我儘に過ぎるでしょう? 4
ジークは、森の家に来ている。
外にある、木製のテーブルとイス。
そのイスに座り、背もたれに両腕をかけていた。
空を見上げる。
ジークには、魔術とは関係なく、変転という能力を持っていた。
ジークの知っている動物であれば、どんなものにでも姿を変えられる。
変転中は、ジークを遮るものは、なにもない。
壁だろうと、檻だろうと、すり抜けられるからだ。
視界には、真っ青な空が広がっている。
雲ひとつない、きれいな青空。
ティファが帰ってきて、3ヶ月。
季節は、春から夏に変わっていた。
日々は、落ち着いている。
「あっちいなぁ、ここは」
外気の温度が、ジークの額に汗をかかせていた。
魔術を使えば適温に調整はできる。
が、ここでは、それはナシ。
自然を、自然なままに受け入れることにしていた。
ジークの両親は、自然を好み、森での「あるがまま」を慈しんでいたのだ。
ジークも、それに倣っている。
そして、ここに来るたび、2人を想い出す。
変転し、烏姿で飛び回るジークを、2人は、いつも愛してくれた。
黒髪、黒眼。
それは「人ならざる者」の証。
ジークの両親は、2人とも黒髪、黒眼だった。
が、ジークも妹のシンシアティニーも、ブルーグレイの髪と瞳。
両親と同じ「人ならざる者」の証は持たずに生まれ、育っている。
そのことに、両親は安堵していたらしかった。
とりわけ、父は。
黒髪、黒眼ではあれ、母は「人ならざる者」の力を有してはいなかったからだ。
その力の持ち主は、たった1人、父だけだった。
どんな制約も受けず、縛られず、大きな魔力を持ち、魔術を自由自在に操る。
ジークの後見人は、よく父を「自然の脅威に匹敵する」と評していた。
それほどまでの力を、己の意思によって使うから恐ろしいのだと。
人ならざる者は、たった1人の愛する者のためだけに存在する。
ジークが、フィオレンティーナとの婚姻を決めた際に、父から言われた言葉だ。
だから、ジークが、その力を持たずに生まれてきたことに感謝していると言っていた。
その時には、わからなかった。
むしろ、愛する者を守れる絶対的な力がほしかった、と思った。
父のように。
ジークはフィオレンティーナを愛していたし、彼女を守るための力なら、いくらあってもかまわなかった。
力がないことで、彼女を失うほうが怖かったのだ。
現在、ジークが統治しているアドラント地方は、元は、ロズウェルドと隣接した小さな国だった。
かつてロズウェルドと並ぶ大国だったリフルワンスが、ロズウェルドとの戦争に負けたのち、内乱によりいくつもの小国に分かれた。
その内のひとつが、アドラント国だったのだ。
フィオレンティーナは、アドラント国の第1皇女。
当然、様々な問題が起きたけれど、結果として、2人は結ばれている。
そして、問題のひとつを解決した際、アドラント国はなくなり、ロズウェルドに併合された。
尽力してくれたのは、後見人であり当時の宰相ユージーン・ウィリュアートン、キースの父親だ。
「父上も、あんたもいなくなっちまってサ。オレは、キースに頼ってばっかりだ」
そして、ジークが、こよなく愛したフィオレンティーナもいない。
彼女は16歳で、ソルを産んでいる。
ソルの陽射しでできたような金色の瞳は、フィオレンティーナの瞳だ。
ブルーグレイの髪は、ジーク譲り。
ソルのなにもかもに、ジークとフィオレンティーナが混じり合っている。
その後、十年の間、子はできなかったが、ジークは気にしていなかった。
3人で幸せに暮らしていたからだ。
けれど、どういう理由かはわからない。
フィオレンティーナが26歳の時、ティファが宿った。
ロズウェルドの出産適齢期は16歳から18歳とされている。
25歳まではまだしも、それを越えると、出産時の死亡率が急激に上がり、母か子のどちらかが必ず命を落とすほどだ。
わかっていたから、当然に、ジークは「予防措置」を欠かしていなかった。
子が、ほしくなかったのではない。
フィオレンティーナを失いたくなかったのだ。
にもかかわらず、なぜかフィオレンティーナは子を宿した。
原因は、未だにわかっていない。
ただ、ジークの後見人は、こう推測していた。
おそらく、と前置きをして。
『フィオレンティーナが、ロズウェルド産まれではないからだろう』
そう言ったのだ。
そもそも、ロズウェルドの者は、どうも他国の者とは体質が異なるらしい。
魔術師がロズウェルドにしかいないのも、その辺りに関係があるのではないかと、ユージーンが語っていたことがある。
「オレには、難しいことはわかんねーよ、ジーン……」
予防措置を講じていたので、大丈夫だと思っていた。
彼女にふれることや、抱き合うことで得られる喜びや至福を手放せなかった。
ジークは、フィオレンティーナを愛していたのだ、とても。
ジークは父とは違う。
けれど、たった1人の女性を深く愛してしまう性質は受け継いでいた。
その愛が、フィオレンティーナを殺したのだ。
ジークは、己を責めている。
ずっと悔やんでいる。
フィオレンティーナを失った時、初めて、父の気持ちを理解した。
深過ぎる愛は、相手の命や心を殺すことにも成り得るのだと。
だからこそ、心配でもある。
ジークは気づいていた。
「お父さま~って、飛んで帰ってくると思ってたんだぜ、ティファ」
ティファは、ロズウェルドに帰った際、この森の家に来ている。
すぐには、屋敷に帰らなかったのだ。
その理由が、ジークには、よくわかる。
「お前も、ローエルハイドなんだよなぁ」
ティファは、異国の地で、ジークの知らない男に恋をした。
だが、その恋を諦めるつもりで帰ってきたのだ。
そのため、すぐには家に戻れなかった。
気持ちが抑制できなかったからに違いない。
ジークにも身に覚えがある。
「オレもフィオナに恋してから、フィオナが1番になっちまったもんな。父上に、どんだけ叱られても、母上に心配かけても……」
家族が大事でなくなるわけではない。
けれど、家族よりも優先させてしまうことがある。
とくに、ローエルハイドの血筋にとって「たった1人」は、特別に過ぎるのだ。
『私は禄でもないからねえ。ジークが、私に似なくて良かったと思っているよ』
父の声が聞こえた気がする。
父にとって大事なのは、母だけだったと知っていた。
もちろん、父なりに自分や妹を大事にしようとしていたのは、わかっている。
だが、母に対する父の愛は、特別に過ぎたのだ。
父は、母のためであれば、どんななにを犠牲にすることも厭わなかった。
ティファは、ジークの母にとてもよく似ている。
が、同時に、それは、父にも似ているということなのだ。
ティファは、ジークの両親が亡くなったあとに産まれた。
黒い髪に、黒い瞳。
この2つを合わせ持つ、この世界で、唯一の存在。
ティファナローゼ・ローエルハイド。
ジークは、ティファが12歳を越えるまで、どれほど心配したことか。
いつ「人ならざる者」として魔力顕現するかわからない。
魔力顕現せず、14歳を迎えられた時の安堵感を、今でも覚えていた。
人ならざる者は、たった1人の愛する者のためだけに存在する。
ティファには、父のようになる可能性があったのだ。
魔力顕現していないことで少しは安心しているが、できることなら、愛や恋とは無縁でいてほしかった。
ローエルハイドの血に縛られずにはいられないがゆえに。
「ソルのヤツ……親を舐めてんじゃねーぞ……」
ソルは、実際に連れて帰るよりも前に、ティファを見つけていたはずだ。
連絡を断っていたことからも、それがわかる。
あげく北方諸国にいたジークを呼びもしなかった。
きっと近くでティファを見守っていたに違いない。
ティファが恋をしていると気づいていたのだろう。
ソルは、ジーク以上に過保護なので、ティファの気持ちを優先させた。
もし連絡を受けていたらジークは有無を言わさずティファを連れ帰ったはずだ。
恋なんてものを知る前に、と。
ジークは、パッと烏姿に変転し、空に舞い上がる。
青空を、一直線に横切った。
(飛べなかったアヒルの子……お前にも、もう大きな羽があるんだな、ティファ)




