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我儘に過ぎるでしょう? 3

 セスは、寝所の窓の桟に腰かけ、町を見ている。

 夜遅い時間のため、灯りは乏しい。

 地上より、天にかかる月のほうが、明るく見える。

 こういう町だからこそ、火が出れば、すぐに気づくのだ。

 

 テスアは、美しい国だった。

 3百年余り()ざされたまま、異国に踏み荒らされることなく歴史を刻んでいる。

 雪嵐が弱まらなければ、ずっと変わらずにいられただろう。

 今後、どのくらいテスアとしての歴史を綴れるのか。

 セスは、わからずにいる。

 

 そろそろ雪嵐が止んだ際に備える方法を、深刻に考える時期なのだ。

 なのに、心が定まらない。

 町を見ながら、心では、ティファを思い出している。

 

 あれから、ふた月も経っているのに、寝所にいるのがつらかった。

 というより、寝所にいても、ティファがいないのが、つらいのだ。

 あまりにも静かに過ぎて、独りを感じずにはいられない。

 悪態をつくティファの声はなく、もの寂しい部屋と成り果てている。

 

 たらんと垂らしていた手の指先が、ぴくっと反応した。

 けれど、視線は町に向けたままでいる。

 

「魔術師というのは、無礼なのだな」

「刀は取らないのかい?」

「必要ない。俺を殺す気などないのだろう?」

「実際、そうしたい気分ではいるがね。私は、ティファに嫌われたくないのさ」

 

 セスは、ゆっくりと顔をそちらに向けた。

 貴族服姿のソルが立っている。

 暗闇に、金色の瞳が光っていた。

 

 陽射しのごとく、輝く瞳。

 

 ソルが太陽ならば、自分は月だ。

 月は太陽には敵わない。

 新月には、太陽の光を失い、光ることさえできない存在となるのだから。

 

「きみが、この国を捨てられるとは思えないな」

「いつ、俺が国を捨てると言った」

「考えたことはないのかね?」

「ない」

 

 もちろん、もし王族として生まれていなければ国を捨てることも考えたはずだ。

 ロズウェルドに行き、ティファとともに生きるという道を選んでいた。

 けれど、セスは王族として生まれ、国王となっている。

 民に信頼もされていた。

 

「その割には、国事が(おろそ)かになってやしないかい?」

「俺が、どうであろうと、お前の知ったことではないはずだ」

「そうとも。私の知ったことではない」

「ならば……」

「だが、ティファは気にしている」

 

 どくり…と、心臓が大きく鼓動を打つ。

 名を聞くだけで、ティファの顔が見えた。

 セスが、じぃっと見つめると、同じように、じぃっと見つめ返してくる瞳。

 

「きみが、駄目な国王になってやしないか。とても気にしていたよ」

「駄目な国王……」

「自覚がないのなら、厄介だねえ」

 

 セスは、国王として、正しくあろうとしている。

 そのために、ティファを手放した。

 追いかけることすらも諦めたのだ。

 それこそ、駄目な国王と言われないように。

 

「ティファのために、きみは自国の風習を曲げたらしいじゃないか」

「それが、どうした? 大勢の女を相手にする男を好まないというから、寝所役を廃した。俺が、ティファしか望んでおらんからだ」

「では、ティファの望むことなら、どのようなことでもするのかね?」

「ティファが望むのであればな」

 

 やれやれというように、ソルが肩をすくめる。

 自分の愛しい女の望みなら、なんでも叶えたい。

 それは、おかしなことではないはずだ。

 ティファが喜んだり、笑ったりする姿を見たいと思うのは、当然だろう。

 

「それが、駄目な国王の始まりだよ、セジュルシアン・カイネンソン」

「どういう意味だ?」

「きみがティファ1人を望み、そのために、風習を“一時的”に曲げるのはいいさ。だが“どのようなこと”でもする、というのは、どうかな」

 

 ソルの金色の瞳に冷たさが宿る。

 

「ティファは、きみが良い国王であることを望んでいる。だが、同時に、きみが、ほかの女性と親しくするのが嫌なのさ。だとしても、民を相手に、それを言うことはできない。きみに、民を(ないがし)ろにしろと言うも同然だからだ」

 

 セスは、ソルの言葉に、大きな衝撃を受けていた。

 そして、自分が、なにをしくじったのかにも気づく。

 

「ティファは……国王としての俺を……いつも優先して……」

 

 まだテスアに来て間もない頃から、そうだ。

 ティファが、あたり前のように言った言葉に、唖然としたのを覚えている。

 その時だった。

 初めて、言葉にできないような感情をいだいたのだ。

 

 『セスは国王で、火事を気にしてごじゃりば……』

 

 そのために、ティファは、自らで刀を握り、身を守ろうとした。

 セスではなく、護衛の宿直(とのい)を呼べとまでと言っていた。

 国王としてのセスを優先させてのことだ。

 

「きみに、我儘はできないそうだよ」

「……で、あろうな……あの女は……強情っぱりに過ぎる……」

 

 茶屋で、イファーヴが、セスの肩に唇を押しつけた。

 それを見て、ティファは、どれほど我慢したことか。

 己の我儘だとして、耐えていたに違いない。

 嫌だと言うこともできずに。

 

「……ほかの女にさわらせるなと、言えばよかったのだ」

 

 が、それを言えないのが、ティファだともわかっている。

 国王であるセスを尊重し、己の心のほうを折り曲げた。

 セスは、ほかの男の名を呼ぶことすら禁じていたのに、同じことがティファにはできなかったのだ。

 

 見ているセスのほうが、胸が苦しくなるくらい、ぽろぽろと涙をこぼすティファを思い出す。

 あの涙の意味が、ようやくわかった。

 

「女の言うことで、俺の差配が変わるのを恐れたのだな」

「この国には、この国の文化や風習、そして法がある。きみは、この国の国王だ。ティファの機嫌を取るために存在しているわけではない」

 

 セスは、大きく息をつく。

 ソルから視線を外し、空を見上げた。

 

「それでも、俺は、ティファが恋しいのだ」

 

 いっときも忘れられずにいる。

 この先もずっと、忘れられそうにない。

 本当には、もうなにもかも放り投げて、ティファに会いに行きたかった。

 ちっとも可愛げがないのに、可愛くてしかたのない女。

 

 セスは、ティファに恋をしている。

 

 モレドには悪いが、ちゃんと笑える日が来るのかもわからずにいた。

 あの泥水色の瞳を見つめ、頬にふれたい、と思う。

 また髪を洗ってやりたかったし、からかって怒らせたくもあった。

 

 おそらく、こういう感情に名をつけたものが「愛」なのだ。

 

 ソルが近づいてくる気配を感じる。

 空を見上げるのをやめ、視線をソルに戻した。

 

「もう1度だけ訊こう。きみは、どう応える?」

 

 不思議と、ソルに対する腹立たしさはない。

 ふっと、笑って答える。

 

「多くを語る必要はない」

 

 迷いはなかった。

 ソルの金色の瞳が、いよいよ冷たくなる。

 殺す気で来たわけではないのだろうが、来たくて来たわけでもないらしい。

 

「そう応えてほしくはなかったよ」

「それで? 俺は、どうすればいい?」

 

 ソルは、ティファのことだけを考えているのだ。

 だから、来たくもないのに、ここに来た。

 つまり、なにかしらの要求があってのことに違いない。

 

「以前とは違うことを言うがね。きみには、覚悟をしてもらう」

 

 セスは、立ち上がり、ソルの前に立つ。

 銀色の瞳には、静謐さが漂っていた。

 陽の光のような色をした、けれど、暖かみのない瞳を見据えて言う。

 

「その覚悟ならできている」

 

 それは、ティファを諦めない、という覚悟だった。


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