四六時中 1
ざわざわっと、ひと際、大きなざわめきが会場内に広がっていた。
だが、ティファの耳には、入ってこない。
自分の前に、跪いているセスの姿に見入っている。
すっかり、元の姿を晒していることにも気づいていなかった。
(……うっそ……今……私、セスに求婚……されてる……?)
それより、なにより、セスが自分に跪くなんて、有り得るだろうか。
とても信じられない。
やはり幻覚でも見ている気分だ。
が、しかし。
セスの瞳が、急に色を変える。
あの凄味を増した時の色だ。
思わず、目をそらせたくなった。
(この威圧感……幻覚じゃないな! うん、幻覚じゃない!)
セスは、目だけで言っている。
ティファに「圧」をかけている。
なにをしている、早く返事をしろ、湯殿に叩き落とされたいか。
そんな感じだ。
本来のティファなら、そんな「圧」に屈したりはしない。
嫌なら嫌だと、言う。
だが、言えない。
なにしろ、嫌ではないのだから。
いろんなことが頭から吹っ飛んでいて、むしろ、嬉しいし。
「は、はい……つ、慎んで、お受けいたします……」
こんなおしとやかな言葉が、よくぞ自分の口から出たものだ。
貴族らしい貴族は嫌いだけれど、身につけておいてよかったのかもしれない。
初めて、くだらないと思っていた勉強会に、少しだけ感謝した。
セスが、ティファの手を取り、その甲に口づける。
心拍数が上がり過ぎて、倒れそうだ。
あのセスが、これほどの「紳士ぶり」を見せるとは、思わなかった。
どうやって習得したのか、やはり訊きたいところだ。
立ち上がったセスが、少し顔をしかめる。
なにやら、ちょっぴり不機嫌そうだ。
求婚のすぐあとにする顔ではない。
なにか気に食わないことがあるようだけれども。
「似合ってはいるが……そのドレスは……肌が見え過ぎだ」
「え……あれっ?! いつの間に……ソルかな? でも、今日は来てないはずなんだけど、どっかにいるのかも」
ティファは、自分の着ているドレスが変わっているのに、やっと気づく。
やけに、体に、ぴったりとしていたからだ。
なのに、脇腹と背中が、妙に心もとない感じがする。
(えっと、これは……ソルの趣味……? お父さま……? えんじはともかく……)
祖母の言葉で言う「臙脂」とは、黒味を帯びた赤で、赤ワインの色と似ている。
落ち着いた上品な色だとは言えた。
が、デザインが「大人のイブニングドレス」なのだ。
前からだと、袖がないだけで、普通のワンピースに見える。
体のラインに沿っていて胸の形まで露わではあるものの、女性の夜会服としてはめずらしくない。
ただ、背中から脇腹へと曲線を描いた状態で布が、ない。
脇の下から胸の横ギリギリのところまで、切り取られている。
背中も、腰と呼べる位置スレスレで、切れ目が止まっているといったふう。
「誰でもかまわんが、ともかく背が丸見えではないか。だいたい体の線が……」
「どうせ貧相な体なんだから、見えたっていいんじゃないの?」
セスが、ふんっと鼻を鳴らす。
見た目が変わっても、こういうところは、変わっていない。
じんわりと、胸が熱くなってくる。
少しずつ、現実感とともに、実感がわきあがってきたのだ。
(ロズウェルドにセスがいて……私……本当に……求婚されたんだ……)
ふわふわっとした気持ちになる。
会場に入った時の憂鬱な気分は、どこかに行ってしまった。
セスが、ティファに言い返そうとしたのだろう、口を開いた。
が、その前に、周囲に貴族令嬢たちが集まってくる。
「セス殿下、次は、私と記念に1曲、お願いいたします」
ティファは、さりげなく、少しだけ後ろに下がった。
なにがどうなったのかは、あとで説明してもらうとして、セスが、ロズウェルドの王族になったのは間違いない。
(……結局、たいして変わりないじゃん……だけど、ロズウェルドでも、王族なら王族らしくしないといけないもんね)
もとより、テスアにいた頃から、ロズウェルドでだって、セスはモテるはずだと思っていたのだ。
初めての夜会となれば、それなりに「愛想」はしなければならないだろう。
貴族令嬢らも、そう思って、強気に出ているのだろうし。
普通なら、許婚が傍にいれば、なかなか声はかけられないものだ。
しかも、ティファは、ローエルハイドだった。
それがわかってもなお、セスに声をかけている。
セスが断りにくい状況だとわかっているのだ。
これで、ローエルハイドが報復などすれば、逆にセスの立場を悪くしてしまう。
すでに卒業パーティーではなく、セスのお披露目会のようになっているからだ。
「俺を気遣う、皆の誘いには感謝する」
スッと、セスが片手で、令嬢らを制止していた。
それ以上、近づくことを拒否する仕草だ。
令嬢らも、当然に気づき、ぴたりと動きを止める。
「だが、先ほど、俺は求婚をし、承諾を得たばかりだ」
言って、セスが輪の外に下がっていたティファに、ちらっと視線を投げてきた。
そして、見たこともないほど、にこやかな笑顔になる。
ものすごく嫌な予感がした。
「しかも、俺は、惚れて惚れて惚れ抜いておったのだが、長く袖にされていてな。今夜、ようやく俺の手を取ってもらったところだ。その手で、ほかの者の手を取ることは、俺にはできん」
頬が、ぽっぽっと熱くなる。
そんな話は、今まで聞いたことがない。
周囲の視線が、ものすごく痛かった。
(なんてこと言うんだよ、こんなトコで! 1回も、ぃいぃいっかいも、私に惚れてるなんて言ったことないくせに! なんかもう、周りからの、この身の程知らずって視線がスゴイんだケドっ?!)
ティファの心情を、セスは察しているはずだ。
なのに、知らん顔、おかまいなし。
平然と、令嬢たちに、軽く会釈なんてしている。
「皆が祝福してくれているのであれば、しばし2人にしてもらえるとありがたい」
ささぁっと、輪が崩れた。
ティファには、嫉妬と羨望で刺々しくなった視線が、ザクザク刺さっているが、それはともかく。
輪から解き放たれた、セスがティファに歩み寄り、手を取ってきた。
「それでは行こうか。2人きりになれる場所に」
わざとだね。
絶対、わざとだね。
そう思うに十分なほど、セスは「2人きり」を強調した。
その上、くいっと軽くティファの手を引いたのだ。
引き寄せたティファの頬に、口づけまでしてくる。
久しぶりに近づいた距離と、唇の感触に、ぶわっと顔が熱くなった。
きっと、顔は真っ赤になっている。
それどころか耳まで、いや、首まで赤くなっているに違いない。
「俺の許婚は、実に愛らしいな」
ニッと、セスが笑った。
ティファは、心の中で、地団駄を踏む。
(なぁにが、愛らしいな、だよ! 今まで、不器量って言われたことしかないし! やっぱり、最初に会った時に、ぶっ飛ばしておけば良かったかも……)
するんと、セスの左手が腰に回って来た。
右手は、がっつりティファの右手を掴んでいる。
まるで「逃がさない」と言われているようだった。
逃げる気はなかったのに、逆に、恥ずかしくて逃げたくなる。
「皆のおかげで、今夜は良き記念となった」
ホール内の人々に、軽く声をかけ、セスは歩き出す。
ティファも、手を引かれて歩いた。
2人が、ホールを出る間、誰も声をかけてはこなかった。
さしもの貴族令嬢たちも、追いかけてくるつもりはないらしい。
場を混乱させることなく、セスは、簡単に令嬢たちをあしらったのだ。




