万感千万 2
ソルが、振り向いて、にっこりする。
なにがどうなったのかは、わからない。
たぶん「即言葉」で話していたのだろうけれども。
「そんじゃ、帰るとすっか!」
「え……あの……」
「あいつも、納得してることだ。心配いらねえって」
「そ、そっか」
うなずきつつ、ソルの影から、セスの姿を見てみる。
こちらを見てもいなかった。
手にしていた刀も床に落としている。
ぱちん。
軽く指を弾く音がした。
体にかかっていた重みが変わる。
見れば、ロズウェルドで着ていたドレスに変わっていた。
床にはテスアの服が落ちている。
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
この服を身につけることは、2度とない。
この場所で眠る夜も、もう来ないのだ。
セスの腕の中で、羊を数えることも。
「ティッフィ、点門は、トラウマになってねえよな?」
「あ、うん……平気……」
トラウマというのは、精神的に傷を負うことを意味する。
そのように「民言葉の字引き」に記載されていた。
失敗した点門に巻き込まれたことを、ソルは知っているようだ。
だから、気を遣ってくれているのだろう。
「オレの可愛いティッフィ、ようやく連れて帰れるぜ」
ふわりと体が浮いた。
ソルに抱き上げられている。
後ろに柱が2本。
ソルが、点門を出したのだ。
門の向こうには、見慣れた景色があった。
王都にある屋敷ではない。
森の家のほうだ。
やはり、ソルは自分のことをわかってくれている、と思う。
(お父さまにも会いたいけど……今は、まだ……静かにしてたい……)
父と顔を合わせれば、ひと騒動となるに違いない。
あれこれ聞かれるのはしかたがないが、今夜1日だけは静かに過ごしたかった。
ソルに抱きかかえられたまま、セスに視線を向ける。
声をかけるかどうか迷った。
(あ…………)
セスが、ティファのほうに、顔を向けている。
銀色の瞳と視線が繋がっていた。
言葉にはできないような色が見える。
セスが、なにか言いたげに口を開いた。
けれど、すぐに口を閉じ、視線を外す。
「じゃあなー、こくおーへーか」
すたすたと、ソルが歩き出した。
ティファが声をかける間もなく、点門を抜けてしまう。
すぐに門が閉じる。
もうセスも、セスの寝所も見えなかった。
胸が、きゅうきゅうする。
ティファは、ソルの首に、ぎゅっとしがみついた。
悲しくもあったし、せつなさで苦しくもあった。
なにより、寂しい。
セスとは、2度と会えないのだ。
ティファは、小さくつぶやく。
「……これで……しまいだ……」
テスアの言葉だった。
せっかく多くの言葉を覚えたが、無駄になってしまう。
これだって、もう使うことはないのだから。
「簡単には忘れらんねえよ。けど、あいつは国王だ。そうだろ、ティッフィ」
肩に顔をうずめ、こくっとうなずいた。
ソルの言う通りだ。
セスは、この先も国王であり続ける。
いい国王であってほしかった。
自分なんかが我儘の言える相手ではない。
「よしよし、今は泣いとけ。あとのことは、オレが、ぜーんぶ片づけてやっから」
父のことも、なんとかしてくれる、ということだ。
ソルが、いつだって自分のことだけを考えてくれている、と知っていた。
なぜ、すぐに連絡しなかったと、ソルは父に叱られるのだろうけれども。
家というより屋敷に近いくらい大きな森の家。
ここは、祖父と祖母の愛した場所だ。
祖父が祖母のために造ったものが、そこここにあふれている。
ティファも、ここが大好きだった。
ソルが、階段を上がって行く。
2階に、ティファが使っている部屋があった。
入って、ベッドに腰かける。
ティファは、ソルの膝の上だ。
髪を撫でられて、気づいた。
ドレスに着替えた時に、別の魔術も使っていたのだろう。
(魔術がかかってると、お父さまにバレちゃうもんね……魔力感知に、かからないようにしてくれてたんだ……)
細かいところまで、ソルは手際がいい。
どこに飛ばされたかもわからない自分を、こうして迎えにも来てくれた。
「よく、わかったね」
「ティッフィのことで、オレにわかんねえことはねえんだよ」
ソルが、にっこりと笑う。
きっと心の中も見透かされているに違いない。
それでも、かまわなかった。
もう隠したって、意味はないのだ。
「けど、ひと月もかかっちまった」
「しかたないよ……普通は、見つけてもらえないくらいだもん」
ローエルハイドが、特異な魔術師の家系だからこそ、見つけてもらえた。
大陸規模で、魔力を持たない者を探すなど、常識的には無理なことなのだ。
木々の生い茂った山で、たった1本の木、その中の、たった1枚の葉を見つけるのと同じくらいには難しい。
「ソルは……雪嵐、見た?」
ティファは、結局、雪嵐は目にしていなかった。
宮の外に出たことがあるとはいえ、町止まりだったからだ。
雪嵐は、その先の国境の辺りに吹いているらしかったが、そこまでは足を運んでいない。
というより、足を運ぶ機会も時間もなかった。
「見たぜ。あれが魔力疎外になっててなー。すげえ超強力でよ。魔力感知できねえのもわかるってくらいの代物だな、ありゃ」
「それで、お父さまにも、わかんなかったんだね」
「オレだって、こいつがなけりゃ、行き過ごしてただろうぜ」
ソルが、なにかをひょいっと取り出す。
それは、ティファが飛ばされる直前までかけていた、黒縁の眼鏡だった。
実は、これにも魔術がかけられている。
意識を取り戻した際にはかけていなかったので、手前で落ちていたのだろう。
ソルの手が、ティファの髪を撫でていた。
その感触に、セスの手を思い出す。
泥水色だと言いながら、よく撫でていたからだ。
今、ティファの髪は、泥水色ではない。
あれは、魔術で外れないように細工のされたカツラだ。
そして、瞳の色も変わっている。
祖父が祖母のために造ったという「からこん」が外れていた。
泣き過ぎると取れてしまうため、こちらも魔術で外れないようにしている。
だが、魔力感知を逃れるため、セスが魔術を解いてくれた際に、どちらも外れてしまったようだ。
黒髪、黒眼。
それは「人ならざる者」と呼ばれる存在の象徴。
ティファは、祖母に、とてもよく似ている。




