理不尽陛下の甘やかな囁き 1
自分でも、なぜこんなことになってしまったのかが、わからずにいる。
どこで、なにを間違えたのか。
人生は、順風満帆だった。
自分は、選ばれた者のはずだったのだ。
なのに、今は、先の見えない道を歩いている。
どこまで続く道なのかも、わからない。
間違えてしまった分岐点まで戻れるのなら、戻りたかった。
けれど、どこで間違えたのかすらわからないので、分岐点も探せずにいる。
自分が、いったい、なにをしたというのか。
持っていたものすべてを失った。
あっという間だった。
自分は、なにも変わっていない。
変わったのは周りだ。
常に、兄弟の中で最も優秀であり、外見だって整っている。
苦労して得なくても、すべてを自分は持っていた。
あの日までは。
『知るわけがない。お前になど興味はないからな』
生まれて初めて味わった屈辱。
そして、それを覆すことができなかったせいで上塗りされた屈辱でもある。
そこからは、散々だった。
取り巻きたちは去り、父からは罵声を浴びせられている。
恥さらし、面汚し。
今まで、当然に受けていた恩恵も取り上げられた。
自分は、なにもかもを失ったのだ。
だからこそ、こんな辺鄙な場所にいる。
「なぜだ……っ……僕が、なにをしたと言う……っ……!」
王都から離れた「別荘」に追いやられ、今後、ここで暮らすようにと、父に命じられた。
わずかな使用人と、おかかえ魔術師が1人だけ。
今までの暮らしから考えれば、有り得ないことだ。
まるで下位貴族のような生活ではないか。
「まるで、自分が被害者のような口ぶりだねえ、テレンス」
びくっとして、立ち上がった。
テレンスは、別荘とはいえ、広い居間でワインを煽っていたのだ。
手にグラスを持ったまま、振り向く。
ブルーグレイの髪と金色の瞳。
まったく見た覚えのない男が立っていた。
テレンスは、周囲を見回す。
無意識に、近くにいるはずの、魔術師を探した。
男が、音もなく室内に現れたからだ。
相手も魔術師に違いない。
「きみの魔術師なら、ここにはいないよ」
男は扉に背をもたれかけさせ、腕を組んでいる。
高級なのが、ひと目でわかる貴族服を身につけていた。
テレンスは、それでも虚勢を張る。
未だ、自分の置かれている状況を把握しておらず、納得もしていないからだ。
そのせいで、貴族として体裁を取り繕うことを優先させている。
「どういう意味だ。ここが、誰の屋敷かわかっているのか、きみは」
「もちろん、わかっているさ、テレンス・アドルーリット」
テレンスの喉が、不自然に上下した。
もっと毅然と振る舞うべきなのに、それができない。
冷ややかさしか漂っていない金色の瞳が恐ろしかったのだ。
「貴族は、よく勘違いをするがね。この国にいる魔術師は、たとえ貴族に雇われていても、属しているのは王宮なのだよ。けして、その家に属しているのではない。きみにも分かり易く言えば、きみのために命を張る義理などないってことさ」
額にも手にも、汗が滲む。
体中が小刻みに震えていた。
「まぁ、ねえ……こういうことになってしまってはしかたがないさ。金より惜しいものはある。ああ、そうそう、使用人たちも、とうに本邸に帰ってしまったって、知っているかい?」
「な……」
男が、眉を、ひょこりと上げる。
馬鹿にしたように、けれど、憐れむかのように、肩をすくめた。
もちろん、憐れんでなどいない。
テレンスにも、それが演技に過ぎないと、わかっている。
「フランキーと、少しばかり話をしてきてね。彼も納得していたよ」
父フランクリンは、男よりずっと年上だ。
公爵家という爵位を持ち、アドルーリットの現当主。
その父をも馬鹿にして、わざと愛称で呼んでいる。
が、男の言うことが事実だと、テレンスの本能が告げていた。
「し、知らなかったのです……僕は……か、彼女が……ろ、ローエルハイド公爵の……ご、ご令嬢とは……」
「それはそうだろうね。ほら、あの子は、なにかと騒がれ易いだろう?」
こくこくと、うなずく。
テレンスの知っているティファは、リドレイ伯爵家の令嬢だ。
けして、黒髪、黒眼のローエルハイド、人ならざる者などではない。
「だから、わざわざリドレイの名を借りていたってわけだ。きみが気づかなくても当然なほどにね。魔術で、外見も変えていた」
「そ、その通りです。ですから、僕、僕は知ら……」
「だとしても、だよ。紳士を気取りたいのなら、女性に手を上げるべきではない」
ぴしゃりと、テレンスの言葉を男が断ち切る。
穏やかな話しぶりだが、まるで感情が見えない。
腹の底から、恐怖がせりあがっていた。
「しかも、きみは、異国の者を王宮に招いたそうじゃないか。それが、どのような結果を生むかも考えず」
その言葉に、ぎくりとする。
なにか言わなければと、焦った。
男が、ローエルハイドであることは、明白だ。
テレンスにとっては、それだけで十分だった。
ティファとの関係がどうかなど、関係ない。
「あ、あの男……で、殿下のお知り合いだと言うので……か、彼は、お、王族ですから、む、無碍には、でき……」
「そうかい? それは、とんだ迷惑をかけたね。彼は、私の“かわいい”義理の弟なのだよ。義弟のためだったというのなら、是非、私が礼をしなくちゃあね」
「お、お気遣いは……」
言いかけた口が開きっ放しのまま、言葉だけが止まる。
男の視線に、心臓が射抜かれでもしたかのようだった。
ひどい息苦しさを感じる。
冷や汗どころか、脂汗をかいていた。
「自分の愚かさに気づいていないようだな、テレンス」
急に、口調が厳しくなる。
凍えるような冷気を全身で感じた。
テレンスの手から、グラスが落ちる。
その音も、テレンスには聞こえなかった。
あまりの恐怖に、感覚が失われている。
「きみが、知っていようがいまいが、どうでもいい。結果がすべてだ」
なにが起きたのか、わからない。
視界が歪んでいた。
ぐにゃぐにゃとしていて、ぼやけている。
あげくに、体には激痛。
叫んだはずなのに、自分の声が聞こえない。
こつん。
やっと聞こえた、ひとつの音。
テレンスは、痛みに耐えながら、その音を探す。
ぼやけた先に、男の金色の瞳が見えた。
なぜだか、その男の声だけは、はっきりと聞こえてくる。
「前々から、こうしたかったのだがね。ようやく瓶詰めにできた」
声にならない叫びが、テレンスの口からあふれた。
けれど、やはり聞こえない。
そして、痛みは激しくなっていく。
体中の骨が、バラバラにされているかのようだ。
「瓶が割れたら、きみが死んでしまうからねえ。誰にも見つからない場所に、大事にしまっておくとしよう」
男が歩き出すのがわかる。
テレンスは痛みと恐怖で叫び続けたが、無駄だった。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
わからないまま、テレンスは、その日、ロズウェルドから姿を、消した。




