泥沼と言われた悪女は転生先でも神に復讐を誓う。
空を見上げれば、すっかり日は暮れて満天の星達が瞬いていた。
先程までアサミは都内の高級ホテルで上客達とシャンパンを飲みながら、「仕事」の話をしていた筈だ。
なのにいきなり、見たこともない密林とも言える深い森の中で仰向けに横たわっている。
混乱はしているが、今にも降り注ぐように落ちてきそうな星達を眺めながら、懐かしいとも思う。
「村」で過ごしていた時から夜空を眺める事は無かったのだから。
そんな精神的な余裕も、肉体的にも物質的にも無かったのだとアサミはボンヤリ考える。
忌まわしい村から、土地神から逃げて、逃げて、逃げて…戸籍もない未成年者の彼女が生きる場所は世間の闇の隙間しか無かった。
身体を売り、騙され脅され、死にそうな暴力を振るわれた日々は今も忘れない。
忘れたくない訳では無いけれど、あの日々が無ければ今の自分は無かった事をアサミは良く理解している。
勿論、「幸せで何も問題ない人生」に憧れを抱いた時期もある…いや、未だに憧れてはいるのだ。
だが、「憧れ」はあくまでも「憧れ」でしかない。
その証拠にこんな訳の分からない世界に来た所でアサミの「魂」はアサミのままなのだから。
何故かなんて興味は無いが、どんな神だろうとも自分の記憶は渡したりはしない!星が反射して輝く黒曜石の瞳には強い生に執着するアサミの意志がギラリ輝いた。
それは美しくも、誰の手からも柔軟に逃れる蛇のようにも、野生の肉食獣にも似た…迂闊には近付けない危うさでもあった。
伊達に泥沼なんてあだ名では呼ばれる悪女ではないのだ。
他人に虐げられた分だけ学んで、その幾倍の人間を地獄の門へと送り込んだ女である。
美しさの奥底に抱えた闇も生命力も伊達では無いのだ。
宵闇に馴染む漆黒色の異形は低いが仄かに甘さのある声で嗤う。
その姿は精緻な人形の如き美しさであるが、見る物に畏れを抱かせる邪悪さに溢れていた。
「この狂った世界へようこそ。聖女さま……いや、魔女…と呼んだ方が良いのかな?」
わざとらしい芝居染みた仕草は男の姿をしている。
人を馬鹿にした様な慇懃無礼な仕草や言葉に密かな好奇心を混ぜて、普通の人間ならば恐れ慄くか歪な美貌に魅了されただろう。
「普通の人間なら」だが、アサミは残念ながら「普通の人間」では無かった。
人を地獄へと導く「悪女」だったから、この程度の「悪意」「畏怖」「邪気」「覇気」そんなモノに怯む柔な生き方はしていない。
「そうねぇ…お好きな様に呼べば良いんじゃないかしら?『悪魔』さん」
凛とした声で優雅に笑み返す。
すると少しばかり隠していた好奇心を漆黒を纏う美貌に露わにする。
「へぇ…。どうやら私の悪戯は成功したようだねぇ…」
愉しそうな声で悪魔は邪悪に嗤う。
「私を、この姿で、ここに呼び出したのは…貴方では無いのね」
アサミは頭の中を整理しながら、慎重に話す。
いつものように。
「ああ、そうだね。呼び出したのは、私では無いけど…『君』を呼んだのは私かなぁ」
後、場所も本当なら此処じゃあ無いけどねと何とも身勝手な事をさも関係ないとばかりに言い捨てて悪魔は嗤う。
「本当に悪魔って碌なモノじゃないわね…だから、悪魔なんだけど」
アサミは軽く口の中で舌打ちしながら負けずに毒舌を生クリームに包みながら言い放つ。
するとキョトンとした顔で、悪魔は鳶色の瞳を見開いた。
そうすると精緻な人形みたいな美貌に人間ぽさが現れる。
漆黒を纏う悪魔が楽しそうにその宝石みたいな瞳をアサミに向けてピカピカ光らせている…猫みたいだと思ったが、勿論の事だが言わない。
「へぇ…君って面白いねぇ!これから仲良くなれそうだよ!」
転移魔法でアサミの目の前に現れた悪魔は、彼女の手を取り恭しく掲げながら『新しいオモチャ』を見つけた無邪気な子供みたいに笑った。
「これから…って事は、私はもう引き返せないって事かしら?」
苦虫を噛み潰したような顔で悪魔を睨むとオヤオヤと慈悲深い顔をして謝られてしまう。
「ごめんよ。私の力では君を元の場所には戻せないんだ。ただ、召喚された『器』と『中身』を別のモノに入れ替える事しか出来なかったんだ」
キュッと指先を少し強く掴まれ、再び「本当にごめんね」と満面の笑みで返された時には流石のアサミも絶句するしかなかった。
別に死にさえしなければ、アサミは何処ででも生きていくつもりだし、現に生きてきたのだ。
だが、今のアサミの身体は自分のモノでは無い。
(よりにもよって、ミヤビちゃんの身体なのだ!)
ミヤビちゃんはアサミのただ一つだけの大事な大事な『良心』とも呼べる宝物で人生で今までも、これからも唯1人だけの『親友』である。
山の女神の血と源氏の血を引いているとされる閉鎖的な村でも、ミヤビちゃんは『姫巫女』として大事にされていた。
忌まわしい事件が起きなければ、まだ生きてアサミと笑っていたかも知れない。
アサミが宿るミヤビちゃんの身体には神楽舞を舞う為の衣装を身に付けたミヤビちゃんの姿だ。
生き神様とも天女とも言われたミヤビちゃんの姿は浄らかで美しい。
今すぐにでも姿見でミヤビちゃんの全身を眺めたい誘惑に駆られるくらいにアサミはミヤビちゃんに憧れ、大好きだった…今でさえ…。
そんな大事な大事な宝物の身体なんて…弱点を晒して歩く様なモノである。
「…ちょっと…冗談じゃないわよ…」
地を這う様な低い呻く様な声でアサミは悪魔を睨め殺すみたいに見上げるが…悪魔が動じる筈は無い。
完璧な笑顔で返されるだけである。
「ああ、君にとっても『器』は大事なんだったね。安心してくれ給え!私が全力で守ってあげよう!」
怨嗟に塗れたアサミの姿を気にもせず悪魔は明けてきた朝日に繋いだ手を高く掲げながら意気揚々と歌う様に誓う。
悪魔の誓いにどれだけの効力があるのかと再び舌打ちしながら、アサミは思った。
「ああ!私とした事が大事な事を忘れていたよ!…美しい貴女に、私の名前を頂きたい」
歪んだ美貌で嗤いながら悪魔は告げる。
鳶色の瞳が底無しの沼みたいな濁りを魅せながら。
「なんなら、ミカエルやガブリエルなんて名前も良いかも知れないね!」
饒舌な悪魔は皮肉屋みたいだ。
「貴方、私の記憶を覗いているの?」
アサミが嫌悪感露わにするのは珍しいが、仕方がない事でもある。
何せ、相手は悪魔であり、知らない世界にミヤビちゃんの身体をしたアサミを召喚したのだから。
その上で、自分自身の記憶さえも見られているならば冗談じゃ済まされない。
「まさか!何となく君が住んでいた所の知識が浮かぶだけで、全てを把握している訳は無いじゃないか!そんな事をしたら生きるのが余計に退屈でしか無いよ…」
半分冗談で半分は本当だろうとアサミは悪魔の様子を見て思う。
「なら、『ジル』ってのはどうかしら?」
そう告げると嬉しそうに悪魔は笑う。
「へぇ!『青髭』か、君とはどうやら気が合うようだね。今後ともよろしく『ジャンヌ』」
と、返されると矢張り少しは自分の心は読まれているのだろうとアサミは苦く笑った。
「私の名前は『アサミ』よ。よろしくね、ジル」
異世界で、悪魔と悪女が手を組んだ瞬間の話である。
悪女と悪魔は神を共の敵とし、手を組んだ瞬間である。
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とか異世界風なのを書こうか迷ってる間にどっか逝ってしまったヤツ…