なにがどうしてどうなって 2
目を閉じ、横になっている女の姿を、じっと見つめる。
連れてきてから、半日以上が経っていた。
夕暮れ時に戻り、すでに夜になっている。
ここは「玉宝の間」と呼ばれる国王の部屋の中にある、寝室だ。
テスアでは「寝所」という。
貴族服を着た女を寝かせているのは、ベッドではない。
そうした寝具を使う習慣が、この国にはなかった。
床に、直接、布団を敷く。
とはいえ、ここは国王の寝所。
ほかの者たちとは違い、大きさの異なる厚手の布団が何枚も重ねられていた。
幅広の袖に、組んだ腕を入れ、女を見下ろしている。
隣に立っているルーファスも似たような服だが、少し生地が分厚い。
腕は組まず、代わりに軽く腰に片手をやり、立っていた。
そこに武器を身につけているからだ。
女は貴族服だが、彼らは違う。
北方諸国でも着られていない、テスア独自の服を着ていた。
元々、北方は寒い地方であり、薄着はしない。
が、テスア国内は温暖なため、北方とは思えないほど軽装なものも多かった。
貴族たちが着ている「ガウン」に似ていると言えなくもない。
左右に前身頃を合わせ、腰紐で縛るだけの簡単な服だ。
もっともテスアには「ガウン」なんてないのだけれども。
「これほど貧相な女は、見たことがない。そう思わないか、ルーファス」
ものめずらしいというか、感慨深くさえある。
思って、胸元から腕を出し、自分の顎をひとさすりした時だ。
女の口の端が、わずかに引き攣ったのに気づく。
(意識が戻っているようだな。それでいて、目を伏せている)
見知らぬ男の声に怯えて、萎縮しているのか。
それとも、なにかよからぬ企みでもあって、意識のない振りをしているのか。
しばし考えた。
が、どちらでもかまわない、との結論に至る。
いずれにせよ、訊きたいことを訊くつもりだ。
ならば、手っ取り早く起こすに限る。
「ルーファス、この女は異国の者だ。我らとは、体の造りが違うのかもしれない」
ルーファスの栗色の瞳に、怪訝そうな色が浮かぶ。
わずかに首をかしげる仕草に、同じ色の髪が揺れた。
口の横に人差し指をあて、小さい輪を、くるくると作ってみせる。
話を合わせろ、という合図に気づいたらしく、ルーファスがうなずいた。
「確かに、それは有り得ることです。なにしろ、我らは、我が地より外に出ることがございません。どこか体に害が出ているとしても、わかりませんね」
「俺も、そう思う」
「では、いかがします?」
「そうだな。とりあえず、裸に剥いて隅々まで検分するか。意識が戻らない原因を見つけられるかもしれない」
瞬間、女が、ガバッと体を起こした。
そして、わけのわからない言葉を、わめき散らし始める。
が、無視して、ルーファスに視線を向けた。
ルーファスも首をかしげている。
「この言葉は、どこのものだ? ロズウェルド、か? それにしては……」
「訛でしょうか? 我らの知っているロズウェルドの言語とは異なりますね」
「そのようだ。似ているようにも感じるが、まったく意味がわからない」
ロズウェルドとの国交はない。
そのほかの国との繋がりもなく、テスアは存在している。
とはいえ、まったく無関係でもいられないのだ。
時々は、周辺諸国の情報も集めてはいる。
百年ほど前に、ロズウェルドが隣国と戦争をし、勝利した。
以来、ロズウェルドは、この大陸での絶対的な強者となっている。
そのため、どこの国でも、ロズウェルドの国の言葉は第2公用語とされていた。
テスアも例外ではない。
仮に、ロズウェルドに攻められるようなことがあれば、言語を理解しておく必要があった。
もちろん大国に戦争で勝てるはずもない。
だが、せめて交渉くらいはできるようにしておくべきだと考えたのだ。
王家に属する者のみならず、民にも学ぶ機会を与えている。
それでも、わからないものは、わからない。
女は、まだ騒いでいた。
うるさくてかなわない。
早々に口を割らせることにした。
ガッ!
女の顎を、片手で掴む。
そして、すいっと顔を近づけた。
目を細めて、女の泥水のような色の瞳を覗き込む。
「我らの言葉を、お前はわかるのだろう? 我が地の言葉で話せ」
裸に剥く、と言ったとたん、女は飛び起きたのだ。
意味がわかっていなければ、そうはならない。
理解不能ではあったが、なにやら怒っている様子でもあったし。
「話さないのであれば、話す気にさせてやろうか?」
掴んでいた女の顎を、軽く持ち上げる。
唇がふれそうなほど近い距離で、言った。
「女相手に、喜んで話す気にさせることなど造作もない。意味は、わかるな?」
「ここは陛下のご寝所ですしね」
どちらの言葉にかはわからないが、女が顔を蒼褪めさせる。
会話が成立しなければ、訊きたいことも訊けない。
雪嵐が弱まっているという問題をかかえている最中に、時間をかけている余裕はないのだ。
「手を……」
女が、小さく声を発した。
北方の言葉を使おうとしているらしい。
「手を、離してござり……ござれ……」
なんとも稚拙な話しかただ。
さりとて、まるきり意味が通じない、ということもなかった。
女の顎から、パッと手を放す。
「ふぅん。お前、テスアの言葉を知っているのか。てっきり、北方の言葉で話すと思っていた」
テスアの言語は、北方の言葉ではあるが、語尾や言い回しが、かなり違う。
鎖ざされていたがゆえに、未だ古い言葉を使っているからだった。
そのテスアの言葉を知っている、ということに、わずかばかり興味をいだく。
「名は?」
「ティファ」
「ティファ? それだけか? 短いのだな。俺は、セジュルシアン・カイネンソンという。このテスアの国の王だ」
女に、驚いた様子はなかった。
ルーファスの「陛下」との呼びかたから、察していたのだろう。
見た目ほど、頭は悪くないらしい。
ティファという女が、ちらっとルーファスに視線を投げる。
「これは、俺の臣下、大取を務めているルーファス・ヴィルクレイドだ」
ロズウェルド近隣などの国でいう「宰相」の役割に護衛も兼ねているのが「大取」という役目だった。
一応、言ってはみたが、通じるとは思っていない。
ルーファスの立場を尊重したに過ぎなかった。
テスアは、一君万民の国だ。
王を頂点とし、ほかの者は、臣民とされる。
宮仕えをしている者を臣下、町暮らしをしている者を民と呼んでいるが、そこに上下関係はない。
他国にいる「貴族」などという特権階級者は、存在しないのだ。
ルーファスは、大取と呼ばれる、宮全体のまとめ役ではある。
が、それは、単なる役割分担に過ぎなかった。
担っている役目により、指示を出す者、出される者、扱える事柄の軽重はある。
給金も、役目に見合ったものとはなっていた。
だからといって「偉い」わけでもなんでもない。
誰の上でも下でもないのだ。
身勝手な指示や、分不相応な権力の行使は罪とされている。
それは、宮仕えの者と民との間でも同じだった。
テスアにおいて、国王の前では、等しく臣民以外の何者でもない。
誰もが、それを当然に認識している。
(この女……ティファが、どこまで我が地のことを知っているのか、だな)
少なくとも、わずかであれ、言葉を話せるのだ。
テスア内部のことも知られている可能性はある。
雪嵐が弱まっているため、神経質になり過ぎだろうか。
思いはすれど、疑念も晴れない。
冷たい視線を、ティファの泥水色の瞳に突き刺すようにして、言った。
「お前は、どこの国の者だ? どうやって、我が地に入り込んだ?」




