これってやっぱりあれですか? 4
フロアの中央に、2人で出る。
周囲の貴族たちは、脇にはけていた。
高位の者が踊る際、下位の者は同じフロアには立たないのだそうだ。
テスアでも、国王が食事に手をつけるまで、臣下も箸はつけない。
それと似たような作法なのだろう。
(だが、無駄も多い。貴族というのは、なんと面倒な生き物か)
さりとて、自分が間違えば、ティファが恥をかくことになる。
それは避けたかった。
「だ、大丈夫ですか?」
「お前こそ、俺の足を踏むなよ」
「わざと踏むことはあるかもしれませんね」
「そのようなことをすれば、裸に剥いて湯殿に落とす」
曲が流れ出し、2人でスローなステップに入る。
セスは、ティファの背中に手を添え、ゆるく回転。
久しぶりに見て、ふれた、ティファに、自分でも驚くほど心が弾んでいた。
窮屈な格好をした甲斐があったというものだ。
「マジで、やるな、この人なら……」
「むろん、マジでやるぞ、俺は」
「え…………あの…………」
戸惑い、狼狽えたせいでか、ティファのステップが乱れる。
それを、セスは、簡単に修正した。
手を引き、体を抱きよせつつ、顔を近づける。
ニっと笑ってみせた。
「民言葉の字引きを読んだ」
ティファの目が見開かれる。
その瞳を見ながら、ふっと笑った。
「これで、お前の悪態もわかる。まぁ、今までも、だいたいはわかっていたが」
よれよれっとなったティファの体を支える。
周りからは、とても親密な関係に見えているに違いない。
なにしろ、2人は、体を必要以上に、ぴたりと寄せあっているのだ。
ティファを支えるためではあるが、わざと見せつけてもいる。
ティファは自分のものだ、という誇示。
さっきの男だけではなく、ほかの男にも示しておきたかった。
自分の信条を折り曲げ、膝を屈してでも手に入れたかった女なのだ。
誰にもふれさせたくはない。
「なんだ、お前は、俺よりダンスが下手ではないか」
「こ、これは……だって……いきなり、来るから……」
「ほかの男に手を出させるからだ。もっと注意しろ」
「私が悪いみたく……っ……」
「どエス、自己中、威張りん坊か?」
くへっとも、ふえっともつかない、おかしな声を、ティファが出す。
どこから声を出しているのかと、小さく笑った。
ティファが、自分の腕の中にいるだけで、楽しい気分になる。
強情っぱりで、我の強い女は嫌いだったはずなのに。
「俺は、戦うご令嬢を好んでいるぞ?」
「え……えっと……」
ちろっと、ティファが上目遣いで、セスを見てきた。
意図的なものではなく、単に気恥ずかしいのだろう。
頬が、ほんのりと赤くなっている。
「あの……ダンスとか民言葉とか、どうやって覚えたの?」
「言うな。思い出したくない」
ふんっと鼻を鳴らし、セスは、ティファの体を、くるっと回転させた。
本気で思い出したくないのだ。
この、ひと月ほどの「苦行」を。
(感謝すべきことだとは、わかっている。だが……)
毎日、点門を使い、セスの元を訪れるソルは、それはもう容赦がなかった。
ロズウェルドの歴史から、貴族社会や社交に関してまで叩きこまれている。
しかも、今夜に間に合うよう「合格点」が得られなければ、一生、ティファには会わせない、と言われたのだ。
ロズウェルドの言葉は、それなりに覚えていたし、貴族についても、おおよそのことは知っていた。
が、それでは足りないと、徹底的にしごかれている。
夜毎、寝る間を惜しみ、出された「宿題」を、セスはこなしてきたのだ。
未だに、ソルの小言が耳に残っている。
『この程度のこともできないのかね? それでもテスアの国王なのか?』
『口で言うだけなら、誰にでもできる。きみは、口先だけの男かい?』
そういう調子で、毎晩、毎晩。
セスは、それでも、ソルに言い返せなかった。
言われてもしかたがなかったからだ。
なにせ、ソルは、なんでもなさそうに、平然とテスアの言葉を使っていた。
文法も語尾も完璧で、作法や所作に至るまで、やりこなす。
あたかも、長年テスアで暮らしてきた者のように。
ティファが惚れるのも無理はない。
そう思わざるを得ないほど、ソルは優秀だった。
とはいえ、セスだってティファをとられるわけにはいかない。
もとより、素力はあったが、それでも強い意志と想いがあればこそ、耐えられたのだ。
そうでなければ、挫けていたかもしれない、というほどの過酷さ。
苦痛を感じるたび、ティファを思い出した。
セスの感じた苦痛は、まったく違う文化と風習の中に投げ込まれた、ティファの苦痛と同じものだ。
いや、自分など、ティファよりマシだったと思える。
(俺は、見知らぬ土地に飛ばされてはいなかったからな)
そんな状況で、ティファは恐れることなく、むしろ、前向きに、テスアやセスを理解しようとしていたのだ。
セスに悪態をつき、刀を振り回し、なのに、寄り添おうとしてくれた。
それは、セスだけではなく、テスアという国に対してもだ。
火事での怪我人を気にしたり、ルンダやヤンヌに気遣いを見せたり。
町の民に囲まれても、嫌な顔ひとつしなかった。
ロズウェルドのことを学ぶにつれ、それがどれほどのことだったかを思い知っている。
生半可な努力では、とても追いつかない。
資質、能力、性格、どれが欠けても、ティファのようにはできなかったはずだ。
「国王が国を離れても、いいの……?」
「お前は、相変わらずだな」
セスの国王としての立場を、なにより優先しようとする。
それは正しい判断かもしれない。
だとしても、ひとつの正しさに甘んじる必要はないのだ。
心に忠実であることも、同じくらいに、正しいのだから。
ソルに、今回の話を持ち掛けられた際、少しは迷った。
だが、ほんの少しだけだった。
本当に手にしたいもののためなら、自尊心くらい捨てられる。
誰にも跪いたことなどなかったセスが、他国の王に跪いた。
たとえ形式であろうと、頭を下げたのだ。
トマス・ガルベリーの養子となる手続きのために。
「俺は、今、この国の第2王子、セス・ガルベリーなのだぞ」
貴族の上に立つのは、王族のみ。
ティファと正式に「婚姻」したいのなら、ロズウェルドでの立場を確立せよ。
それが、ソルからの絶対条件だった。
実際にテスアを捨てるわけではないが、同等の「覚悟」を示せ、ということだ。
曲が終わり、周囲から拍手がおくられる。
その音も歓声も、セスの耳には入って来ない。
ティファを、じぃっと見つめる。
ティファも、セスを、じっと見つめ返していた。
泥水色の髪と瞳の女。
ちっとも可愛くも美しくもなく、貧相な体つき。
出会った頃と、ほとんど変わり映えしていない。
その女の前に、セスは跪いた。
胸に手をあてて、ティファを見上げる。
「この場を借り、改めて、願い申し上げる。どうか我が妻になっていただきたい。ローエルハイド公爵家令嬢、ティファナローゼ姫」
瞬間、パッとティファの姿が変わった。
打ち合わせてはいなかったし、誰がやったのかも定かではないけれども。
黒髪、黒眼。
艶やかな長い黒髪に、夜を吸い込んだように澄んだ黒い瞳のティファが、公爵家令嬢に相応しいドレスをまとい、セスの前に立っている。




