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そんなこんながありまして 2

 ティファは、体が浮くのを感じる。

 頭が、ぐらぐらしていた。

 気分が、ものすごく悪い。

 夕食をとってもいないのに、吐き気がする。

 

「今宵は、これでしまいだ! すぐに宮に戻る!」

 

 セスの大きな声が聞こえた。

 耳から、頭に響くほどた。

 

(こんなに、すぐ帰るわけには……数年ぶりなのに……)

 

 セスが、民を大事にしているのは知っている。

 抱え過ぎなきらいはあるが、やれることはやりたがるはずだ。

 数年ぶりに茶屋に来たのも、民を労うために違いない。

 茶屋の者たちだって、楽しみにしていただろう。

 

 にもかかわらず、わずかな時間で、セスは帰ろうとしている。

 自分のせいだ、と思った。

 

(いい気になってたんだな、私……こんなの……私の我儘だよ……)

 

 セスから漂ってくる、女の残り香が嫌なのだ。

 肩に口づけられているのを見て、胸が締めつけられた。

 ぎゅうぎゅう痛くて、苦しくなった。

 

 セスの、たった1人の妾。

 

 そう言われ、調子に乗っていたのだと思う。

 勝手に「セスの特別」だと思い込んでいたことを、イファーヴの言葉で思い知らされていた。

 だから、こんなにも苦しい。

 

 ここはロズウェルドとは違うのだ。

 文化も風習も、テスア独特のものがある。

 それをよく知りもせず、自分の中にある型に当てはめようとした。

 結果、セスとの関係でも、勝手な解釈をしている。

 

 あげく、セスに、自分以外の女性がふれることに嫌悪感をいだくなんて身勝手もいいところだ。

 セスは、この国の国王なのだ。

 ある意味では、この国の民全員のもの。

 

 自分だけのものではない。

 

 独占できるような存在ではないのに、いつの間にか、独占したくなっている。

 理不尽で、口が悪くて、傲岸不遜。

 けれど、公平であろうとしてくれて、時々、優しかったりもする。

 ティファを「妾」とした時から、その背に、いつも庇ってくれた。

 危ない時は助けてくれて、誰にもティファを侮らせまいとする。

 

 そんなセスに、ティファは惹かれていた。

 だが、ここはテスアだ。

 セスは国王で、ティファは異国の女に過ぎない。

 

(口紅なんかつけさせないでよ……あんなふうにさわらせないでよ……)

 

 言いたいけれど、言えなかった。

 この国では、ああしたものも文化のひとつなのだ。

 

 そして、セスは国王だから。

 民を大事にする、いい国王だから。

 

 この国の女性であれば、当然に納得し、気にもしないのだろう。

 民と楽しんでいると、微笑ましく見ていられるのだろう。

 できないのは、自分が、この国の者ではないからなのだ。

 セスが好きだと思っても、その国の文化を受け入れることができずにいる。

 どうしても、嫌だと感じてしまうのが、つらかった。

 

「ティファ、すぐ宮に戻るゆえ、しばし辛抱いたせ」

 

 本当には、セスだけでも残ってくれと、言うべきなのだ。

 自分のために、大切な時間を無駄にしてはいけないと。

 

「こ、これは、ティファ様……どうし……」

退()け、グオーケ。2度とティファを茶屋には連れて来ぬ。案内(あない)もまともにできぬ者が茶屋の主ではな。ティファになにかあれば、ただではすまさぬぞ」

 

 そんなつもりではなかったのに、大事(おおごと)になっている。

 茶屋がどういうものかも知らず、安易に返答をした。

 奥庭になにがあるかも聞かず、言われるがままついて行った。

 すべては、自分の言動が招いたことだ。

 

「セス……ちが……」

「お前は黙っていろ」

 

 どかどかと足音も荒く、セスが歩き出す。

 もうほかの者たちの声は聞こえなかった。

 これでは、あとから、どう言われるかわからない。

 ティファ自身もだけれど、セスだって、非難されかねないのだ。

 

「お、おろし……」

「黙れ」

 

 あまりの気分の悪さに、ティファは目を閉じている。

 セスが、どんな顔をしているのかも見えない。

 数年ぶりの茶屋への顔見せを邪魔したと、怒っているだろうか。

 やはり異国の女などアテにはならないと思われているかもしれない。

 箸役もまともにできなかったし。

 

 『陛下が、なにより大事になさるのは、臣民にござります。それゆえに、陛下が、我が地で最も尊きお方であると、お忘れなきよう』

 

 イファーヴの言葉が、心に突き刺さる。

 臣民からの信頼なくして、テスアの国王は存在しない。

 ロズウェルドの国王も民からの信頼は厚いが、()(よう)が違うのだ。

 それは、国王と臣民との距離の近さだった。

 

 ティファが、今、感じている嫌悪感は、その2つを引き裂くものに等しい。

 もとより「妾」を1人としたこと自体が異例なのだ。

 

(無理だよ……私、セスの妾になんてなれない……だって、これ以上、好きになっちゃったら……もっと欲張りになって……)

 

 ほかの女の人にさわってほしくない、さわらせてほしくない。

 自分を1番にしてほしい。

 そんなことを言い出しそうになる。

 

 できるはずがないのに。

 

 国王であるセスに、自国の文化や風習や歴史を否定しろなどとは、言えるはずがなかった。

 国を愛し、民を大事にしているセスだからこそ、ティファは好きなのだ。

 理不尽さに腹を立てさせられることも多かったが、尊敬もしている。

 ティファにしても、テスアの文化すべてを否定しているわけではない。

 むしろ、感心することのほうが多かった。

 

 それでも、駄目なのだ。

 乗り越えきれない壁がある。

 

「すぐに医師を呼ぶ」

「大丈夫だから……」

 

 目をゆっくりと開いた。

 すでに寝所に戻っている。

 ティファは、セスの銀色の瞳を見つめた。

 とたん、涙がこぼれ落ちる。

 

 いつの間に、こんなに気持ちが傾いていたのか。

 好きでも嫌いでもない相手のはずだった。

 なのに、気づかないうちに、思っていた以上に、セスは、ティファにとって大事な人になっている。

 不器量だの貧相だのと言い、身勝手にティファを振り回してくる男性なのに。

 

(理不尽なだけの人なら良かったのにね……私、あなたを好きになんか、なりたくなかったよ、セス……)

 

 はだけた肩には、まだイファーヴの唇の痕が残っていた。

 目に入っただけで、胸が苦しくなる。

 もう怒ってしまいたくなった。

 理解なんて示したくもない。

 所詮、自分は「異国の女」なのだ。

 

「ティファ? 泣くほど苦しいか? どこが痛む?」

 

 どこもかしこも痛かった。

 体中が、ヒリヒリするような嫉妬に駆られている。

 セスは、ただ国王としての役割をまっとうしていただけだ。

 嫉妬すること自体が、筋違いなのだと、わかっている。

 

 ティファを抱きかかえたまま、床に座っているセスの胸を押し返した。

 ふらつきながら、立ち上がろうとする。

 引き()めるように、ティファの腕を掴もうとしたセスの手をはらいのけた。

 

「もう……帰りたい! ここにはいたくない! 帰りたい! 国に帰りたい!」

 

 立ち上がって、声を上げる。

 自分の望みが叶ったとしても、それは、セスを駄目な国王にする。

 女のために民を(ないがし)ろにしたと、後ろ指をさされるような国王にはしたくない。

 そう思っていても、自分の感情だって殺せなかった。

 

「私は、ここではやってけないの! テスアの人間にはなれないから!」

 

 あふれてくる涙を、止められずにいる。

 もう手遅れだと、気づいていた。


 ティファは、セスに、恋をしている。


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