そんなこんながありまして 3
茶屋に同行させたのが、間違いだった。
セスは、久々にわめいているティファに、顔をしかめる。
おそらく、奥庭で、男女の交わりでも目にしてしまったのだろう。
それがショックだったに違いない。
(顔色が、かなり悪いな。今にも倒れてしまいそうだ)
心配になり、歩み寄る。
が、セスから逃げるように、ティファが後ずさった。
さっきも手をはらいのけられている。
わけのわからない言葉で話されても、怒っていることしか伝わっては来ない。
せめて、テスアの言葉で話せ、と思った。
最近は、かなり上達しているのだし、あえて村の言葉を使うことはないはずだ。
セスとしては、ティファを早く寝かせ、医師を呼びたいのだ。
拒むティファに、少し苛つく。
「そもそも茶屋とは、そういう場所だ。嫌なら、今後、行かなければいいだろう」
セスだって、茶屋を好んではいない。
行きたくて行ったのでもなかった。
それで、つい厳しい言いかたをしてしまう。
「お前が、行くという判断をした。茶屋が、どういう場所かを知らなかったというのではあれば、それは、お前の勉強不足だな。ならば、あの場でルーファスに訊くべきだったのに、それもしていない。どういう思い込みをしていたかは知らんが、判断を誤ったのは、お前自身の問題だ」
「そんなの、わかってる! けど……だったら、私に判断なんてさせないでよ! 私はテスアの文化なんて知らない! たったひと月なんだよ? どんだけのことが勉強できると思う?! 要求が高過ぎるっての! この理不尽男!」
また、村の言葉で、ティファがわめく。
ティファは、セスの言っていることを理解しているが、セスにはティファの言うことが理解できない。
理解できないと、ティファにもわかっているのに、村の言葉を使っている。
わざと理解できない言葉で話しているのだ。
悪態をつくぐらいならまだしも、ティファは、なにかを訴えている。
なのに、セスに理解を求めてはいない。
自分自身を否定され、拒まれていると感じた。
それが、さらに、セスを苛つかせる。
「言いたいことがあるなら我が地の言葉を使え! お前の村の言葉はわからん!」
「わかろうとしてないからじゃん! 私は、必死でテスアに合わせようとしてきたけど、セスはどう?! 1回でも、私に合わせてくれようとした?!」
「ここはテスアだ。我が地の言葉で話せ!」
「私の言ってることもわかんないくせに! ここがテスアだからって言うんなら、もう帰る! 帰してよ、ロズウェルドに!!」
セスは、ハッとなった。
ティファの言葉の中に、理解できる単語がでてきたからだ。
テスア以外の国名。
ロズウェルド。
ティファは、確かに、その名を口にしている。
文章の意味はわからなくても、言いたいことがわかった。
この状況で、ティファが国の名を口にした理由。
ロズウェルドに帰りたい。
セスを拒むような言動にも説明がつく。
ティファは、テスアにいたくないのだ。
ロズウェルドに近い、自分の村に帰りたがっている。
ぎゅっと、手を握り締めた。
涙のこぼれ落ちているティファの瞳。
相変わらず、泥水のような色をしていて、泣いているのに濁って見えた。
その瞳を見据えて言う。
「お前を、帰す気はない。それに、帰れもしないぞ」
「雪嵐でもいい。死ぬことになってもいい」
今度は、北方の言葉だった。
どうしても伝えたかったからだろう。
帰りたい、ということを。
テスアにはいたくない、ということを。
「茶屋に行くのが嫌なら、行かなくていい。今後、お前には判断が難しいと感じた時は、俺が答えてやる。しばらく目通付は休みとし、お前にテスアのことを、俺が教えてやろう。文化も風習も作法も、なにもかもだ。そうすれば……」
「そういうことではないです!」
ティファが、顔をそむけた。
ざわりと、胸の奥に波が立つ。
苛立ちというのとは違う感覚だった。
「なにが、それほど気にいらない? 茶屋を廃せば、気がすむか?」
昨日まで、いや、今夜、茶屋に行く直前まで、ティファは帰りたいなどと言っていなかったのだ。
ここでの暮らしにも慣れ始めており、居心地も悪くはなさそうだった。
時折、文句をもらしてはいたが、深刻なものでなかったのは、わかっている。
せいぜいセスに対する悪態の類だ。
(茶屋で、いったい何があったという?)
グオーケと2人にさせてしまったことを、芯から悔やむ。
自分さえティファにつききりでいれば、こうはなっていない。
茶屋でなにかが起き、ティファを混乱させていると思っていた。
ティファが、嫉妬と国益というものの狭間で苦しんでいると、セスは知らない。
ティファが、セスのほうに顔を向ける。
依然として、顔色は真っ青だ。
それが、心配でならない。
内心では、セスは焦っている。
(早く寝かしつけなければ、本当に倒れるぞ。それに、ひと晩ゆっくりと休めば、気持ちも落ち着くだろう)
ティファの唇が震えていた。
胸の前で握り合わせた手も、震えている。
「茶屋は関係ない。私は、セスといたくない」
頭を殴られたような衝撃に見舞われた。
まさか自分が原因とは思ってもいなかったからだ。
体はともかく、心の相性はいいと、セスは感じている。
ティファの態度も、このひと月で、ずいぶんとやわらかくなった。
最初にあった敵意は消え、好意を持たれているのは確かだ。
勘違いでも思い込みでもない。
自分を見る瞳の色、仕草、かけてくる言葉。
そのすべてから感じ取っている。
ヤンヌとルンデのことで、ティファがかけてくれた言葉に心が楽になった。
セスを抱きしめてきた腕と、寄り添ったぬくもりに、慰められてもいる。
そこには、ティファの裏のない「好意」があったのだ。
(ティファは間違いなく、俺を好いている。なのに、なぜだ? なぜ、俺から離れようとする。離れたがる……)
が、目の前にいるティファからは、本気も感じた。
本気で、テスアを出たがっている。
セスの元を離れようとしている。
もうずっと流れている涙が、それを証していた。
これほどに、ティファの、か弱く脆い姿は初めて見る。
男3人に襲われた時ですら、弱々しいところなど、見せなかったのに。
「ティファ……」
「ヤだ! そんなもんつけたままで近寄らないでよッ!」
また、村の言葉に戻っていた。
意味がわからない。
けれど、ティファを抱きしめたくてたまらなくなる。
自分のせいで、ティファは泣いているのだ。
どうするのがいいのかはわからなくても、慰めたかった。
大丈夫だと言い、心配するなと言い、自分がいると言って。
こんな気持ちになったのは、初めてだ。
自分の無力さに、打ちのめされている。
たった1人、妻にと望む女の涙も止められない。
セスは、拒む様子を見せるティファを、それでも抱き締めようと近づく。
ティファが、また後ずさりながら、怒鳴った。
「近づかないでって、言ってるじゃんか!」
なお、歩み寄ろうとした。
その瞬間。




