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万感千万 3

 ティファという女がいなくなった、という。

 叔父と従姉妹は、ほくほくしている。

 その姿に、スヴァンテルは、やはり呆れていた。

 

「あの欲深な茶屋の主に、金を握らせた甲斐があった」

「ええ、お父さま。そのおかげで、私も首尾よく、あの女と話せましたもの」

 

 朝から、ずっとこの調子だ。

 叔父は、いかに自分が「金払いがいいか」を自慢げに語り、イファーヴは、どのようにして自分が異国の女を「討伐」したかを語っている。

 よくもまあ飽きもせず、同じ話を繰り返せるものだ、と思うほど、2人の会話はとりとめがない。

 

「しかし、その女は、どこに行ったのですかねぇ」

 

 床を覆っている敷物の上に横になり、2人に声をかけてみる。

 いなくなった、というだけでは事情がわからない。

 一時的なものであれば、戻って来ることも有り得るだろう。

 そうなれば、この2人の愚痴に、またつきあわされることになるのだ。

 

 その女自体に、今はさしたる興味はないが、この先はわからない。

 自分の暮らしにも関わってくるかもしれないのだから、なるべく状況を具体的に把握しておきたかった。

 

 叔父は、スヴァンテルの問いを無視している。

 きっと事情を知らないのだ。

 叔父にとっては、女がいなくなった、というところで話は済んでいるのだろう。

 従姉妹であるイファーヴのほうが、その辺りの情報に通じていた。

 口元にあざとい笑みを浮かべ、得意げに語る。

 

「あの女は、茶屋で倒れたのよ」

「倒れた? そりゃ、また、どうして? 悪い物にでも(あた)ったのかな」

「そうではないわ。倒れたのは、食事前だったから」

 

 イファーヴは、よほど嬉しいのか、機嫌良く、にこやかだ。

 機嫌の悪い時は、居候であるスヴァンテルに当たり散らすことも少なくない。

 叔父の前では見たことのないような姿も見せる。

 口汚く罵られるのにも、すっかり慣れてしまった。

 

「もったいぶらずに、教えてくれてもいいじゃないか、従姉妹のよしみで」

 

 イファーヴが、意味有りげに、ふふっと笑う。

 上機嫌そのものだ。

 イファーヴは、叔父より知恵が回るものの、感情的であるのは変わりない。

 少し下手(したで)に出るだけで、機嫌を取ることができる。

 

「陛下が、私との茶屋遊びで負けてくださったのです」

「陛下が……そんなことがあったとは……なんとも意外というか……」

「あの女が近くにいなければ、寝屋をともにできていたかもしれないわ」

 

 スヴァンテルは、心で「それはない」と否定した。

 彼の従兄弟が、イファーヴを相手にするとは思えないからだ。

 ましてや、妻にするなど有り得ない。

 妻にする可能性が微塵もない女と、寝屋をともにする意味などなかった。

 

 少なくとも、スヴァンテルの知る従兄弟は、そういう男だ。

 欲望や酔狂で、女と戯れたりはしない。

 そこが前国王との違いでもある。

 前国王には、少々、淫蕩の気があった。

 

 そういう父親を、現国王は軽蔑していたのではないか。

 スヴァンテルは、そう感じている。

 でなければ、父親でもあった前国王の遺した悪い慣例を、あれほど早く正したりはしなかったように思えるのだ。

 

(つまり、お前たちが宮の中央に行くなんてことは、テスアが滅亡したって、あり得ないことなのさ)

 

 口に出して言えない分、スヴァンテルの内心は辛辣だった。

 完全に2人を見下(みくだ)している。

 だとしても、異国女のことは、もう少し訊いておきたくなった。

 妾を1人にしてしまうほど、従兄弟は、その女を「寵愛」していたのだ。

 

(こいつらが、あの女を襲わせるのに使った男3人は首を()ねられたのだからな)

 

 大事(おおごと)になり過ぎない程度の火事を起こし、国王を引きつける。

 民を気にかけている国王ならば、必ず様子見に来ると踏んだのだ。

 その間に、異国の女を穢し、宮を追い出す。

 要約すれば、そういう策だ。

 

 だが、結果、国王を宮からおびき出すことには成功したものの、女に抵抗され、あえなく策は水泡に帰した。

 スヴァンテルから言わせれば、なんともお粗末。

 そもそも、国王の妻は、必ずしも生娘でなければならないとの決まりはない。

 継承の資格は与えられないものの、連れ子の存在すら許されている。

 

(そりゃ、生娘のほうが、後の継承が分かり易いけど、セジュルシアンはこだわらないだろうなぁ。そういう性格じゃない)

 

 その従兄弟が「寵愛」を示した女を、簡単に手放すとは思えなかった。

 どこまでも、こだわり抜きそうなものだ。

 

「茶屋遊びが、肌に合わなかったみたいね。あの女は倒れてしまったのよ。所詮、異国の女には、理解がおよばなかったのでしょう」

「それほど刺激的なことをしたってことだろう?」

「まさか。人前で、そこまでするほど、私は無粋ではないわ」

 

 どうだか。

 

 イファーヴは、人前であろうと、隙さえあれば、平気で国王を押し倒しかねない女だった。

 わざとらしい言い草に、鼻で笑ってしまいそうになる。

 もちろん、我慢したけれども。

 

「肩に軽く唇をつけただけなのに、大騒ぎして、みっとみない女だったわ」

 

 すでに、その女は、過去の者とされているらしい。

 寝所役が廃されてからの荒れようとは、見違えるほどに、イファーヴは、自信を取り戻している。

 邪魔な女がいなくなったため、すべてが元通りになると思っているに違いない。

 

(それでも、お前が選ばれることはないけどな、イファーヴ。愚かな女だ)

 

 仮に、寝所役が戻されたとしても、イファーヴに妻の芽はないと確信している。

 というより、妾にだって選ばれはしないだろう。

 わかっていないのは、本人と、その父親である叔父くらいだ。

 大取(おおとり)を始め、臣下のほとんどは、スヴァンテルと同じ認識であるに違いない。

 

 もっとも、スヴァンテルにとっては、イファーヴが選ばれようが、選ばれまいがどうでもいいことだった。

 むしろ、自分がイファーヴの対象となっていないのが救いくらいに思っている。

 なにしろ、血筋が近いとはいえ、従姉妹とは婚姻ができるのだから。

 

「けど、いなくなったっていうのは? 宮には、まだいるんじゃないの?」

「いないわ」

「町に出されたってのか? 茶屋で倒れたってだけで?」

 

 彼の従兄弟が、そんな真似をするはずがない。

 すると、イファーヴが、にんまりと口元をゆるめた。

 ものすごく気色が悪くて、ゾッとする。

 

「それが、なんでも、テスアに合わない病を持っていたそうよ? その病が、国に広まったら困るでしょう?」

「確かに。テスアは小さな国だし、流行り病は一大事だ」

「その通りよ、スヴァンテル。陛下は、賢明なお方ですもの。即座に手を打たれたというわけ」

「それで、国から出したわけか。まぁ、流行り病をまき散らされては、かなわないから、しかたないよなぁ」

 

 なるほど、とスヴァンテルは納得してみせる。

 が、なにか奇妙なものも感じていた。

 イファーヴの言うように、テスアで未知の病が流行るのは、大変なことだ。

 原因となる女を国外に追放せざるを得なかったというのも、わからなくはない。

 

(セジュルシアンは、あの女1人のために寝所役を廃して、あの女のためだけに、臣下を3人も斬り殺した。それに……)

 

 2人に知れると面倒なので黙っているが、実のところ、スヴァンテルは、あの日、茶屋にいた。

 従兄弟が「寵愛」している異国の女を、見てみようという気になったからだ。

 スヴァンテルは宮仕えをしてはいるが、目通付(めどおりづけ)など重要な役割は担っていない。

 そのため、女を見る機会がないまま、ひたすら2人の愚痴を聞かされていた。

 なので、1度くらいは見ておいてもいいか、と思ったのだ。

 

(しかし、あれじゃあ、イファーヴが腹を立てるはずだ。あれほど不器量な女とは思いもしなかった。なにが良かったのやら)

 

 グオーケに連れられ、奥庭近くに行く女の姿を、スヴァンテルは目にしている。

 泥水のような髪に、痩せた体。

 およそ、国王が「寵愛」し、執着するような女とも思えなかった。

 なので、女自体には関心はない。

 

(となると、取り柄は異国ってところだけだったのか……流行り病ねえ……)

 

 スヴァンテルが引っ掛かっているのは、あまりにも動きが早かったことだ。

 茶屋での出来事があって、まだ2日も経っていない。

 本当に、流行り病かどうか、調べてもいないのではなかろうか。

 にもかわらず、女を国から放り出すという決断をくだしたことになる。

 

(国王として、早急な判断が必要だったってことかもしれないな)

 

 病が広がる懸念を晴らすために、即断したというのはあり得る話だ。

 スヴァンテルは、それ以上、考えるのをやめる。

 とりあえず、当面、イファーヴから罵声を浴びせられることはなさそうなので。


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