得手勝手 1
め・か・け。
そう聞こえた気がする。
いや、気のせいに違いない。
が、そう聞こえた気がする。
「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」
引っ叩いてやりたい。
が、両手を掴まれていて、身動きが取れなかった。
言葉もうまく通じないし、とにかく、なにもかもに腹が立つ。
傷心中の女性に、なんてことを言うのか、と。
(いくら国王だからって、こんな理不尽は有り得ない! いきなり妾って! どうやったら、そんな発想になるわけ?! 妾って、あれだよね、ロズウェルドで言う愛妾ってことだよね?!)
無駄とは知りつつ、手をグイグイ引っ張ってみた。
やはり、びくともしない。
「どうせ、足蹴にされておるのであろう。なれば、惚れた男と結ばれようなぞとは考えぬがよい。池に映った月を取ろうとするに等しき愚ぞ」
どこまでも失礼な男だ。
比喩までもが失礼だ。
なまじ言葉を理解できるがゆえに、なおさら腹が立った。
手を離しそうにもないし、振りほどけそうにもないので、ギっと睨みつける。
銀色の瞳が、ティファを、じっと見ていた。
怒っているようでもあり、無関心なようでもあり。
ひどく不思議な色に変化している。
視線を絡めとられているような気分になった。
「ルー……、下がれ」
唐突な言葉にも、側近の男は頭を下げ、体を返す。
ティファは、大きな焦燥感に駆られた。
腹を立てていたのも忘れる。
このまま、あの側近が出て行ったら、自分はどうなるのか。
この理不尽な国王に好きにされてしまうのか。
「待って、ルー!」
ぴたりと、側近が足を止め、振り返った。
が、しかし。
「下がれ」
低い声で、ひと言。
背筋が、ぞぞっとするような声だ。
半端な威圧感ではない。
室内の温度が下がった気さえする。
本能的な恐怖を、無理矢理に引き出すような声音だった。
側近の男が、黙って去って行く。
その背中を見ていたティファの体が、ぐいっと引っ張られた。
「どこを見ておる」
銀色の瞳が、すうっと細められる。
綺麗だと思った色が、ひどく冷たく見えた。
殺されるかもしれない、と思う。
相手は、国王なのだ。
絶対的な権力者であり、異国の女1人、どうにでもできる。
「なぜ、ルー……を呼ぶ? 呼ぶのであれば、俺の名であろうが」
だって、正確に呼べないもん。
とは、言えない。
銀色の瞳に捕らえられ、ティファは、また視線を外せない状態になっている。
心臓が、ばくばくして、まともに口もきけずにいた。
もちろん、その「ばくばく」は、極度の緊張感からくるものだ。
わずかな不快を感じるほどに、鼓動が速い。
「なぜ呼ばん? 呼べ」
うまく呼べる気がしないから、とも言えなかった。
端正な顔立ちで凄まれ、体がこわばる。
そうしている間にも、国王の顔つきが険しくなってきた。
いよいよ殺されるかもしれない、という危機感に襲われる。
ティファは、勝気な性格だし、身を守るすべをまったく知らないわけではない。
剣術や武術も習ってはいた。
魔術師が使えないからだ。
剣については、そこそこの腕前でもある。
とはいえ、武器はないし、完全に捕まっていた。
相手のほうが格段に力が強く、身動きが取れない。
少しでも間合いがあれば打撃を加えて、逃げる隙を作れたかもしれないけれど。
(お父さま、ソル、助けて……っ……!)
心で2人を呼び、ティファは、ぎゅっと目を閉じた。
それが、無理だとわかっていても。
ばふん。
急に、顔に硬やわらかいものがあたる。
そろりと目を開くと「肌色」が見えた。
抱き寄せられ、あの大きくはだけた胸に頬があたっている。
気づいて、一瞬で、顔が熱くなった。
こういう状況には慣れていない。
テレンスと「デートっぽい」ことをした経験はあるが、手も繋いでいないのだ。
ましてや、よく知りもしない男性に抱き寄せられたことなどない。
その、ティファの背中が、ぽんぽんと軽く叩かれる。
「それ、呼んでみよ。顔を見て呼ぶのが恥ずかしいのであろう? こうしておれば、見えはせぬゆえ、案ぜずともよい」
(……なにそれ、ものすっごい勘違いなんだケド……)
ティファは、国王に抱きしめられていた。
そして、子供のように、あやされている。
そんなことで、とは思うのだけれども。
(殺す気じゃなかったのか……なんだ……)
ちょっぴりホッとした。
声も穏やかに聞こえて、体のこわばりがほどける。
「呼べ、ティファ」
ティファは、少しだけ顔を上げ、ちろっと国王の顔を見てみた。
銀色の瞳が、また「綺麗」だと思える。
「…………セス……」
怒られても、そうとしか聞き取れなかったのでしかたがない。
説明する時間を与えてももらえなかったし。
「それで良い。貴様は、俺のものぞ? ほかの男の名を呼ぶことはまかりならん」
(いや、それ、ちょっと横暴過ぎじゃない……? ほかの人には話しかけるなってこと? ていうか、あなたのものになるなんて言ってないし……)
テスアは未知の国過ぎて、風習も文化も、よくわからない。
この国では、こういうことがあたり前なのか、それとも国王だから許されているのかも知りようがなかった。
どの道、ティファの現状が変わるわけではないのだが、それはともかく。
(そうだ! なにもテスアの言葉じゃなくてもいいんじゃん!)
最初に、この国の言葉で話せ、と言われたので、無理をしていた。
が、なにもテスアにこだわる必要はなかったと、気づく。
ティファは、北方の言葉であれば、もう少しマシに話せた。
テスアが北方諸国のひとつである以上、国王だって北方の言葉は話せるはずだ。
「あの……私、北方の言葉なら、話せます」
「そうか。だが、我が地の言葉も話せないことはないだろう?」
「それはそうですけれど、こちらのほうが、話し易いです。それに、意思の疎通もできるではないですか」
実際、国王が北方の言葉で話し出したとたん、ものすごく通じ易くなっている。
これなら、さっきの「妾発言」にも抵抗できると思った。
のだけれども。
「貴様は、俺のものと言うておろう。俺のものである限り、我が地の言葉を使え」
「いや、ですから、それですと、話が……」
「早う覚えよ。さすれば、話が通じぬこともなくなろう」
国王は、さっさとテスアの言葉に戻している。
いつまでもここにいるつもりのないティファとしては、覚える必要を感じない。
さりとて、覚えなければ、また凄まれる気がした。
切れ味の鋭い剣のような色に変わった瞳で見られたくはない。
(ウチの国王陛下とは、まったく違う。この国の王様って理不尽過ぎるわ……)