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そんなこんながありまして 1

 セスは、自分の前に立つ女に、顔をしかめる。

 今夜は、茶屋勤めをしている者に会いに来たのだ。

 町の4つの区画には、ひと月に1度は顔を出している。

 

 引きかえ、茶屋には数年もご無沙汰だ。

 どうしても気が乗らず、後回しにしてしまう。

 それを、セスも気にはしていた。

 同じ民であるにもかかわらず、場によって選り好みをしている自覚がある。

 

(だが、茶屋遊びも、これで終わりにできる。ティファを正式に妻に迎えたなら、茶屋の者が遊びに誘うこともなくなるからな)

 

 国王の正式な妻は、国王と同じ権威と権力を持つのだ。

 それがわかっているため、遊び女らも、国王から誘われない限り、自らを危険に(さら)そうなどとはしない。

 不敬な行いと取られれば、投獄も有り得るのだから。

 

 今後も、妻同伴で顔見せに来ることはあるだろう。

 だとしても、今夜のようにまとわりつかれることはなくなる。

 次が数年後となるなら、隣には妻としてティファがいるはずだ。

 周りも、わきまえるに違いない。

 

「陛下、次は私の番にございます」

 

 叔父の娘イファーヴだった。

 イファーヴは、寝所役を解かれても、宮仕えをしている。

 衣装を用意する役目に就いていた。

 つまり、茶屋の者ではないのだ。

 

 宮仕えの者には、あえて顔見せなどする必要がない。

 宮の中ですれ違うこともあるし、目通付(めどおりづけ)でも優先されるからだ。

 あれほど強く言ったにもかかわらず、まだ自らを優遇されるべき存在だと思っているところに嫌気がさす。

 

退()がれと言いたいところだが……最後と思って我慢するか)

 

 セスは、しかたなくイファーヴと茶屋遊びを始めた。

 そのセスの目に、ティファが戻ってくるのが映る。

 すぐさま、遊びをやめたくなった。

 が、周りから囃し立てられていて、抜ける隙がない。

 

 ティファに意識を向けつつ、茶屋遊びを続ける。

 ティファは、座につき、少しうつむいていた。

 なにやら表情が暗い。

 

(グオーケの奴は、なにをしている? なぜ、ティファは、1人で戻って来た)

 

 庭を案内すると言っておきながら、ティファを放り出したのだろうか。

 だとすれば、許してはおけない。

 まだティファの顔を知らない者も、茶屋の中にはいる。

 知らず「遊び女」と勘違いした者から声をかけられていた可能性もあったのだ。

 

 座についたティファを、数人の男女が囲う。

 何事か話しながら、酌をしていた。

 ティファは、セスの「妾」兼「世話役」として来ている。

 もてなされるのは当然のことだが、気に食わない。

 

(あの男……近づき過ぎだ。ティファは、俺の女なのだぞ)

 

 拾って来た時から、ティファは自分のものだ。

 風習である寝所役を廃してまで、(そば)に置いている。

 そう遠くないうちに、妻にすると決めている女でもあった。

 自分以外の男に手出しされるのは、相手が民であっても、不愉快極まりない。

 

 が、セスには、その感情が、嫉妬であるとの自覚はなかった。

 嫉妬などしたことがないからだ。

 国王として、セスは、常に臣民から敬愛されることに慣れている。

 セス自身、その期待に応えるべく努めてもいた。

 

 そして、セスの上に立つ者は、誰もいない。

 

 セス以上に敬われる者も、優先される者もいないのだ。

 そのため、セスは誰かを羨んだり、妬んだりする必要がなかった。

 生まれてこのかた、嫉妬などという感情とは、無縁の場所にいる。

 もちろん、そういう感情があるのは知っていた。

 が、セス自身とは切り離されており、実感がない。

 

「まあ、陛下!」

 

 唐突に、周りから歓声が上がる。

 何事かと思ったのだけれども。

 

(しまった……)

 

 セスは、苦い顔をした。

 ティファに気を取られ、手元が(おろそ)かになっていたのだ。

 気づかない間に、イファーヴに手を握られていた。

 

 娯楽において、セスが負けたことなど、1度もない。

 とくに、茶屋遊びは普通の娯楽とは違う。

 よほど注意をしていたのに、初めて負けた。

 

「陛下が、茶屋遊びで負けてくださるのは、初めてにございます」

 

 イファーヴが、セスのはだけた肩に、しなだれかかってくる。

 ひどく不快な気分だ。

 なにしろ、負けようとして負けたのではない。

 注意力が散漫になった結果に過ぎなかった。

 

「俺には、連れがいる。ここでの寝屋を使わないことも知っているはずだ」

「もちろんにございます、陛下。私は、それほど図々しい女ではございません」

 

 言いながらも、イファーヴは離れようとせずにいる。

 セスは、ティファの視線が、気になって気になってしかたがない。

 ティファは「大勢の女と関係を持つ」ことを忌避しているのだ。

 たとえ寝屋をともにしていなくても、不快を招くかもしれない。

 

「ですが、負けは負けですから、ご褒美は頂戴したく」

 

 肩にやわらかいものが、押しつけられる。

 イファーヴの唇だ。

 許しを与えてもいないのに、勝手なことをされ、いよいよ不快感が増す。

 セスは、肩を軽く振り、イファーヴの唇から逃れた。

 

「褒美は取らせた。これで終わりだ。俺は、まだ食事もしていないのだぞ」

 

 静かに、だが、冷たく言い捨てて、座に向かう。

 セスの周りにできていた輪が、ザッと崩れた。

 せっかくの「顔見せ」が、イファーヴのせいで台無しだ。

 気乗りはしなかったものの、セスとしては民を労おうとしていたのだけれども。

 

「ティファ、庭はどうであった? グオーケは一緒ではなかったのか?」

「途中で用ができて、私は……先に戻りました」

 

 いつものティファらしくもなく、ぽそぽそと言葉を落とす。

 顔色も良くない気がした。

 まさか奥庭まで連れて行かれたのだろうか。

 もしかすると目にしたくないものを、目にしたのかもしれない。

 

「ティファ……」

「食事ですね。箸役を務めます」

 

 ひどく嫌な感じがする。

 ティファの態度は、いまだかつてないほどに、よそよそしい。

 あれほど感情を(おもて)に出すティファが、無表情なのだ。

 

 当然のことだが、セスは、女の機嫌を取ったことはなかった。

 なにかしらの言い訳をした経験もない。

 言い訳をするのは周りの者たちで、セスは聞いて判断をする立場だったのだ。

 誤解を正すことすら、滅多になかった。

 

 そのせいで、なにか言わなければならないと思うのに、言葉が浮かばない。

 自分が「なにを」言わなければならないのかも、わからないのだ。

 ともあれ、気にかかっていることを口にした。

 

「気分が悪いのか?」

「いいえ」

 

 よそよそしいまま、ティファが答える。

 やけに落ち着かない気分になった。

 初めてティファと話した時以上に「他人行儀」と感じる。

 あの時だって、ティファは、物怖じすることなく、悪態をつき放題。

 

 怒ってわめき散らし、涙目になって、また怒って。

 

 今より、よほど感情的だった。

 突然の変化に、セスは戸惑っている。

 そうした感覚も初めてだ。

 

 ぽと。

 

 ティファの膝に、箸でつまんでいたはずの野菜が落ちていた。

 見れば、手元が震えている。

 

「具合が悪いのか?! なぜ早く言わなかった!」

「そういう……わけでは……」

 

 ティファの手から箸が落ちた。

 同時に、その体が、ぐらりと揺れる。

 咄嗟に支えたティファの顔を見て、セスのほうが慌てた。

 ティファの顔色は真っ青で、唇までもが色を失っていたからだ。


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