようになったのは、ミスティナが6歳の頃よ。よく、思い出してみて。テイクミーのことが大好きだと、小さな頃は叫んでいたじゃない」
「あの時は……。お兄様が私に、優しく接してくれたから……」
お姉様に思い出してみてと指示されなくても。
お兄様との楽しかった日々は、忘れたくても忘れられないわ。
大人になると、お兄様は私のやることなすこと全てにケチをつけてくるようになったから……私達は喧嘩が絶えなかったけれど……。
幼い頃のお兄様は、とても優しい瞳で私を見つめていたのよね。
『お兄様。大好き!』
私はお兄様のことが大好きで、大きくなったらお兄様と結婚するのよと大騒ぎしていた。
お姉様は微笑ましそうに私を見つめ、お兄様も私と指切りをして……約束をしたはずよ。
「お兄様は……」
お姉様はお兄様を、名前で呼んでいたのに。
いつの日からか、お兄様を愚弟と呼び始めた。
お姉様が愚弟と呼ぶようになってから……。
お兄様は私に、冷たくなったような気がするわ。
『どうして私に、冷たいの……?お兄様と私は、大きくなったら結婚するって約束したじゃない!』
『そんな約束、してねぇよ』
お兄様は苦しそうに唇を噛み締め、視線を反らした。
お兄様が大好きだった私は、約束なんてしてないと告げられたことが、すごく悲しくて……。
お兄様なんて嫌いだと、心を閉ざした。
『兄妹は、結婚なんてできねぇんだよ』
私とお兄様は、兄妹。
兄妹は結婚したらいけない。
結婚できないのなら。お兄様が大好きな気持ちは、この気持ちは鍵を掛けて、心の奥底に沈めよう。
もう二度と、浮かび上がってこないように。鍵を掛けて──。
「私との約束を、覚えていたの……?」
「──忘れたことなんざ、ねぇよ。ミスティナとオレは大きくなったら結婚するって、約束したろ」
お兄様は悪びれもなく、低い声で苦しそうに紡いだ。
私はお兄様の言葉を信じて、約束を忘れていたのに。
お兄様は忘れたことがないですって?
だったら私だって、その約束を忘れる必要がなかったじゃない!
「……嘘だって、言ったじゃない……!」
「仕方ねぇだろ。あの時は、テリアムに脅されてたんだよ。兄妹になった以上、オレとミスティナは夫婦になれねぇってな」
「……いつ、誤解が解けたの……?」
「二人が喧嘩するようになったのを見かねて、私がテイクミーに告げたのよ。私は伝える相手を、間違えたんでしょうね」
「仕方ねぇだろ。ミスティナはオレと血の繋がった兄妹だって、信じ切ってやがる。あの状況でオレが兄貴じゃねぇって伝えても、混乱させるだけじゃねぇか」
「この通りよ。テイクミーがミスティナにだけは黙っていろと、寝言を口にするものだから……。お父様やお母様にも協力してもらって、嘘をついていたの」
「それじゃあ……」
私が両親にお兄様との繋がりについて問い掛けた時、気まずそうな表情をしていたのは……お兄様から黙っているように命じられていたからなのね……。
お兄様の気持ちを知らなかったのは、私だけ。
私はずっと、しなくてもいい苦労をしていた。
「伝えるのが遅くなって、ごめんなさい。殿下との婚姻を防ぐため、合意なくテイクミーと婚姻させることだって、本来ならばするべきじゃなかった……」
「お姉様が謝る必要なんてないのよ。私がロスメルに成り代わって婚約破棄を宣言した日に……殿下と出会わなければ、こんなことにはならなかった。私が悪いの。私が……」
私はお兄様の腕に抱きしめられながら、唇を噛みしめる。
全て、私が招いた失敗だわ。
お姉様のお陰で、私は皇太子妃にならずに済んだけれど……。
これで終わりなわけでは、ないでしょう。
私にはお兄様を責める権利が、ないのよ……。
「……あのクソ野郎に、感謝したくはねぇけどよ……」
「お兄様?」
「あのクソ野郎がミスティナを、横からかっさらおうとしたからこそ。ミスティナはオレとの婚姻が、素晴らしいもんだと気付けたんだろ」
「そう、ね。そうかも、しれないわ……」
「ミスティナを好きになったことは、気に食わねぇけど。感謝はしてやる」
「お兄様……」
お兄様が私を抱き締める腕に、力が篭る。
殿下の細い腕よりも、力強く逞しいお兄様の腕に抱きしめられていると、安心するのは……。幼い頃から、ずっと一緒にいるから?
それとも。
幼い頃に抱いていた淡い恋心を、自覚したからなのかは……なんとも言えないわね。
「両親には、私から話をしておくわ。夫婦水入らず、気持ちを確かめ合いなさい」
「お姉様……」
「さっさと消えろ、お邪魔虫」
「あら。王命に背いてミスティナをその手で抱き続けているのは、誰のお陰だと思っているの?今すぐ書類を破り捨て、ミスティナを殿下へ捧げても、構わないのよ」
「誰が渡すか!」
「お姉様は敬うものよ。それでは、ごきげんよう」
お姉様は私へ微笑みかけると、両親の元へ向かった。
廊下に残された私は、お兄様に背中から抱きしめられたままその姿を見送る。
「お兄様。ツカエミヤに、私の無事を知らせなければ……」
「テリアムが勝手に報告するだろ」
「ツカエミヤは私の侍女よ。お姉様からではなく、主人である私が命じるべきでしょう」
「ミスティナはオレと、じっくり語り合う時間は、作ってはくれねぇのかよ」
「それは……」
私だって、気持ちの整理が必要だと思っているわ。
ある日突然、血の繋がっている兄妹だと思っていたお兄様が……私の旦那様になっていたんですもの。
簡単に、受け入れられるようなことではないわ。
「時間なら、いくらでもあるでしょう?」
「嫌だ。今すぐ作れ」
「お兄様。わがままを言わないで」
「わがまま言ってんのはミスティナだろうが。いい加減、兄呼びはやめやがれ」
お兄様は、私にとってお兄様なのに。
お姉様のように、お兄様は名前で呼べと命じてくる。
お兄様の名前は、テイクミーと仰るのよね。ずっとお兄様と呼んでいたから……なんだか呼びづらいわ……。
「名前で呼んだら、私の自由な時間を与えてくださる?」
「自由な時間なんざ、必要ねぇだろ」
「自由な時間が得られないなら、一生お兄様と呼び続けるわ。私が誰かに命じられて、生きてることを嫌がっていること……ずっとそばで私を支えてくれたお兄様なら、痛いほどわかるでしょう」
お兄様は、やっと静かになった。
私は自由を望んでいるのに、お兄様は自由にさせたくないようだわ。
私が思いつきで始めた行動を見守ることなく上から押さえつけたら、殿下と同じことをしているって、理解してもらえたら嬉しいのだけれど……。
お兄様は私に、どんな反応を返すのかしら?
「侍女には、会わせてやる。無事を知らせたら、すぐにオレと二人きりの時間を作れ!いいな!?」
「ありがとう。テイクミー」
私は始めて、お兄様の名前を呼んだ。私よりも年上のお兄様を、呼び捨てるなど……なんだか変な感じね。
「な……っ!」
私がもやもやとした気持ちを抱いていれば、お兄様にも思う所があったみたい。
お兄様は私の身体から、腕を離す。
振り返った私は、お兄様の顔が真っ赤に染まっていることに気づいた。
「テイクミーが照れるなんて、珍しいこともあるのね」
「心臓が、保たねぇっての……」
お兄様は小さな声で呟くと、耳まで真っ赤な状態で棒たちになってしまう。
お兄様の意外な一面を目にした私は、彼に背を向けて歩き出した。
「おい……っ!ミスティナ!」
「ツカエミヤに、会うだけよ」
お兄様は私を呼び止めたけれど、先程までのダメージがまだ残っているみたい。
私はお兄様を置いて、ツカエミヤへ会いにいく。