地獄耳のテスト
「神の代行者様!」
教会の床に膝をつき、両手を重ね合わせていた女性が私を見て、パッと表情を明るくさせた。
お兄様はそれが誰かを認識すると、私と繋いだ指をゆっくりと離し、教会を出ていく。
気を使ってくれたのかしら……?
「ツカエミヤ?」
「はい!ツカエミヤです!この度は……っ。私の願いを聞き届けてくださり……本当にありがとうございました……!」
遠路はるばる王都から、わざわざお礼を言いに来てくれたなんて。ツカエミヤは素晴らしい信仰心の持ち主ね。
深々と頭を下げてお礼を告げたツカエミヤは、私を神の代行者様と連呼しては、変態令嬢が第二皇子の手によって罰を受けたことなどを嬉々として話してくれる。
ラヘルバ公爵家で、たしかに私は神の代行者としか名乗らなかったけれど……連呼されるのは恥ずかしいわね。
神の代行者様と慕われるくらいなら、星空の女神と呼ばれる方がまだマシだわ。
「ラヘルバ公爵家はお嬢様の言動が問題となり、爵位を剥奪されました」
「そう。再就職先の斡旋は?」
「私は神の代行者様が真っ向から戦いを挑むお姿に、酷く感銘を受けました……!」
「……感銘……?」
「はい!私も、代行者様のお力になりたいです!」
神の代行者と呼ばれるのが嫌だからとしても……ツカエミヤが今どのような立場に置かれているのかを確認する前に、私がミスティナ・カフシーであると名乗るのは愚策だわ。
ツカエミヤの身元をはっきりさせてからにしようと、私が聞き取り調査をすれば。彼女は私の力になりたいと志願した。
侍女としては、変態令嬢にいつも怒られてばかりだったと聞いたけれど……。彼女は私に、どのような力添えをするつもりなのかしら?
「貴女は私の、どんな力になってくれるの?」
「あの、私をずっと守ってくださった方は……地獄耳の魔法を使えるんですよね?私も、地獄耳の魔法が使えるんです!あの方が代行者様のお力になれるのなら、きっと私だって代行者様のお力になれるはずです!」
地獄耳の魔法が使える侍女を探そうとしたら、本人が私の力になりたいと志願してきたわ。こんな偶然、あってもいいのかしら……。
「お兄様」
私は二つ返事でツカエミヤを迎え入れることはせず、空気を読んで姿を消したお兄様を呼び寄せた。
お兄様はうんざりした様子で、教会の出入り口を蹴りつける。その表情は恐ろしく不機嫌そうだ。
「んだよ」
お兄様は地獄耳の魔法が使える侍女など必要ないと、強く私に言い聞かせた。
私が探すよりも先に、地獄耳の魔法が使えるツカエミヤがやってきたなら。何が何でも蹴落としたいと考えているに違いないわ。
ツカエミヤを侍女として雇うには、お兄様も唸らせるような、魔法の使い手である所を証明して貰わなくてはならないわ。
「お兄様は確か、半径50mまでだったら聞こえるのよね」
「てめぇの声だったら、どこにいたって聞き漏らさねぇよ」
「ツカエミヤ」
「ひゃい……!」
「お兄様の代わりを務めてもらうならば、最低でも半径500m先の会話を、一言一句聞き漏らさないような力を持ってなければ困るわ。どうかしら。出来る?」
「も、もちろんです……!」
半径500m先から聞こえる声を、一言一句聞き漏らすことなく認識する。
簡単なことではないわ。お兄様にとって私の声は、生まれてからずっと馴染みのある声だけれど──ツカエミヤにとってはそうじゃない。
私が変身魔法を使えば外見と声は哀れな子羊になるのだから、私の声を記憶していればいいとは限らないけれど──私の声でテストしてみて考えるのは、きっと悪いことではないはずよ。
「じゃあ、今から15分以内に左右に別れて。半径500mギリギリの場所で待機しなさい。15分後に私の声が聞こえてきたら、ここまで戻ってきて。聞こえた言葉を発表する」
「わ、わかりました……!」
私は祭司にお願いをして、地図を持ってきて貰った。領地内の地理に詳しいお兄様なら、口頭で指示をすれば伝わるけれど、ツカエミヤはあまり土地勘がないのよね。彼女が不利になってはいけないと考えた私は、半径500mの円を書き、ペンで印をつけた。
「お兄様はここ。中央病院の裏路地辺り」
「おう」
「ツカエミヤは……大広間にしましょう。剣のモニュメントがあるから、その前に立つこと。分からなければ、領民に聞けばいいわ。教えてくれるから」
「わ、わかりました……!」
迷わず歩けば7分前後で到着するけれど、15分でツカエミヤがたどり着けるか心配だわ……。
私は手を叩き、緊張の面持ちで地図を握りしめたツカエミヤとダルそうに歩くお兄様を見送った。
「ミスティナ様、お忙しい中お呼び立てしてしまい、大変申し訳ございません」
「いえ。お呼び頂き、感謝していますわ。彼女は私が探し求めていた人材ですもの。テストの結果次第では、大切に育てるわ」
地獄耳の魔法が使えると自慢げに語るのだから、不合格になるわけがないのだけれど……。もしもの可能性は、常に考慮しておかないとね。
私は念には念を入れ、教会内に盗聴魔法などが仕掛けられていないことを確認すると、15分後に虚空へ向かって祝詞を紡ぐ。
──ツカエミヤはこの長ったらしい言葉を、一言一句漏らさず聞き取れたかしら?
ツカエミヤが聞き漏らすことなく覚えていてくれたら、私は地獄耳の侍女を求めて歩き回る必要がなくなるのだけれど……。
「んだよ、あの台詞」
「お兄様。お帰りなさい」
「オレに対する嫌がらせかよ」
お兄様の耳にはしっかりと私の声が聞こえていたようで、話の内容を聞いて私の正気を疑っていた。
あら、嫌だわ。嫌がらせだなんてとんでもない。
私は神に改めて、誓いを立てただけなのにね?
「あー、疲れた」
お兄様はわざとらしく言葉を吐き出すと、私の隣に腰を下ろした。
背もたれに両手を投げ出し、足を組んだお兄様は、天を仰ぐ。
「たった往復30分歩いただけで疲れるなど、カフシー家長男の名が廃るわよ」
「うるせぇな……。てめぇのわがままで、30分歩かされたんだ。オレの疲れを癒やせ」
「もう、お兄様ったら……」
お兄様は当然のように私を抱き寄せると、私をお兄様の逞しい胸元に押し付けた。最近のお兄様は情緒不安定ね。突然甘えてみたり、私を求めたり──その気まぐれな言動が、鳴りを潜め、元に戻るのを待つことしか……私にはできないわ。
「憎たらしい妹を抱きしめたくらいで、疲れは癒せるの?」
「憎たらしい妹が抵抗せず、オレに身体を預けているからこそ、疲れが取れるんだろ」
「そう言うものかしら」
「そう言うもんだ」
お兄様がそういうなら、これ以上は私が何を言っても無駄になるわね。
私達はツカエミヤが来るまで、静かに身を寄せ合った。
「お、お待たせ、しました……!」
お兄様の機嫌が少しだけ直った頃。
息を切らせたツカエミヤが、教会に飛び込んできた。
15分では足りなかったようで、ツカエミヤはかなり疲弊している。
祭司に頼んで水を持ってこさせ、彼女に飲ませた私は、ツカエミヤが落ち着くまでお兄様と寄り添って待っていた。
「神の代行者様……そちらの殿方は……とても仲がいいのですね……。恋人同士ですか……?」
恋人に間違えられたお兄様は、機嫌良くニヤニヤと笑っていた。
このままだと、勘違いされたままになってしまうわ。お兄様の機嫌を損ねてしまうかもしれないけれど、ツカエミヤが侍女となるならば、殿下と顔を合わせる機会もあるでしょうし──ここは素直に否定しておくべきだわ。
「いいえ。血の繋がった、私のお兄様よ」
「ほ、本当にお兄さんなんですか!?こ、これは失礼致しました……っ。大変仲が良さそうに見えたので……、てっきり……」
「なんで否定すんだよ」
「殿下の件があるでしょう。嫌よ。知り合いに二股令嬢と囁かれるのは」
「断ればいいだけだろ」
「王命が下れば、殿下との婚姻は逃れなれないものになる。殿下とは10年現状維持を約束したけれど……待ちきれないようだから……」
彼が直接カフシーの領地にやってきて王命を告げるのは、そう遠い未来の話ではなさそうなのよね。
彼の我慢と私の忍耐力がいつまで続くかは──神のみぞ知る。
私の意志に関係なく、婚姻の話が進む前に。私は準備を整えなければならないの。お兄様だって、そうなる可能性を考慮していないわけではないでしょうに……。
「てめぇはオレのもんだ」
「わかったから、その話は置いておきましょう。ツカエミヤ。私は15分前にこの場所で、どんな祝詞を紡いでいた?」
「は、はい。申し上げます」
私を抱きしめる腕の力を強めたお兄様は放っておき、私はツカエミヤに問いかけた。
彼女は緊張した面持ちで、時折吃りながらも必死に私へ祝詞を一言一句違わず伝えようとする。
その姿がとても一生懸命で。彼女の心がとても美しいことを表していた。
「か、神の代行者は、恋をしない。迷える子羊を救う為に命を賭けているから。神の代行者は、誰も愛さない。たった一人を愛するよりも、迷える子羊を慈しみたいから」
お兄様が当てつけだと私を非難した理由は、この祝詞にある。神へ捧げしこの祝詞は、私が現在誰に対しても恋愛感情を持ち合わせていないことを意味するから。
冗談なのか本気なのかはわからないけれど、お兄様は私を誰にも渡さないと束縛し始めた。
お兄様が望むのは、血の繋がった兄を愛してしまった妹の懺悔。
誰かを愛するよりも迷える子羊を愛しているなど、聞きたかったんでしょうね。
お兄様が望む言葉など、もしも本当にその気があっとしても口にはできないけれど。血の繋がった兄弟が愛し合うなんて……そんなこと、考えられないわ。
「神の代行者がたった一人を愛する時は、その全てを愛しきものへ捧げると……神に誓いましょう……」
「お兄様、どうかしら?」
私は一言一句ツカエミヤが伝えてくる言葉が正しいと確認が取れたけれど、お兄様が否定すれば面倒なことになる。
お兄様は嘘をついてでも、侍女としてそばにおくことが嫌だって騒ぐかしら?
なんとも言えないわね……。
「チッ。間違ってはいねぇな」
「テストは合格ね。ツカエミヤは、私の侍女として働いてもらうわ。いいでしょう?お兄様」
「ミスティナはオレのもんだ。パートナーの座は、渡さねぇからな」
「ひ……っ!申し訳ございません……!」
眼光鋭くお兄様が睨みつけたせいで、ツカエミヤは怖がっているじゃない。もう……。
お兄様が私の名前を口にしてくれたんは、とてもありがたかったけれど。これじゃ、プラスマイナスゼロだわ。
「ツカエミヤ」
「はい!何なりとお申し付けください!神の代行者様!」
「私はミスティナ・カフシー」
「……ミスティナ……様……?」
「ええ。今日からツカエミヤは、カフシー伯爵家の侍女。公爵家のようには贅沢な暮らしをさせてあげられないかもしれないけれど……」
「いえ!この命が尽きるまで!私はミスティナ様に誠心誠意お使えいたします!」
「ありがとう。期待しているわ」
そうして私は、地獄耳の魔法が使える侍女を手に入れた。