相応流儀 4
「どうして、私が、このような目に……ともかく、早くテスアに帰らなければ……スヴァンテルがどうなったかは知らないけれど、放っておいてもいいわね。ああ、でも、いなければいないで、道中が大変だわ……」
つぶやきながら歩いている女。
顔立ちは整っているものの、ロズウェルドの服が似合っているとは言い難い。
ジークは、烏姿で、女の近くを飛んでいる。
女も気づいているようだが、警戒する様子はなかった。
単に、烏が飛んでいると思っているのだろう。
「まさか、あのようなことになるなんて……陛下を狙ったわけではないのに、あの女を庇ったりするからいけないのよ。それに、結果的には、あれで良かったのかもしれないわ。これで、父上が国王になれるのですもの」
飛びながらではあるが、ぴんっと尾が立つ。
ジークは、テスアの言葉など、ほとんどわからない。
ソルが、セスに指南している内容を話す中で、いくつかの単語を聞いたくらいのものだ。
(あの女ってのは、ティファのことだろーな)
女が顔をしかめていることからしても、そのように想像できる。
さぞ、ティファが憎々しいことだろうと、容易く察せられた。
それが、ジークの冷たい怒りを煽っている。
ジークの冷ややかな視線にも、女は気づかず、独り言を続けていた。
「クスタヴィオの名が国王となれば、私にも機会はあるということよ。姉上たちをどう始末するかは考えなくてはならないけれど、テスアに帰れさえすれば、どうにでもなるわ。父上は、私に甘いもの」
ティファの魔力を吸い上げている最中に、トマスから即言葉で連絡が入った。
タイミングが悪いというか、良いというかは、微妙なところだ。
だが、香炉にティファの魔力を流し込んでいる間しか、連絡は取れなかった。
あの香炉が「本領発揮」している間は、魔力疎外も発動するからだ。
そう考えると、絶妙なタイミングでトマスは連絡してきたことになる。
ティファを救おうと必死になりながらも、トマスからの連絡だったので、ジークは応えた。
当然だが、トマスもティファに何事かあったことに気づいている。
あの魔力渦を見て、気づかないはずがない。
トマスは優秀な魔術師だし、傍にはシンシアティニーもいた。
ジークと同じように、父の気配を感じたに違いない。
駆けつけようとしただろうが、無理だったのだろう。
トマスもシンシアティニーも、変転を使えない。
魔力渦の影響をまともに受けて、息をするのも精一杯だったはずだ。
シンシアティニーになにかあったのかと、一瞬、そう思い、即言葉に応じた。
が、トマスは、別のことを伝えている。
王族の庭で、テスアの者らしき女を捕らえた、と。
『こっちで始末する?』
トマスに訊かれ、ジークは、当然だと答えている。
大事な1人娘を殺されかけたのだ。
あの魔術道具をセスが持ち出していなければ、ティファは死んでいた。
許すことなどできはしない。
そして、ローエルハイドには、ローエルハイドの流儀がある。
罰というものは、罪の重さによって軽重が決まるものだ。
普通は。
けれど、そんなものは、ローエルハイドにはない。
軽重など関係なかった。
たとえば、それが、かすり傷だろうと重症だろうと、傷つけたという意味では、同じだと捉える。
罰にしても「死」が罰になるとは考えていなかった。
そこに苦痛があるかどうかが基準となる。
今のジークには、同情も憐憫もない。
容赦するつもりもなかった。
「スヴァンテルがいないから、道がよくわからないわ……馬もなく、歩いて帰るとなると半月ではすまないわね。金を持ってきたのは、正しい判断だと言えるけど、どこまで行けば町に出られるのかしら……」
女は、ぶつぶつ独り言をもらしながら、歩いている。
この辺りが、どこかもわかっていないはずだ。
トマスは、女を「国外追放」としている。
とくに、身の周りの物は奪っていない。
王宮魔術師に命じて、国の外に放り出したのだ。
密入国者の手続き的なことは、キースが処理することになっている。
(アンバス領ってのはヤなトコだぜ。“こういう”コトに向いてっからサ)
アンバス領というのは、ロズウェルドにある辺境地のひとつだった。
人も少なく、王都との華やかさとは縁遠い場所だ。
管理が行き届いていないことも多い。
けれど、利点もある。
人目につかず、人を消せる。
誰も関心をいだかないため、目立たない。
なにより「静か」だし。
(そろそろ行くか)
ひゅるんと、ひと回りしてから、人型に戻る。
女の後ろに立った。
「よう。テスアのご婦人、調子はどうだい?」
ジークは、当然に、ロズウェルドの言葉で話している。
女には通じないとわかっていて、話しかけたのだ。
女の表情に、警戒と怯えが浮かぶ。
それを見ながら、にっこりしてみせた。
「そんなにビビんなくても……あ、ビビッたほうがいーかもね」
女は、あからさまに狼狽えている。
周囲を見回しているが、辺りは荒れ地が広がっているだけだ。
草は生えているものの、森のように身を隠す場所もない。
「わ、私は……こ、言葉が、わかりません……どうか、これで……」
女が懐から、金を取り出し、ジークに見せてくる。
にっこりしたまま、首を横に振った。
それを、いい反応だと受け取ったらしい。
女は、ほんの少し警戒を解き、ジークに近づいてくる。
(そんで、色仕掛けって……どんだけ、オレを怒らせる気だ、このオンナ)
露骨に媚びる表情が、ジークを、さらに冷酷にした。
もとより許す気はなかったが、女の反省のなさに、心が凍えていく。
ジークは、開いた手のひらを上に向け、女のほうに差し出した。
助けてもらえるとでも勘違いしたのだろう。
女は、さらに近づいて来る。
それを見ながら、人差し指を、くいくいっと上下させた。
女が、大きな悲鳴を上げた。
「まだ歩けるだろ? 頑張れよ」
皮膚には傷をつけず、足の指の骨を砕いている。
足全体ではないので、激痛は伴うだろうが、歩けなくはない。
すでに女の顔は、恐怖に引き攣っていた。
「逃げねーの?」
目を、すうっと細めて問う。
本能的に、危険を察知したらしく、女がよろけながら、逃げ出した。
そのあとを、ジークは、ゆっくりと追う。
また女が悲鳴を上げた。
「ま、逃げても、ムダなんだけどサ。そっか。オレの言ってるコト、わかんねーんだっけ」
女の腕が、不自然に、たらりと垂れている。
肩を外し、腕から指先までの骨を砕いたからだ。
皮膚は傷ついていないため、見た目にはわからない。
相当な痛みがあるはずだが、女は必死になっている。
必死で逃げていた。
足を引きずり、骨の砕かれた腕を、たらたらと振りながら。
ジークは、のんびり、後をついて歩く。
女を映す瞳には、なんの感情も浮かんではいない。
「ここいらでいいか」
言って、手を、軽く振った。
ザザッと周囲の草が、女に絡みつく。
足を取られ、女が横倒しになった。
その体中に、草が巻きついた。
「オレの大事な1人娘に手ぇ出しといて、楽に死ねるなんざ思うんじゃねーぞ」
草の根が、女の体へと「針」のように突き立って行く。
無数の「針」に覆われ、もうまともに人の姿には見えない。
声も聞こえなくなっていた。
「その根は、お前から養分を吸い取ったりしねーよ。逆だ。お前に養分を与えて、生かすんだ。誰かが、除草剤でも捲いてくれんのを、せいぜい期待してろ」
ソルに、テスアの言葉を教わっておかなかったのが悔やまれる。
女が、ジークの言葉の意味を知れば、激しい恐怖に見舞われたはずだ。
ちょいと肩をすくめ、すぐにジークは諦めた。
「いいサ。オレは、面倒なことはキライなんだ」
言って、パッと烏に変転する。
空に舞い上がった時には、女のことなど忘れていた。




