そんなこんながありまして 4
バーンッ!!
大きな音、ついで、どんっという衝撃音。
ティファは、咄嗟に目を閉じていた。
「オレの可愛いティッフィが、近づくなっつってんだろうがよー」
聞き馴染みのある声だ。
そろりと目を開く。
大きな背中が見えた。
「ソ、ソル……?」
声をかけたとたん、大きな背中の持ち主が振り返る。
ぎゅむっと、両手で頬をつつまれた。
「ティッフィ! オレの可愛いティッフィ! こんなにやつれちまって!」
いや、やつれてはいないケド。
というより、少し太ったくらいだケド。
ちらっと思ったが、突っ込むことはできずにいる。
心に安堵が広がり過ぎていた。
涙が、ぼたぼたと、こぼれ落ちる。
テスアに来てから、ひと月余り。
悪い人たちではないにしても、知らない人ばかりに囲まれてきた。
文化も風習も違っていて、慣れないことに戸惑ってばかりの毎日。
昨日までは、気楽でいいとすら思えていたけれど。
今は、セスと、このまま一緒にいるのが怖くなっている。
セスは、茶屋を廃するか、とまで訊いてきたのだ。
きっと、ティファが茶屋に行ってほしくないと言えば、そうしてくれるだろう。
最初から、ティファの望みは、ほとんど叶えられている。
けれど、それは、セスにとっては良くないことだ。
国王としての在り様に、傷をつける行いに成り得る。
おこがましい言いかたかもしれない。
それでも思う。
自分の存在が、セスを駄目な国王にしてしまうかもしれない、と。
セスを好きだから、色々なことを望んでしまう。
同じ心で、セスには、臣民の期待に応える国王であってほしかった。
両立させることはできない。
ならば、どちらかを選ぶ必要がある。
(セスは、国王だもん……テスアの国王は……1人だけ。セスは、この国の人たちみんなのもの。私だけのものにはならないし……しちゃいけない人なんだ……)
陽の光でできたような、ソルの金色の瞳に、泣き顔の自分が映っていた。
確かに「不器量」が増している。
「お前が、こんなに泣くなんて……遅くなっちまったオレを許してくれ」
「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりして……ソルが来てくれて、嬉しい」
ぎゅっと、ソルに抱き着いた。
強く抱き締め返される。
過保護を、これほど嬉しいと思ったことはなかった。
(相変わらずだね、ソル)
ソルは、非常に変わった性格をしている。
ティファ以外の前では、礼儀正しく、とても紳士的。
穏やかで、なのに、パリッとしていた。
間違っても「ティッフィ」などとは呼ばない。
ティファと2人の時にだけ「こうなる」のだ。
「この、ひと月、どんだけ会いたかったか……オレの可愛いティッフィ」
「あ、あの、ソル……お父さまには……」
少し体を離し、ソルが、額に頬にと口づけてくる。
泣き腫れていた目元には、とくに、何度も、ちゅっちゅっとされた。
「さぁ、知らね。お前が北方にいるってキースに聞いたあとは、連絡してねんだ。あっちはあっちで探してんじゃん? オレは、ンな、ちんたらしてらんなくてな。なんせ、オレのティッフィが……」
「ティファから離れよ!!」
ソルの言葉が、ぴたりと止まる。
ソルの体で見えなかったので、後ろをのぞきこんでみた。
セスが「刀」を手に、立っている。
「うるせえな。オレが、ティッフィと話してる時に……」
ソルは、父と同じか、それ以上に、ティファに過保護なのだ。
ひんやりとしたものが、ソルの体からあふれている。
「殺すぞ」
「だ、駄目! セスは殺しちゃダメ!」
「なんでだよ、ティッフィ。お前に悪さしようとしてた奴だろ? ああ、殺すより瓶詰めのほうがいいか? それとも、生かしたまま壁紙に……」
「全部ダメ! セス……彼は、私を助けてくれたんだよ? 命の恩人」
ソルが、ちらっと肩越しに、セスに視線を向けた。
すぐにティファへと視線を戻し、不審そうに言う。
「けど、お前、近づくなーって叫んでたろ? 嫌がることされそうになったんじゃねえの? 命を助けてやったんだから、ゲヘヘみたいなさー」
「違うよ……セ……彼は……わ、私の着替えを手伝ってくれようとしてただけ」
「着替え? やっぱ、ゲヘヘじゃねえか! お前の服を、ひん剥こうとして……」
「そうじゃなくって! この国の服は、貴族服とは違うでしょ? だから、1人で着替えるのは難しいんだよね。だから、手伝ってくれようとしてたわけだけど……やっぱり、ほら、私も女の子だしさ。恥ずかしいじゃん?」
ソルから体を離し、両手を広げてみせた。
ソルが、じいっとティファを見つめる。
それから、ガバッと抱きしめてきた。
「おっ前、マジ、なに着ても、かっわいいなー! さすがオレのティッフィ!」
そして、また顔中に、口づけ。
瞬間、銀色が見えた。
「おい……いくら、ティッフィの命の恩人でも……うぜぇぞ」
セスの振り下ろした刀を、ソルは後ろ手に受け止めている。
当然に素手だ。
が、ソルは魔術師、しかも、特異な魔術師だった。
瞬時に、物理防御の魔術を発動することなど、造作もない。
魔術師相手に斬りかかるなんて、無茶もいいところだ。
そう思ったのだけれども。
ツ……と、ソルの手のひらから血が流れ落ちていく。
これには、ソルも、わずかに驚いたようだった。
手のひらに走る、ひと筋の傷を見つめている。
その傷が、すぐに、すうっと消えていった。
治癒で治したのだろう。
ソルにとっては、簡単なのだ。
命さえ残っていれば、どんな重症でも、たちまち癒せる。
治癒には魔力の消費が大きいが、それもソルには関係ない。
ソルは、尽きることのない魔力を持っていた。
「へえ。やるねえ。なんだっけかー。そういう型? 技法? てのが、あるって、聞いちゃいたが、使える奴がいたとはなー」
セスは、刀を「鞘」と呼ばれるものにおさめている。
その刀に手を添え、ソルを睨んでいた。
いつでも抜ける、といった様子だ。
表情は険しいのに、セスの周囲からは、静けさみたいなものを感じた。
「ティファから離れろ」
「無理」
「離れなければ、斬る」
「なぁ、ティッフィ」
ソルが、軽く肩をすくめる。
それから、にっこりした。
「瓶詰めにしていい?」
「……絶対、ダメ」
「そんな可愛い顔して言われたら、我慢するしかねえなあ、もう。こいつめー」
すりすりすりっと、ソルが、頬ずりをしてくる。
ソルに殺気はない。
ひとまず、セスを殺したり、瓶に詰めたり、壁紙にしたりはしないはずだ。
とはいえ、セスのほうは違う。
この静けさは、セスの怒りだと、わかっていた。
銀色の瞳に剣の鋭さが宿り、凄味が増している。
無言で、人を威圧できる力を、セスは持っているのだ。
「んじゃ、ま、ちょいとばかし、相手してやるかー」
「ソル……怪我させたりとかも……」
「心配すんな。オレは、いつだって、お前のことだけ考えてんだぜ?」
ちゅ…と、軽く額に口づけを落とし、ソルが、セスのほうに向き直った。
そのせいで、セスの姿が見えなくなる。
「ティッフィのお願いだ。話し合いといこうか、こくおーへーか」
ティファは、そこで初めて気づいた。
さっき、セスはソルを相手にロズウェルドの言葉で話していた、ということに。




